第一話 出会いと鎮魂歌(一)
月夜に響く虫の音が秋の訪れを告げる中、朧家の長女、烑香は父親である烽霜が告げた言葉を思わず繰り返した。
「見合い、でございますか」
「ああ。お前も十六。ちょうどよい頃合いだろう?」
烽霜の言葉は事実である。
十六といえばすでに嫁いでいてもおかしくない年齢だ。むしろ歴史ある名家であれば、その年まで婚約者がいないことのほうが稀だろう。
(とはいえ、私の相手になる人が本当にいるっていうの……?)
いままで烑香に婚姻にかかわる話がなかったことには理由がある。
それは、髪色と瞳の色だ。
この国の、特に都の民は基本的に黒髪である。大都市であるがゆえに出入りする行商人に茶髪や赤毛の者もいるが、烑香のような色素の薄い銀の髪を持つ者は話に聞かない。瞳も青みがかっており、一般的な焦げ茶色ではない。銀の髪でなければ誤魔化せる程度の色ではあるが、目立つ髪色をしているだけにほかの特異な部分も目立ってしまう。
結果、容姿を見られただけで恐れられたことは数知れず。
加えて烑香は朧家の長子とはいえ、本妻の娘ではない。
烑香の母は烽霜が本妻と出会うより前に婚姻の誓いを交していたが、銀糸の髪を『妖のようだ』と一族が罵り反発し、一族に迎える、正式な婚姻として認められなかった。
その後一族は烽霜の相手として同格の家の娘を迎え入れた。ゆえに一族からは烑香の二歳年下の異母妹が長女であり、唯一の後継であるように扱われている。
そのため烑香は良家の令嬢でありながら、婚姻話など出たことはなかった。
ただし烑香自身はそれで良いと思っていた。
何せ婚姻には興味がない。
烑香の興味は音楽に偏っている。
弦楽器は改良にも取り組んでいるほどだが、笛や歌も好きだ。
さらに音楽ために母から教わった記憶を頼りに国外の書物から西方諸国の知識を吸収したり、新しい言葉を覚えたりすることも楽しんでいる。幸い父との関係だけは良好であるため、ふんだんにとは言い難いものの、書物や楽器、そして改良のための材料はある程度融通してもらえる。
それに、屋敷内に存在しないかのように扱われているのは、あくまで人格的な話だけだ。
食事は使用人と同じ内容でも部屋に届くし、風呂を使うことも止められはしない。洗濯だって風呂に入った時に済ませればどうにでもなる。
つまり、生活には困っていない。
ただ、そうした毎日を過ごすだけの日々に満足しているわけではない。
烑香は将来、西方諸国を旅してみたいと思っている。
普通の令嬢として育っていればこのような思考回路は持たなかっただろうが、西方諸国にはこの国とは異なる楽器や音楽が多く存在していると母からは聞いており、憧れがある。
もちろん国内でも知らないものもあるが、烑香としては母から聞いた西方の話を自身の感じてみたいと思っている。
そして、このことは烽霜にも話したことがある。
それにもかかわらず今更見合いなど、一体どういうことなのかと烑香は思う。
そもそも母と想い合っていた烽霜でさえ、自身の経験から烑香が平穏な婚姻を結ぶことは簡単なことではないと理解しているはずなのに。
「私を妻に迎え入れたいという風変わりな方が、本当にいらっしゃるのですか?」
お父様みたいな変わり者の御方が? という言葉はぐっと飲みこんだ。
烽霜のことは父親としては好きだが、普通ではないと烑香は思っている。見目だけで判断しないという姿は立派だが、一般的なことではないし理解してもらえることでもない。それは家柄が上がれば上がるほど強くなる傾向がある。
相手が気にせずとも、朧家のように一族が反対することも有り得るのだ。
(まさか、お父様が何も考えていないとは思いたくないのだけれど……)
しかし考えてもらえているなら、このような話はこないはずではないか。
そう思ってしまうと少々責めるような口調になってしまうが、烽霜はそんな反応に怒ることなく、視線を右左へ忙しなく彷徨わせた。
