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あなたにspark joy  作者: 友崎沙咲
vol.4
6/8

恋を諦めて

****


その後のふたり飲み会で、南ちゃんは烈火のごとく怒った。


「殺す!前田は殺す!」

「まあまあ、南ちゃん」

「前田はどう見てもただの変態だよね!?同じキスでも篠宮さんとはわけが違う!」


こ、声がでかい!

私はキスという単語がやたらと気になり、久し振りに来た焼鳥屋『げんどり』の中を見回した。

そんな私にまるで気付かず怒り続ける南ちゃんは、さっき頼んだばかりのビールジョッキを空にして吐き捨てるように言った。


「突然のキスっつーのはだなぁ、イケメンがやって許される事であって、ただの気持ち悪いオッサンがやっていいことじゃないわよ!たっちゃん、お代わり!」


バイトの達也くんが手を上げたのを確認してから私は南ちゃんの手にトントンと触れた。


「……南ちゃん、前田さんは多分篠宮さんと同い年……」

「同い年でも顔の造作がまるで違うじゃないの!あと、内面の規模もな!」

「もういいんだ。思い出すのも嫌だし、社長が厳重注意してくれたみたいだし」


「多分、アイツは第二工場行き決定だね。第二工場は男ばっかで発情しても無駄だしな!それに測定者入れたいって工場長が言ってたし。本社には海江田さんがいるから平気だし。あの人マルチだから」

「……」

「それはそうと、どうするの?」


どうするのとは、篠宮さんへの私の気持ちの事だ。


「……どうって……どうもしないよ。てか、どうも出来ない」

「なんで?」

「なんでって……怖いから?」

「何故に疑問形?」

「それはその……」


私は以前高広から言われた言葉を、南ちゃんに伝えた。

案の定、南ちゃんは渋い顔をした。


「はー?『 好きって感情』が抜け落ちてる人種?たとえ抱き合ったって絶対心までは許さない人間って…… そんなのどうして高広君が知ってるのよ。イトコだからって分からないでしょ、そんなの」

「なにかあったのかなぁ」


悩む私の前で、南ちゃんは首を振った。


「高広君て真優とヨリを戻したいんでしょ?で、篠宮さんをライバル視してるなら真優の気持ちが篠宮さんに向くのを阻止するように仕向けるくらいの事はするんじゃないの?」

「それってつまり……嘘?」


南ちゃんがツクネの串をグイッと引きながら頷いた。


「その可能性は大いにあるし、試す価値も大いにあるな」

「試す価値?」


南ちゃんは真顔で私を見た。


「篠宮さんて、多分モテると思うんだよね。真優が飲み会で出会ったみたいに、彼がいつ他の女子と出逢っちゃうか分かんないんだよ?ボケッとしてたら誰かのものになっちゃうんだよ。それにさ」


南ちゃんはここで一旦言葉を切って声のトーンを下げるとニヤリとした。


「もう子供じゃないんだから、大人の恋愛楽しまなきゃね」


大人の恋愛を楽しむ……。


「で、高広君の言葉を確かめるためにも抱き合ってみな!」

「えっ!」

「いやいや、子供じゃないんだからいいじゃん」


ゴクリと生唾を飲んだ私を見て、南ちゃんは一瞬固まったけど、気を取り直したようにこう言ってほほえんだ。

大人の恋愛かあ……。

私は篠宮さんを思い浮かべながら、二杯目のビールを引き寄せた。


***


三時間後。


「うわっ!」


駅の階段につまづき、勢いよく前のめりになった私の足音に、隣を歩いていた男性が驚いて身体をビクリと震わせた。


「す、すみません……」


足元をちらりと見た後、何事もなかったように歩幅を広げて去っていく男性の後ろ姿を見つめて、思わず私は首をかしげた。

……飲みすぎたってほどじゃないと思うけど……。


その時、篠宮さんと同じ香りがした。

慌てて辺りを見回したけど私を追い越していく人々の中に彼はいなくて、登り終えた階段の脇で私は足を止めた。


巻き起こる風を受け、思わず車道に顔を向ける。

飛び込んできたのは、行き交う車のヘッドライトとテールランプ。

たちまち篠宮さんの車で送ってもらった記憶が蘇る。

二人だけの、暖かくて薄暗い車内。運転をする篠宮さんの横顔。


……あの時も、前田さんから助けてもらったんだ。

怖い前田さんから遠ざけてくれて、柔らかい眼差しで私を見つめた篠宮さん。

もう心配ないって言いながら、私を腕の中で安心してさせてくれて……。

……会いたい。

……篠宮さんに会いたい、今。


気がつけば私は、ホームへと引き返していた。

会えるかどうかわからないけど、会いたい。すごく会いたい。

篠宮さんの自宅の場所は覚えている。

私は最寄り駅で降りると足早に彼の家へと向かった。


時間も時間だし、顔を見たらすぐに帰ろう。

でも、会えたとしたら何て言おう。

夜に押し掛けた私を見て、彼に迷惑そうにされたら?

