パペット暴走~一話
神と神が争いを始めて、それが当たり前となってからずっと後に僕の物心は芽生えたため、平和だった頃は~なんて賢しらぶった言い方は出来ないけれど、神の戦争のせいで大きく困っている人間、というのは、実はそんなに居ない。と、僕は思っている。戦争がある時と無い時の違いが解らないのでなんとも言えないから、じゃあ何も言うなと言われたらそれまで。
あえて賢く言うなら、ファウニーウォーというやつだ。
戦争特需というものがあり、戦いの真っ最中であっても、同盟国や近隣国であったとしても、直接戦うわけでないものには関係なく、それどころか色々な事情があって経済が上がる、という現象が、世界史に学ぶ第一次~第三次世界大戦までで発生していた。
そういうのと同じで、神様達は勝手に戦争をしているだけでなく、人間に恩恵を与えている。
人間社会でも地区長を決めるのに選挙を行い、公約を立てて人気を上げ、票をかき集めて代表となる。これを神様に置き換えると、選挙が戦争で、恩恵を与える事で信仰を集めて、その信仰を力として戦争に勝つ、というような具合になっている。神様は自身の支配地区からの信仰しか集められないようになっているらしいので、皆強くなるため領土拡大を狙う。
領土を拡大したところで信仰を集められなければ力にならない。そうなると近隣の神様に負けて領土を奪われる。だから恩恵や天使を使って、人間にそれなりの生活を与える。
まるでゲームのようだが、神様は事実、大規模なゲームをしているのだ。
この世界を丸々使った贅沢なゲーム。
人類の信仰という景品を賭けて、全てを巻き込んだ我儘な勝負ごっこを。
「だからね? 困るんだよね? 君みたいに勝手をされるとさ」
「……あ、はい」
だから僕は現在、天使による説教を受けていた。
立派な白髭を蓄え、窪みの奥で輝く瞳はどこまでも深い蒼。入れ墨なのではと疑いたくなるほど造形美を感じさせるシワ。天使っていうかもうお前が神様なんじゃぇねの? と聞きたくなるような、そういう立派な天使に。
「いや解る。解るんだよ? 私も人間と共に暮らして百五十年。この名もなき大戦が始まった頃からずうっと人間を見てきたから、君たちの言いたい事ははっきり解る。すなわち『俺たちにも武勲を寄越せ』だろう?」
「いや全然違うんですけど……」
思ったこともない。
僕が気絶して、その後、目覚めたら自室の天井が見えて、数秒硬直した後に、ああ、今回の小競り合いは終わって避難勧告も解けて、誰かしらに運ばれて自室に寝かされてるんだなぁ、なら戦いの結果はどうなったのかなぁ、なんて考えながら身体を起こしたら、こいつが目の前に居た。そして怒涛の説教である。
「これでもね? 神様達は反省しているんだ。大戦初期にね、ルールも無く戦争し人間達を巻き込んだせいで、人口はとても減った。信仰も比例してどころかね、ほとんど無くなったよね? だってねぇ、人間殺しすぎたしね。だから絶対神達がルールを定めて下さったんだね。そうやって神様達が被害を出さないようにしてるのにね。避難勧告無視なんて頂けないねぇ」
……話し方がうざい……。
「ポウラモ様、彼、寝起きですので。とりあえずそこまでにしてくれますか」
ひげ面天使の後ろから声がする。どこか棘のある口調だが、僕はそれが不機嫌なのではなくデフォルトなのだと知っている。
「ああ、妹御だね。すまないね、確かにそうだ」
ひげ面が右に避けると、僕の妹達が居た。
一人は同い年の妹。ショートカットと鋭い目つき。一見するとモデル体型だが胸まで鋭い直線が特徴。もう一人はその後ろに隠れつつも腰元から顔を出している、育ち盛りのちょっとぷにっとした真ん丸おめ目の幼女だ。
「兄に目覚めのコーヒーと、ポウラモ様にもお茶を」
