第7話 廃工場
日曜日。新は家からほど近いある場所に向かっていた。
時々道の端に寄り、スマホを取り出して確認しながら歩を進めていく。
歩きスマホしないところが、生真面目なこの青年らしい。
スマホの画面ではSOHが起動しており、近所の簡単な地図が表示されていた。
その中のある場所に赤いマークがある。
ここにビーストがいるはずだった。
運営が告知していた臨時バトルエリアがそこにあるのだ。
だが新は複雑な心境だった。
「………なあハル。ほんとにイベントに参加してよかったのか?」
思わずニューマノイドチャットウインドウの少女に問いかけると、彼女は呆れたようにため息をついて見せた。
「あんたそれ何度目よ? 昨日言ったでしょ、とりあえず参加してみないと分からないって。本格的に参加するかどうかは、今日一度ビーストとかいうのと戦ってみてそれから決めたらいいわ」
それに、とハルは続ける。
「死ぬって言われてもいまいちピンと来ないのよね」
思案するように視線を遠くにやって、胸元の髪をくりくりといじりながら、
「確かに今の自分が消えちゃうのは嫌だとは思うけど、そもそも死ぬ………自分が永遠に消えちゃうってのがよく分からないのよ」
困惑したように彼女は頭をひねっている。
ハルは自分が死ぬということ、つまり死という概念自体が上手く理解できないらしい。
それも当然のことかもしれない。
ハルはゲームキャラクターでいわゆる生物ではないのだから。
「あんたは死ぬってことがどういうことか分かる?」
酷く純粋な口調でハルは新に問うてきた。
う!、と新は言葉に詰まる。
死というものをどうやってゲームキャラクターであるハルに伝えたものか分からない。
新にとって生きていればいずれ死ぬということは当たり前のこと。
改めて説明しろと言われてもなかなか言葉にできるものではない。
「………難しい問題だな。俺たち人間にとっては意識が消滅するということかな?」
新は自信なさげに答えた。
そんな彼にハルは「ふーん………」と納得いってなさそうな顔。
「じゃあ意識って何?」
「ぐっ!」
今度こそ詰んだ。
ハルの子供のような素朴な疑問に新は完全に追い詰められた。
哲学者にも生物学者にも科学者にも、この問いに対する完全な答えを持っている者はいないだろう。
「………すまん。分からん」
そんなことも分からないの? と言われるかと思ったが、ハルは「そうなの」と呟いただけだった。
「あんたにも分からないことがあるのね」
新は苦笑する。
ハルは自分のことをそんなに物知りだと思っていたのだろうか。
その割にはよく馬鹿呼ばわりしてくるのだが。
「俺は何も知らないよ。知らないことだらけだ」
ちょっと自嘲気味に言うとハルはスマホの中からまっすぐな瞳で新を見つめてきた。
「それでもあたしよりはたくさんのことを知ってるわ」
ハルは目を閉じて歌うように言葉を紡ぐ。
「日差しの温もり、太陽のまぶしさ、たくさんの色、たくさんの音、そしてラーメンの味」
最後で新はこけそうになる。
「ラーメンの味いい~?!」
語尾上がりで繰り返すと、ハルは心外だというように眉を吊り上げ腰に手を当てて身を乗り出した。
「だってあんたいつも食べてるじゃない! なんか『ずず~!!』とか音させて! 気になって仕方ないのよ!」
まあ確かに新は夕飯時にインスタントラーメンをすすりながらよくハルと話をしたりするが。
「なんだハル食べたかったのか?」
にやにや笑いながら聞くとハルはプイッと顔をそらした。
「別に! 食べたくなんかないわよ!! 食事とか別に興味ないし!」
いや絶対興味あるだろう。
さっきラーメンの味って言ってたし。
だが新はそこに突っ込まず「はいはい分かった分かった」というにとどめておく。
あんまりいじるとこの気難しいニューマノイドが機嫌を損ねるのは分かり切っているからだ。
まあでもそうだな。
新は「絶対あんた分かってないわよね?!」と詰め寄ってくるハルをいなしながらこう思う。
そのうちこいつにもラーメンを食わせてやりたいな、と。
・・・・・・・・・・
「ふうむ。ここか?」
到着した場所を前に新は腕組をして首を傾げる。
スマホを確認してみるがビーストの位置はここであっているはずだった。
だが、
「ここ廃工場だよな。ほんとにこんなとこに臨時バトルエリアがあるのか?」
フェンス越しに朽ちた工場とその敷地を覗き込みながら、新は確信が持てずうろうろする。
そうやっているうちに入り口らしいスライド式引き戸と呼ばれるタイプの門扉がある場所を発見した。
学校の敷地入り口などによくある、あのデカくて横長で手動で引いて開け閉めするやつだ。
そしてそこには警備員らしき制服を着た男性が立っていた。
男性は新を見つけると丁寧な口調で話しかけてきた。
「SOHプレイヤーの方ですか?」
「あ、はい」
「では、SOHのスタート画面を見せていただけますか? それが通行証代わりになりますので」
「分かりました」
新はポケットからスマホを出すと、言われたとおりの画面を警備員に見せた。
警備員はそれを一瞥すると、「はい結構です」と軽い調子でうなずき、手のひらで敷地内を示してくれた。
「ではどうぞ。今日も何人かのプレイヤーの方がおられますよ」
「あ、ありがとうございます」
事前情報まで教えてくれた警備員に礼を言いながら、新は開け放たれたままの門扉を通過し、敷地に入っていく。
「なんか警備員とか警察官と話すのって緊張するなあ………」
独り言を呟きながら敷地を見渡す。
だいたい敷地面積は緑風公園の10倍くらいか。なかなか広い。
そこここでVRグラスをかけスマホを片手にニューマノイドと会話しているプレイヤーもいた。
そして一番目を引くのはやはり敷地の大半を占める廃工場だ。
大きさは一般的な学校の体育館より少し大きい程度か。
ガラスが無くなって窓が素通しになっていたり、不法侵入したヤンキーが書いたのか外壁の波板に意味不明な文字らしきものが書いてあったりするが、作りはまだまだしっかりしていて倒壊しそうな気配は全くない。
廃棄されてまだ2、3年というところだろう。
こんなところをSOH運営は借りたのか?
