第44.5話 幕間
井伊口冴子はビルの廊下を歩いていた。
キビキビとした動作。
手にはタブレット型PCと何故かバスケットを持ち、真っすぐ進行方向を見て歩く。
そんな彼女に、廊下を通行していた社員や白衣の研究者たちはそろって道を譲り頭を下げる。
冴子はそれを一顧だにすることもなく歩いていく。
そんな彼女の姿をピカピカのガラス窓が映し出す。
廊下は清潔でなによりまだ新しかった。
それもそのはずこの社屋兼研究所は、開業してまだ一年も経っていないのだ。
「………」
冴子はやがて奥まった一室の前で足を止めた。
彼女はそこでおもむろに身に着けたスーツのポケットからコンパクトを出し、鏡で自分の姿をチェックする。
そこには飾り気のない黒髪をセミロングに伸ばした、整った顔立ちの女性が映っている。
冴子はそんな自分の姿をニコリともせず確認し、前髪を少し手櫛で直すと、コンパクトを閉じポケットにしまう。
そして部屋の扉のすぐ側に設えられたタッチパネルに手を伸ばそうとして、少しためらった。
彼女にとってこの部屋に入ることは少々覚悟が必要なことだったのだ。
スウ、ハアと軽く深呼吸してから意を決してタッチパネルに右手人差し指をのせる。
すぐにパネルのスピーカーから応答があった。
「井伊口君だな。入りたまえ」
しゅっと音がして扉が開く。
「失礼します」
一礼して冴子が部屋に入るとまず、電子機器が放つ独特の匂いがした。
それもそのはず、部屋の中は大量のモニターやハードディスク、ケーブル等で埋め尽くされ、足の踏み場もないほどだったのだ。
そしてそこに彼がいた。
薄暗い部屋の中こちらに背を向けたままPCに向かっている男。
この会社と内包された研究所を同時に束ねる彼は、冴子が室内に足を踏み入れても一心不乱にPCのキーボードを叩いていた。
それも同時に3面。
片手で1面のキーボードを打ち、もう片手でもう一面を打ち、真ん中のキーボードは頭突きで操作………、ということはさすがになかったが、そのうちそんな真似までし始めるのではないかと思うほどの、鬼気迫るタイピングだった。
3面のキーボードの上を両手が華麗に踊る様はまるで一流のピアニストの様。
事実、両手で飽き足らない彼は、足元にフットペダルを設置し、ピアノ奏者がするようにそれを適宜踏み込んで、モニターに映る作業内容を目まぐるしく切り替えている。
その様はまさに八面六臂。
実際彼は常人の3倍以上の作業量を一人でこなしているのだ。
まったく尋常ではなかった。
いつもながら冴子はその鬼才に呑まれ立ち竦まざるを得ない。
「どうかしたかね?」
部屋に入ったとたん棒立ちになってしまった冴子を不審に思ったのか、男がモニターを向いたまま尋ねてくる。
冴子ははっと我に返った。
「いえ。報告があったので参りました。あと、もうお昼の時間ですよ所長」
出てきた声はクールそのものだった。動揺のかけらも無い。
この男に自分が呑まれていたなどと知られたくはない。
「そうか。作業に没頭するとついつい食事を忘れてしまうな。ありがとう井伊口君」
ターン! と最後に高らかにキーボードのエンターキーを打つと、男の周囲のモニター全てに『飯』という文字が表示された。
白い背景に大文字で飯である。
それは結構間抜けな光景だったが、冴子はもう慣れているので眉一つ動かさない。
この男なりの切り替えの儀式のようなものだろうと思うことにしていた。
「それではまず報告を聞こうか?」
「待ってください」
男が白衣のポケットからシリアルバーを取り出そうとしたのを見て、冴子はそれを冷徹な声で止める。
「またお昼ごはんをシリアルバーで済ますつもりですか?」
「ん? ああそのつもりだが………」
男は困惑したように声を惑わせる。
冴子はため息を吐いた。
「駄目です。最近朝も昼も夜もまともなものを食べてないでしょう? たまにはきちんとした食事を摂ってください」
そう言うと冴子はずいと部屋に踏み込み、持参していたバスケットを男に差し出した。
「作ってきました。サンドイッチです」
その段になってようやく男は冴子を振り返った。
ところどころ跳ねた黒髪、黒いフレームの眼鏡。
黒いシャツに緩く締めた紺のネクタイ。
羽織った、ところどころしわが寄った白衣。
キラキラと子供の様に輝く瞳は形の良いアーモンド形で、なかなか整った容貌をしているのだが、どこか垢抜けない二十代後半の青年。
それがこの男、神道千路だった。
だがその中身はバケモノだと冴子は思う。
