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教室が嫌いなのだ!  作者: インコンペ
6/8

第六話 言葉は広がるのだ!

 じうじうと弾ける音がする。


 鼻腔を擽るニンニク焦がし醤油の香りで意識が引き戻されてゆく。


「……ん……らん……らん!起きろ!」


 幼く、けれども力強く呼びかける声に、俺は飛び起きた。


「…………ッッッ──なにが…………」


 辺りを見渡すと、そこには見知らぬ人たちの顔があった。


「それにここは……」


 寝台──ソファの上で呆けている俺の顔を、にいなが覗き込んだ。


「らん……良かった……!」

「にいな……どうしたんだ」

「ここは円山放送だ。らんが倒れたっきりで起きなくなって……、そのときにこの人たちが来て運び込まれたのだ」


 円山放送?

 ラジオ局って言うと……ああ、そうだ、俺たちはここを目指していたんだ。

 それから、途中で休憩してて、そうしたらラジオが聞こえてきて……。


「良かった……!戻って来てくれて……。らんも狐の鬼獣も突然固まって動かなくなるし、突然ぶっ倒れるしで本っっっ当に焦ったのだ!」

「ああ、思い出した。俺はあいつに呑まれたんだ」

「呑まれた……?なにを言っているのだ」

「とにかく真っ暗だったんだよ!なんというか、静かで穏やかで、でもひどく傷んでいて……」




 ◇




「やあ、藍くん」


 鬼獣の中に入った後、俺は目の前の狐に声を掛けられた。


「……おまえは誰だ」

「ただ、君の前にいる存在。それ以上でも以下でもないね」

「どうして俺の名を知っている」

「君は本当に物怖じを知らない。……君が私の中に入ってきたからだよ。だから、全部分かる。君がどんな人間なのかもね」

「……テレパシーだか何だか知らんが、それだけで人をわかった気になるのは感心しないな」

「そうか……。君から流れてくるその苦そうな思いも、偽りなのかい」

「どうして人を襲う」

「それは──人間の言えたことか」

「……は?」

「争いの文法を振り撒いているのは君たちじゃないか。大義、それは人間の言葉だ。彼らは元々それを知らなかった。彼らが闘争を選んだのは粗暴で野蛮な人間がいるからで、彼らはそれ相応の鬱憤を人間の言う大義でもって還元しているからだろう?」

「野蛮?まるで自分はそうでないとでも言いたいようだな」

「何を言っている?私は別に野獣なんかじゃない。理性に従って、真っ当な選択を選んでいる」

「そうか、えらくご立派なんだな」


 俺は、固く拳を握り締めた。あの日いじめっ子に向けて振りかぶって以来の拳骨を、今度はすまし顔の狐の鼻っ面に向ける。腰を低く落とし、足を踏み出した。


「ほうら、結局、君たちは怒りなんてもので暴力に走るんだ。これだから人間は……」


 五年前不発に終わったその拳は、今日この日またしても空をかき、そしてひどいカウンターパンチを食らう。中学生のひ弱な腕力とは比にならない。鬼獣の、とにかく強烈な衝撃が全身に響き、俺の気は遠のいた……。




 ◇




「それで、俺は吹っ飛ばされたあとどうなった」

「だから、飛ばされてなんかない。突然その場でぶっ倒れて……それから鬼獣は脇目もふらずに消えたのだ」

「そうか……。あれは何だったんだろうか」

「……らん、らんはあのときなにを感じていたのだ」

「よく、わからなかった。でも、とても辛そうだったよ。やつらはまるでこうするしかないとでも言うように、怒りを溜めていた。それは、あいつにとって理性的で合理的で……とにかく正しい意志だと信じていた。聖戦なんだ、あいつの戦いは」

「……」

「それで、この人たちは誰だ?」


 俺はようやく、周りに突っ立っていた大人たちに目を向ける。髭面のガタイがいい男に、フライパンを火にかけている高身長のスレンダーな女、ずっとディスプレイに向き合っている猫背の女……


