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赤の色

作者: livre

数年前に別サイトにて書いていた「虹の7色それぞれの掌編」のセルフリメイクです。

1色目、赤色。

 いち。

 にぃ。

 さん。

 し。

 ご。

 ろく。

 しち。

 はち。

 く。

 じゅう。


今10数えるその間に、君の心臓は何度鼓動を刻んだだろう?


 僕たち人間は生まれた時点で、心臓が動く期限が決まっている。正確には拍動の回数が、だ。

それは哀れなほど少ない数かもしれないし、途方もなく多い数かもしれない。

病気や事故で簡単に人は死ぬ。驚いたり恋をすれば鼓動が早まることもある。

それら全てを見越して回数は決まっている。

つまり僕も君も、いつどんなことがあって、誰に恋をするのか、既に全て決まっているのだ。

何があろうともこれが覆ることはない。僕らはこれを“運命”だと呼ぶ。

 それを常に意識しながら生きている人間はきっと居ないだろう。

「今、何回心臓が動いた。この1時間で何回の鼓動を使った」なんて考えながら生きていては、誰だって精神が壊れてしまう。

けれど“期限”が迫った時には、唐突にそれを悟る。

誰かが教えてくれるわけじゃない。他の誰にも分からない。けれど、自分にだけはそれが分かる。

赤ん坊の頃に呼吸の仕方を教えてもらった経験が無いように、誰にだってごく自然にできることだ。

 人間という生き物は、そうできている。


 僕の趣味は少々特殊なようで、悪趣味だと罵られたこともある。

期限を悟った人間を見つけること。その言葉を聞くこと。或いは最期の願いを叶えること。

それは街中であったり病院であったりする。回数を知ることはできなくとも、“そういう人間”を見つけることは容易い。

みな一様に、嘆くような困惑したような瞳で周囲を見つめながら生きているからだ。


 どこにでもそういう人間は居るものだけれど、やはり病院は好都合だ。こんなことを言っているから、時折非難されるのかもしれない。

そこは簡素な個室だった。

見舞客を装って廊下を歩いていた。扉の開け放たれた病室。

斜めに半身をもたげたベッドに身体を預け、ひとり窓の外を見つめる少女が居た。

軽く壁をノックしてみる。ゆるりとこちらを振り返った彼女は特段驚いた様子を見せない。僕のような人種を知っているのだろうか。

年の頃は十四,五に見える。あどけない子供の表情にも、達観した大人の表情にも思えた。

僕は後ろ手でそっと扉を閉めながら彼女に声を掛ける。邪魔をされたくはない。

「もう知っているの?自分の“残り”を。」

僕の存在に気付いてから初めて目を逸らした。それでも悲しそうには見えない。

「こんな感覚なのね。なんだか不思議。初めて経験する…当然だけれど。

それに、今頭の中に浮かんでいるこの回数が、具体的に何時間分、何日分なのかが分からないの。」

「僕の経験上、大体は」

彼女の疑問を解消しよう。

「大体はみんな、残り1日分くらいで悟るみたいだ。」

つまり明日にはこの少女は死ぬ。見た目からして、おそらくは病死。

彼女の心臓は役目を終えて、当初の予定通りに止まる。

「…そう。」

「随分と落ち着いているんだね。取り乱す人も多いんだけれど。怖くはないの?」

彼女は僕を見ない。

「私ね、ずっとここに居るの。今動いている心臓は…元々欠陥品だったみたい。」

胸に手を当てて小さな声で呟いた。反論したく、なる。

「そうじゃない。」

欠陥品だったんじゃない。それは運命というんだ。

「運命という言葉を君は知らないのか?」

「…私が」

あまりにも細い声だった。反論に重ねた反論。僕の言葉を無視するような、聞き零すほど弱い独白。

「私が死んだら…きっと母は泣くわ。」

 ずっと母親と二人で生きてきたのだと彼女は語った。

幼い頃から病院で過ごす自分を、それでもとても大切に思ってくれているのだと。そして彼女自身それを痛いくらい感じているのだと。「母は私の為に生きているのかもしれない」とも言った。

「だから死にたくない。」

と。

「…死にたくない。死にたくないのよ。母を泣かせたくないの。

ねぇあなた、どうにかしてよ。何か方法を知っているんじゃないの?だからこんなこと、しているんじゃないの?

