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中編

彼岸、というのはどこなのだろう。

九尾はかつて出会った、数えきれない程の仲間を思う。

自らが作った、自らの平穏のための里。

そこに、真っ赤な花が咲く。


狐花(きつねばな)ですね。


そう言った人がいた。いや、人ではなかったかもしれない。


彼岸花だろう?


九尾はそう言った。何年、もう何十年前のことか、過ごしてきた月日は長すぎて、おぼろげな記憶しか無い。とにかく、知らぬ間に山道を埋めるように咲いた赤い花々を、その人と眺めていたのは覚えている。


葉が無いのに、花が突然咲くの。

まるで狐に化かされたみたいでしょう?


そう、足元の一本を手折(たお)り、九尾に渡した。


似合いますよ。

花を眼前に掲げた九尾を見て、女性は笑う。つられて九尾も笑った。

茎一本の先端から天に向かって開く花弁は、狐火のようにも見える。


一面に広がる彼岸花は壮観だった。

自分には、親はもういない。盆や彼岸に偲ぼうとも、親の記憶すらすでにない。

ただ長く生きている中で関わりあった同胞、人、そして、異形のものたち。

彼らは彼岸の、どこにいるのだろうか。

彼岸花には、葉が無い。

取り残された花が、まるで自分自身に思えた。


ふと、赤い花畑の中から声がした。

花ではない、赤い何かが動いている。


おかあさん。


子供の声だ。ぱっ、と屈んでいた体を起こしたと思ったら、ちょうど花から顔が見えた。

2、3歳だろうか。


女が名前を呼ぶ。


呼ばれた子供は、また笑い声をあげながら彼岸花畑の中を走り回る。おいかけっこでもしているようだ。

赤い花が揺れる中を、子供の赤い髪がちらつく。


やんちゃで、困ってしまいます。


そう言って、愛しそうに我が子を見つめる女の目が赤かったのは、彼岸花を映していたからだろうか。

もう一度、女は子供を呼んだ。赤い髪の子が駆けてくる。

九尾の足元に、獣がまとわりついた。

顔を上げると、すでに、二人ともいなくなっていた。

手にした彼岸花も、消えていた。



「秋は、おはぎなんですよ」

八つ時、茶屋の長椅子に鬼と座り、嬉しそうに、末姫が言う。

「自分で作るのか?俺もお前が作ったのを食べたい」

「じゃあ、ここにいる間に美味しい作り方を教わっておきますね」

毎日寝食を共にして驚いたことの一つは、姫が見かけより大食らいだということだ。

とにかく食べる。

「その割には小さいままなんだよなあ…」

胸元に注がれた視線を感じた姫は、何がですか?と、表情はにこやかなまま、厳しい口調で返す。

「いやあ、なんでも…」

慌てておはぎを一口食べる。美味い。

「ここの里で出てくる食べ物は、どれも美味いな」

お世辞でもなくそう思った。

人間には見えない隠れ里だが、人間の町と同じように店が並び、どれも上等なものを扱っている。

毎日、家で出される食事も格別だが、店に並ぶ菓子ひとつとっても献上品のような美味さだ。

「その昔に父上が、人の里にいかなくても良いように、人の町にあるようなものを揃えたり作ったりしたらしいですよ」

「親父さん、人里が嫌いなのか」

「昔はそんなことも無かったみたいですけどね」

まあ、長く生きてますから、と言いながらおはぎを口に運ぶ。

「本当によく食うよな…。なんでその食べた分が胸にいかないんだ」

「しつこいです」

ぷりぷりと頬を膨らませて、なおも食べ続けている。

店のおはぎを全部食べてしまいそうな勢いだ。


「俺にも1つ、くれ」

鬼が口を開ける。大きな八重歯が見えた。

まだ手をつけていないのを口に入れてやると、姫さん、仲良いね、と冷やかす声が店の中から聞こえた。

「おじさん、あとで作り方を教えて下さいな」

「いいよ、だんな様に作ってあげるんだね」

だんな様という響きが、なんとも慣れずにくすぐったい。

案の定、姫の顔は既に真っ赤だ。

勘定は九尾からとされているので、美味に対する礼を言い、風に当たりたいからと二人で店をあとにした。

「あの店主も、狐か」

「そうですよ。たまに狐じゃない方も混じってますけど、悪さをしない方なら父は追い出したりしませんから」

しばらく歩き町並みを抜けると、突然山道に出た。

隠れ里の中か外か、時々境界が曖昧になる。


道端に群生している草の中を、獣が走るのが見えた。小さな狐たちだが、毛色が違うものもいる。

人か獣か姿を変えて、曖昧な境界に暮らすものたちは、狐のほかにも多い。


「狸の化生(けしょう)も、たまにいますね」

姫は、足元に気を付けながら歩いていく。

「他には?」

「えーと、蛇とか?」

世の中には、人の姿を借りて生きるものがなんとも多い。

化け狐から生まれた姫の本性は、本当に狐なのだろうか。はたまた人が獣に姿を変えているのではあるまいか。

「猫とか?」

自分もそうなのに、人に化けると言われる獣を真面目に考えている姫を見て、鬼は笑ってしまう。

まあ、姫なら、なにが化けていても、いいか。

「案外多いな」