色々鋭いほうの妹が、手に持っていたトレーからコップをふたつ、部屋の小さなテーブルに置く。
「おお、すまないね、気を遣わせたね」
老いた天使は快活に微笑むと、テーブルの前で片膝を立てて座り、コーヒーを啜る。僕もベッドから身体を起こし、ベッドに腰掛ける。
その際に身体に不自由は無かった。怪我は完治しているようだ。元々大した怪我では無かったのか。それともどこかの天使が治してくれたのか。
「ありがとう、美羽。状況って聞いても良い? どうしてこの方がここに?」
この方、と言っても、僕はこの天使と顔見知りなわけではない。ただ、僕らが生活しているイーギス地区には天使が二人しか居ない。そして二人とも女性だ。だからこんなおっさん——もとい渋い天使は、他の地区の天使ということになる。
美羽は極めて事務的な口調で答える。
「ポウラモ様はグルスト地区の天使様。今回守護天使としてグルストから出向して下さってた」
「ああ、それで」
守護天使、とは、神同士の争いに人間を巻き込まないようにするため、避難地区を護衛する天使の事だ。多くの場合神様達は自分達の戦いに必死だから、人間を守る余裕は無い。そのために結ばれたルールとして、義務付けられているシステムだ。
ようは、近くの地区から天使を借りて、人間を守らせるということである。
「そうだね。私は君達を守護するため、グルストからわざわざ来ていたんだね。だというのに驚いたよね? 避難を終えているはずの場所で、避難してない子が居たなんて」
「う……すみません……」
目覚めのコーヒーを飲みたいのに、口を付ける前に説教が再開されてしまった。
「人間を巻き込まないようにして作られたルールだっていうのにね。肝心の人間のほうがルールを破って守れない所に行ってしまうなんてね、無い話だと思うんだよね」
「はい。無い、ですね」
ぐうの音も出ない。
「だいたいだねぇ」
「あ、あの」
老いた天使が構わず続けようとしたところで、美羽の後ろに隠れていた幼女が一歩前に出た。
由衣。僕らの末っ子。一番新しい家族だ。
「わたしの、ため、なんです。わたしの……えと、ぬいぐるみを……ごめんなさい」
「由衣……」
子供ながらに要領を得ない言い草で、多分何も伝わらなかったと思うけれど、少なくとも僕にとっては嬉しい擁護だった。由衣の腕には、先日僕が守ったぬいぐるみが抱かれている。
とはいえ要領を得ないものは要領を得ない。伝わらないのであれば、この天使には意味が無い。
「私には解るんだよね。確かに人間は、時に命よりも物を大切にする時があるよね。でも、そのぬいぐるみは、命を投げ打ってでも守るべきものだったのかね」
それはそうだ。天使の言い分が正しい。ただのぬいぐるみであれば、そんな価値は無い。
でも、僕達にとってはそうじゃない。
「このぬいぐるみは、この子の家族の遺品なんです」
答えられない由衣の代わりに美羽が言った。
それだけで、経験豊富な天使は色々悟ったらしい。一旦は部屋を見回して、成程ね、と呟いてから、ひとつ、咳払いをした。
「孤児院という事情を含まない言い分だったのは認めるけどね、それでも、私の言いたい事は変わらないね。神様と違って人間がいずれ必ず死ぬ命である以上、未来より大切な過去なんてね、ひとつもないと思うんだよね」
その言葉には、流石に何も言えない。というか僕はさっきから何も言えていないんだけどね……。
そうやって重くなった部屋の空気を変えたのも、重くした張本人だった。
「なんにせよ、命は大事にって事だね。今後はこんな無謀な事はしないように。あとね、君の命を救ったのはイーギス地区の天使、セイラだね。会った時はお礼を言うようにね」
セイラ。セイラさん。セイラさん?
