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教室が嫌いなのだ!  作者: インコンペ
1/8

第一話 嫌いな教室が滅ぶのだ!

 うへえ、苦い。


 爆死した物理の試験問題を摘んで席を立つ。

 周りの人間に顔を知っているやつはいない。名前と一致しているのはそいつのZoomのアイコンで、顔面と紐づけられるものなんてのは一切ない。

 出口ではスマートな入退室の管理を目的としたICカード読み取り機に学生が並んでいて、割り込む度胸も必要もない俺は大人しくそれに並んだ。前の鈍臭いやつが何度もタッチしてエラーを食らっている。どうせ入室の時にタッチしてなかったんだろ、間抜け。

 ようやっとそいつが退いたから、これみよがしに溜息をつきながら学生証を機械に押し付ける。




 俺もエラーに引っかかった。




 暗澹とした──いや、これは落ち込んでいるわけじゃないな、そう、無性に腹が立っている。イライラしながら、生協で一杯100円の米が不味いカレーと定価108円のガラナを交互に啜る。

 トレイに本の縁を挟んで「金閣寺」を読む。三島由紀夫は大変気色の悪い作家だ。ボソボソのカレーによく合う。


 ガラナ──実家に土産で持っていった時は飲み薬の味がすると不評だった──を半分残してトレイを戻す。返却口の目の前にある自動ドアをくぐって右手にある、二重目の手動ドアを勢いよく押す。雪国の扉はやけに重いから、しっかり体重をかけないと開かない。だから、俺は取っ手の近くに小さく書かれた「締切」と言う文字に気づかなかった。

 扉が俺の全身を強打した。痛くはなくても腹が立つ。チッと全力の舌打ちをして、今度こそ鍵のしまっていない側の扉を出ると、凍結した地面が俺の足を持って行って気づいたら仰向けになっていた。脳に痛みが返ってきてから、ようやく自分が転倒したことに気がつく。

 口の中に生臭い味が広がる。思わず鼻がヒクつく。


 いつもそうだ。一番気色悪いのは俺の中から出てくるものだ。


 今度こそ滑らないようにゆっくりと立ち上がり、雪を払う。身体の節々が打撲で痛い。今日に限ってリュックの代わりにトートバッグで来ていた。


「クソっ……」


 当然昼時だ、食堂出口の周りには多くの学生がいる。

 目を落としザクザクと歩く。

 ああ、もういい、笑いたいなら笑えばいい。なんなんだその空気は!


 口の中で錆び臭いどろっとした感触が広がる。


 乱れた髪を整え、後ろで縛り直す。帰省する度、親は髪を切れと煩い。髪を伸ばして何が悪いと言い返せば、そのロン毛は女に見えると言う。それの何がいけないんだよ。


 教育棟から離れると人の数も疎らになり、一人細い雪の溝を歩くことになる。右手に見上げる雪の山、左手に聳える雪の壁、鬱屈とした空間だが、それほど嫌いでもない。こんな所でも、雪だけは嫌いじゃなかった。それに、ここには人が来ない。辺鄙な研究所しかないから、実質一部の学生の抜け道でしかない。


 気持ち悪いムカムカを濯ぐために、イヤホンを挿してずとまよを流す。良いよな、お前らはその鬱憤を言葉にするのが上手くて。それをみんなに褒めてもらえて。

 俺らの歌、俺の気持ちを言語化してくれてありがとう、馬鹿共はそう言うしかないんだよ。人間は二種類に分けられる。何かを創作して、それが人に認めてもらえる奴ともらえない奴だ。クソったれ。


 駐輪場裏の道、誰かがラッセルして人が通れるようにした雪道を抜けると車通りの多い道に出る。この街の信号機システムは絶望的に頭が悪く、片方の車線だけ50秒くらい長かったりというのがざらにある。十字路の付け根からさほど離れていない部分からまた別の道路が生えている、要は実質的に5本の道が合流した形であるのが原因なのだが、区画整備の時になんとかならなかったのか?

 世界ってのは基本的にいい加減に作られていて、小手先の部分で奇妙なほど細工が込められることによって何とか歯車が回り出す。その小手先の調整が俺の行く手を阻むわけだ。


 散々待たされて、ようやく信号が青になった時には弾くように足を踏み出し、早足で前に並んでいた鈍足を抜いてゆく。基本的に俺は歩くのが速い人間だが、こういうときは特に速くなる。追い抜く人間に、俺の足の速さを見せつけるためだ。


 ああ、何だか君たちの曲と俺のこの気持ちは似ているな。そうプレイリストに問いかける。自分の人生を他人に重ねて逃げようとするなって後ろのやつが叫ぶ。黙れ、知ったこっちゃないんだよ。もうジャンキーでもなんでもいい、とにかく来週の中国語の試験までに教科書が暗記出来ればそれ以上望むことは無いさ。


