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教室が嫌いなのだ!  作者: インコンペ
5/8

第五話 きっと、大丈夫なのだ

 ガガ……ガビーーーガーーー……


 昨日からずっと、ラジオは沈黙を続けている。


 Forteresse(フォートレス)の地下には幾分か非常用の備えもあったが、それが恒久的に存在するかと言うと、否だ。

 俺たちの隠れ家となった空き部屋の、何も無いリビング。冷たい地面にダンボールを敷いて作戦会議をする。


「なあ、俺たちは、少なくとも定期的にここから出て、食糧を探す必要がある」

「うん、そうだな」

「…………ぶっちゃけ、外怖すぎない?」

「……にぃなも怖い」


 外では魑魅魍魎どもが吠え、そこらじゅうを彷徨(うろつ)いている。やはり最も多いのが野犬だ。数で言えばエゾシカの方が多いはずだが、この辺りにはあまりいない。

 兎も角、そんな奴らに出会ってしまえば、人間なんて赤子の手のように捻られてしまう。

 とは言え、ずっとここに篭っている訳には行かないのが、悲しい哉現実なのだ。


「にぃな思うんだけど、鬼獣は見ないふりしていればそんなに気づかれないのだ」

「……ほう、それは初めての知見だ」


 見ないふり……というと、鬼獣は視線に鋭いとかいうことだろうか。


「あいつらは強い感情に敏感だ。情欲、怨念、軽蔑、敵意……。そういったものに強く反応する。居ないふりをして、見ないふりをすれば、多分、何もされないと思うのだ」

「……それは、お前の経験だったりするのか?」

「なんとなく。父のときも、らんのときもそうだった。人が、頭がチリチリするような何か、心をザワザワさせるような何かを持った時、鬼獣は敵意を向けてくる」


 それはまあなんというか、人間みたいなことだな。


「鬼獣の感受している情報量は凄いのだ」

「情報量……?」

「ああ、言葉では言いにくいのだけれど……鬼獣と面と向かうとわかるのだ。あいつらは、物凄い量の情報を無尽蔵に浴びている」

「それはつまり……どういうあれなんだ?」

神経拡張(神拡)デバイスでずぅっっっとSNSやってるような感じ。脳に直接みんなの考えてる事とかを流し込み続けるの。絶えず、膨大な情報に曝されるのを想像してみるのだ」