「ああ、やっと起きた」


 部屋の隅の暖簾をくぐって、マグカッブを持った小太りの男が出てきた。なんというか、ずんぐりむっくりという言葉がよく似合う感じだ。


「よ〜こそ円山ラジオへ。僕はここのチーフの波田。よろしく〜」


 トテトテ歩いてきた彼は、そう名乗ると丸みを帯びた手を差し伸ばしてきた。


「あ、ども」


 恐る恐る、その手を握り返す。


「いやあまさか雪の中こんなめんこい嬢ちゃんが二人も行き倒れてるなんてねー」

「あ、いや、俺、違くて……」

「え?」

「あの、髪伸ばしてるだけで……」

「波ちゃん、その子男の子やで」


 ずっとキーボードを叩いていた女の人が、猫背のままこちらを向いて口を挟んだ。丸い瓶底眼鏡が印象的だ。


「へっ?丸毛ちゃんほんとに!?なまら毛が長いから女の子かと思ったさ〜!」

「あの、なんかすみません。突然世話になって、騒がせてしまって」

「いや〜いいのさ〜!なんなら君らが来たというより、うちの音琴(ねごと)が連れてきたようなもんだし〜」


 にいなが俺の袖を引っ張る。

 そちらを向くと、少女はガタイのいい男の方を指さした。冬だというのに半袖姿の彼は、ゴワゴワしたひげをつけた、焼けた肌の似合うナイスガイであった。


「このヒトが助けてくれた」


 何日前のものか分からないような新聞に落としていた目を上げ、彼はこちらを向いた。


「……どうしてあんなところにいた」

「た、助けてくれてありがとうございま──」

「もう避難は済んでいたはずだ。どうしてあんな壁の傍なんかにいたんだ」

「…………その……居づらかったというか……」

「それで避難所から抜け出してきたのか。こんなに小さい子供を連れて。てめえの面倒も見られないくせに」

「おとちゃん、そのへんにしときなよ」


 スレンダーなお姉さんがフライパン片手に、男を気さくな呼び名でとめた。


「いえ、その方の言うとおりです。俺が悪いんです」


 そうだ、俺が無茶をしてにいなを危険な目に遭わせたのだ。


「違うのだ、にぃながらんを連れ出したのだ」

「いや、分かっていたことなんだ。俺が正しい判断をするべきだった」

「正しい?馬鹿にするな!にぃなは、自分の意志でらんを連れ出したのだ。にぃなはらんの子供じゃないし、らんもにぃなの保護者じゃない!」


 髭面の男──音琴が髪を掻き毟る。


「〜~どっちでもいい!とにかく、お前らは馬鹿だ!阿呆だ!脳みそ雪に突っ込んで冷やしてろ!」


 ドスドスと音を立て、彼は部屋を出ていった。


「おとちゃん、ああは言ったけど、君らのことが心配で心配で仕方なかったんだ。ここに君を連れてきたときだって、泣きそうな顔をしていた。それに、にぃなちゃんと一緒にずっと君の傍に居たしね。……ほら、そんな辛気臭い顔してないで、食いな」


