第35話 死と生その3
薄青色の照明に照らされた部屋。
そこには大型TVとガラスの背の低いテーブル、そして大きな革張りのソファーがあった。
そのソファーに半ば寝そべるようにしてぐったりと体をもたれさせているのは、金髪に染めた髪をツンツンと尖らせ、端正な顔立ちを薄暗闇にさらした青年だった。
彼は「ふう………」とため息をつくと垂れた前髪を煩わしそうに掻き上げる。
「お疲れですかマスター?」
テーブルのスタンドに置いたスマホの中から猫耳フードを被った少女ニューマイドが尋ねてくる。
「………まあな。ちょっと今日は人と話しすぎたかもしれない。それに………」
金髪の青年―SAIは顔を曇らせる。
脳裏に浮かぶのはナギの姿だ。
彼が死んでしまったことはSAIの胸に重くのしかかっていた。
「ナギさんはほんとに居なくなってしまったんでしょうか?」
同じことを考えていたのかラプシェも沈んだ表情でぽそりと呟いた。
「おそらくな。運営がそういう事柄で嘘を吐くとは考えにくい」
「そう、ですよね。もうナギさんとは戦えない、会えないん………」
途中でラプシェの言葉が止まった。
スマホの中の彼女の頬にぽろぽろと涙が伝っていた。
「あれ? おかしいですマスター。私、なんだか………」
最後まで言えず彼女はしゃがみ込んでしまった。
顔を両手で覆ってぐすぐすと泣き始めてしまう。
「ラプシェ………」
その姿にSAIは胸が締め付けられるような気持ちになった。
できるならばその小さな体を抱きしめて慰めてやりたかったが、SAIは三次元、ラプシェは二次元、それは叶わない。
せいぜい言葉をかけるぐらいしかできない。
「あー、えーと、そのだな、あれだ………」
しかしそれすらも、コミュニケーション下手の自分にはしどろもどろになってできないのだ。
スマホの周りでオロオロと意味不明のパントマイムを繰り広げる自分が、SAIは心底情けなかった。
SOHを始めて新やアルパカたちに出会い、少しは変われたと思っていた。
でも蓋を開けてみればこの様だ。
自分は一歩も先に進んでいないんじゃないか?
まだ暗闇の中で膝を抱えたままでいるんじゃないか?
そんなことがSAIの頭をかすめる。
それはとても恐ろしい想像で………。
「マスター」
思考の暗い渦の中に沈んでいたSAIはラプシェの声にはっと我に返った。
視線をスマホに戻すと、いつの間にかラプシェは立ち上がり、そして大きな瞳で決然とこちらを見上げていた。
「私はやっぱりビーストハントに参加します」
それは希望ではなくもはや宣言だった。
一気にSAIの表情が硬くなる。
「駄目だ。あんな危険なイベントには参加させられない」
「確かに危険だと思います。私だって死にたくありません」
「だったら」
「でも!」
ラプシェはSAIの言葉を途中で遮って涙目で言った。
「私は戦いたいんです! ハルさんのように! カルマさんのように! ………ナギさんのように」
少女は両の拳を胸の前できつく握り叫ぶように訴える。
「だって今逃げたら次も逃げなきゃいけなくなるじゃないですか! 危ないことがある度に逃げなきゃいけなくなる。ずっと、ずっと! そんなの私は嫌なんです!」
SAIはラプシェの気迫に呑まれていた。
あの従順で穏やかな気性の少女がこんなふうに声を荒げるなんて。
そして次に飛び出したのはSAIが予想もしなかった言葉だった。
「それに、もっと嫌なのはマスターが私を信じてくれないことです!」
SAIは呆気にとられた。
「は? いや、そんなことは………」
「あります! だってほかのプレイヤーの皆さんは、自分のニューマを信じてビーストと戦っているのに、マスターは私を戦わせてくれないじゃないですか!」
ラプシェはクシャっとその愛らしい顔を悲しみに歪める。
「それは私を信じていないから………」
「違う!」
薄暗い部屋に大きな声が響いた。
ラプシェは呆気に取られていた。
SAIが自分に対してこんなふうに大きな声を出すことは今までなかったのだ。
少女の目に映るSAIは唇を噛みしめていた。
「違う。違うんだラプシェ。私は君を信じていないんじゃない」
そこまで言葉を継いで彼は気づいた。
自分がどうして彼女をイベントに参加させないのか。
その本当の理由を。
SAIはしばらく口を開くのを躊躇していたがやがて意を決したように告白した。
「私は自分を信じていないんだ」
少女は自らの指導者の意外な言葉に小首を傾げた。
「自分を?」
「そうだ」
SAIは観念したように長いまつげを伏せ目をつぶる。
「………自信が無いんだ。君を死なせずにビーストと戦う自信が。適切なタイミングで撤退させられる自信が、無いんだ」
SAIはぎゅっとその男性にしても大柄な体を縮めるようにして自らを抱きしめる。
「私は………、僕はラプシェを信じてないんじゃない。自分を信じてないんだ。だから負けると死んでしまうというこのイベントに参加することが怖い。怖くてたまらない」
SAIは苦しそうに前髪ごと顔を両手で押さえる。
生きていること自体を恥じるかのように、この世から消えてしまいたいみたいに、かすれた声で呟いた。
「すまない………」
「………………」
ラプシェは沈黙していた。
幻滅されただろうか?
