変人の師匠に貰った加護がちょっと重たい 第二話 後編
迷宮では、ギルドが三十層の階層主攻略への足固めのために、その手前の階層で進路を開拓している。
だがそれには目もくれず、ルシアンは階層主との戦いをすり抜けて三十二層の安全地帯へ達し、そこを拠点として更に下層を目指していた。
四十層の森林では階層主の巨大甲虫を倒し、五十層の草原を支配するミノタウロスも葬った。
続く五十一層は起伏の多い草原地帯で、視線を遮る灌木の茂みに隠れながら、ルシアンは下層への通路を目指していた。
ここへは、何度か来ている。
師匠と一緒の時には更なる強敵の待つ下層に意識を集中し、戦闘にならぬよう気配を消して駆け抜ける通過点としか捉えていなかった。
師匠を亡くして初めて単独で五十三層から帰還した時には、先の長いルートを考え、必死に気配を殺してそろそろと通過した。
だが、今度は実力で堂々と通り抜けることが必要だ。
戦いを避けているだけでは、これ以上強くなれない。
そして、師匠の加護に怯えるこのバカげた単独行を終わらせるには、より強くならねばならないのだ。
ルシアンは、好んで一人になっているのではない。制御の利かぬ師匠の加護が仲間を傷つけることを一番に恐れ、人から距離を置いているだけだ。
一人で迷宮を彷徨う暮らしを終わらせるためには、決着を着けねばならない。
その場所は、恐らく迷宮七十層だろう。
師匠を殺した、凶悪な魔物の本拠地へ。
五十一層には大型の魔物は珍しいが、小型でも毒を持っていたり、群れを作ったりと、厄介な魔物が多い。
虫や爬虫類系の魔物に交じり、高速で空を飛ぶ鳥系の魔物が一番の脅威だった。
何度か通った場所なのだが、魔物はいつも同じ場所にいるわけではない。
下層へ至るルートは大まかに掴んではいても、最短距離で抜ければよいとは限らない。
ルシアンは平坦な草地を急いで抜け、丘の上の灌木に紛れて、周囲を伺った。
魔物を探知する能力は、徹底的に師匠に叩き込まれた。
自らの気配を隠すことと、魔物や罠などの危機を察知する能力が、生き残るための最大の武器になると教わった。
しかし、上には上がいる。
ルシアンはキラーアントの群れに囲まれ、窮地に陥っていた。
半年前に師匠の遺品を抱えて必死に迷宮から脱出した時には、この場所にキラーアントの巣などなかった。
それが油断だった。
子犬ほどの大きさのアリが、数百匹の群れで地面を覆っている。
用心して気配を消していたつもりだったが、焦りがあったのだろうか。
気付けば、すっかり囲まれていた。
キラーアントの強力な顎には弱い毒があり、僅かな傷でも腫れ上がって、出血が止まらない。
接近戦は分が悪いので、距離を置いて魔法攻撃を主体にして対処する。
だが、中にはその毒を含んだ酸を、口から水鉄砲のように発射してくる個体までいる。
大きな木や岩など身を隠す障害物の少ないこの場所では、群れから完全に逃げ延びることは困難だ。
一時的に姿をくらますことができても、大きな群れの持つ探知の輪から抜け出すのは、至難の業だ。
ルシアンは、群がるアリを両手の短剣で斬りながら、少しでも下層へ向かう通路の方向へと前進する。
キラーアントもルシアンを取り囲んだまま、群れごと移動している。
迷宮の魔物は瘴気を糧に生きているので、基本的に食事が不要だ。従って、互いに殺し合い、食い合うことも少ない。
集団で暮らす迷宮のアリやハチも、人間を襲うが食料とはしない。大きな巣を持ち、中に女王を擁している。
巣穴がある以上は、そこから離れてどこまでも追い続けることもない。逃げ続けることができれば、いずれ追ってこなくなると師匠に聞いた。
こんな時、師匠の場合は派手な大規模魔法を連発して気配を隠し、超速異動で置き去りにするのがパターンだった。
最初のころはよく一人逃げ遅れて、泣きべそをかいたところを師匠に救助されたものだ。
だが、今のルシアンは違う。
可能な限り魔物に立ち向かい、倒しながら進むと決めていた。
道を切り開くため、走りながら前方へ風の刃と火球を織り交ぜて放つ。
左右から襲い来る敵は、両手のナイフで切り裂く。倒しても、倒しても、きりがない。