烑香の眉間に思わず皺が寄る。
この反応、裏がないはずがない。
烽霜は、やがて諦めたように溜息を零した。
「……お前の旅に出たいという気持ちがわからでもない。男なら留学に出してやりたいと思うほど、お前が国外に興味を持っていることも知っている。だが……金銭事情を考えると非現実的だ」
確かにそれはもっともな話である。
烑香には朧家の財産を自由に使う権限がない。烽霜から小遣いを与えらえたとしても、到底国外を不自由なく旅するための資金など容易に貯まるものではない。
それでも、烑香だって何も考えていないわけではない。
「大丈夫です。私は自分で蓄えていま……」
「まあ、話をするだけだ。見合いだ。婚姻が決まったわけではない。将来良い出会いがあるやもしれんが、その前の練習だと思って一度顔合わせだけでも頼まれてくれないか。お前のためにもなるだろう?」
目を逸らしながら捲し立てる烽霜は落ち着きがなく、明らかに何かを隠している。
これで騙される人がいるのであれば見てみたいと烑香は思ってしまう。
「お父様、怒らないので仰ってくださいませ。このお話、もしや目上の方から持ち掛けられたものなのですか?」
「……断れなかったんだ。いや、最初は断っていたんだよ。でも、親として娘が心配だろうと言われているうちに、なんだか自分が間違っているような気がして……気付いたら了承をしていたというか……」
それなりにいい年齢であるはずの烽霜が、まるで叱られた少年のような口調になってしまっていることに烑香は深い溜息をついた。
(むしろ相手が仰っていることが正論過ぎて、お父様が自信を失ったのはわかる。わかるけれど……)
それならいっそ、もっと堂々と命令して欲しいと思う。
どうにも押しに弱すぎる父が困り果て、本来頭を下げる必要がない娘を相手に小さくなっている様子は烑香の居心地を悪くする。
「破談になっても構わないのでしょうか?」
「そ、それはもちろん……! 私が言われたのは、見合いの席を設けることだけだから、行ってくれるだけで本当に助かるっていうか……」
「娘は怠惰だとか、そういう風に仰っていただいてもよろしかったのに」
「娘を悪く言う親がどこにいるっていうんだい⁉」
愚痴のように口にした言葉に対して大げさに反応する烽霜を、烑香は内心心配した。
このように正直にしか生きられないのに、騙し打ちが頻発するという宮廷で生き延びられるのだろうか、と。
ただ、今それを尋ねたところで納得できる返事がもらえるとも思わなかった。それに心配したところでどうにか出来る話でもない。
それより、問題は見合いのほうだ。
「……わかりました、行きましょう」
自分を庇い続けてくれている父親を困らすことも本意ではない。
破談でも構わないと言われた話だ。だいぶ気楽である。
唯一の問題は相手のほうが格上であるのため自身からは断りづらいということだが、断られるように仕向ければよい話だ。好かれようとするよりやりやすい。
(普通のご令嬢ではない私が普通にしていれば断られると思うけれど……。念のため逆上されない程度の失礼な態度もとったほうがいいのかしら)
鬘や染粉を使わず対峙すれば、それだけで話は済む気もする。
銀髪を承知でいても、実際に見れば反応が変わることはよくあることだ。
ただ、やはりそれはやめておこうかとも思った。
相手にだけ見られるのならば良いが、周囲の注目を集めるのは本意ではない。見せるなら当人だけの時にしておくのが無難だろうが、そう都合よく鬘も外せるわけではない。
(まぁ、なるようになるわね)
少々面倒なことになったが、見合いさえ終わればまたいつもの日常が戻ってくる。烑香はそう前向きに思うことにした。高官がいるようないわゆる良家であれば、なおさら自分は忌避されるはずだから、と。