第4話 それはやっぱり最期の別れで
君は日に日に弱っていく誰かを見て何を思ったのだろう。ただ客観的事実として、君は学校に来なくなった。
それだけじゃない。いつも持ち歩いていたスケッチブックも油絵の具も木炭もクレパスも色鉛筆も全部段ボール箱に仕舞いこんで、絵から離れてしまった。
「そのあとはまぁ、そういうことだよ。あなたはそのままその足でここまで歩いてきたってわけ」
その道中で記憶の欠片を落として、何を探しているのかすらも思い出せない迷子。進むための地図を失った旅人。それが今の君。
「えっ……」
「そこにいたあなたじゃないあなたは、それが最善だと思ったんだろうね。死ぬことは逃げでも救いでも、ましてや贖罪ですらないのに。……ただ無に還るだけなのに」
「でも」
「第三者である私が言って良いのかわからないけど、彼女は彼の幸せを心から望んでいたんだと思う。自分のことなんて忘れてくれたっていい。ただ、笑顔でいて欲しかったんだと思う」
「……だったら、どうしてあなたが泣いてるんですか?」
「私が、泣いてる……? そんなはずないのに。上位の存在に従って動くだけのお人形であるこの私が……?」
真っ白な荒野の上に、宝石のような雫が数滴落ちていく。全く気付かなかった。いや、気付けなかった。
「その……僕が隣にいるから、大丈夫ですよ」
「大丈夫なはず、ないでしょ……」
真っ白で純粋な君の想いも、彼女を失った時の悲しみも。私は先立ってしまう方だったから気付けなかったんだ。
「僕、何が心残りなのかわかった気がします」
「知っちゃダメっ! 私をここに置いていかないで……」
「彼女ともっとずっと一緒にいたかった。あの教室以外でもお喋りしたかった。そして、最期の瞬間に立ち会えなかった」
「私も……」
目の前に浮かぶ風景。真っ白な病室で横たわる一人の少女。私が私になった日のこと。私が永遠の迷子になった日のこと。
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あれは蝉が鳴く季節のこと、だったかな。意識が薄れていたから、よく思い出せないんだけどね。
でも、私は一人だったと思う。
「会い、たい……」
私が、どんどんなくなっていく。ほどけて、とけて、消えていく。どうして、どうして私だけ。
ひとりぼっちは嫌だ。彼の隣にいたい。
あれっ、彼って誰だっけ。とても大切な人のはずなのに、うまく思い出せない。どうして。
漂白。
真っ白の絵の具で塗りつぶされた油絵。
白は濁り、ぐちゃぐちゃになっていく。
あぁ。なんの心残りもない。だって私にはなにもないんだから。
そんな風に長い眠りについた。そのはずだったのに。
私はいつからかここに閉じ込められていて。迷子の魂を送り届けるよう、誰かに言われて。一番の迷子は、私なのに。
全ての記憶の欠片を拾い集めてもなお、満たされることのない私の心。ある人曰く、それは恋心というものらしい。
その時初めて自覚した。私は君のことをどうしようもないくらいに愛していたことを――――
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「そう。私はずっとあの教室にいたかった。あなたの隣にいたかった。でも、今はもう駄目だからね。前に進んで。振り返らないで」
「でも」
「私はあなたが知っている彼女じゃない。彼女はここにはいない。あなたは早く輪廻にのって次の身体に宿らないといけない」
「だったら……」
一緒に行こうよ、なんて言わせちゃいけない。
「私は、ここから出られないから」
「俺もここに残っちゃ駄目、かな?」
「それは、無理だよ。あなたがここにいられるのは長くてもあと数十分。じゃあね、私の愛しいあなた――――」
水に砂糖が溶けるように、魂が世界に溶けていく。グッバイ。君が私のことを忘れたって私は君のこと、いつまでも忘れないから。
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