 ゴン、とローテープルの上に皿が置かれた。

 ニンニク焦がし醤油の匂いだ。


「チャーハン……」

「美味そうなのだ……」

「腹が減ったときはこれよ。ほら、たんと召し上がれ」


 口の中からよだれが湧き上がる。


「いやったー!ウチ、ましぐっちゃんのこれ好きやねん!」

「あ!こら!アンタの分じゃないでしょ!」


 さっきまでずっとデスクに向き合っていた瓶底眼鏡の女が飛び込んできて、細身の、ましぐっちゃんと呼ばれた女がその頭を押さえつける。


「そうそう、あたしの名前言ってなかったね。あたしは増口。で、こっちのバカが丸毛」

「あー!ひどいわー!ども、円山ラジオのアイドル、丸毛でーす!気軽に夏海ちゃんって呼んでな!」




 どうやら、えらく賑やかなところに来てしまったようだ。




 ◇




「それで、どうして君らはここに来たわけ?」


 そう増口が問う。

 丸毛は腹ごしらえを済ますと再びデスクに向き直り、いつの間にか戻ってきた音琴は何やらメモを書いている。

 そして、先程まではいなかった若い男──ラジオから聞こえてきたあの声のパーソナリティがオンエアを終えてこの部屋にいた。


「あども、レィディオパーソナリティの丸山ですー。あ、“まるやま”っていっても、(えん)じゃなくて(まる)の方ね」


 陽気そうに話す彼は、ラジオから聴こえてくる印象とさほど変わらなかった。


「今はチーフが場を繋いでるから、俺は休憩時間ー。ねね増口先輩、先輩はまだ喋らないんすか?」

「あたしはしなきゃいけないことがあるのー」

「つってもガキの子守でしょう?ほら視聴者だって増口聖子(しょうこ)の声が聴けるのを心待ちにしてますって」

「あ、増口聖子って……」

「そ、この方は何を隠そう円山放送イチの人気番組、“MASHIGUCHI SHOKO MARUYAMA RADIO MASTARS”のパーソナリティなのです」

「丸山くんちょっと盛りすぎよ」

「全然気づかなかった……。確かに、聴き覚えのあるような」

「ン〜ゴホン、……円山山麓MARUYAMA RADIO STATIONから生放送でお送りさせて頂いております“MASHIGUCHI SHOKO MARUYAMA RADIO MASTARS”のお時間でーす 本日のゲストは〜新進気鋭のお調子者、丸山康太く〜ん」

「わあ!本物なのだ!父のラジオで聴いたことあるのだ!」

「声の仕事の人って……凄いんですね……」

「ほんで、少年はなんでここに来たん?」

「そだ、丸毛ちゃんそれを聞きたかったんだ、ナイス」


 増口の話し方が、またさっきまでのものに戻る。


「あーー……それは……」

「避難所……地下歩行空間(チカホ)を出たのは、さっき言った通り、居心地が悪かったからなのだ。水槽で飼っていい金魚の数が決まってて、それを超えると水が悪化するみたいに、人が所狭しと集まる場所は空気も悪いのだ」

「俺は……冒険がしたかったんです。今まで、無難な道が第一だと思ってきたから。にいなの言葉で、俺は高揚に乗せられたんです…………」


 丸毛のキーボードを叩く音だけが響く。


「……ここに来たら、俺たちは外の世界と繋がれる。水槽なんかじゃない、もっと大きいものに触れるって。だから、そう信じて俺は来ました」

「そうか……。──まず言っておくけど、この街を出たところで君らは狭い水槽の中よ。ネットは良い意味でも悪い意味でも世界を小さくしたの。私達はどれだけ行っても窮屈なまま。だからこそ、文法(ミーム)は蔓延しやすい」

文法ミームの蔓延……」

「でも、規模は大きくなる。有り体に言えば……狭い水槽のほうが人を動かしやすいし、大きい水槽のほうが動きにくいけど慣性は大きいということだね」

「今のこの街をどう思いますか?」

「水の流れは絶えた。このままだと淀むばかりでしょうね。けれど、人はそれほど停滞する生き物じゃない。きっと君たちのように、外に出て流れとなる人が増えるわ」

「うちらはな、その水質をええ方にも悪い方にも持っていく術がある。残念やけど外とは連絡取れへんかったんや。海外も内地も繋がらん。せやけど、この街に言葉を流すことはできた」

「どう?淀んだ水から逃げるんじゃなくって、淀んだ水に流れを作るってのは」


 増口のその言葉は、とても魅力的だった。それに、にいなの力は特別その役割に向いているように思えるのだ。


「……なあ、にいな、放送作家ってのはどうだ?」

「なっ……にぃなはそう軽々しく書いたものを人に見せないのだ」

「お?なになに、にいなちゃんは字を書く人なの?」


 増口が食いついた。


「はぅあ……ッ!そ、そんな目で見られてもだめなのだ!そもそも人に見せられるような質じゃないし……!」

「そうか?俺はにいなの文章を見たことはないけど……俺を衝き動かしてきたのはにいなの言葉だ。あれほど高揚を齎す言葉に、俺は触れたことがなかった。間違いなくにいなは凄いやつだよ」

「無理にとは言わないわよ。でも、君の書くお話に興味があるのは事実。気が向いたらで良いから、また今度見せてよ」

「……うん」


 そんな引き気味の言葉とは裏腹に、にいなは強く鞄を抱きしめていた。あの、大切そうなノートが入っている鞄だ。そして、その口角は抑えきれない力で少しだけ上がっていた。


「気が向いたら……なのだ」

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