他にも臨時バトルエリアはあるようだし、だとしたらSOH運営の資金力は相当なものなのかもしれない。
そんなことを考えながら新は工場の入り口をくぐった。
そこは思っていたより綺麗に片付いていた。
工場の半分くらいは、埃が積もっているものの、コンクリートの床に大きなゴミなどもなく広々とした空間が広がっている。
まあそれも当然だろう。ここで事故など起こせば、このご時世SOHを作っている会社自体が潰れかねない。
危なそうなものはどけてあるのだろう。
その開けた空間には、SOHプレイヤーらしき人間が10数人いて「いけ!」とか「くそっ!」とか呟きながらすでにバトルをしているようだ。
残り半分の空間には、デカい機械のようなものや、壊れたフォークリフト等が雰囲気作りのためか、はたまた別の理由があるのか放置されていた。
そのあたりはあの工事現場などでよく見かける黄と黒の立ち入り禁止コーンバーでプレイヤーが近づかないように仕切られている。
そしてコーンバーで立ち入りを制限されている場所はもう一か所あった。
工場のほぼ真ん中あたり。
ぽつんとコーンバーで四方を囲まれたポイントがある。
好奇心に駆られて新が近づいてのぞいてみると、そこには深い穴があった。
4m四方の程度の穴が床に空いているのだ。
深さも2、3メートルぐらいはある。
なにか工場に必要な穴なのだろうが、用途は分からない。
よく見ると底面の壁にさらに穴が空いていたので、廃水か何かをどこかに流すための穴なのかもしれない。
これは結構危ないな。近づかないようにしよう、と新は肝に銘じた。
落ちても死ぬということはないだろうが、足をくじくぐらいはしそうだ。
「さてと」
工場の探索に満足した新は、穴から離れVRグラスとワイヤレスイヤホンを装着する。
しばしの間があってスマホとVRグラスのリンクが確立すると、『バトルエリアに到着しました。バトルフィールドをダウンロードしますか?』というメッセージがグラスに浮かび上がったので、YESを選択する。
緑風公園で初めてバトルした時もこういうのあったなと思い返しながらしばし待つと、ダウンロード画面から切り替わり『バトルフィールドのダウンロードが完了しました』と再びメッセージ。
そして新の眼前で今までリアルの風景だった工場内が3Dグラフィックで構成された、VR空間に変わっていく。
工場内の形に大きな変化はないが、先ほどまであった黄と黒のコーンバーが無くなっていた。
他にも放置されたベルトコンベヤーらしきものが雑然と散らばっている。
簡単に言うと広場と障害物エリアが一つのバトルフィールドにある感じだ。
あの障害物は戦闘に使えそうだな、などと考える新の前で、ハルもその姿を現した。
工場の素通しの窓から差し込む光に照らされて、ハルのウェーブがかかった髪がキラキラと輝いていた。
そして、
「!」
「あれは………!」
新とハルの体に同時に緊張が走った。
コーンバーが無くなった穴の前。
少しずつその巨体が構成され姿を現していく。
三角にとがった耳。
金色に光る鋭い眼。
前に突き出た大きな口。その端からは鋭い牙がのぞく。
狼の顔だった。
そして体は太い縄を束ねたような狂暴な筋肉をまとった人間の体。
腕などハルの腰ほどもある。
粗末なズボンから伸びる足、その太ももはさらにごつい。
その全てが青黒い剛毛に覆われていた。
人の形をした狼。
人狼がそこにいた。
ついに姿を現した敵、人狼!
ハルはこの凶悪な姿の敵とこれから戦うことになります
果たしてどんな戦いになるのか、人狼の力は?!
次回もお楽しみに!