そしたら……偶然を装って……。


私は歩きながら少しだけ首を振った。

いや。……ごまかしたくない。顔が見たかったって、正直に言おう。

私は空を仰いで大きく深呼吸をすると、篠宮さんの家へと歩き続けた。


あの角を左に曲がると、見えてくる。

篠宮さんの住むマンションはエントランスの照明がとてもお洒落で、私には分からないけれど有名な建築家が手掛けたんじゃないだろうかと思ってしまうデザインだ。


手前から続く幻想的なオレンジ色の灯りが、私の胸を踊らせる。

会いたい。篠宮さんに。

ドキドキとはやる胸を押さえて、私はゆっくりとその角を曲がった。


あ……。

その時、偶然にも篠宮さんの背中が見えて、私はフワリと身体が浮くような感覚がした。

少し遠かったけど、街灯が明るかったから篠宮さんだとすぐに分かった。

嬉しくて、私は早足で近づくと彼に声をかけた。


「こんばんは」

「……!」


今まで他人に声をかけて、こんなに後悔した日はない。


私は、篠宮さんの背中に回る華奢な腕を見落としていたのだ。

彼のライトベージュのコートに回る、佐伯さんの腕を。


ドキンと強く心臓が脈打ち、全身が凍りついたように冷たくなって、私はその場に立ち尽くした。

私を見つけた佐伯さんの眼に、たちまち敵意という名の光が浮かび上がる。


「何しに来たのよ」

「麻耶」


麻耶!

