パペット暴走~二話
「いずれ沈みゆく泥舟……その根拠はなんだろうね?」
ポウラモさんは反芻するように呟き、カップを口に運ぶ。次にテーブルに置かれたそれから、やたらと軽い音がした。
「おかわりは」
と訪ねた美羽に、ポウラモさんは少し迷ってからこう答えた。
「君のコーヒーはとても美味しいね。もしかしてその子も上手だったりするのかな」
その視線は、美羽の後ろに張り付いている結衣に注がれる。
その答えの正しいところは「うちはインスタントだから、誰が入れても変わらない」だが、ポウラモさんの言葉の真意を掴めないほど、空気が読めない美羽では無い。
「なら、この子に入れさせます」
そう言ってカップを下げ、由衣を連れて部屋を出る美羽。扉が閉められた事を確認してから、父さんはひとつため息を吐いた。
「うちの娘に、ああいう気遣いは不要だ」
「戦争の話だからね。私が聞かせたく無かったんだ」
「出来た天使のようだな」
「産まれて永いからね。……彼女達が帰ってくる前に、話を聞きたい所だね」
「まぁ、そうだな」
そんなやり取りを挟んで、父さんは口早に自論を語った。
「イーギス地区は新しい天使が十五年も作られておらず、パペットも最低限しか所持していない。ここから推察出来る選択肢は二つ。ひとつは、そうなるほどの何かを生み出した、もしくは作ろうとしている」
天使もパペットも神によって作られる。でも、神も無限になんでも作れるんけじゃない。人間から集めた『信仰』を、『神核』という神の心臓みたいな所を通して『神気』という力に変える。人間で言うとご飯を食べて消化器を通してエネルギーにするみたいな感じだ。
その神気で奇跡を起こしたり、パペットを作ったりするのだけれど、天使に関しては少し違う。神自身の神核を削り、その欠片を分け与えて天使にするのだ。
だから、作り過ぎたら神様自身が大変な目に遭う。
「二つ目は、神イーギスの神核になんらかの衰えが発生した場合だ」
神に寿命は無いが不老不死では無い。だからこそ、神に衰え。というと、いくつか思い当たる。
ひとつは純粋に、信仰の消失による神核の劣化。誰にも信じられない神は、神のままではあれない。
ひとつは病気や呪い。人間のような風邪とは違うが、神にも病気がある。
あとは、僕に思い付くのは『戦闘による負傷』か。
「これがどちらか、というのは、現段階では断言出来ない。それは、他の神達にも言える事だろう」
「そうだね。その二つに絞るまでなら、私達でも出来たね」
「だからこそ、ダレアは『今』攻めるしか無かった」
ポウラモさんの相槌にすぐさま追記する父さん。でも、僕が若干遅れを取った。
「どうして『今』である必要が?」
父さんは答える。
「ダレアが考えうるイーギスの現状はおそらく三つのパターンがあった。一、十五年間パペットも天使も作れないほどの何かを作り隠しているイーギス。二、現在それを作っているイーギス。三、力を失い何も出来なくなっているイーギス、だ」
その三つを思い浮かべてようやく気付く。
「一なら危険だから放置出来ない。二なら危険だから止めなければならない。三なら──誰かに取られる前に自分達が侵略したい。っていうこと?」
「そうだ」
言われれば確かにそうだ。逆に攻めない理由が見当たらない。
「とはいえダレアも小国だ。イーギスが衰えていたにせよ、苦戦は免れないであろう事は察知出来た。だからこそ」
父さんはそこで口を止め、ポウラモさんを見た。続きを言ってみろ、と命じるような。尋問というよりも、話に着いて来れているかを確認する教師みたいな感じだ。師範代として多くの弟子を取っている父さんは、強面のくせにこういう所を自然と気遣う。
ポウラモさんは答えた。
「パペットによる戦力増強は必須だろうね。そして、少しばかり付け焼き刃が過ぎたんだね」
父さんは頷く。
「そうやって産まれた出来損ないの乱造品は、雑な作りに従いバグを起こした。俺の息子が天使かどうかも判別出来ないほどのバグだ。相当、数で圧倒したかったんだろう」
数で圧倒、という言葉に違和感が生じる。
イーギスには天使が二人しか居ない。嫌でも数で圧倒出来てしまいそうだ。
「二人を相手に数で圧倒って……ダレア地区は天使の質に自信が無いの?」
素直に聞いてみると、それに応えたのはポウラモさんだった。
「天使にもね、向き不向きや善し悪しがあるからね。自信、自惚れ、自尊心だけではどうしようも無い物もあるんだろうね」
