第11話 七花
「………さん」
誰かが自分を呼んでいる。
新はそれを認識していたが、目を開けようとはしなかった。
眠いのだ。
昨夜はハルのマイルームを設定してSOHを終えたあと、別のアプリゲームをずっとやっていて、結局夜中の一時まで起きていた。
「新さん!」
今度は体を揺すぶられる。
新はうっとおしそうに寝返りを打ち、枕に顔を押しつけてまだ起きようとしない。
うつ伏せの態勢で抵抗を試みる。
「むう~~~!!」
そこで相手がキレた。
「新さんってば!!」
「ふぐっ?!」
いきなり背中にどしっと衝撃。
さらに相手は新の背中でどっすんどっすんと飛び跳ねる。
馬乗り状態。尻で腹の裏あたりを連続で圧迫される。
「新さん! 新さーーーん! 朝だよ! 起きようよ!!」
これには新もたまらない。
「ふぐっ、ぐほっ! 起き、起きるから!! やっ、やめ………、ぐほお!!」
背中のあたりでメキリと破滅の音がした。
こうして新は清々しい朝を腰の痛みとともに迎えることになったのである。
・・・・・・・・・・
目の前に和の空間が広がっていた。
朝の襲撃者を交えた朝食の席のことである。
焼き鮭、豆腐とわかめの味噌汁、きゅうりの漬物。
今時珍しいかも知れない純和風御膳に新は舌鼓を打っていた。
「どう新さん? おいしい?」
新の部屋の唯一の机。
四角い折り畳み式ちゃぶ台の向かいの席に座って、どこか不安げに問いかける、白い襟に灰色のラインが入ったセーラー服を着た少女。
「ふまい!」
ほかほかの白米を頬張ったまま新が答えると、彼女は花が咲いたように満面の笑みを浮かべた。
彼女の名は本宮七花。
新の歳の離れた従妹で中学二年生。
そんな彼女は、少しでも暇を見つけると、こうして独り暮らしの新に食事を作りに来てくれるありがたい存在だった。
特に今日のような日曜は、所属する陸上部の朝練に行く前に必ずと言っていいほど朝食を作ってくれていた。
というのも、初めての一人暮らしを心配した新の母が、近くに住む親戚でこのアパートのオーナーでもある七花の母に、
『息子をどうぞよろしく。たまには様子を見てやってほしい。あの子は家事ができないから心配で………』
と頼み、それを真に受けた七花の母は、料理ができる七花を新のお世話係に任命したためであるらしい。
おかげで新は従妹が作ったまともな食事にありつくことが出来ている。
「お昼はおにぎり握っておいたから食べてね」
ニコニコしながら冷蔵庫を指差す七花に新は頷き、「ありがとう助かるよ」と素直に礼を言う。
七花はさらに嬉しそうに目を細めたが、不意にその大きな瞳を丸くした。
そして突然ちゃぶ台に手をついて身を乗り出し、新に体を近づけてくる。
その拍子に重力によって胸が下方向に垂れ下がり、セーラー服の胸元が大きく開いてしまう。
そこから覗いたのは、中学生とは思えない深い谷間。
七花は陸上部の練習をしているため、顔や手足は少し陽に焼けているのだが、練習の時もユニフォームに守られているその部分は、抜けるような白さを保っていた。
新の目にはその白さと日焼けの対比が妙に生々しく見え、しかし何故か目を逸らすことはできず硬直。
そんな新に気づかないまま七花はさらに身を乗り出し、そして彼に手を伸ばす。
「な、なっ………」
声にならない声が新の口から漏れ、しかし七花の手は新の唇の少し下あたりに触って、あっさり離れていく。
七花自身も体を戻し、そしてその細い指には白い飯粒がついていた。
「もう、どこで食べてるの? 子供みたいだよ?」
七花は苦笑しつつも微笑ましそうに言って、飯粒をそのままぱくりと食べてしまう。
「~~~~~~~~~~~~~~~」
新は思わず顔を覆って項垂れた。
「どしたの? おなか痛い?」と従妹が気を遣ってくれるが顔を上げることもできない。
その腹の中にぐるぐると渦巻くのは羞恥と自己嫌悪。
ああ。俺ってやつは、こともあろうに中学生のしかも従妹の胸を見てドギマギしちまうとは。
