第二話 不誠実者の巣窟(四)
皇女に取成しを依頼する女の顔はどのようなものかと烑香は考えていたが、おおよそ予想できる範囲であった。呼ばれた三人のうちの二人は派手な化粧で、強気な性格も見てとれた。
「この度はお招きいただきありがとうございます、麗藍殿下。ここまで早くお誘いいただけるとは想像しておりませんでしたわ。ご配慮、心より感謝申し上げます」
妃の一人からすらすらと紡がれた言葉は、字面だけ見れば皮肉に聞こえるが、声色はごくごく自然なものだった。
ただ、その本心は文字通りの皮肉であるようだが。
(麗藍様への敬意は感じられない。本当に駒程度にしか思っていないのね)
年若いことも影響しているのかもしれないが、だいぶ見下されている様子である。
加えて、三人まとめて呼ばれたことにも大きな不満があるのだろう。
それは間違いなく麗藍も理解している。
それでもなおゆったりとした笑みを浮かべ余裕の態度を崩さない辺りが皇女らしい立ち居振る舞いなのだろう。
茶会前まで表情筋をほとんど動かしていなかったのに、武器として充分に使っている姿も印象的だ。
「私、物事は早く片付けるよう習慣づけておりますゆえ。申然様と同時に李研様、石榴様からも茶会の誘いを受け取っていたので、皆で楽しい時間を過ごせればと思いましたの」
「それはとても素敵なお心がけですね」
「よい考えでしょう?」
静かな笑顔を見せる麗藍に対し、申然と呼ばれた妃は「見習わせていただきます」と言った押し黙った。
代わりに他の二人の妃がそれぞれ口を開く。
「麗藍殿下のお心遣い、感謝申し上げます」
「同じく、本日お呼びいただけたことに心より感謝申し上げます」
「李研様も石榴様も、どうぞ楽になさってくださいな」
麗藍は順に妃に目を合わせてそう伝えたので、先に口を開いた妃が李研、あとから発言した者が石榴という名であるらしいと烑香は知った。
(ということは……この中では石榴様だけが、本当に感謝なさっているということなのね)
三人の中で石榴の声にだけ、嘘がない。
一対一での茶会に不満を持つ二人とは違い、四人での茶会に抵抗がないらしいことに烑香は少し意外だと思った。
麗藍が作ったこの状況は、一人だけを特別扱いをするとは考え難い。つまり、いくら頑張っても自分だけの特権が得られることはないということだ。そして逆に三人とも取成すということもないだろう。
表立った不満は発しないものの、彼女以外の二人の反応は想像に難くないものであり、むしろ喜んでいる石榴のほうが不思議な感覚の持ち主だと烑香は思う。
(だとしたら目的が二人と違う……と思うのは、考えすぎかもしれないし、そもそも私が考えることではないか)
それにそこまで興味があるわけでもない事柄なので、深く考える必要もない。むしろ、そのことに気を取られて下手な失敗をしでかしたくない。
どちらにしても麗藍から妃に対し個別の指示が出ていないので、余計な考察も不要だろう。
「ところで麗藍殿下は新たに器楽の師を雇用なさったと風の噂で聞きました。そちらの侍女も新顔でございますよね?」
「ええ。こちらの者が器楽の師ですよ」
同一人物であると予想したうえで口にしたのだろう、質問した申然に驚きの表情は見られず、むしろ口の端を上げるという態度に出た。
(そもそも今日来たばかりで噂って……。監視でもついてたのかしら。思った以上に注目されているみたいだわ)
そう思いながら烑香は小さく礼を取る。
形だけでもそうしなければいけないとは頭で理解しているものの、やはり面倒だ。
「ずいぶん年若い師を迎え入れられたのですね」
その反応に烑香は少し驚いた。
心配した声色であるが、烑香の耳には歪んで聞こえた。
挑発だ。麗藍がこのような会を開いたことに不満があるが故の挑発なのだろう。
しかしすでに着任が知られているのであれば出身も知られており、髪色の指摘もされるのだろうと思っていた。だからまさか、年齢だけを指摘されるだけだとは思ってもいなかった。
(素性まではまだわかっていないということかしら)
ただ、時間の問題ではあるだろう。
麗藍の元まで案内をしてくれた女官も、朧烑香であることを確認して名を呼んでいた。
どこかで名前が漏れるのは不思議ではない。
ただ、今はまだ知られていないのなら面倒事が一つ減ったことは幸いだ。
派手な化粧に似合わぬ控えめな笑顔を浮かべている申然は麗藍が何かを言う前に、申然は得意げに続けた。
「僭越ながら私、器楽は最も得意としている芸事ですの。これまで麗藍殿下に師がいらっしゃらないのは、私も存じておりました。ですが、不要に思っておられると考えておりました」
「偶然の巡りあわせがなかっただけよ」
「そのようですね。ですが、もし必要となさっているのであれば、その者よりも私のほうがお力になれると思うのです。麗藍殿下にもお聞きいただいたことがあったかと存じますが、琵琶は陛下からお褒めのお言葉を賜ったほどですよ」
言葉を進めるごとに徐々に抑えが効かなくなる申然はもはや得意げだった。
(自分のほうが私よりも、そして麗藍様より優れている、と)
こんな相手を、一対一で相手にするとなれば相当しんどいだろうな、と烑香は思った。
麗藍が自分のもとに複数名で呼びたがった理由がここにもあったのだと思わずにはいられない。
しかし申然以外の二人の妃も同席している中、さすがにここまで言われて麗藍も黙ったままでいることはないだろう。
「烑香、琵琶を用意していらっしゃい。例の琵琶よ」
「よろしいのですか?」
「陽春白雪」
「かしこまりました」
「あとで申然妃にも弾いていただくわ。以前、宴で弾いていたわね」
「……ええ」
上機嫌だと言わんばかりの麗藍の表情に申然は一瞬言葉に詰まった。想像していなかった返しなのだろう。それだけ自分の実力に自身があったのだろう。
他の二人も彼女の実力を知っていることもあるのか、興味深げに成り行きを見守っている。
(……これ、私への洗礼でもあるわね。ここで負けるような実力であれば不要、と仰っているようなものだもの)
二人の会話を聞く限り、麗藍は申然の実力を知っている。
一方、烑香はまだ一度も麗藍の前で演奏したことがない。静傑に聞かせたのは二蝶の音だけであるので、琵琶の実力は彼も知らない。だから、何も聞いていないはずだ。
どうやら麗藍は大胆な賭けにも出る性分らしいと、烑香は心の中で苦笑した。
(しかもこの場面で陽春白雪とは。好きな曲だけれど……うん。この場面なのね)
幼い頃に母に教えを請うた思い出もある曲なのだが、この場でそれを口にすることは、曲自体の美しさよりも言葉としての意味が強いのではないかと思ってしまう。
『陽春白雪の曲に和する者少なし』と言えば、優れた人の言行が凡人に理解されにくいことを指す。
(嫌味返しにしてはなかなかお気が強いことで)
皇女に恥をかかせたことで打ち首になるということなんてことはないだろうが、屋敷に戻るのは御免である。やるしかない。
すぐに琵琶を取りに向かった烑香はその音を確認した。
調弦は済ませてある。
戻った烑香は、すぐに演奏の準備を整えた。