第二話 不誠実者の巣窟(二)
(この方が第一皇女殿下、焔麗藍様)
艶やかな黒い髪には白い珠が漣なった簪がよく映えている。おそらく長月石だろう。涼しげな顔つきの麗藍はあまり表情が出る性格ではないらしく、口だけが動いている。
年頃は烑香と同じか、少し下か。
いずれにしても烑香より落ち着いているように見えた。
「あなたが静傑お兄様が言っていた、朧烑香ね」
「お初にお目にかかります、皇女様」
「ええ、初めまして。私のことは麗藍で構わないわ」
「では、麗藍様と」
「そうしてちょうだい。少し話をしましょう。そこにお掛けなさい」
麗藍は窓際に用意されていた席を指し、先に席についた。机上には菓子が用意されている。
烑香が着席すると、麗藍の側に控えていた侍女頭と思わしき女性は部屋から退出した。同時に麗藍が口を開く。
「しばらく二人きりで話をしたいの。人を入れたくないからお茶は温くなっているけれど、よければ飲んで頂戴。菓子も好きなだけどうぞ」
「ありがとうございます」
「この程度、お礼を言われるほどのことではないわ。だって、ここの仕事は当たりだとは言えないもの」
そう言いながら麗藍はじっと烑香を見た。
「ところで私はお兄様から銀髪の楽師が来てくれると聞いていたのだけれど、今は鬘かしら?」
「はい。銀の髪では不必要に目立ち一挙一動を監視されますし、要らぬ噂が立つでしょうから」
さすがに皇女のもとで余計な噂を立たせ面倒ごとを起こすつもりはない。
『朧烑香』の本当の髪色が周囲に知られる可能性はもちろん理解しているが、そもそも人前に出ていない烑香の姿を直接知る者はここにはほとんどいないはずだ。よほどのことがない限り一見して銀髪だと思われることもない。
「そう。気遣いをありがとう。けれど私のもとに先触れなく立ち寄る人はいないから、ここでは不要よ。鬘は頭に負担がかかるのでしょう? もっとも、あるほうが落ち着くなら止めないけれど」
「ありがとうございます」
「大したことではないわ。あの静傑お兄様が紹介するくらいなのだもの、少なくとも私に害はないのでしょうから」
そう告げる麗藍は少しだけ目元を緩めた。
「しかし意外だったわ。お兄様が私のもとに人を寄越すなんて」
それはどういう意味だろうと烑香は思ったが、尋ねてよいのかわからない。
話しかけられているようにも、独り言のようにも聞こえるその意図を烑香が図りかねている間に、麗藍は言葉を続けた。
「お兄様と私は利害の一致があるときだけの協力関係。私も十歳で母を亡くしているから、お兄様と同じく後ろ盾がないの。けれど政略結婚の道具になれる分、陛下からはお兄様より気に掛けていただいているわ。それでもすべてがうまく行くわけではないから、必要なときには協力し合っているの」
皇女にそういう事情があるいことは事前には聞いていない。
聞いたから何かが変わるわけではないし、仕事内容に変更があるとは思わないが、驚きはする。ただ、それ以上の感想は抱かないが。
(というか、むしろ麗藍様は私と静傑様が偽装結婚を企てる仲ってご存じなのかしら)
婚約の話はしているかもしれないが、協力関係という、ある程度距離のある付き合いをしているなら話をしていないのかもしれない。
(……というか静傑様、こういうことってもう少し詳しく説明してくださっていても良かったんじゃない⁉)
そういう時間がなかった、ということは理解している。
他にも必要な持ち物などの話をしていたら、契約結婚を約束した日はあっという間に解散となり、それから会ってはいないのだから。
ただ、ある意味静傑と麗藍が利害関係を大切にしているのであれば助かったとも思う。無償の家族愛などを見せられた場合、多少は後ろめたい気持ちになったことだろう。
「その反応、いいわね。未来の義姉相手でも特別なことはしないと言いたかったのだけれど、もとより期待をされていないということがわかって心地良いわ。さすがお兄様が寄越してくださるだけあるわね」
