後編
彼岸の中日。
鬼は、狐に案内されて里の中を散策していた。
「結構広いな」
「山ひとつ分ありますからね」
「え?そんなにか?」
それほどの里を同胞のために維持し、また、人間や他の異形の驚異から遠ざける九尾の力を改めて想像して、さすがに鬼も溜め息を吐いた。
「親父さんが本性を出したら、本当に俺なんかひとたまりも無いのかもな」
姫を大事にする気持ちでは負けないつもりだが、力の次元が違いすぎる。しかし、尾が3本しかない姫は存外たくましい。
「その時は私が全身全霊かけてお守りしますから、ご心配なく」
自分の肩ほどしかない姫がきりりと見上げるのを、鬼は可笑しくも頼もしくも感じた。
そうだった。
こいつとなら大丈夫、そう信じた気持ちを思い出す。
「あれ、彼岸花が」
数日前にはなかった真っ赤な花畑が、辺り一面に広がっている。
すらりと伸びた茎の先に咲き乱れる花は、炎のようだ。
「壮観だな」
鬼が住む山には、彼岸花は咲かない。
咲いていたとしても、開花は彼岸のわずか数日のこと。目にする機会なく花びらが落ちてしまっていても、それすら気づく事がないのかも知れなかった。
ふと、花の間をちらちらと動くものを見た。
なんだろう。記憶が揺れる。
あれは自分ではなかったか。
彼岸花は赤い髪色のように鮮やかで、隠れるのにはぴったりだな。なぜかそんなことを思う。
さわさわ、と花畑が揺れる。走るものは、赤では無かった。
金色の毛並みは、獣の色。
「だめだ!」
突然、鬼は駆け出した。
彼岸花畑の中を掻き分け、狐の子供を抱き上げる。
咥えていた彼岸花の茎を、潰さないように抜き取った。
「…ああ」
姫も、声をあげて駆け寄ってきた。
子狐を鬼から受け取り、胸に抱く。獣は、何が起きたかわからないように目を見開いていた。
ほっ、と胸を撫で下ろすと、新たな気配を感じた。
「大丈夫か」
鬼のものではない、低い声だ。
音もなく、すらりとした青年がたたずんでいる。九尾である。
「父上…」
九尾は、姫、子狐、次いで鬼を順に見た。
「大丈夫そうだな」
どれ、と子狐の顔を見る。抱き上げ、彼岸花畑の外へ下ろしてやると、あっという間に走りさっていった。
「鬼よ」
振り向き、優しく鬼を呼ぶ。
こくりと頷き、鬼も九尾を見あげた。九尾のほうがやや背が高い。
「覚えていたのか」
静かな語り口は、貫禄と慈愛を含んでいる。
なにを、と表情で鬼は問い返した。
「いや」
一言答え、九尾は彼岸花を見渡した。
「綺麗な赤だな。お前の目のようだ」
鬼と狐の末姫は、山道を歩いていた。
鬼の両肩には、行李が合わせて3つ。全て九尾からの土産である。
「ひとまず、1つは天狗のところに届けないとな」
何が入っているかはわからないが、少なくとも姫よりは確実に重い行李をものともせず肩に担ぎ、ひょいひょいと山道を進む。
天狗の山に入ると、最近まで見ていた赤い花が目に入った。
「なんだ。天狗の山には生えてたのか」
彼岸花だ。
姫は、ちらりと鬼を見た。
「こんなに綺麗なのに、毒があるんですよね」
うん?と鬼は姫をみて、ああ、と相づちを打つ。
「そうだな。狐が食わなくて良かった」
「知ってたんですか?」
「さあな」
本当に、彼岸花に毒があるなんて意識していなかった。ただ、体が動いた。食べてはだめだと。
誰かが昔、教えてくれた気がしたのだ。
そして九尾は言った。
知っていたか、ではなく、覚えていたのか、と。
「狐花って、言うんですってね」
姫は、彼岸花に顔を近づける。食べて危険なのは、小さい獣だ。ある程度の体格のものが匂いを嗅いだぐらいでは害はない。
「ああ」
「狐火みたいだからかしら。他にもたくさん呼び名があるのね。毒があるから、毒花、とか」
「捨て子花、とも言っていたな」
葉が無いのに、花だけ咲くからだそうだ。
九尾が、教えてくれた。
親や仲間が彼岸に行くのにいつも取り残される、俺みたいだろう?そう言っていた。
姫は、父を思い神妙な顔をする。
自分にはわからない、長い孤独の中を生きてきたのだろう。
そして、夫を見た。
この人も、孤独だった。
「俺も捨てられたのかもな」
彼岸の季節に。
真っ赤な彼岸花の中に。
淡々と呟く横顔を見上げる。
悲壮感は無い。
「だとしたら」
姫も明るく言う。
「やっぱり、そのおかげで巡り会えたんです」
赤い目の女と会ったことがある、と九尾は言った。
彼岸花が咲いている、ほんのひととき。
名前も何もわからない、お前の母なのかなど、勿論わからない。
ただ、小さい者を思いやる気持ちを持った、優しい人だったと。
お前の目は、その人の目によく似ている。
そう教えてくれた九尾の目もまた、優しかった。
それだけで、十分だった。
「あっ」
姫が、何かにつまづいた。
「大丈夫か。肩に乗るか?」
ほら、と行李3つを片手に持ち直し、もう片方の手を差し出す。
恵まれた体躯を持つ鬼にとって、自分ひとりはもとより、小柄な妻を支える位、わけもない。
しかし。
「大丈夫です」
笑顔で起き上がり、夫の骨ばった手指を、姫は握る。頼りなげな細い指から、ぬくもりが伝わってきた。
「…子供みたいだな」
「うるさいです」
笑って、手を繋ぎ直した。
「散歩でもしていくか」
隣で見下ろすその目は優しく、彼岸花の赤を映している。
はい、と姫は答えた。
「一緒なら、どこへでも」
2人で、破顔した。
彼岸の花・了