心臓をグシャリと握り潰されたらこんな痛みなんだろうか。

篠宮さんの口から、佐伯さんの下の名前が自然に出た事による衝撃。

麻耶……。


呆然とする私の前で、篠宮さんが佐伯さんの腕を掴んだ。

佐伯さんはそれを解かれまいと身をよじった。


「麻耶、いい加減に、」

「いやよ、慶太」


目眩がしてよろけそうになるのを、必死で抑えた。

もう、声を出す余裕なんてなかった。

消えたい。早くここから立ち去りたい。

私は何も言えずに踵を返すと、元来た道を駆け出した。


走った為に鼓動が激しいのか、抱き合うふたりを見てしまったからなのか。

いや、後者だ、分かってる。

止まることなく走り続けたいのに、息が上がって苦しい。

私はやむなく走るのをやめた。早く、早く帰りたい。


私は駅へ向かわず、大通りからタクシーを拾った。

乗り込んで行き先を告げると、何度も大きく深呼吸をして息を整えようと試みる。

後部座席に座るとようやく全身の力が抜けた。

その途端にさっきの光景が眼に浮かび、私は唇を噛みしめた。


なんてバカなんだろう、私は。

篠宮さんと佐伯さんは別れていて、もうふたりには何もないと勝手に思い込んでいた。

佐伯さんに対する篠宮さんの態度を見て、勝手にふたりの仲の終わりを判断していたバカな私。

……恥ずかしい。


自分の浅はかさと浮かれた心がどうしようもなく恥ずかしくて、私は胸が焼けつくように苦しかった。

それから気づいた。私、期待してたんだ。

少し位は好かれているかもって。


初対面のあの日、噴水の中でされたキスや彼の家に泊まった事。

前田さんから助けてもらった事だってそうだ。

知らず知らずのうちに、私は期待していたのだ。


バカだ、本当にバカだ。

情けなくて恥ずかしくて、明日からどんな風に二人の顔を見ればいいのかわからない。


タクシーを降りて部屋に駆け込むと、私はそのままリビングまで歩き、ペタンと床に座り込んだ。

自分の幼さに、嫌気がさした。


****


シャワーを浴び、酔いが覚めたのをいいことに、私は冷蔵庫の缶ビールに手を伸ばした。

眠れないのは嫌だったから。

でも結局深夜になっても眠れず、明け方になってようやく放置していたスマホに手を伸ばした。


篠宮さんからの連絡は何もなかった。

それが、私に対する篠宮さんの感情の表れだと思うしかなかった。

白々と明け始めた日の光が、徐々に部屋を明るく変えていく。


私はゆっくりとベッドから起き上がるとバスルームへと向かった。

鏡を覗き込んで少し拍子抜けして、私は自分の頬を両手で包み込んだ。


……もっとヒドイ顔を想像していたのに……大した事ない。

多少の浮腫みはあるものの、眼も腫れてないし顔色も悪くない。

鏡を見ながら考える。

……好きな人に相手にされないなんて、よくある話だ。

……そうだよね。……今の段階で諦めた方がいい。

だって彼は見た目も素晴らしくて、あんな立派な会社を経営していて……。


月並みな言い方だけど、私とは釣り合わないもの。

よく考えたらひとときのトキメキを味わっただけで、浮き足立っていただけで、それが覚めただけで……。

……良かったと思おう。今の段階なら、このまま気持ちを封じ込めて何もなかった事に出来るもの。


さあ、仕事にいく支度を始めなきゃ。

佐伯さんに何を言われようが、仕事はちゃんとやりたい。

私はそのまま屈み込むと冷水で顔を洗った。


****


徐々に気持ちの整理がついてきて、電車を降りる頃にはいつも通りの自分が出来上がっていた。


「おはようございます」


自動ドアを通過し、セキュリティーゲートの手前でガードマンに頭を下げると、私はバッグの中のカードを探した。

あれ、バッグの内ポケットに入れてるのに……。

昨日走った時にシャッフルしちゃったとか?参ったな……。

一旦ゲートから離れようとしたその時、


「俺も一応カード持ってるんだ。たまにこっちから入るから。どうぞ」


後ろから篠宮さんの声がして、私は身体を斜めにそらした。

ゲートにカードをかざす篠宮さんからフワリと爽やかな香りが漂い一瞬胸がギュッとしたけど、私は彼を見上げると唇だけで微笑んだ。


「カードが見当たらなくて。すみません。ありがとうございます」


そんな私をなぜか篠宮さんが驚いたように見下ろしたけど、私はそのままゲートを通過してエスカレーターに乗ると、二階にあるエレベーターホールへと向かった。


「待って」


エスカレーターから離れて数歩歩いたところで突然腕を掴まれて、私の鼓動がドキンと跳ねた。


「……なんですか?」


自分でも驚くくらい抑揚のない声が口を突いて出た。それでも笑顔は絶やさない。

そんな私に再び篠宮さんが眼を見張った。


「昨日は……ごめん」

「いえ、こちらこそお邪魔をしてしまってすみません。靴を預かっていただいてるのを思い出したものですから」


用意していた言葉は思いの外スムーズに言えた。


「ああ……俺の方こそごめん。返すの忘れてて。もしよかったら今日家に届けるけど」

「いえ。それは申し訳ないので、近い内、出勤時に持ってきてもらえませんか?」


篠宮さんは唇を引き結んで私を見つめた。


「……分かった」

「では失礼します」


私はにっこりと微笑むと、篠宮さんに背を向けて歩き出した。


****


「……昨日の事だけど」


佐伯さんがこう切り出したのは、仕事が始まって一時間程経った頃だった。


「なんでしょう」


異様に素早い私の切り返しに、佐伯さんは素早くこちらを見た。

エクステ睫毛に飾られた美しい瞳が私を見据える。


「あなたって嘘つきね」


……嘘つき。

意表を突いた佐伯さんの発言に、今度は私が眼を見張った。


「……慶太とは無関係って言ったわよね?ならどうして昨日慶太に会いに来たのよ」


……きた。


「……靴を預かっていただいていたので、それを取りに伺ったんです」


私の言葉に佐伯さんが溜め息をついた。


「ごまかさないで。イライラする」


彼女の吐き捨てるような口調に、喉の奥がしまる。

私だって……こんなこと聞かれたくない。

でも、これ以上ごまかして、軽蔑されるのももううんざりだ。

このままじゃ佐伯さんは多分納得しないだろう。

佐伯さんの、白黒つけないと我慢ならないといったような態度に、私は観念して作業の手を止めた。


「佐伯さん。正直に言います」


もういいと思った。

嘘をついてまで守るものなんかない。

それに……佐伯さんは篠宮さんがまだ好きなのだ。


今現在の篠宮さんの気持ちは知らないけど、こんな風になるほど彼を好きな佐伯さんの前で私はもうごまかせない。

パーテーションで区切られた、佐伯さんと二人だけの空間で私は口を開いた。隣の中村さんがいない今がチャンスだ。


「佐伯さん。私、篠宮さんが好きです。昨日は顔が見たいと思って会いに行きました。でも、佐伯さんと篠宮さんの仲を邪魔する気なんてないですから安心してください。それかからこの気持ちは私の一方的な感情であって、本当に篠宮さんとは無関係なんです」


佐伯さんが驚いたように眼を見開いた。


「邪魔する気がないってどういう事?彼を好きなら、自分のものにしたいんじゃないの?」


……分からない。


「……誰かの恋人を奪うなんて、そういうのはしたこともないししたくないです。そんなことをするくらいなら、気持ちを封じ込めた方がいいし私には無理です。篠宮さんへの気持ちも、今なら諦められると思います」


佐伯さんがわずかに頬を傾けて両目を細めた。


「あなたはそれでいいの?」


コクンと頷いた私を見て、佐伯さんの眼にみるみる涙が浮かんで、それがこぼれた。


「……!」


頬を伝った涙に息を飲むと、佐伯さんが押し殺した声を出して私を睨んだ。


「最悪よ、あなたは。挑みもしないで思いを封じ込めるなんて。私がどんな気持ちで……!」


言うなり立ち上がると身を翻し、佐伯さんはパーテーションから出ていってしまった。



『最悪よ、あなたは』



私は……最悪?どうして?