「……それが、鬼獣だってのか?」

「そう。だからやつらは群れるし、同調する。そして、反発し合う。人の強い思念は大きなノイズとなってやつらに届き、そこに敵意を生み出す。鬼獣も辛いのだ、きっと」


 鬼獣も辛いだって?俺は一度もそんな事考えたこと無かったし、今だってそう思うことは出来ない。けれど、にいなは真剣に、鬼獣たちに同情しているようだった。


「兎も角、鬼獣は思念に敏感なのだから、逆に言えばシカトすればいいのだ」

「そんなもんなのか……」


 俺はどうして鬼獣がこんなにも敵意を持っているのか分からなかった。何故か襲いかかってくる、理解不能な化け物だと、そう思っていた。

 だが違うのだ。にいなは、そこに理解の余地を見出した。


「上手く立ち回る、か。角を立てないようにするったって、人相手でも難しいのに鬼獣になんて……。俺は少し苦手かもしれないな」

「……にぃなだって下手だよ。でもね、命がかかってるんじゃ、仕方ないのだ」

「……」

「大丈夫なのだ!きっと、上手くいくって!」


 ……俺は、神拡デバイスの電源を入れる。ワイヤレスインイヤーモニターが起動し、青く点滅する。

 神拡デバイスは携帯端末の機能を拡張するもので、イヤモニを通じて脳波で端末を直接操作できるようになる。

 これさえあれば、いつでもどこでもネットに接続──




 俺の脳内には通信エラーのポップが浮かんでいた。こんな大災害だ、ネット回線は使えなくて当然だろう。

 それに、電話回線も通じなくなっていた。

 ラジオの電波も今はもう届いていない。


 ピッ


 携帯端末の電源を落とし、ずっと着けていたイヤモニも外す。


「じゃあ、行こうか」


 鬼獣が隔壁を破ってから二回目の夜が訪れる。手に入れた束の間の休息を永久のものと勘違いするほど、俺はお子様じゃない。

 深夜の街に俺たちは明日を見なけりゃならない。

 雪が解けきる前にやらなきゃならないことは一つ。


 俺が俺として生きることだ。



 ◇



 明朝──。


 乾パンをスープに浸けてポリポリ食べる。

 いつもなら街灯りが雪雲に反射して夜中でも充分明るいこの街も、今日ばかりは真っ暗だ。

 そこにぽつんとこの部屋の灯りだけが浮かんでいる。まるで、漂流しているかのように。


「らん、準備は出来たか?」

「ああ、持ち物はバッチリだ。ほら、温かいうちに、にいなもとっとと食え」

「まさか、お湯まで使えるなんて思わなかったのだ」

「そうだな。……今日の目標は──」

「“外”との連絡を繋ぐこと」

「ああ、そうだ。いつまでも、こんな泥棒みたいなことしてる訳にはいかないからな。まずは、外部と繋がらないことには始まらない」

「誰かと連絡を取らないと……、社会に入らないといけないのだ」


 俺たちは、昨日、あの後に立てた予定について再確認した。

 今日の目標は、一度絶ってしまった世界との繋がりを、再び取り戻すことだ。


「…………なあ、お前なんであんなに地下を出たがってたんだ?」

「……だから、地下にいたらつまんないからって──」

「いいや、違う。命知らずのイカレ野郎は恐怖に脅えたりしない。にいなは違うだろ?お前は生きている。生に執着している。それに、今だって他人を求めてるじゃないか。他の人と繋がるったって、地下で十分だ」

「……らんは……らんは、人が好きか?」

「……いいや」

「だろうな。そうじゃなけりゃ、にぃななんかに構ってなかったはずなのだ」

「なっ」

「分かってる、分かってるのだ。少なくとも初めは……らんは損得勘定で付き合ってくれてた。友人も、大切な人もいなくて、なにかそういうものを見つけたくってにぃなを助けたのだ。それくらいにぃなにだって分かるよ」

「……」

「にぃなは……人が怖い」

「……どうしてだ」

「人は、いつも戦争状態だ」


 戦争?


「常に、攻撃性を孕んでいる。それは、ナショナリズム的で他罰的だ。攻撃性の鬱憤が、適切に処理されていないのだ」

「……」

「それは、きっと社会が在り方を変えたからで……人のためではなくなったからなのだ。非実在的で、社会的意義のために人は組織されている。それが、攻撃的でなくてなんと言うのか……。人の意志は、社会を同調させ、社会に同調させられる、一種のトラウマ的構造を持っている。そして、その社会組織が異なる社会構造と衝突した時……」

「……」

「人は聖戦へと立ち向かう」

「聖戦?」

「人は、嫌々争うのか?いいや、否だ。特殊な場合を除いて……人は望んで戦地へと赴く。それは、限りなく自身の意志だ。動機が、利己的であろうと他罰的であろうと、だ」

「……そうか?そんなに、人は戦争を望んでいるか?」

「らんがにぃなに着いてきたのはどうしてなのだ?」

「そりゃあ……お前一人じゃ不安だし?それに、なんというか、不思議な高揚感というか恍惚があって、気づいたら地下から出ていたというか……」

「人は日常的に非日常を望んでいる。非日常の恍惚が日常の鬱憤をガラクタへと変換してゆくからだ。らんはまさに、戦争とは異なる手段で……つまり逃避と危機への接近という形で、非日常を手に入れたのだ。けれども……機械的に、抑圧的に囚われ続けた者たちは違う。彼らは常に争いを携えて自己を満たす欲求を持ち続けることになる」