単純な逃げ足だけなら、ルシアンが早い。だが足を止めれば、即座に背後から襲われて囲まれる。群れのすべてを振り切り、速度を落とさずにどこまで行けるか。
前方の上り坂に、キラーアントが集中して待ち受けているのが見えた。
ルシアンは躊躇わずに、炸裂弾入りの火球を放って一蹴する。
丘を越えた下り坂では、水魔法による水流で敵を押し流す。追加で雷撃魔法を放ち、広範囲の敵を倒した。
「ここが好機だ!」
後方へ土魔法による壁を築き、一瞬だけ視線を切る。
前方へも土魔法を使い、水流で湿った地面を更に軟弱地盤に変え、泥濘化させた。
気配を消しながら大きな跳躍をして、風魔法による補助効果で飛距離を稼ぐ。遅れて、土魔法で築いた壁に埋め込んでおいた炸裂弾が、破裂した。
丘の下へ着地後、後方へ置き去りにした本隊からは、かなりの距離を稼いでいる。前方に生き残っている先鋒部隊を、風の刃で各個撃破しながら、走り抜けた。
「どうやら、逃げ切れたようだ……」
見通しの良い草原は終わり、下層へと続く森林が前方に現れた。
安心したルシアンが大きく息を吐いたとき、森から黒い雲が湧き上がった。
黒い雲は広がりながら、ルシアンの元へ向かってくる。
それは、コウモリの群れだった。
「あれは、アシッドバット……」
上層にいるキラーバットに似ているが、集団で飛び回りながら、有毒の酸の雨を降らせる。それが、数百匹の群れとなり接近していた。
絶望的な状況だった。
バットの群れは完全にルシアンを標的として、上空へ集結しようと飛んでいる。
身を寄せるものが何もない開けた草原で、この事態は最悪だった。
咄嗟に、ルシアンは土魔法により地面に穴を穿った。数メートルの竪穴の中に入り、そこから森の方角へ向けて、横穴を掘り進める。
コウモリが穴に入れないように、背後の穴は念入りに埋めた。
明かりを灯す余裕もなく、暗闇の中で必死に穴を穿ち、前進した。
地中で別の魔物と遭遇しないよう祈りながら、魔力が尽きる前に、最大の効率で穴を掘り進めるだけだ。
ルシアンが地中を進む速度が、落ちている。土で埋めたはずの後方からは、魔物の気配が迫っていた。
ルシアンは信じられぬ思いで、振り返った。
目に見えるのは暗闇だけだが、そこにはキラーアントとアシッドバットの濃密な気配接近しつつある。
バットには穴を掘る能力がない。まさか、種族の違う魔物が協力して追ってきたというのか?
ルシアンは、小さな火球を後方へ放つ。暗闇に咲いた炎が見せる光景に、戦慄した。
本当に、ルシアンが埋めた穴をキラーアントの群れが掘り進み、アシッドバットを先導している。
こんな話は、聞いたことがない。師匠が殺されたあの一件以降、迷宮の魔物の様子がおかしいとは感じていた。
師匠を殺害した人型の魔物や、三十八層の氷河で遭遇した、連携して行動する三頭の雪猿など、魔物の知能が上がっているとしか思えない。
今回の異種族連携なども、異常な行動の一つだろう。
後方へ向けて矢継ぎ早に火球を放ち、すぐに土魔法で穴を塞いだ。
それからは必死で、前方の穴を広げて進む。
だが、先回りしたキラーアントが穴を掘り、前から横から、ルシアンの行く手を塞ぐ。その後方には、バットが待ち構えていた。
即座に風の刃で切り刻んで穴を魔法で塞いで逃げるが、アントも土魔法を使って穴を掘っている。地下では、ルシアンよりも素早く移動できるようだ。
「クソ、地上へ出るしかないか!」
上へ向けて穴を広げ、ルシアンは地上へ飛び出す。
そこへ黒い雲のようなアシッドバットの群れが押し寄せ、毒の雨を降らした。
ルシアンはそれを風魔法で吹き飛ばすが、かなりの量を浴びてしまった。
それでも諦めず、体の周囲に竜巻のような旋風を起こして酸の雨を防いだ。
次の瞬間、その竜巻が巨大化し、ルシアンを中心とした半径五十メートルのあらゆる物体を巻き込み、吹き上がる。
竜巻は大地を抉り空中の魔物だけでなく地上と地下の魔物をすべて巻き込んで、彼方へと吹き飛ばした。
巻き込んだ土と岩と魔物を風の力ですり潰しながら、中央に立つルシアン以外のすべてを粉々に砕いて、消滅した。
「俺はまた、師匠に救われたのか……」
ルシアンは放心状態で、すり鉢状に抉れた地面の底に一人、立ち尽くした。
終
第三話に続きます。・・・たぶん