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神層戦域にて徒花は踊る  作者: 不破来兎
1/3

戦争

 ああ、まぁ、誰が悪いのかと言われれば間違いなく僕が悪い。


 遥か昔の教えでは、神は人の行いを見ており、悪行には処罰を与えたとか。


 それで言うならば、考えられる僕の悪行は『自分は運が悪いという事を考慮していなかった』という点で、処罰とは――化け物との命懸けの鬼ごっこをしているこの現状だろうか。


 全てのシャッターが降りた商店街。人も物も撤去されているため走りやすく、だからこそ逃げにくい場所。後ろから響くいくつもの地鳴り。足元の集中を欠けばそれだけで横転してしまいそうな振動が絶えず続き、その足音と脅迫じみた咆哮に、耳の感覚がおかしくなっていく。


 距離がまだいくらかある事は、くどいくらいの足音で十分解る。逃走ルートも計算したおかげで、影は前に伸びている。つまり何か飛んできたら影で解るようにしてあるから、その点は大丈夫だ。


 しかし。


「はぁっ! はぁあ!」


 問題なのは体力だ。呼吸も絶え絶え。心臓は今にも張り裂けんばかりに悲鳴を上げている。おまけに脚も力が入らなくなってきた。鍛錬を怠った覚えは無いが、もう少し死ぬ気で取り組んでいれば良かったと、後悔してもしきれない。


 足元を見る。


 振り返る余裕は無いが、その陰で、化け物が少しずつ近づいているのが解った。走る速度が落ちている。かれこれ何分も全力疾走しているのだから、当然だ。


 だからといって諦めるわけにはいかない。今僕が死んだらどうなる? そんなものは想像に難くない。


 ——化け物に踏みつぶされてなおうさぎのぬいぐるみを手放さなかった、恥ずかしい高校生男子の死体がひとつ出来上がる。以上。


 しかも住民は皆避難を終えている。街に化け物が来ることは事前に解っていたことで、逃げ遅れるなんてありえない事。


 そんな恥ずかしい死に際を迎えるために、今まで僕は鍛錬をしてきたのか? そんなわけがない。妹が大事にじているぬいぐるみを落としたと泣いて、かっこつけて余裕ぶって「僕が取ってくるよ」と言って、周りの静止も聞かずに避難所から飛び出してきたのが事の始まり。


 今更の言い訳だが、それでも大丈夫なはずだった。こんな事になるわけがなかったのだ。


 なにせここは地上。本来なら後ろの化け物達が降りてくるはずの無い場所で、僕は人間。その化け物達が襲い掛かる対象ではないのだ。


『対天使兵器パペット』


 それが奴らの名前で、人間に危害を加えるためのものなんかじゃない。人間が避難しているのは彼らに襲われないためではなく、戦争の流れ弾を受けないためでしかないのだ。


 だというのに。


 途端に、目の前が暗くなった。一瞬何が起きたのか解らず混乱しかけたが、濃い影が僕の真後ろに迫ったのだと気付き、尽き欠けの体力を振り絞って横に飛ぶ。そのすぐ後に、さっきまで僕が居た直線上のコンクリートに、巨大な鉄の塊が突き刺さる。


 飛び散ったコンクリ―トの破片が横殴りに僕を襲い、腕でガードするもバランスを崩す。倒れそうになり、それでも踏ん張り、けれども確かに落ちた走るペースと近づいている後方の影に、直線での逃走は続行不可能と悟る。


 かなり危険だが、店と店の間の細い道、裏路地と呼ぶのもの心もとないそこへ飛び込む。


 日頃から品行方正に生きている僕は、残念ながらこんな道に詳しくはない。メインストリートから外れてしまえば、地元であってもそこは異郷。進む先は袋小路かもしれないし、なにより——


 がしゃん、と、車と車が正面からぶつかりあったような音が後ろから響く。化け物の代わりに、隣の建物に入ったヒビがすぐ真横まで追いついてきた。


 これだ。


 こういう道の狭さに、通れない化け物が取る手段なんてひとつしかない。すなわち、建物ごとの破壊。


 人間同士であれば脳みそ筋肉かよと揶揄してやるところだが、如何せん相手は何を考えてるか解らない化け物。それもバグを起こした兵器だ。最も単純な行動でこそ自然と言える。


 木の枝でもへし折るかのように容易く、建物が破壊されていく。音だけでも解るというのに、ご丁寧にガラガラと崩れるその衝撃が、静電気のように背中をひりつかせてくるのだから、現実を見るしかない。


 足首にコンクリートの破片がぶつかる。靴の踵に何かがのっかり、脱げそうにもなった。それでもひたすら走り、目前に迫った出口。


 微かな希望に浮かびかけた笑み。しかし、それをあざ笑うかのように、呼吸を停止させる圧迫感と、鈍い音と、痛みと呼ぶにはあまりに強烈な感覚が背中を襲って、次の瞬間には、僕の身体は宙に舞っていた。


