変人の師匠に貰った加護がちょっと重たい 第一話 中編
前方の魔物を、視界に捉えた。
それは、三頭の長毛の猿だ。
左右に体長二メートルを超える灰色の猿が二頭と、それを率いるように、一回り大きな白い個体が中央に一頭。
雪猿と呼ばれる魔物だ。
ルシアンが知る雪猿は、この上層に単独で出没する白い猿で、もっと体が小さい。
三体揃って登場したこの雪猿は、全身を覆う長い毛の下に強い肉体を隠していて、巨体に似合わぬ素早い動きが予想できる。厄介な魔物だ。
雪猿はルシアンの現在地を正確に捉えてはいないが、この階層に異物が入り込んでいる情報を、魔物同士で共有しているのかもしれない。
雪猿は周囲を警戒しつつ、抑えきれない闘いの興奮を発散させている。
おかげでルシアンは敵の位置を捉えやすいが、逃げ切ることも難しそうだった。
足場の悪い崖のトラバースを続ければ、どんなに注意をしていても、いつか小石の一つや二つは転げ落とすことが避けられない。
もしそれでルシアンが見つかれば、一瞬で距離を詰められて戦闘になる。
強風に吹き飛ばされ落下する小石に紛れる可能性も期待できるが、このまま移動を続けるのは大きなリスクがある。
かといって、この不安定な斜面に長く留まりやり過ごすのも、嫌な気分だ。
ルシアンは悩んだ末に、大きな岩の間に程よい隠れ場所を見つけて、そこで休むことにした。
先を急ぐ必要はない。重要なのは身の安全だ。そう自分に言い聞かせて、心を落ち着けた。
倒れた師匠から受け継いだ魔法の鞄には、多くの装備と食料が残されている。
鞄は所有者にしか開けられないが、師匠の身に何かあれば、弟子のルシアンに所有権が移転されるように設定されていたのだろう。
おかげで持ち物には神経を使わず、ここまで余裕を持って歩いて来ることができた。
固い携行食を少しの水で流し込み、一息つく。
三頭の大猿は、ゆっくりと氷河を下っている。
索敵、隠形に加えて素早い行動にも自信があるルシアンだが、この大猿のように力も強く連携して素早い動きをする敵とは、接近戦を避けたい。
そこで、師匠の残した魔道具を取り出して、支度をしておく。
遠距離魔法戦からの、一撃離脱。
三頭が比較的近くに集まっている今なら、可能な戦法だったのだが……。
その時不運にも、ルシアンの頭上で小さな岩が幾つか崩れた。
それがきっかけで大小の岩が雪崩となって崩落し、ルシアンの隠れていた大岩にも迫り来る。
結局、雪猿の注目を集める中で、ルシアンは岩陰から飛び出す羽目になった。
完全に居場所が知られて、先行する灰色の猿二頭が左右に分かれて迫る。
仕方なくルシアンは、準備していた魔道具での攻撃に切り替えた。
左右に二発ずつ、魔法の火球を放つ。
外側から曲がる火球の軌道で牽制し、二頭を少しでも正面に追い込み、的を絞る意図だった。
だがこの程度の火力では、牽制の効果が薄かった。
しかし、それでもいい。
続いてルシアンは、二頭の正面に火球を一発ずつ放つ。
火力を見切った二頭は火球を侮り、最低限の動きで回避しようと速度を保ったまま迫る。
だがその火球は、大猿が回避行動に出る前に膨れ上がり、盛大に爆発した。
今度の二発は、芯に炸裂弾の魔道具を仕込んでいた。
小石を芯にして火球を放つ訓練を、何度も繰り返し師匠に仕込まれた成果だった。
爆発の間に、ルシアンは上流側の背後へ跳んで、再び岩の間に身を隠した。
攻撃を受けた二頭の魔物の気配は、消えていない。
あの爆発に耐えるとなると、その防御力もかなりの化け物級である。ルシアンは心の中で舌打ちをする。
ボスの白い奴は更に強いのだろうと思うと、仕留めきれなかった甘さに唇をかみしめる。追撃して確実に数を減らせ、という師匠の罵声が聞こえるような気がした。