 頭上注意、そう言われたように感じて、目をあげる。なるほど、二階建て陸屋根ののきからピンピンに尖った氷柱が何本もスタンバイしている。大体1、2メートルといったところか、それらが解けて凍ってを繰り返して、高校時代の冷笑的態度にアイデンティティを見出していたあいつより尖っている。へえ。


 車道を渡って下宿先に着く。今日はエントランスに誰もいなくて、全く口を開かないでエレベーターに乗った。


 自分の部屋の扉を開けると、そこにはゴミ袋の山。山。山。


 最近はめっぽう朝に弱く、ゴミ出しの時間に間に合わない。じゃあ他の人たちはどうしているのかと言うと、前日の夜に出しているらしい。うちのゴミ捨て場は鉄格子の中だからあまりカラスに荒らされにくいもんな。けどさ、夜にゴミを出しにいく気力も湧かない俺はどうすりゃいい。


 はあ、溜息をつきながらつま先で地面を掻き分け足の踏み場を作っていく。昨晩、実験レポートの為に徹夜したから眠たくて、家に辿り着くとその眠気が再び猛威を振るいだした。

 まだ午前だと言うのに俺の一日は終わりを告げている。悔しいなあ、ああ、悔しい。

 そういや今日一日、誰とも話をしていない。いや、「カレー 中」くらいは発話したか。それだけだ。

 上等じゃんか。全く喋らず部屋から出ない日が俺のデフォルトなんだ、それくらいどうした。




 本当ならこの辺で空から不思議ちゃんが降ってきてくれてもいいんだけどな。

 一人そう呟く。だが、飛行石を掛けた少女も食いしん坊のシスターもうちのベランダには来ない。そこには腐った牛乳のパックを締め出してあるだけだ。


 現実は、ヒロインというものが突然現れたりはしないし、異世界に飛ばされることもない。あるとしたら、ヒロインを探しに行く奴と異世界に行く方法を模索する奴だ。そうでもしないと、ドラマティックなもんに出会えない。世界はそうでもしないといけないらしい。


 くだらねえ。ああ、くだらねえ。早く、いつもの日々に戻ればいいのにな。俺たちの日常を破壊したヤツは、もっと詰まらねえ日常を持ってきやがった。しょうもない人間はそのことに気づかずこれでいいとか抜かしやがる。もう、なんなんだよ、疲れたんだよこんなの。









 どうすりゃいいんだ。


 誰にも聞こえない愚痴を吐いて、ベットで寝転んだまま窓の外を見る。

 塀──随分向こうに見える、街と山との境だ──の向こうでバケモンが暴れていた。大体……そうだな、塀が10メートルだとしたら、高さ20メートルくらいはあるな。でけえ。ありゃ熊だ。熊が山から降りてきたんだ。まあこれ自体は珍しくない光景だ。一応、ニュースにはなってるだろうし、Twitterのトレンドにも載ってるだろうけど。





 どうだ、この日常は。

 最初は確かに刺激的だったさ。リアルカイジューだってね。




 ──時折そいつの表面で閃光が起こる。




 けれど、俺たちの世界にはウルトラマンもいなけりゃやたらめったら有能で強権的な官僚はいない。いちゃいけなかった。




 ──守猟会の攻撃だな、あれは。




 それに、俺は地球防衛軍じゃない。守る側じゃなくて、守られる側だった。

 俺はただのモブだ、この世界で主人公にはなれない。




 ──壁、破られてないか?




 塀の一部に亀裂が入った。遠く離れたここから、寝っ転がっていても分かるくらいに大きく。


 脇に置いていた携帯端末がけたたましく鳴く。

 緊急速報が告げる。壁が崩壊した、と。




 退屈な日常、それは、飽きない地獄よりもマシだったのだろうか。




 特別鬼獣警報 LEVEL5

 スクリーンを展開すると、真っ赤な画面に白抜きのゴシック体が画面いっぱいに映し出された。




 甘えたことを言っていたら死ぬ、本能的にそのことが理解出来た。




 怪獣映画に、逃げ惑う一般市民の波が描かれるだろ?俺は、あれになった。散々政府からやっとけと言われて、結局サボっていた非常袋の代わりに、トートバッグにPCやら暇な時に読む文庫やらを詰めて部屋を出る。

 既に街の住民は近くの防衛設備の整った避難所に向かっていて、俺も違わずその波に乗った。




 遠くで獣の遠吠えが聞こえる。仮にも大学で鬼獣の講義を取っていたから、あれが何の声なのか分かった。

 野犬だ。

 となると、既に熊以外の鬼獣も街に入り込んでるんだろうな。こりゃまあ一大事だ。




 そう言って未曾有の大災害に震える俺の口角は、何故か上がっていた。


 なんだお前、喜んでんのか?自分の居場所がないからって、イレギュラーなイベントを待ち望んでいたのか?




 ペシッと両頬を叩く。

 いかんいかん、うつつを抜かすな。










 今は前を見て、生きることだけを考えて。

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