そのバケモノは冴子が差し出したバスケットを無言で受け取るとパカリと蓋を開けた。
「ほほう! 卵サンドにシーチキンサンド、それにカツサンド。トマトサンドにフルーツサンドまであるな。なかなか手が込んでいるな!」
そう言うと礼を言うのも忘れてパクつき始める。
「うん! 美味い!!」
冴子に向けて満足そうな、子供ような笑顔を向けるが、彼女は「それは良かったです」と無感動に答えただけだった。
そして今度はタブレット型PCを千路に向けて持った。
「では報告の方を」
「ん。頼む」
サンドイッチを口に含んだままムグムグと答える千路。
「それでは一件目の報告です。先日のユーザーから多数苦情が寄せられた処理落ちの件ですが、やはりサーバー側が原因だったようです」
「ふむやはりか。すでにサーバーの手配は済んでいるのかね?」
「はい。現在札束で横っ面を引っぱたいて必要数を確保している途中です。今回のメンテナンスアップデート終了前には準備が完了するかと」
「よろしい。いかに『ガイア』と言えどサーバーが貧弱ではどうにもならんからな」
「はい」
カツサンドをほおばりながら頷く千路に冴子は淡々と同意する。
およそ愛想というものが無い態度であった。
「次にスポンサー集めですが、さらに中国が加わるそうです」
「ほう! それはデカいな! それに思ったより早かった。渉外担当はいい仕事をしてくれたようだ。担当者を昇格昇給してくれたまえ。まあ昇格してもしばらくは同じ仕事をしてもらうことになるだろうが」
「かしこまりました。人事に伝えておきます」
このあたりのスピード感はワントップの強みだ。
ゆくゆくは弱みにもなりかねない形態だが現状上手く回っている。
「おお! これは美味いな! 照り焼きかね?」
唐突に千路がかじったサンドウィッチを見せてくる。
見せなくていい。冴子は眉をしかめながら、
「それは鶏もも肉を醤油みりん生姜で炒め煮にしたものです」
「ほう! 炒め煮か! 世の中には色々な調理法があるものだな!」
感心したようにうんうんとうなずく千路に対して冴子はいつも通りのクールな表情。
「報告を続けても?」
「うむ。続けてくれたまえ」
鶏もも肉サンドを食べ終えた千路が、バスケットに入れておいた魔法瓶に入ったお茶をコポコポと魔法瓶の蓋に注ぐのを見ながら冴子はタブレットをスワイプする。
「三件目ですが、ビーストとの戦闘中にニューマが技後硬直状態になった場合、硬直中は撤退できない仕様にした人物が判明しました」
ぴたりと茶を飲みかけていた千路の手が止まる。
茶を一気飲みして静かに魔法瓶に戻すと真剣な眼差しで問うた。
「誰かね?」
「花山静一技術主任です」
千路は深くため息を吐いた。
「やはり花山君か。撤退用のプログラムは彼に任せていたからな。半失神中の撤退不能はテストプレイで発見できたが、まさか技後硬直中の撤退不能まで組み込んでいたとは」
「花山主任が半失神中の撤退不能をわざと発見させ、技後硬直中の撤退不能を隠蔽した形跡がありました」
「………何故そんな仕様にしたのか、何故隠蔽しようとしたのか彼に聞いたかね?」
「はい。花山主任は『半失神中や技後硬直中なら撤退できないのが当然だと思った。リアリティーを優先した』と述べていました」
「撤退タブは緊急装置であり、いかなる場合でも押せば撤退できるようにすると事前に説明したのだがな………」
千路は頭痛を覚えたかのように額に手を当てる。
「彼はボクより遥かに若く極めて優秀なプログラマーだ。だからSOHの中でも非常に重要な撤退周りのプログラミングを任せたのだが………。これは直接ボクが彼に話を聞かねばならないみたいだな」
「はい。花山主任との面会をセッティングしておきます」
「頼む。それで、その件についてのユーザーの反応はどうだったかね?」
沈んだ表情で問いかける千路に冴子は淡々とこう答えた。
「非難ゴウゴウです」
「だろうな………」
千路は再びため息を吐いた。
実際、ネット上ではSOHが大炎上していた。
曰く、『俺の嫁を返せ』とか、『運営氏ね!!』とか、とにかくありとあらゆる罵詈雑言がネットを飛び交い、『SOH炎上』がツイッターのトレンドにも載るほどの惨状である。
「ただ怪我の功名というべきか、ユーザー登録はむしろうなぎ登りに増えています」
そう述べながら冴子はタブレットに登録者数の折れ線グラフを表示した。
確かにそれは天を衝くほどの急上昇を描いている。