こんな人間が自分の指導者だと知って落胆しただろうか?
恐ろしくて顔を上げることすらできないSAIに彼女は言った。
「マスター。あなたは優しい人です」
「僕が?」
意外な言葉にSAIが思わずスマホの中を見た。
ラプシェは柔らかな微笑を浮かべていた。
「はい。だって私は人間じゃないのに、マスターはこんなに想ってくれて、心配してくれてるじゃないですか。イベントに参加するのを怖がっているのも、私が消えてしまうのを本当に嫌だと思っているから」
「そんなマスターと、………あなたと契約できて私は幸せです」
精一杯の想いをラプシェは告げる。
その脳裏に「あなたと出会えて幸せでした」と言って消失したナギの姿が蘇る。
きっと彼もこんな気持ちだったのだろう。
だからモフリンさんのために命を賭けられたのだ。
でも、だからこそ!
「マスター。ビーストと戦いましょう」
きりっと幼げに見える顔を引き締めて少女はもう一度告げる。
「ラプシェ。僕は………」
眉尻を下げて情けない表情のSAIは再度その提案を否定しようとするが、
「大丈夫です!」
ラプシェはバン! と自らの大きな胸を叩いて見せる。
「マスターが育ててくれた私はあんな怪物に負けたりしません! それに………」
「マスターが自分を信じていなくても」
「私がマスターを信じていますから!!」
「………!!」
震えた。
ああ、なんてことだろう。
いつの間にかラプシェはこんなにも成長していたのだ。
自分が足踏みをしている間に、ずっと先を歩くようになっていた。
今からでも間に合うだろうか?
もう一度この少女と並んで歩くことが僕にできるだろうか?
………いや、できるできないじゃない。
こんなにもどうしようもない指導者である自分を信じていると言ってくれたラプシェに、今ここで応えることが出来なければ、自分には指導者としての資格もゲーマーとしての資格すらもないだろう。
SAIは心を決めた。
スマホを手に取りソファーから立ち上がる。
腹に力を入れて宣言した。
「分かった。ビーストと戦おう! 遅くなったがイベントに参加するぞラプシェ!
その瞬間少女の顔に今までで一番の喜色が広がった。
満面の笑顔で大きくうなずく。
「はいマスター!!」
そんな自らのニューマイドに今度はSAIが胸を叩いて見せた。
「任せておけ! 絶対にお前を死なせたりしないぞ!」
「はい!」
ラプシェは嬉しそうだった。
きっと怖さもあるだろう。
だが自分が死ぬようなことにはならないと、SAIに全幅の信頼を置いているのだ。
「あ、でも………」
そんな彼女の顔がふと曇る。
「ん? なんだ?」
「もうイベントの残り日数はほとんどないですよね? ビーストを倒せるでしょうか?」
「ふっ! それも任せておけ」
不敵に微笑むとSAIはテーブルに放ってあった財布から銀色のカードを取り出した。
「私にはこれがある」
ラプシェは両手をパン! と合わせるとぴょんと跳ねた。
「魔法のカードですね!」
金髪の美青年はにっと笑いながら無言で首肯した。
「覚悟しておけよラプシェ。これから忙しくなるぞ!」
対する少女ニューマイドもおのれの指導者そっくりの不敵な笑みを浮かべた。
「望むところです!」
そしてSAIとラプシェ、二人のビーストハントがようやく始まった。
SAI&ラプシェ組イベント復帰おめでとう~ヾ(≧∇≦)/
というわけで死と生SAIラプシェ編をお送りしました
読者の方から最近SAI存在感ないよねとか、いつ復帰するんですか? とかいろいろご心配をいただいていたんですが、やっとですね!
作者的にも35話で復帰するで~、などと言うわけにもいかずモヤモヤしていたんですが、今は非常にスッキリした気分ですw
これからSAI&ラプシェ組の巻き返しなるか?!
皆様暖かい目で見守ってやってくださいねd(*^v^*)b