皆が人の姿を写していたら、擦れ違っても本性なんてわからない。

「化けない者はいないのか」

「いますよ」


姫は、ほとんど無意識にそれを口にした。


「鬼とか。」



赤い髪の鬼は、足を止めた。


鬼。


足音が聞こえないのに気付いたのか、姫は後ろを振り向き、心配そうに夫を見つめる。

「どうかしましたか?」

なんの含みもなく、ただ、夫である鬼を案じている顔だ。

「いや…」

なんでもない、と、また歩きだす。

すると、姫が駆け戻ってきた。

近くまで来たが、俯いたまま鬼の手を握る。

「…どうした?」

細くて白い指に、力が入っているのがわかる。

「なんでもないです」

その意志の強い口調に、本当に見かけによらないなと鬼は思う。

もうじき日が暮れる。

昼も夜も曖昧な、夕暮れの空気が山を包む。

鬼は、狐の顔に空いてる方の手を添え、こちらを向かせた。不安そうに固く結ぶ口に、自分の口を重ねる。

安心したように、姫の口元から力が抜けた。

いとおしい。

そのまま、妻の唇を軽く()んだ。




姫は、うつぶせに寝るのが癖だ。

元が獣だからか、丸まって寝る時もある。

「本当に良く食って、良く寝るよな」

秋の夜はそれなりに涼しいので、(あらわ)になっている妻の肩に、鬼はそっと着物をかけ直してやる。

鬼自身は裸だろうが気にしないが、さすがにこの里では客人として過ごしているので、自分の着物を無造作に腰に巻いた。


窓を開ける。

そのまま窓枠に座り、半身(はんしん)を乗り出して月を見た。

十五夜が過ぎ、満月から少し欠けた光は、彼岸の中日(ちゅうにち)には半分ほどになるだろうか。

九尾にはその後、会っていない。

「思ったより、あっさりしていたな」

大天狗達や天狗に話を聞かされていたから、もっと、愛娘を取られたという敵意を剥き出しにされるかと思っていた。


赤い目の鬼。


赤い髪の鬼とは、よく言われる。

遠くからでもわかるからだろう。

しかし、弱い人や獣は、目を合わせる前に逃げていくのだ。

あかいめ、と、昔出会った鬼も言っていた。彼は自分とは肌も角も異なっていた。そもそも、「同じ」鬼というのはいるのだろうか。

「また眠れないんですか?」

背後に、姫が立っている。

着物の前を合わせているが、その手にやや力が入っているのがわかった。

「寒かったか、ごめんな」

窓を閉め、床に座ると、その胡座(あぐら)の中に姫も膝を抱えるように座る。

温かい。


「何を悩んでいるんですか」

姫は、鬼の方を見ずに問う。

「私と一緒になったことですか」

他の女が良いという意味では無い。

鬼が自ら姫を選んだのを、姫自身が一番良くわかっているはずだ。だから鬼は、姫の言わんとしていることが良くわかる。

「違うよ。お前といられるのは嬉しい。だからだ」

ごめんな、と呟く鬼の声は、優しい。

姫は、いいえ、と首を振った。

「私に謝る必要はありません」

鬼は、苦笑した。

「そうだな」

姫が振り向く。

射抜くような眼差しだ。お姫様育ちと思えないほど度胸もあるこの娘に下手な言い訳は通じない。

そして、独り生きてきた鬼には、虚勢を張る必要は無かったはずだ。

大事なものができて初めて、友人達が逡巡し、躊躇うことを理解した。

「俺は」

鬼が口を開いた。

「自分が何者かわからないのが、怖い」


姫が、黙って続きを促す。

「俺は、お前とならずっといられると思った」

はい、と姫がうなずく。

「でも、お前といつまで一緒にいられるのかもわからない」

そうですね、と姫も返事をする。

「鬼は、ひとりとして同じ者はいない、と父上から聞きました。いつ生を受けて、いつ生を閉じるかも皆違うと」

長く生きてきた九尾ですら、鬼のことはよくわからないのだ。


「でも」

姫は、まっすぐに鬼を見つめる。獣の化生である妻の目に、鬼は自身の異形としての姿が映るのを見た。


まるで、人間のようだ。

目の前の妻より、よほど。

そう考えたのが伝わったのか、姫はまたゆっくり頷き、話を続ける。

「私も、いつ人間に捕まり命を落とすかわかりません。そもそも、父のように何百年も生きるのか、母のように獣として短い生を終えるのかも」

今度は、姫から鬼に、唇を重ねてきた。

「だから、生きてる間に一緒にいたいと思える方に出会えたのは、幸せなことだと思います」

姫の表情は、穏やかだ。

自由に生きてきた鬼とは違い、仲間の生き死にも間近で見てきた者の言葉は、静かに、だがしっかりと響く。


ごめんな。

再び言う鬼を、姫が冗談めかしてたしなめる。

「謝ってばかりですね。鬼というのがそんなに謝るものだと、初めて知りました」

苦笑して頭を掻くと、指に自分の角が触れる。

「俺は、本当に鬼なのかな」

「さあ、どうでしょう?」

少し考えるような素振りをしたあと、おもむろに、姫の首や肩に歯を立てる。

「お前を知らぬうちに食べていたら、どうする?」

ふふ、と姫が笑った。

「好きな人に食べられるなら、本望です」

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