母より先に死ぬなんて駄目。駄目よ。どうにかして、なんでもする。お願いだから…ねぇ。」

何かのタガが外れてしまったかのような少女。返せる言葉はひとつだけ。

「無理だよ。」

「言っただろう。これは運命だ。君は間違いなく、明日にはその命を終える。

今だって…こうしている間にも、カウントが減っていくのを感じているはずだろう?」

彼女は僕の目の前で、焦燥感と絶望感の入り混じった顔をしていた。見たくないはずの顔。

昔を思い出す、嫌な顔。

「死にたくないと死を拒むことは、生きることを放棄することだよ。」

何度も見てきた見たくない顔から目を逸らさずに僕は語る。彼女に届くように。

「生まれた瞬間から死ぬことは決まっている。それは誰もが知っているはずなのに、誰も知らないことだ。

人間はきっと死んで初めて、自分が、身近なその人が、生きていたんだと知るんだよ。君のお母さんだって。」

「…ママ、も?」

絶望の色は未だ消えない。

「死ぬことは怖いことだろうと僕も思うよ。けれどそれは想像で、僕は君の想いを理解することはできない。カウントダウンが、まだ始まっていないからね。

それでもこう考える。死ぬことが分かっているなら、それを知ったのなら、終わりが来るまで大切な人と居るべきだって。

何も分からないまま突然に終わるより良心的だし、その方が、ただ嘆いているよりずっと後悔が残らないと思わない?」

彼女の瞳に水の幕がおりていく。代わりに、焦燥感と絶望感は和らいだ気がした。…もう少し。

「君はこれからここへお母さんを呼ぶんだ。そうして君の口から、終わりが近いことを話す。

お母さんは泣くかもしれない。いや、おそらく泣くのだろうね。君のことを愛しているはずだから。

なら二人で一緒に泣くといいよ。枯れるくらい二人で泣いて、手を握ってもらうんだ。

いろんな話をたくさんしながら、ゆっくりゆっくり時間を過ごせばいい。カウントダウンがゼロになるその瞬間まで。

そうすれば、君の命が終わってしまっても」

お母さんはきっと大丈夫だよ。

 少女は泣いている。死にたくないのだと叫んだまだ幼いとさえ言える命は、残り少ない期限を燃やすかのように泣いている。

絶望は見えない。彼女はもう大丈夫だろう。元々、僕にできることなんてこんな程度だ。

「それじゃあ。」

 目の前の死を見つめながら扉を開けた。


「お兄ちゃん。」

病室を出たところで小さな男の子に呼び掛けられた。寝巻き姿ではない。察するに、入院患者ではないらしい。患者の家族といったところか。

屈み込んで目線を合わせる。少年は瞳を逸らさない。

「うん?何か、用かな?」

「さっきお話ししてたお姉ちゃん、もうすぐ死んじゃうの?」

聞かれていたようだ。もしかしたら見ていたのかもしれない。

「そう。カウントダウンが始まったんだ。分かる?」

少年はコクリと頷く。こんなに幼い子でも、自然と把握はしているみたいだ。

「…お兄ちゃん。」

何か他に用があるのだろうかと留まっていると、さっきよりいくらか控えめな声。

「パパの残りの数、分かる?」

ああ…、それでこの子はここに…

「ごめん。」

僕は謝る。少年は何故だろう、昔の自分によく似た顔をしている気がした。

「僕は神様じゃない。残りの回数が分かるのは本人だけだよ。

君にも、僕にも分からないし、それを止めることもできないんだ。」

 僕には何もできない。あの時と何も変わらずに。


 外に出た。病院近くの教会に差し掛かると、黒い葬列が目に入る。

今日はよく死に触れる、と感じながら遠巻きに見つめていると、棺が異様に小さいことに気付いた。

死産、らしい。とすれば、傍に居るあの男女が両親のようだ。夫に寄り添われている若い女性は、顔を覆う黒いヴェールで表情を窺うことができなかった。

女性の腰は細く腹は薄い。もうそこには何も入っていないのだと、見せ付けるかのように。