「あの能天気天使がですか?」
「君は天使への敬意が足りないようだね」
いや、確かにちゃんと会った事もない天使に対して酷い言い草だとは思う。
そもそも天使と人に接点は無いのが普通なのだけれど、関係性で言うなら一般人とアイドルのそれに近い。人間は天使を一方的に知っているし、一方的に情報も入ってくる。
僕らが暮らすイーギス地区の天使はセイラさんとフローラさんの二人。戦争に関する情報はあまり入ってこないので戦闘については詳しく知らないけれど、天使は戦うだけのものではない。神様が人間の信仰を集めるため、奉仕活動みたいな事も天使にさせていたりする。
その上で、イーギス地区においては全てがフローラさんに支えられていると言っても過言ではない。
「何やっても空回り。奉仕活動が爆死活動。とまで揶揄されているセイラさんですよ? その天使があんな絶好な危機的状況に丁度駆け付けられるなんて思えないんですけど」
「確かに彼女の爆死活動は有名だけどね?」
有名なんですね。隣の地区にも響き渡っているのか、彼女のおっちょこちょいは。
しかしそこでふと、トレーを抱き抱えている美羽が神妙な面持ちで言った。
「でも確かに、愛想が無くて色気が無い。フローラルじゃない事に定評があるフローラさんよりは、助けてくれそうな感じはあります」
「確かに」
言われてみればそうなんだけど、色気の無さなら美羽も負けてないよ? ぺったんこの胸とか。言ったら殺されるから言わないけど。
「イーギス地区の信仰はどうなってるんだろうね? 天使の扱いがね? 変だよね?」
ため息を吐くポウラモさん。物心着いた時からイーギス地区の人間なので解らないけれど、変なのだろうか。
事務的な奉仕活動を完璧に、機械的に卒なくこなす天使フローラ。しかし彼女は笑わないという。僕も二人の天使を実際に見たことは一度しかないけれど、翼が着いているにも関わらず何もない所で転んで、そのくせに何故か楽しそうに笑っているセイラさんと、常時むっつり顔のフローラさんしか見た事がなく、噂や写真で見聞した通りだなという印象しか無かった。
「あの、ポウラモさん」
ふと、美羽が一歩前に出て尋ねた。
「質問なら座るといいかもね。ここは君達の家で、私がお邪魔している立場なんだからね」
言われてみれば尤もな事を言われ、美羽はその場に正座する。そこでようやく僕も腰がけていたベッドから立ち上がって移動し、テーブルの前に座ってコーヒーカップに口をつけた。ふぅ、染み渡る……。
「それで、なんだろうね」
ワンアクション挟んだせいで切り出しにくくなっていた美羽に話を促すポウラモさん。その物腰の柔らかさは天使というより、近所のおじいさんみたいだった。
「うちの鼎……兄は、攻撃を受けた形跡がありました。どういうことなんでしょうか」
それは責めるような口調ではあったけれど、攻撃的なのは美羽のデフォルトだ。別に害意は無いだろう。でも、眉を潜めたポウラモさんを見て、補足しなければ、と思った。
「そうなんです。僕は流れ弾じゃなくて、実際にパペットに追い回されました。人間に危害を加えようと明確な意思を持って動くパペットなんて、今まで聞いた事がありません」
そう付け足すと、ポウラモさんの表情はさらに曇った。コーヒーで口を濯ぐようにして間を置いてなお、言葉は紡がれない。
「暴走だろう」
部屋の入り口から、心臓を圧迫するような低い声が襲い掛かる。
ただ喋るだけで威圧するような存在感を放てる人間なんて、僕は一人しか居ない。
「……父さん」
入口を見ると、歴戦の傭兵ですと言われたほうがよっぽど納得出来るのに、その実態は孤児院の院長であり道場の師範代という色々盛りすぎな存在である僕の父が立っていた。
「お初にお目に掛かる。グルストの筆頭天使、夢幻のポウラモ氏とお見受けする。俺はそいつの父親、三条武人だ」
……ん?