「高度AIと死の可能性が今回の件でクローズアップされ、ユーザーを惹きつけているようです」
「そうか。ある程度は想定内だったが、ここまで伸びるとはな」
直近のユーザー登録数を見た千路の顔は苦々しいものだ。
「新人類計画にとってはむしろプラスだったかもしれないが、それにしても犠牲が多すぎた」。
彼はニューマノイドの死を悼むように目を伏せる。
「ですがイベントでニューマノイドが死亡する仕様を提案したのは所長でしたよね?」
そんな彼に冴子は容赦なく切り込む。
「ああ。ニューマを人間に近づけるためには、どうしても彼女らが死の概念を知ることが必要だった。それも知識としてではなく体感としての死だ。死を恐れてこそ人間だからな」
自己矛盾は承知している。
しかし千路にとってニューマノイドが子供のような存在であることも、そして彼らがより人間に近づいて欲しいことも確かなことなのだ。
しかしその結果幾人ものニューマノイドが亡くなってしまっているのもまた事実。
「結局これはすべてボクのせいだ」
だから千路はすべてを一人で背負い込む。
いや誰にもこの葛藤を肩代わりなどさせない。
この苦しみはボクのものなのだ。
「そんなつもりで言ったのでは………」
千路の複雑な胸の内を知ってか知らずか冴子は言いかけて言葉を切る。
キュッと唇を噛んで素早く頭を切り替える。
今は仕事中だ。
「とりあえずサンドイッチを食べてください」
「あ、ああ。そうだな」
モソモソと千路が再びサンドイッチを食べ始める。
見るからに意気消沈していた。
話を変える必要があると冴子は思った。
コホンと空咳を一つ。
「ところで所長。有休を消化してませんね? 経理から苦情が出ています」
「う」
サンドイッチを食べ終わってバスケットを閉めていた千路がうめく。
「ボクは社長だし所長でもある。ボクが休まなくても良いと判断したのだから構わないだろう?」
子供みたいな屁理屈を言う千路に冴子は淡々と返答。
「構います。社長であり所長である人が社員や研究員に自ら範を示さなくてどうしますか? 神道所長が休まないから他の社員も休みが取り辛いのです。まずは所長が休んでください。これは義務です」
「いやしかしだな」
完璧に論破されて頬に汗を浮かべながら、それでも食い下がろうとする千路に、その時誰かが声をかけた。
「私も千路は休むべきだと思いますよ」
発生源は千路の机の上のスマホだった。
「君までボクにそんなことをいうのかいマリア」
スマホを手に取った千路は弱り切った顔で眉尻を下げた。
スマホの中ではSOHが起動しており、癖のないサラサラの金髪を肩まで垂らした女性が微笑んでいた。
「千路は働きすぎです。もしあなたが倒れでもしたら会社と新人類計画はどうなります? よく考えてください」
にこやかな表情だが舌鋒は鋭い。
痛いところをつけれて千路はぐうの音も出ない様子。
「所長」「千路」
二人の女性にプレッシャーをかけられた千路はついに折れた。
「分かった分かった! 休めばいいんだろう? ゴールデンウィーク中に山登りに行くことにするよ」
外国人のようにヤレヤレと肩をすくめて見せる青年。
「山登りというと、あのイベントのですか?」
「うむ。視察に行っておきたいと思っていたし、丁度いいだろう? 何なら井伊口君も一緒に行くかね? 君もろくに有休を消化していないだろう」
それは千路なりの意趣返し。冗談の類だったのだが、
「はい。では同行させていただきます」
冴子はあっさり頷いた。
「え? あれ? 行くのかね?」
動揺したのは千路である。
椅子から半ば立ち上がるが、冴子はバスケットを手に取りさっさと帰り支度。
「では私の休日と所長の休日を調整しておきますね。では失礼いたします」
それだけ言うと冴子はぺこりと一礼し、そそくさと部屋を後にする。
「あれ~?」
千路の間抜けな声は閉じた扉にシャットアウトされた。
そして一人、扉の前に佇む冴子は、
「~~~~~~~~~~~~~!!!」
小さくガッツポーズをすると来た時より心なしか軽く見える足取りで廊下を戻っていくのだった。
以上SOH史上最大の文字数を誇る幕間でした 長い!w
いろいろと作中で明かされなかった謎の答えを盛り込んで、さらに運営側のキャラの描写をしていたらこんなになってしまいました(汗)
さて次回はSOH第二章最終話となります
あのキャラがその後どうなったのかも明かされます
どうか最後までお付き合いくださいませ~m(__)m