「かはっ」


 遅れてやってきたこみ上げるような吐き気。さっきまで出口だったはずの場所を通り過ぎ、道ひとつ超えた先の建物にぶつかる。


 辛うじて受け身は取れた。受け身? 話を盛るな。上半身を犠牲にするか腕を犠牲にするかの違いでしか無かった。


 鍛錬で父さんや道場の皆に散々しごかれて、痛みには慣れているはずだ、それでもなお想像を絶する痛みに、思考が上手く働かない。


 すぐに動かなければいけないのは解っている。なのに、痛みを訴えるだけで動こうとしない背中と、痙攣を起こす無能な腕とでは、逃走なんてできるわけがない。


「なんていうか、こう……」


 うわ言のように呟きながら、朧げな脚で立ち上がり、振り返る。


「……もう少し、現実的な感じで頼むよ……こういう展開は」


 そんなバカげたコメントが漏れるのも許してほしい。


 何故なら見据えたその先居るのは化け物なのだ。


 人が作り上げた建物を容易く粉砕する鉄みたいな甲殻。


 腕の一本が細身の男のそれと同じ太さで、その全長は一番小さい個体で五メートルを越す。


 六本脚の蜘蛛のような見た目をした、天使を殺すための兵器。


 ——それが六体。


 一体は建物の瓦礫から這い出てきて、後ろにもう一体続いている。


 隣の建物から、他の四体が降りてくる。


 逃げる体力も健全さも失われた。それだけならやりようはあったかもしれないが、ついでに囲まれた。


 さらに留めなのが、手元にうさぎのぬいぐるみが無いことか。


 背中を殴られた衝撃で手放してしまったらしい。目的のそれは、今は残念ながら化け物との距離のほうが近かった。


「あーあ」


 深呼吸をひとつ吐く。嘘。今のはため息だ。


 勝ち目なんてない。僕はただの人なのだ。あるはずがない。経験豊富な傭兵なんかでは断じてない。一般的な高校生だ。ただひとつ普通じゃないのは、僕が孤児で、拾われた先が道場で、めちゃくちゃ強い人がめちゃくちゃ強い人間を育てるためにめちゃくちゃな鍛錬を積ませる阿保みたいな所だったってことくらい。


 それでも。


 相手は天使を殺すための兵器で。


 天使っていうのは人間が触れることさえ出来ない強さを誇る存在で、神々の武器であり傑作達であり、同時に他の神を殺すための災害なのだ。神に守られ、祈りを捧げるためだけに保護されているだけの人間がどうこう出来るものなんかじゃ無い。


 それでも。


 僕達は生きている。生きているからには、必ず死ぬ。死ぬという事はお別れもある。もっと言うなら僕は孤児で、僕の家族も全員が孤児で、普通の人生では絶対に経験しないようなお別れを、皆がしている。


『お母さんのぬいぐるみが……無くなっちゃった』


 そう言って泣きじゃくる妹の顔を思い出す。一番新しい家族。末っ子だ。母親が最後にくれたぬいぐるみ。家族を失って、全部失って、たったひとつ残った家族が居た証。ボロボロで、大人になれば恥ずかしくなっていずれ棄ててしまうようなものだとしても、あのぬいぐるみはそういう大切な物なんだ。


 だから。


 勝ち目が無かろうと、相手が絶対的な存在であろうと、化け物がそのぬいぐるみを踏みつけたなら、ブチギレテ挑むのが兄の勤めだ。


「その足をどけろ! 化け物!!」


 人間は、神々に保護されるだけの矮小な存在にすぎない。


 御伽噺の魔法も超能力も、ついぞ開拓する事が出来なかった。


 それでもたったひとつだけ、小石を投げる程度の僅かな抵抗かもしれないが、ひとつだけ力を得た。


 それがあれば、あのぬいぐるみを取り戻すだけの事は、もしかしたら——そんな淡い期待を抱いて踏み出した脚は、しかし。


 突如吹き荒んだ強風に煽られ、停止し、浮き上がり、ついには身体ごと宙に浮いた。


 脳裏を過ぎったのは、竜巻に巻き込まれて飛び回る看板、という映像だ。多分僕は、今頃あんな感じになっている。


 遠くから「きゃーーーー」と甲高くて能天気な悲鳴が聞こえた。悲鳴を上げたいのは僕だ。だが、強風のおかげで化け物からの追撃はなく、しかも化け物の足元にあったぬいぐるみが、僕の近くへ遠くへと飛び回る。


 目も回る。僕も回る。世界の全てが回っているような気がしてくる。それでも水中でもがくようにして、ぬいぐるみへ手を伸ばす。僕の家族が大切にしていた、前の家族との思い出。これだけでも守り抜く。


 そうして伸ばした手が、ようやくぬいぐるみを掴んだ、その時。今度は僕が何かによって掴まれた。


 鉄の蜘蛛ではない。とても柔らかい何かに包まれる。掴まれたのではない。抱き抱えられたのだ。


 何に? 目が回り、至る所の痛みと吐き気で朦朧とする中、目を細める。


 金色の何かが見えた。髪だろうか。靡いているように見える。そう言えばさっきから飛んでいるような気がする。抱き抱えられたまま飛んでいる? そんなことも確定できないくらいに不確かな意識なのが恥ずかしい。けれど、両手でしっかりと抱き抱えたぬいぐるみの感触だけはしっかりと確かめる。


「どうしてこんなところに……っ!?」


 僕を抱き抱え飛翔するそれは言った。気がした。耳も不確かだ。


 ああ、今。今気絶する。もう無理、手放そう。意識を手放そう。


 なんとか保とうとしていたはずの正気を諦める。


 なにせもう大丈夫なのだ。


 人一人抱えて、しかも飛べて喋れて、なんて。そんな存在他に無い。


 僕は、天使に助けられたのだ。 

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