表情はほとんど変わらないが、空気は変わった。
気分がよいと呼吸の音で伝わってくる。
「あなたから器楽を学びたいと確かに思っているわ。でも、それ以外の侍女の仕事もお願いするつもり。私の侍女は元は母に仕えていた者たちだから、皆優秀だけれど少し年が離れているのよ。年近い方が頼みやすいこともあるの」
「かしこまりました」
拒否できるわけないと思いつつ、かといって烑香は自身に侍女ができるほどの教養があるとは思っていない。本当に大丈夫かと思っていると「食べないの?」と菓子を勧められる。
「それからもう一つ内緒ごとを。静傑お兄様をを助けてくれてありがとう。協力者を失うのは惜しいから、よかったわ」
「恐れながら、私は大したことは致しておりません」
実際知っていることを言っただけで、残りは静傑がかたをつけている。烑香の発言が転機につながったとしても、静傑自身の能力があったからこそ活かせているのだ。
それに麗藍は「謙遜するのね」と呟いた。
「貴女としては大したことではなかったかもしれない。けれど、お兄様にとって大きな助けになったことは確かよ。解決済みとされている人魂事件も、未だお兄様自身の行いを隠蔽するために火の龍を作ったなんて言ってる輩もいるくらい、あの人には敵が多い」
「……」
その状況をまったく予想していなかったわけではない。
静傑も噂の否定ができたとしか言っていなかったので、少しは解決したかもしれないが、すべてが片付いたとは思っていなかった。そもそも犯人が判明したとは聞いていない。
それに、その噂は女官に案内され麗藍のもとへ来る道中に、耳にした。
「でも、貴女のお陰で静傑お兄様は一旦敵を見つけるための時間を得ることができた。感謝しているわ」
麗藍のその言葉に烑香は静かに頭を下げた。
その気持ちを否定しなければならない内容ではないと思うが、表面上は受け入れながらも納得はできなかった。
(おかげ、っていうのは大げさ過ぎるのよね)
上手く言語化できないが、もどかしい気持ちだった。
皇女から礼の言葉を賜るほど役に立ったわけではないのに持ち上げられるのは居心地が悪い。
そもそも、新たな噂が生まれている時点で烑香の助言など本当に一時しのぎにしかならなかったのだ。もっと役立つような手があれば、静傑も苦労はしていなかったことだろう。
「お兄様の話はここまでにしましょう。貴女は国外のことにも詳しいと聞いているわ。私は近隣諸国へ嫁ぐ可能性も低くない。話を聞かせてくれると助かるわ」
「私が母から伝え聞いたことや書物からの知識が中心ですが、それでもよければ、ぜひ」
「楽しみにしているわ。そろそろお開きにしましょう。部屋は今から案内させるから、菓子も持っていきなさい」
「ありがとうございます」
これでひとまず初期面談はこれで終了かと思われたその時、扉の向こうから『失礼いたします』と声が響いた。
間もなく終わるとはいえ面談中と知っての上だろうからよほどのことかと烑香が思っていると、麗藍が入室の許可を口にした。
入っていた侍女は烑香に乱入を詫びるかのように目配せをしてから麗藍に一礼した。
「お話し中申し訳ございません。早急にお伝えするほうが望ましいと思われる文が届きましたので、ご報告いたします」
「ありがとう、貸して頂戴」
麗藍はさっそく渡された文を一読した。
そして納得したように頷いた。
「そうね。確かにこれは烑香がいる今、取り掛かったほうが早いわね」
自分の名前が出るなど思いもしなかった烑香は、さっそく想定外の命が下ろうとしていることには気が付いた。
ただ、何を言っても決定したことなのだろうから、あえて数秒を急かすこともない。
「烑香。悪いのだけれど、茶会に付き合ってくれるかしら?」
華やかな響きに思われる会を口にしているとは思えないほど、麗藍の声は煩わしさを含んでいた。