女っ気がない生活を送っているのは確かだが、あまりにも情けない。
罪悪感で七花の顔をまともに見れない。
「大丈夫。ちょっと己の人生について考えてるだけだから。気にしないでくれ………」
掠れた声でそういうのが精いっぱいの新。
七花は事情が全く分かっていない様子だったが、
「ま、まあ大人になると色々あるよね! ドンマイだよ新さん! 人生トライアンドエラーだよ!!」
と、むしろ励ましてくれた。
新は消えてしまいたくなった。
もう、ほんとうに、すみません………。
・・・・・・・・・・
練習に向かう七花を玄関まで見送り、新は身なりを整えて外出する。
今日は朝からバイトが入っているのだ。
昨日の晩スマゲーをやっているときにバイト先の店長から連絡が届いて、急遽シフトに入ることになった。
めんどくさいなあ、だるいなあと思いながらバイト先のファミレスに向かい、午後二時ごろまで働いてタイムカードを押す。
なんだか中途半端な時間なのは、新が代わる前のアルバイト君の仕様らしい。
バイトを終えた新はいったん家まで戻り、七花が作りおいてくれたおにぎりを昼食にする。
おかか、鮭フレーク、シーチキンのマヨネーズ和え。
ちょっと魚に偏っているが、新の好みに合致しつつバラエティーに富んだおにぎりは新を十分満足させた。
そして新はいきなり暇になった。
「緑風公園行くか………」
呟き、財布と鍵とVRグラスとワイヤレスイヤホンとスマホを持ち、再び外出。
新は今日もSOHをプレイするつもりだった。
SAIがいてくれればいいが、と昨日一戦交えた金髪グラサン男子を思い浮かべながら、歩行者天国を抜け、公園に向かうと、
「お!」
「………おお!」
件の青年を発見。
今日もSOHプレイヤーが集まっているらしい緑風公園のベンチに座り、どこか所在無げにしていたSAI。
新を見つけると嬉しそうに白い歯を見せて片手を上げて挨拶してくれた。
新としてもこのような反応は嬉しく、自身も顔がほころぶのを感じながら彼と同様片手を上げて返礼する。
「今日も来てるんですね。SOH………ですよね?」
「ああ、もちろんだ。早くプレイしたくて朝から来てしまったよ」
「朝から………」
新はSAIの言葉に眉尻を下げた。
「じゃあもうHP残ってないですよね。俺とは対戦できないかあ………」
残念そうな新の様子にSAIはどこか気まずげに目を逸らした。
そしてぽしょりと呟いた。
「いや満タンなんだ………」
「え?」
意味が分からず問い返す新に、SAIは昨日と同じ銀色の十字架付きのジャケットの肩を心なしか小さく狭めながら応えた。
「HP満タンなんだ。朝から来たものの、何か他のプレイヤーと波長が合わないというか遠巻きにされているというかこっちからは話しかけづらいというかなんというか………」
だんだん声まで小さくなっていくSAI。
新は察した。
要は朝から来たけどSAIはまだ誰とも対戦できていないのだ。
というか対戦しようと誘うことすらできていないご様子。
内気すぎるだろう。
さらにロックな外見が他のプレイヤーからのお誘いをシャットアウトしてしまっているというのもあるかも知れない。
しかしそれは新にとって悪い話ではなかった。
むしろ少しでも知り合ったプレイヤーと対戦できるのはありがたい。
新も決して社交的なタイプではないのだ。
「じゃあ今日も俺と対戦しますか!」
なるべく軽く聞こえるようにそう言うと、SAIの顔が輝いた。
「ああ! そうだなそれがいい!!」
言い回しは偉そうだったがそう答える彼はとても嬉しそうだった。
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新の歳の離れた従妹七花登場です 今回はイラスト付きでお送りしました
次回はSOHのもう一つのバトルモードが描かれます いったいどんな戦いかお楽しみに!