 生きることのなかった命は、心臓は、一体何なのだろう。心臓に期限があることを知る前に、カウントダウンを理解する前に潰えた命は。

「お腹の中でちゃんと生きていたもの」「あの子は幸せだったはずよ」葬列の中からそんな声が聞こえた。

無責任だと思った。胎内だけで終えた命の何が幸せだというのだろう。

何も映せなかった瞳の、何も聴けなかった耳の、何の言葉も紡げなかった口の。

どこが幸せだったというのだろう。


 瞬間は突然だった。

とある少女の終わりを知ったその日。とある父親の終わりを知れなかったその日。生の前に死を迎えた葬列に出逢ったその日。

その日の夜、唐突に悟った。頭の中に数字が浮かぶ。ひとつまたひとつと減っていく、カウントダウン。

取り乱しはしなかった。絶望も焦りもなかった。驚いたし、確かに不思議な感覚ではあったけれど。

「どうやって死ぬのかなぁ…。」

家の中には僕ひとりしか居ないのに、気付けば口をついて言葉が出ていた。“終わり方”が気になったのだ。

今現在、僕は健康体のはず。大きな病の宣告なんてされていないし、体感としても不具合はないように思う。ならば終わり方は何だろう。

病気でないのなら事故死?或いは急病なんて可能性もある。もしかして殺人だろうか。誰かに殺される覚えはないのだけれど。

どう死ぬのか、は、結局一晩中考えても分からなかった。


 記憶を辿れば、こんなことをし始めてからいろいろな種類の人間に会った。死を目前にしたという状態は同じでも、反応は人によって様々だ。

おかしくなって、最後まで笑い転げる男が居た。穏やかな笑みを浮かべて、思い出話をする老婆も居た。

悲観して泣く人は多いし、自暴自棄になる人も居た。僕に助けを求めてくることも少なくなかった。

そして思い出す。一番最初に見た“タイムリミット”の人間を。自分の母親の最期を。

 母は病死だった。病が見つかった時には既にかなり進行していて、もはや何もなす術がなかった。

病が発覚した時点で彼女は酷く取り乱していたし、カウントダウンが始まってからは一層激しくなった。

「死にたくない!死にたくない!」と毎日泣き喚いていた。そうしながら恐怖の中で死んだ。

幼かった僕の頭にこびりついて今も離れない、あの時の母の顔、叫び声。優しくて穏やかだった、大好きな母の見たことのない姿。

僕の知る母はもうそこには居なかった。絶望して泣きながら、狂って喚きながら、苦悶の表情で彼女は死んだ。

 あの日の自分を二度と作りたくないと願った。終わりを知った人間ができるだけ穏やかに、周りの人間と手を繋いで“ゼロ”を迎えられるといい、と願った。

どうせ泣こうが喚こうが、覆すことは叶わないのだから。


 なんだ、と、少しだけ呆れた。僕の人生なんて結局、あの日の母から始まって、そのまま終わっていくんじゃないか。

終わり方はこれだったのだ。母のことを思い出すうち、過去に出逢った最期たちを思い出すたび、決意が固まっていく。これも全てが“運命”だ。運命は変わらない。何をしたって。

気持ちは凪いで穏やかだ。僕は今とても落ち着いている。よかった。僕は狂わずに逝けるみたいだ。

事故じゃない。病気じゃない。もちろん老衰の年齢ではないし、他人に殺されるわけでもない。

死にたくないと叫び続けた母は、今の僕を叱るだろうか?

けれど僕は「死にたくない」って、思えないんだ。

 カウントダウンは昨日から始まっている。こうしている間にもどんどん残りが減っていく。頭の中の数字は、もう幾ばくもない。

「…母さん。」

ポツリと呟いた声は家の空気に溶けて、誰も応えてくれなかった。

手を握ってくれる誰かは僕には居ない。

「救えなくて、ごめんなさい。」


 じゅう。

 きゅう。

 はち。

 なな。

 ろく。

 ご。

 よん。

 さん。

 にぃ。

 いち。


 ぜろ。

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