はっきりしない物言い。結局ダレアの天使ではイーギスに勝てないのだから、同じことに思える。
「はっきり言えるのはその辺までだな」
と、父さんは言う。
「えっと、つまり?」
なんとなく理解出来ている気はするが、如何せん気がするだけでは人は間違える。確定でないなら確認を。三条家の鉄則だ。
「適当に作ったから適当に動いたパペットがお前に襲い掛かった。以上だ」
成程。適当だがわかりやすい説明だった。
「暴走する個体を八体もなんてね。酷いもんだね」
「八体だけなら良いんだがな」
「……どういう事だろうね」
「そのまんまの意味だ。──おそらく八体では済まない」
「有り得ない!」「それって!」
僕とポウラモさんが同時に立ち上がる。二人が立ち上がるもんだから、お互いに見合う事になって、何を言うまでもなく冷静さを取り戻して、座り直す。
「避難勧告は既に解かれているのは、誰もが知っているよね? 放たれたパペットが残っている状態でなんて、あまり現実味が無いね」
どこか毒々しく、疑いを露わにしたポウラモさん。しかし、その疑いが誰に向けられたものなのかは、解らなかった。
「断言出来んからここまでだ。が、いずれ解る。遠からずな」
父さんの言葉の、その意味を推し量るような沈黙。少ししてから、扉が二回ノックされる。
父さんがポウラモさんを見て、ポウラモさんが頷いてから、入れと父さんが命じる。しかしここは僕の部屋だ。
入ってきたのは、コーヒーカップが乗ったトレーを持つ、美羽一人。由衣は一緒では無かった。
「邪魔かと思って」
気持ちは解るが酷い言い草である。
「…………」
こう言ってはなんだが、僕は察しは良いほうだ。自意識過剰気味ですらあると思う。コーヒーを置いて、空気に慣れたのか僕の隣に座る美羽。
逆に、僕は慌てて立ち上がった。
「もしかして……さっき『無茶させても平気か』って確認してたのは……」
外れてくれていれば嬉しいのに、如何せんこの予想に外れる道理が無い。
「俺の予想が正しければ、数日中だろう。……気遣い不要とは思うが、続きが知りたければ俺達を監視しておけ。夢幻のポウラモならば、誰にも悟られないくらいお手の物だろう」
「明らかに買いかぶりだけどね……。でもそうだね、その予想がもし当たっていたら君達は非常に危険で、特に……カナエくん、だったかな。狙われるかもしれないからね。隣の地区の天使だけど、気にかけさせてもらうよ」
そうして、ポウラモさんはコーヒーをしっかり飲み干し、我が家を後にした。
一難去ってまた一難。あまりにもあんまりな一難ではあるものの、投げ出せるものでも無い。
「善は急げ。……朝食後では吐くようなメニューを用意してある。食べれなくなるまでしごくぞ」
そう言って立ち上がる父さんと、続く美羽。スパルタは善では無いと思う。
「ちょっと待って、二人とも」
僕も同じように立ち上がって、しかし歩き出さず、二人と顔を合わせる。
僕はひとつ、気付いた事があったのだ。
「……ちょっと先に、トイレ」
寝起きにコーヒー二杯も飲むもんじゃなかった。ほんとに。
父さんは決まりきった真顔のまま答えた。
「そんなもんは汗に変えろ」
命からがらパペットから逃げ仰せた僕は、もしかしたら身内に殺されるのかもしれない。
「冗談だ」
頬が引き攣ってしまった僕にため息を吐き、父さんは言う。
「しばらく眠ってなまっているだろう。朝食前に身体ほぐす程度だ。さっさと行ってこい」
「ん。わかった」
部屋を出てすぐ。でも、トイレに行く前に、部屋の前で立ちぼうけしていた結衣とぶつかりそうになる。
「おっと。ごめん、大丈夫?」
ぶつかってはいないが目線を合わせて頭を撫でる。由衣は遠慮がちに身をすくませて、抱き抱えていたぬいぐるみを前に出す。
「これ……ありがとう、カナエさん……」
その言葉に、嬉しさと、ほんのちょっとの哀しさが混じって、返答に困ってしまった。何か気の利いた事が言えたら良かったけど、そんな空気では無い。
「うん。どういたしまして」
撫でていた頭をポンと二度叩く。そのまますれ違って、トイレに向かう。
「ま、そりゃそうだよね」
独りごちてため息を吐く。
ちゃんと家族になれたら、なんていうのは、押し付けがましくて自分から言えない。それは多分、三条家の誰もが思っていることで………。
弁えるべきなのは解ってるけど、命を賭けても兄と呼ばれないのは、少し、少しだけ、堪えるものがあった。