「……それは、平時だってそうだし、俺だってそうだと思うぞ。潜在的攻撃性なんて、誰か特有のものじゃない」

「そうだ。いつだって戦争は私たちの影に潜んでいる。だから、そうだからこそ……にぃなは戦争の火種から距離を置きたいのだ。自分が()()に呑み込まれるのが、一番怖いから。教室は…………いつだって戦争状態なのだ」

「人と……鬼獣とじゃ、どっちが怖い?」

「まだ、鬼獣の声は聴いていない。なら、試してみたい。それに……」


「こっちの方が世界は広いのだ」



 ◇



 ザク、ザク……


 雪を踏み固めて山間の方へ足を向ける。

 鬼獣、出会わなければいいな。

 俺は怖い。

 いつ、その刃を向けられるか分からないから。その刃は、いとも簡単に人の命を奪ってしまうから。

 だから、にいなと話したように、できるだけ平静を保って、目立たないように歩く。恐怖も快楽も表に出さずただ冷静に、隠れるように行く。朝はまだ早い。焦ることも無い。ただ、一歩ずつ確実に、鬼獣の目を欺いて。


「神宮の近くに……放送局がある。ラジオ局だ。AMラジオの波長ならもしかすると……、この街の外と連絡が取れるかも知れない」


 電源があるかわからないし、動かし方だって知らない。頼みの綱にかかる望みはとても薄い。

 だけども、地下シェルターから出ることを選んだのは、紛れもなく俺だ。その決断に一切の外的要因はない。なら、やるしかないじゃないか。


「らん、ちょっと休憩しよう……」

「……疲れたか?」

「うん……。元々そんなに、体力もないから」

「もうすぐ隔壁に着く。そこで休もう」


 自然界と人間の世界とを隔てていた塀は、既に跡形もなく崩れ去っていた。一度(てい)を失った境界線は積極性を持たずして破壊されてゆく。ここも例外ではなく……かつて聳え立っていたコンクリートは、鉄筋の断面を見せてとても見窄らしかった。

 俺たちは近くの半壊した家屋で風雪を凌ぐことにした。


「ほれ」


 持ってきたカロリーメイトをにいなに渡す。

 そして俺は、何気なく、端末を起動させ、ラジオのチャンネルを弄った。

 昨晩は、うんともすんとも言わず、ただ、ノイズを垂れ流すだけだった電波。

 AMラジオの周波数を少しずつズラす。時々拾う雑音にも思える声のようなものは、きっと海の向こう、外国や内地の放送局だろう。だけども、あまりの不鮮明さに何を言っているのかすら分からない。

 本来ならそれらだってもう少しクリアに聞こえるだろうが、鬼獣の放つ量子的なエネルギーによって乱されてしまうらしい。だからこそ災害時用の発信局がこの街に必要なのだが…………。

 肝心の公営放送はずっと沈黙を守っていた。それもそうだ。街の中心部は鬼獣に呑まれてしまっている。恐らくテレビ塔もその機能を喪失したのだろう。

 グリグリとチャンネルを回す。そこにあまり希望は見出してなんかいなくて、ただ、事務的に、なんとなく──


 [……ゃぁやあ札幌の皆さぁん!ご機嫌よう、円山放送『親の声より聴いた曲』のお時間でェす!お送りするのはぁ、ラジオパーソナリティの──]


 端末から流れてきたのは、ウザったいくらい抑揚的な話し声……。


「にいな!放送局が生きてるぞ!」

「うん……?」

「ほら!今から行こうとしてたところだよ!いつもつまらないトークばっかりやってる地方局の!」


 [いやぁあ、皆さん大変なことになりましたねぇ。でもね、そんなときこそ、音楽を聴きましょう。まあそんなこと言ってもこんな時代遅れな放送なんて誰も聴いてないかもしれないッスけどね!!!ラジオなんて、皆さん聴いたことあります?いやこの放送聴いてる人はありますか!アッハッハッハッハッ]


