第1話 サービス開始
とある休日。野上新は、時間を気にしながら街を歩いていた。
手にはスマホ。画面には仰々しいフォントで書かれたタイトル。そしてその下にはスタートボタンの表示と、ただ今準備中の文字があった。
今日は前々から新が楽しみにしていた、アプリゲームのサービス開始日なのだ。
そのゲームの名は『シンギュラリティー・オブ・ハーツ』。
新興ながら各方面から著名なクリエイターを招いたゲーム会社が、莫大な開発資金をかけて、総力を挙げ制作。ツイッターやそのほか有名SNSでも大規模な広告を打った期待の超大型アプリゲームだ。
「そろそろ時間か………」
新は呟き肩掛けバッグからプラスチックのケースを取り出す。
パカリと開いた中から現れたのは、真新しいVRグラスだった。
この日のために新調したウェアラブルデバイスを、新はそれはもう嬉しそうにニマニマしながら顔にかけケースを仕舞う。
少し前までのVR機器といえば、ヘッドマウントタイプの大げさなものが多かったが、近年では小型化が進んで、普通の眼鏡とほぼ変わらないサイズのものが主流になっていた。
わずかに通常の眼鏡と違う部分といえば重量が少し重いことと、起動とシャットダウンのための感圧式スイッチがついていることぐらいだ。
「君!」
VRグラスを起動しようとした新に突然厳しい声が掛けられた。彼は一瞬びくっとして振り返る。
そこにいたのは青い制服を着た警察官。難しい顔でこちらを見ていた。
「VRグラスは一般道での使用は禁止だよ」
「あ、すみません」
新は素直に謝って顔からVRグラスを外した。
VR機器の小型化が進みVRグラスが爆発的な普及を遂げた昨今。
視界の一部を遮断する仮想映像を見たまま公道を歩いたり、自転車に乗ったり、果ては自動車を運転したりといった危険行為が急速に増えた。
特にその普及期においてVRグラス着用者の死亡事故が相次いだため、現在VRグラスは私有地や警察に特別の許可を得た場所以外での使用は禁じられているのだ。
ちなみに違反すると罰金を取られる。
さらにたちの悪い違反の場合は、刑事罰が適用されることもある。
少なくとも新のようにうっかりと警官のいる場所でVRグラスを使用したりすれば罰金は免れないところだ。
しかし新は今回運が良かった。
「まだ起動してなかったみたいだから今回は注意だけにしておくよ。今度から気を付けてね」
新を呼び止めた恰幅のいい男性中年警官は、鷹揚な性格だったらしく何やら手帳に書き込みながらも新を見逃してくれるようだった。
「はい。気を付けます」
新もほっと胸をなでおろしながらぺこりと頭を下げておく。
足早に警官が立ち去るのを見送りながら思わず頭をかく。
こんなとこで注意されてしまうとは、ちょっと気が早っていたようだ。
自分で思うよりこのゲームのサービス開始を楽しみにしていたのかもしれない。
なにしろ今までやったことのないタイプのゲームなのだ。
新はそんなことを思いながら歩き出す。目的地は近くの繁華街に面した通り。
今日はそこが歩行者天国になっているはずだった。
・・・・・・・・・・
歩行者天国に着いた。
普段は車が行きかっている一方通行の道路に車両通行禁止の標識が置かれ、そこから先が歩行者天国になっている。
今日は日曜ということもあって子供連れや若いカップルが多いようだ。
歩行者天国の両側は、洋服店、ファミレス、雑貨店、コンビニ、文房具店、金物屋など雑多な店が軒を連ねている。
子供連れやカップルの目当てはそれらだろう。
しかし新の目的は違う。
店には目もくれず彼はVRグラスを装着する。
両耳にはワイヤレスイヤホンを突っ込んで準備完了だ。
この歩行者天国ではVRグラスの装着も許可されているので、警官の眼を気にする必要もない。
手元のスマートフォンのシンギュラリティー・オブ・ハーツのタイトル画面ではサービス開始のカウントダウンが始まっていた。何気に凝っている。
顔に掛けたものの、まだ起動していないVRグラス越しに周りを見てみると、新の他にもVRグラスを掛けてスマホを覗き込んでいる人間がかなりの数居た。
他のゲームや何かをプレイしてる可能性もあるが、シンギュラリティー・オブ・ハーツのプレイヤーになる予定の人たちかも知れない。
ともかく新はゲームタイトルの下部にある機能設定タブをタップした。
ゲームを始める前にウェラブルデバイスとスマホをリンクさせておかないといけない。
まずVRグラスの感圧スイッチに触れ電源をONにする。ワイヤレスイヤホンはすでにONにしているので問題ない。
続いて設定画面のウェアラブルデバイスの設定を開き、VRグラスとワイヤレスイヤホンのリンクをON。
しばしの時を経てスマホの画面に『ウェラブルデバイスとの同期を確認しました』というメッセージが表示された。
これで設定は終了だ。
音量などの細かい設定はゲームを始めてからでいいだろう。
各種設定を終えてタイトルに戻ると、カウントダウンはちょうど10秒前になっていた。
いよいよだ。
新は軽く胸を高鳴らせながらその時を待つ。
五秒前。
4 3 2 1
0!
カウントダウン終了とほぼ同時に新はスタートタブをタップした。
さあ、ゲームの開始だ。
まずはサービス開始です 新がゲームをするためにわざわざ外出しているのには訳があります その訳は二話以降で