父さんは機嫌が悪いのか、普段から威圧的なのに、いつにも増して怖い。
というか、なんかすごいワードが聞こえた気がするんだけど……。
「パペットに襲われて、天使が助けに来るまで逃げていたなんてセイラ君から聞いて驚いてたんだけどね、成程ね。そういう事だね。三条武人のところの子だったんだね」
ポウラモさんは不敵とも妖艶とも言える不可解な笑みを浮かべてそう言う。
この状況……胃に悪いです。
「お父さん。暴走って?」
美羽が聞くと、父さんはテーブルの前まで移動し、ポウラモさんの前で仁王立ち。
「その説明より先に、言うべきことがある」
そう言いながら父さんはポウラモさんを見下ろし、数秒が経過した。
誰かが息を呑んだ。僕かもしれない。美羽かもしれない。でも知っている人間なら誰でも緊張する。何故なら目前に居るのは絶対的な力を持つ天使であり、父さんは大の天使嫌いなのだ。
老いた天使といかつい父さんが睨み合い、そのまま静止する時間。
そして。
「この度はご足労頂き、感謝する。我が不肖の息子の保護。並びに治癒には、重ねて感謝を」
父さんは土下座した。
途端に、自分が置かれている状況に気付く。
それはそうだ。パペットに背中を思いっきり攻撃されて、動けなくなるほどのダメージを受けて、今は何も痛みがありませんなんて、それこそ無い話。それこそ、超常的な力で治癒されなければあり得ない事だ。
「あ、ありがとうございます!」
僕も慌ててカップを置いて頭を下げる。でも仕方ないじゃないか。言われなきゃ、気絶してた時の事なんて解らない。目の前の天使が治癒してくれたんだ、なんて、解るわけがない。
「構わないからね、皆、頭を上げてね」
お、怒ってない……。手のひら返しと言われようが構わない。なんて立派な天使様なんだ。
「まず確認したいんだが」
と、頭を上げて早速、父さんは切り出す。
「夢幻のポウラモによる治療、という事は、完全な治癒ではなく、なんらかの誤認を引き起こしての治癒と考えるべきだろうか」
「流石の慧眼、天界にも名を轟かすだけのことはあるね。その通り。彼——鼎くんと言ったかな。彼の脳に身体ダメージを誤認させ、元々ある治癒力を強制的に引き上げて傷を癒した。その治癒の代償に一週間は動けなくなるのが本当だけど、そこも身体に誤認してもらってね。治癒に使われた一週間分の疲労を誤魔化して、一か月に引き伸ばしてるんだね」
「つまり、一月は無理をしないほうが良いと?」
「大丈夫だよ、体力の分割払いをさせてるだけだから、変な利子は無い。普段より体力切れは早くなるけどね、体力切れまでは無理しても平気だね」
「ありがたい」
難しくて、というより、話が非現実的過ぎて、理解しているのがその通りなのか自信が無い。
「それで、三条武人。君は今回のダレアが放ったパペットについて、理解しているようだね?」
ダレア。それは、僕等が住むイーギス地区を収める神、イーギス(地区名は基本的にそのまま神の名を流用される)と争っている神の名だ。ダレアが宣戦布告し、イーギスが応じ、ポウラモさんが居るグルストから守護天使が貸し出されていたというのが、今の構図である。
「察しは着いている。しかし、ポウラモ氏。貴殿は守護天使として派遣された立場と言えども部外者。この情報をタダで明け渡すわけにはいかない」
「ちょ、父さん!?」
僕の命の恩人である天使に交換条件なんて、少しばかり不遜が過ぎるのでは!?
「鼎を救った事の恩返しとして受け取って頂けるならば、この考察を聞いても良いというのはどうだ」
「…………」
厚顔不遜極まれり。これが僕の父さんなのである。
しかし
「うん、とても良いね」
ポウラモさんはむしろ嬉しそうだった。
「元々何かを請求するつもりは無かったからね。それで私から言いにくい事を君が言ってくれるなら、大助かりだね」
大人な二人が大人なやり取りで話を着けた中、僕達子供は置いてけぼりだ。美羽と顔を合わせるが、美羽も表情をしかめさせている。由衣なんて目を回している。
「それで、お父さん。暴走って?」
美羽が話を促すと、父さんは当然のように、簡単そうに答えた。
「今回イーギスに宣戦布告を仕掛けたダレアは、遠からず沈む泥船だという事だ」