第2話 森で遭遇
湿りきった深緑の中で異彩を放ちながら燃え広がる炎が目に映った。それは俺の知っている火の燃え方ではなかった。
その横には2台の馬車と思われるものが横転した状態で放置されており、紐で繋がれている馬二頭はそれぞれが首を刃物で切断されたように綺麗な断面を残して倒れているのが見える。
「──うわぁー!?く、来るなー!」
「や、嫌だ……」
尻もちをついて泣き叫びながら目の前に迫る恐怖に悶えている男と、手から炎を出して必死に対抗しているような男が二人いた。あれもおそらくはフード男が言っていた魔法なのだろう。
悲鳴をあげる男二人に迫っているのは、二体の得体の知れない生き物だった。頭に太い一本角を生やし茶色い毛皮で覆われたその巨躯は、陸上最大の肉食獣であるホッキョクグマに次ぐヒグマの姿そのものであるようだ。
男の身長をゆうに超え、3メートル…いや4メートルはあろうかと言う程の巨体ぶりは遠目から見る俺でもその迫力が窺えてくる。
「はっ……はっ……くたばれ!くたばれ!来るんじゃねー!っ……死ね!死ね!死ね──」
「──っ!」
男の手から放たれる炎の球など恐れることなく迫るその化け物は剛腕を振りかぶると、次の瞬間には物凄い速さで男の首横を狙って振り下ろした。
斜め上から放たれた一振りは、男の首から上を軽々と宙に浮かせ、やがて音を立てて地面に転がった。
俺の足元まで転がってきた男の生首からは、予想よりも溢れ出る血の量が少なかった。上がったままの瞼には、輝きを無くした眼球が無造作の方向を向いていた。
「──バキッ」
木材が割れる音がして顔を上げて見ると、化け物は首を無くした男の胴体には手をつけることなく馬車を破壊し始めた。
男の放った魔法のせいか、辺りを隈無く燃やし続ける炎はやがて馬車にも移り、すでにその半分が燃え始めている。
馬車の中へと腕を伸ばした化け物が掴んだのは、一人の少女だった。気を失っているのか全く抵抗をすることなく、そしてそのまま──
「うっ………!」
首が無くなり、化け物に掴まれたままの胴体は僅かにピクピクと痙攣を始めていた。
これには流石に正気を保てるはずもなく膝をついて思わず口から嘔吐してしまう。
歳の近そうな少女の姿であったが故に、余計にあらぬ方向へと妄想が走り不快感が止まることなく押し寄せてくる。
やがて余すこと無く喰らい尽くした化け物は、未だ満たされることなく再び馬車の中へと視線を移した。
「──っ!まだ中に人がいるのか!?」
おそらく中にいる人も同様にこの状況で気を失っているのだろう。一瞬、僅かにだが俺の足があちらに向かおうと動きだしたのを全力でとめた。
人助けをしようとしたのか?………俺が?
突然ゲームの世界に連れ込まれ、遭遇した未知の化け物にやられて行く見知らぬ人たち。
今すぐにでもここから逃げ出せば、おそらくは助かるだろう。そして他にもこの世界にいる同じ境遇の人たちと合流して、どうにかして脱出の方法を探っていく。
それでも、あの化け物に少しでも対抗できると思った俺は大馬鹿者だ。プレイヤー補正でチート能力でも得たと勘違いをしているのだろうか。
───そんなわけがない。
自分の足とは思えないほど小刻みかつ高速で震え続ける足を見て、そんな淡い希望すら馬鹿馬鹿しく思えてきた。
破壊された馬車へと腕を伸ばす化け物。しかしその剛腕が獲物へ伸びるより前に───爆ぜた。
伸ばした右腕を無くした化け物はその痛みに耐えられずに悶絶を繰り返す。
やがて馬車から出てきたのは手首に錠をした赤髪の長い少女。
手に付けられた錠へと視線を落とすと、突然爆発し出して地面にジャラジャラと落ちた。手に密着していたものがいきなり爆発したというのに、少女の手首には傷一つ付いていない。
と、彼女の姿を凝視していた俺と一瞬視線が交差した気がした。
やがて痛みに耐えた化け物は、その巨体を走らせて勢いよく少女めがけて突進した。しかし、化け物の頭部にある一本角が少女に直撃するより直前で、またしても爆発が起きた。