「……何が面白くて笑ってるのだ?」

「この人はいつも自分のトークで笑い出すんだよ」


 [うちの放送局も大変でねぇ、電気もないし人もいないし大変でしたけど、今しがたなんとか復旧したんですよ。ほら、他の放送局がどこも落ちたじゃないですか?したっけウチだけでも流そうって話になって。けどスタッフは足りないし非常電源は作動しないしでてんやわんやで。大変遅くなってしまいすいません。まあこんな暗い話ばっかりしててもあれですからね、早速今日の曲を流していきましょう!えー1曲目は『ハムハムもへじ』さんからリクエスト頂きました──]


「まさかこんなローカル局が生きてるなんてな。まあ、大通のテレビ塔以外で思い当たる送信所が円山放送以外なかったんだが……」


 ここは、送信所の整備が行われ、ほとんどの電波送信が札幌テレビ塔に統合される前から続く放送局で、独立した放送設備を持っていた。

 これで通信施設の生存は確認できた──。




 ──危機とは、身構えている時には訪れない。

 その緊張を緩めた時、気を逸らした時に、ふと背後に迫っているものだ。


「らんっ!!!!!」


 どうして気が付かなかったというのだろう。

 外から強烈な視線を感じる。


 ただ無我夢中で、にいなを掴んで前に跳ぶ。

 直後、俺がいた場所に巨大な穴が空いていた。


 振り返るとそこには、毛むくじゃらの巨大な()()()がいた。

 崩れた壁から覗く外の世界をすっぽり覆い隠すように存在するそれは、耳があり、鼻が長かった。

 その背後からゆらゆらと、碧く光る尾のようなものがさらに威圧感を増す。


「九尾──」


 そうとしか言いようのない異様な生き物が、俺たちを見下ろしていた。


「狐……?」

「逃げろ、にいな!」

「っ……」


 目に追えない速さで何かが起こり、俺の右耳を掠って、まるでビーム砲で撃たれたかのように床や天井、家具がまとめて全てが吹き飛んだ。

 チュン、という鈍く鋭い音が耳に残響する。

 頭が真っ白になって、感覚が狂った直後、言葉にできないほどの恐怖が湧き出てくる。


「……ゃばいヤバいヤバいヤバい……ッ」


 チリッ


 後ろからなにか、とてもピリピリしたものを感じる。

 振り返ると、怒髪が天を衝くような形相でそこに、にいながいた。


「行けぇッ!らんッッッ」




 ──あいつらは強い感情に敏感だ。




 憎悪──それが目に見えるとしたらこんな感じなのだろう──が止めどなくにいなから溢れ出て、洪水のように氾濫する。


 震える九尾。


 やつの視線はにいなの方を向いていた。


「ダメだ!にいな!お前はそっちへ行っていい人間じゃない!怒りに、“場”に呑み込まれるな!」


 お前が今朝話していたことが、俺にはとても怖かった。だってまるで……人は本能的に闘争を求め、破壊衝動に抗うことができないみたいじゃないか。

 人が戦争を望んでいるなんて、俺はそんな悲しいこと信じたくないんだ。

 なあ、証明してくれよ。少なくともお前はそうじゃないって……。


 地面に落ちた端末から、ラジオの音が漏れ続けている。


「おいっ!こっちを見やがれ!」


 震えた声で、めいいっぱい叫んだ。

 目の前の狐を睨みつけたまま、俺はにいなに語りかける。


「お前は言ったじゃないか。親父さんは()()()って!お前もそうするんだろ?なら生きるんだ!()()()()()()()!自我を保て!」


 落ち着け……そして眼を見開くんだ。

 顔を睨みつけるんだ。




 トプンっ……




 そして俺の意識は、九尾の碧い光の中へ包み込まれた。

 まるで水中に飛び込んだかのように、迫りくる光が俺に触れ、なんの拒絶もなく受け入れられた。

 そこは違和感と不安定さがあり、しかしどこか気を許せば心底落ち着くような……そんな、鬼獣の同一性的テリトリーに、俺は沈んでいた。




「やあ。(らん)君」


 碧く暗い空間。俺の前にぶくぶくと泡を立てながら、巨大な狐が俺の名を呼んだ。

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