手負いの魔物が二頭。そして無傷のボス。最悪の状況だった。
気配を探るまでもなく、怒り狂った灰色猿の咆哮が耳をつく。
無茶苦茶に岩を持ち上げ、周囲に放り投げている。
そんなことをすれば、また岩雪崩が起きるに決まっている。そうやってルシアンを隠れ場所から炙り出そうというのだろう。
予想通り、あちこちで岩の崩れる音が響く。これはもう、周囲一帯の広域にわたる岩崩れだ。
堪らずルシアンは岩陰から飛び出す。精一杯気配を抑えながら、三頭の大猿からの距離を取り、崩れる岩の陰に隠れ、死角を使って離脱を図った。
だが、大猿はその巨体をものともせずに崩れる岩の間を飛び跳ねながら、着実にルシアンへ迫っていた。
今度は三頭がルシアンを包囲するように広がり、迫る。
唯一ルシアンが優位なのは、まだ彼のほうが壁の高い位置にいることだけだ。
だが、その優位も時間と共に失われていく。
上流方向へ逃げるルシアンを囲むように、大猿が高度を上げている。
このひどい足場での移動に、慣れているのだろう。
スピードとスタミナの差が、ルシアンを追い詰める。
このままでは囲まれると判断したルシアンは、牽制の火球を放ちながら、谷底方向へと下る。
大猿よりも軽量な利点を生かし、足場を崩さず速度を上げて、氷河の表面へ向かう。足元のしっかりした場所で逃げられるだけ逃げ、どこかで迎え撃つことになるだろう。
そしてついに、その時が来た。
灰色の大猿二頭は先ほどの爆発で黒く焼け焦げ、目を赤く血走らせている。
白い大猿は余裕で、完全に退路を断った自信に満ちていた。
ルシアンは覚悟を決めて隠形を解き、身体強化と両手のナイフへの魔力付与へと振り替えた。
左右のナイフには、炎の効果を多めに付与している。
左のナイフを一振りして、刃先から火球を飛ばす。
先ほどの爆発がいい牽制となっていて、ただの火球に必要以上の回避行動をとらせることができた。
ルシアンは炸裂弾を手甲に隠し持ちながら、タイミングを見ている。
しびれを切らした灰色猿が、連続して飛び込む。炎の刃のカウンターで切りつけるが、焦げた長い体毛と強靭な筋肉が、その刃を受け止めてしまう。
この程度の魔力強度では、致命傷を与えることはできない。
ルシアンは左手のナイフを逆手に構え防御姿勢を取り、背後に隠した右のナイフへ魔力を集中した。
再び高速で接近する、二頭の猿。
その懐へ必死で飛び込み、右手のナイフを振るう。
手応えはあったが、浅い。
続く大猿の腕と牙をかい潜り、右手のナイフを再度一閃。
しかしそれは、長く伸びた尾に横なぎに弾かれてしまう。続いて襲う鋭い鉤爪を避けきれず、肩口から脇腹へと裂傷を負った。
尾なんて、なかったぞ……
ルシアンは苦痛に顔をゆがめ、猿の足元を転がりながら観察する。
確かに、他の二頭の尾は短い。だがその灰色の個体にだけ、長い尾があった。
そんな馬鹿な?
機を見た三頭が、一息に決着をつけようと傷を負ったルシアンに迫る。
死を覚悟したルシアンは、二粒の炸裂弾を仕込んだ精一杯の火球を前方へ打ち出し、全力で後方へと跳んだ。
次の瞬間、巨大な火柱が上がり、周囲の何もかもが吹き飛んだ。
猛烈な熱波が押し寄せるが、ルシアンの体は二度目の驚異的な跳躍で、そこから安全な距離を保った。
異常な爆発が収まると、氷河には隕石でも落ちたかのように巨大な穴が穿たれ、両側の谷筋の地形すら変わっている。
穴の底には溶けた水が流れ込み、新たな氷河湖が誕生していた。
極大爆炎魔法と、それを易々と回避する身体能力の強化。
突然ルシアンの身に起きたそれは、死の淵にある時にだけ自然と発動する、亡き師匠の加護という名の理解不能な力だった。
後編へ続く