爆炎と爆煙が入り交じり視界が悪くなる。先程から何度も彼女の周りで唐突な爆発が起きている。これも魔法の類によるものなのだろうか。
やがて煙が開けると、悠然と目の前を見据えて立っている赤髪の少女と地面に倒れて動かなくなっている化け物の姿があった。
美しく綺麗な赤髪とは対照的に、服を着ていると表現していいのかと言ってしまうほどボロボロのになった布が絶妙に隠すべきところを隠しており、その他の大部分の肌が露になっている。
こちらへと顔を向けた少女は、ゆっくりと裸足の状態で近付いてくる。
「…………っ!」
しばしの間、俺の全身を見回した後に突然少女が顔を近づけてきた。少女の顔は紛れもなく目と鼻の先にあり、整った呼吸の吐息が微かに顔に当たってくる。僅かにだが少女からは煙臭が漂う。
ほとんど無いに等しい俺と彼女の身長差から、少女と呼ぶのはおかしいのではと不意に思った。
「……?なんだ、死んだのか?」
「えっ………」
「あぁ生きてるか」
間近にあった顔を遠ざけると腰に手をついて目の前に立つ彼女。
「お前、なんでこんな所にいるんだ?」
綺麗な顔立ちに反して男勝りな口調でそう問いかけてくる彼女は、口調こそ強めだがその表情は柔らかい。
「……ちょっと、道に迷った」
「えっ」
この人はほぼ間違いなくこの世界の住人だろう。であれば俺の事情をそうペラペラと話していいのかという疑問が生じてくる。
「道に迷ったって…………その服装からして帝国の人間ってわけじゃなさそうだな」
「帝国…?」
「あぁいや、こっちの話だから気にしなくていい。それよりおま……名前はなんて言うんだ?」
「………ハルヤ」
「私の名はミリハ・リブルク。よろしくハルヤ」
「あぁ、えーっと、……ミリハ」
ミリハと名乗った彼女は切り替えるようにして辺りを見回す。どこを見ても同じような木しかなく、そもそもここが何処なのか俺にはさっぱり分からない。もしかすると彼女ならこの状況を打破する術を持っているのかもしれない。
「この森から出る方法とかないのか?」
知らないことは現地の住人に聞くのが一番手っ取り早いと誰かが言っていた。
「悪いが、私にもここが何処なのかまるで分からない。今まさにどうするかと考えているところでな」
期待していた言葉とは裏腹に、自分にも分からないと言い出すミリハ。
「何しろ、私は一国の皇女でありながら奴隷の身分に堕ちたのだ。そこに転がっている男共は奴隷商人だ」
澄ました顔でそう淡々と告げるミリハ。奴隷と言うのは歴史上でしか聞いた事のない、人間の中で最低に位置する身分のことだろう。皇族と言えばその国の最高地位であり、そんな者が奴隷へと成り下がるなど有り得るのだろうか。
「じゃあ、たまたまここであの化け物に馬車が襲われたってことか」
「そういうことだ。………もう一人、奴隷の娘がいなかったか?」
「あぁ………あの化け物に喰われた」
「…………そうか」
壊れた馬車の方へ目を向けると、既に火は馬車全体を燃やし尽くし黒炭へと変えていた。木々の葉を見ると、小さな水滴がいくつも乗っている。湿気の多いこの森では火もいずれ消えるだろう。
現に、最初見た時よりも周辺に燃え広がっていた炎の範囲が狭まっている。
「あの化け物って、何なんだ……?」
「……?魔物のことか?」
「魔物……」
「心配せずとも、魔物らはこういった森にしか生息していない。街へは出てこないから特に恐れる必要は無いぞ。もっとも、私たちがいるここも何時また魔物が襲ってくるか分からないがな」
つまりは今この状況は非常に不味いというわけで。
途端にこの森から一刻も早く抜け出したい、というか家に帰りたくなって来た。
仮にもここで駄々をこねれば俺は魔物の餌として死に、終わるのだろう。
「なぁハルヤ、ここは一時手を組まないか。この森から抜け出すという互いの目的が成立している以上、二人で助け合うべきだと思うのだが」
こちらを振り向くと同時に腰まで伸びた長い赤髪が宙を舞う。
ミリハの方から協力の申し出を受け、断る理由などなく俺たちは一時的に手を組むことになった。