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第二話 不誠実者の巣窟(五)

「では、失礼いたします」


 そして指先から音を紡ぎ始める。

 曲が始まれば余計なことは頭の中には残らない。

 周囲に気を遣わずに弾ける。むしろ、ここで気を遣ってはならない。


(やっぱりここだと気持ちよく弾ける)


 表現したいように表現できることを嬉しく思いながらながら、同時にこの琵琶の癖を確認し、その良さに感動した。これは弾き手のことを深く考え、作られた素直で良い音が出せる楽器だ。そう思うと自身の気持ちがより高ぶる。

 ただし、勢いのままに弾くことはしてはいけない。

 気持ち良いことではあるが、曲は曲。

 曲の解釈と異なる弾き方をすることは烑香の流儀と異なる。



 演奏は、烑香の体感として一瞬だと思ううちに終わってしまった。

 最後の音が空気に溶け十秒ほどたった頃、麗藍が軽く両手を合わせて音を鳴らす。


「とてもよかったわ。ありがとう」

「過大なお言葉、光栄でございます」

「過大なことはないわ。皆の顔を見ればわかるでしょう」


 麗藍はそう言うが、少なくとも申然の顔は確実に人を褒めるようなものではない。

 顔を青くした彼女に、麗藍は笑顔を向けた。


「では、次は申然妃ですね。琵琶は用意させましょうか。それとも使いを宮に贈りましょうか?」


 そう促された申然は慌てて机に両手をつき、立ち上がった。


「そんなことよりも! 麗藍殿下は最近の人魂騒ぎの続きについて、ご存知でしょうか?」

「あら、その噂は私の師の話より面白いのかしら?」

「ええ、ええ! もちろんでございます!」


 かなり苦しい話題の転換を図る申然は、意地でも謝罪はしたくなかったのだろう。自身を嫌っている相手からも認められたような状況で、少なくとも実家に帰る必要がなくなったことに烑香は安堵した。


(まあ、皇女の師を相手に勝負を挑み負けた妃と噂されれば、人生に大きな影響があるかもしれないものね)


 野心があるならなおさらだ。 

 ただ、皇族相手にこの話題の選び方はどうなのかと思わずにはいられない。それでも麗藍に興味を持ってもらうためだろう、申然は大袈裟ともいえる身振りで話を続けた。


「最近噂の火消しのために人為的なものだと伝えられましたが、実際には本当に人魂が出ていたという話でございます」

「へぇ?」


 麗藍はそう軽く口にした後、小さく首を傾げて見せた。


「静傑お兄様が陛下のために作っていた龍の実験を周囲が見間違えていただけということで話は終わったはずでしょう? それが間違いだという話なの?」

「はい。殿下の実験話こそ噂を消すための工作だと、人魂は本当にあるという噂でございます」


 必死になる申然を見ながら、なるほど噂はこうして広がるのだなと烑香は思った。

 今回は話す相手が悪いが、後宮にいる以上、食いつきの悪い話題ではないだろう。たとえ本当のことでなくとも共通の話題として出しやすい。


(申然自身は静傑様を陥れたいというわけではない。でも、こういう人たちが噂を広めることは、人魂騒ぎを起こした犯人にとっては喜ばしいことでしょうね)


 未だ犯人がわかっていない以上、人魂事件は政治的な目的だったのか、ただの愉快犯なのかはわからない。

 しかし犯人の意図を汲み取ろうとしたわけでなくとも、こうして皇族の前で何の根拠もない噂話を披露するなど、自身も皇族を陥れようとしている一派だと主張するようなものだろう。

 申然が必死に話そうとする中で、今度は李研が口を開いた。


「私は別の噂を聞きましたわ」

「あら、その噂も教えてくださるのかしら?」

「ええ。ただ、麗藍殿下には不快なものでございますよ。黒幕は貴女様だという噂でございます」

「あら、心外ね。続けて頂戴」

「皇女様はどの皇子にも偏りのない対応をなさっていると見せかけ、裏で操っているというものでございます。その力を以て皇子様方を殺めたのではないか、と。もちろん私は信じておりませんが、興味本位で広める輩もおりますゆえ火消をなさったほうがよろしいのではとも思います」


 李研は淀みなく言い切った。

 その表情や心を配るような声は麗藍を心配している様子だったが、そこに本心はなかった。

 ただ、言葉自体に嘘はなかった。


(必要なら火消しは手伝う、けれど見返りは欲しい……くらいの感覚なのかしら? よくわからないわ)


 真意は不明であるが、一瞬ではあったが彼女は申然に向かって見下した視線を送っていたので彼女と不仲であることは明白になった。

 申然は自分が振った話題を簡単に流されてしまったことに顔を赤くしていた。

 その様子を見ながら麗藍が静かに笑う。


「新たな情報をありがとう。けれど、生憎私はそういった噂の類に触れるつもりはないの。噂を流す者は自身の願望を口にしているだけ。私が動けば噂を流した者の思うつぼ。いずれ一掃するけれど、今はその時ではないわ」


 その麗藍を見て、烑香は頬を引き攣らせそうになったのを必死に抑えた。


(麗藍様は、誰よりも自然に嘘を吐く)


 李研の話を麗藍はとっくに知っていたのだろう。ただ、無知を装った。

 返答を受けた李研は「左様でございますか」と食い下がることはしなかったので会話は終わる。

 麗藍はそのまま石榴に視線を移した。


「しかし、やはり後宮に噂が多くありますね。石榴妃も何かお聞きになったことはありますか?」

「……申し訳ございません、私は噂を耳にしたことがございません」


 少し小さくなるように石榴が言うと、麗藍は「そう」と短く返答するのみであった。これで噂話は終わりかと烑香は思ったところで、麗藍と目が合った。

 これは碌なことがない、と烑香が思った瞬間。


「烑香。私に代わって、すこし尋ねてくれるかしら?」

 

 そんな『意思疎通は完璧です』といわんばかりの言葉が、大してやり取りをしたことがない自分に投げかけられるとは思ってもいなかった。


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