第31話 その一刀にすべてをかけて
モフリンは撤退タブに指を当てようとした。
しかし。
「待ってください!」
今まで聞いたことがないようなナギの切迫した叫びに動きを止める。
「私はまだやれます! モフリン様戦わせてください!」
「ナギ………」
モフリンは静かに首を横に振った。
「もう無理だよ。ナギはあと一回あいつの攻撃が当たったら死んじゃう。撤退するよ」
「承服できません! やらせてください! もうメンタルゲージはいっぱいまで溜まっているはず! EXスキルならやつを討ち取れます!」
………確かに、ビーストのHPはもうほとんど残ってないように見える。
ナギが苦労してここまで削ったのだ。
そしてナギのEXスキルならギリギリ削り切れるかもしれない。
すでにナギの瞳はあの紅い輝きを放っていない。
おそらくだがユニークスキル『心眼』はもう効果を失っている。
そんななかビーストの攻撃をかいくぐりながら、通常攻撃を何回も当ててやつのHPを削り切るよりは、EXスキルの一撃に賭ける方が可能性はあるかもしれない。
だがそれもあくまでギリギリだ。
そしてEXスキルには硬直時間もある。
それはあまりに危険すぎる賭けだった。
「ナギ諦めよう。そんなに無理しなくてもいいんだよ?」
モフリンは手を変え優しい声音で説得しようとしたが、黒髪褐色肌の青年は頑迷に首を横に振った。
「この機会を逃せばビーストを倒すことはもうできないでしょう。私は今ここで奴を倒します」
そのあまりに頑固な物言いに、さすがのモフリンもムッとする。
「撤退するって言ってるでしょ?! どうして言うこと聞いてくれないの?!」
モフリンの頬は紅潮し眉は吊り上がっている。
本気で怒っているのだ。
普段は温和な彼女の激しい怒気に、周囲の仲間は成り行きをハラハラと見守るのみ。
「………ここでビーストを倒すことが出来なければ、我々はビーストを倒した他の組に大きく差をつけられることになります。それでは駄目なのです!」
ナギも真っ向から反論する。
「どうして?! なんで駄目なの?! 差をつけられたっていいじゃない! ゲームなんだから楽しめればいいでしょ?!」
「!」
モフリンの言葉にナギは唇を噛んだ。
「私は………!」
激情のあまりか言葉に詰まる。
改めて口を開いたナギの瞳には、理解されない悲しみと強い想いがこもっていた。
「私は一番になりたいのです! ランキングを駆け上がり、SOHウォーズを制し、一番に! そして私は人間になりあなたとの約束を叶えたい! それだけが私の唯一の望みなのです!」
「………!」
雷に打たれたようだった。
約束とは以前に話したお姫様抱っこのことだろう。
それを叶えるためにナギは今まで戦ってきたというのか。
モフリンにとっては冗談半分だったあの言葉。
そんなことのためにあれほど必死にビーストを倒そうとしていたのか。
主君と頭を垂れる自分に逆らってまで。
………いやきっと違う。
彼にとっては『そんなこと』ではなかったのだ。
この世界に生まれて間もない彼にとってあのモフリンとの約束は生まれて初めての約束。
きっとそれは彼女が思うよりずっと彼にとって重く大切なものだったのだ。
それが今モフリンにもようやく分かった。
胸が熱くなる。
嬉しいのか、それとも他の感情なのか。
モフリンには分からなかったが、彼の想いを知って今ようやくモフリンは最近すれ違いを感じていた彼と繋がった気がした。
そこにもう隔たりは無く。
だからこそ彼女にはもうナギにかける言葉は一つしか残されていなかった。
「戦おう」
「モフリンさん?!」
アルパカが驚きの声を上げる。
いったいモフリンはどうしたというのか、アルパカは理解不能という顔で呆気に取られている。
「やめておいた方が良い! 危険すぎる!」
新が焦って止めようとする。
しかし少女の意思はもう固まっているようだった。
キッとVRグラスに映るビーストを睨んで言う。
「戦おう。そして一番を目指そうナギ!」
「はい!」
喜色にあふれた顔で答えたナギがゆっくりと刀を顔の横に構える。
刺突を放つための構えだ。
それは防御を捨てた背水の技。
この一撃で勝負を決めるという覚悟の表れだった。
「『一刀入魂』」
ナギが静かに呟き、刀が青いオーラをまとう。
それはナギの覚悟のほどを示すように強い輝きを放つ。
呼応するようにビーストが咆哮。
ドスドスと地響きを立てながら突っ込んでくる。
その巨体が放つ圧力はまるで壁のごとし。
しかし彼は真っ向怪物と対峙し、刀を構えたまま小揺るぎもしない。
そしてついにビーストがその鋭い爪を振るおうとした瞬間。
ナギの姿が消失。
いやそう錯覚するほどの、それはすさまじいまでの速度の踏み込み。
「『鬼神撃!!』」
ナギの全てを込めた刺突がまるで閃光のように工場の空気を引き裂き、ビーストの胸に吸い込まれた。
『ヴオオオオオオオ?!』
根元まで埋まった刀身にビーストが体を大きくのけぞらせて絶叫。
怪物のレッドゾーンに突入していたHPゲージからはその赤い色すら消えた。
やった! 誰もがそう思って快哉を叫ぼうとした。
しかし、
『グルルルルル………』
ビーストは田中戦の時の様に消えることはなく、体を再び起こした。
「うそ?!」
モフリンの愕然とした声。
その彼女の目の前でビーストの青黒い毛皮に覆われた拳が握られ、腕や肩の筋肉が隆起する。
自分に刃を突き立てている青年を睨むその目は憎しみに満ちているように見えた。
「撤退! 撤退しなきゃ!!」
モフリンは慌てて撤退タブに指をかざした。
躊躇なくタップする。
しかし何故かタブが反応しない。
「え? え?! ウソウソウソ!!!」
何度もタップするが結果は同じ。
ナギは戦闘から離脱できない。
ビーストの無慈悲な拳が叩きつけられる。
「ナギ避けてええええええええ!!!!!!」
モフリンの絶叫。
しかしナギはEXスキルの技後硬直により動くことができない。
拳が青年をとらえた。
ナギはまるで冗談のように高々と舞い上がり、そして床に叩きつけられる。
「いやあああああああ――――――――――――――――――!!!!」
廃工場にモフリンの悲鳴が響き渡った。