奪うより、この気持ちを胸に閉じ込めた方がいいに決まってる。

なのに、どうして佐伯さんは泣くの?佐伯さんにとっても、私が篠宮さんを諦めた方が好都合じゃないの?

意味が分からない。

でも私の胸は痛くて苦しくて、どうしたらいいかわからなかった。


****


結局、佐伯さんは具合が悪いと言って早退した。


「どうせまた、お嬢様の気紛れでしょ。あんな気分屋の補佐なんて園田さんも大変よね。早く仕事覚えた方がいいわよ」


苦々しい顔でこう言った中村さんに何も言えず、私は佐伯さんの広げていた図面をファイルにしまうとデスクに戻った。

佐伯さんは……どうして泣いたんだろう。

ダメだ、仕事をしないと。

無理矢理考えないようにするのは難しくて、私は何度も溜め息をつくとその都度ギュッと眼を閉じた。


****


会社を出て駅に向かう最中で、高広から連絡が入った。


『真優?今日会えないか?飲みに行こうぜ』


明るくて爽やかな高広の声。

私は思わずフフッと笑った。


『なんだよ』

「なんか、幸せそうだなーって思ってさ」

『バカにしてんのかよ。まあいいわ。今どこ?』

「デザインタフ出て駅に向かってるとこ」

『じゃあ、SLのとこで待ってて。すぐ行くから』

「わかった」


押し殺すと決めた気持ちにしがみつくよりも、他に目を向けた方がいい。

私は高広の顔を思い浮かべながらそう思うと、仕事終わりの人の群れに紛れて駅へと向かった。


***


高広は本当にすぐに来た。


「早いじゃん!」

「この近くの取引先から直帰だから」


高広は私を見下ろすと少しだけ笑った。

それから、


「なあ、何食いたい?」

「んー」


暮れかけの空はもう暗くて、肌寒い。


「熱燗!お洒落なイタリアンとか要らないから」


私の言葉に高広がクスクスと笑った。


「別れてから思ったけど……お前、見た目と中身大分違うよな」


私は驚いて高広を見つめた。


「え?!ほんと?そうかなあ」

「ほんとだよ。外見はエアリーでラブリーな感じなのに、中身はサバサバのアッサリ。知らなかったよ」

「エアリーでラブリー?なんだそれ!あのさ、それ褒めてるの?なんか微妙だけど」


少し眉を寄せると、高広は私をチラリと見てから少し目を細めて辺りの景色を眺めた。


「褒めてるよ。凄く、褒めてる」


……なによ、今更……付き合ってた時はなんにも……。

遠くを見つめる高広を少し恨みがましく見つめると、ボスッと大きな手が私の頭に被さり、照れたような高広の声が降ってきた。


「そんなに見るな」

「だって……」

「ほら、行くぞ、熱燗呑みに!俺、刺身!」

「あはははは!こんな道端で刺身!て叫ばないでよ。まだ店じゃないっつーの!」

「プッ!それもそーだな。ほら、手、かせ」

「えー、手とか繋ぐの!?高広スーツだし、痛い大人っぽくない?」

「うるせー」


ギャーギャーと騒がしい私たち二人は、同じくらいの街の喧騒に溶け込んでいた。


****


「あのさ」

「んー?」


店を出て冷たい風に吹かれると、さっきまでの店内の暖かさが嘘みたいに思えた。

高広といるのに、篠宮さんの顔が心に浮かんだ。

ダメだ、ダメ。

ブンブンと頭を振る私を気に留めるようすもなく、高広が口を開く。


「アロワナ見たいんだけど」

「嘘つくな!アロワナに興味ないだろ!」


私が睨むと高広はテヘッと笑った。


「バレた?まだ生きてんの?」 

「生きてるよ。定期配送されてくる冷凍エビでな!」


「コーヒー淹れてよ」

「ダメ。ここで解散!」

「ちぇ。……じゃあ」


急に高広が私の腕を引き寄せた。


「真優、好きだ」


高広の両手が私の背中に回って、頬がスーツの胸に当たる。


「真優が好きだ」


……高広……。

私の髪に顔を埋めた高広の息が首筋にかかって、私は動けずに彼の声を聞いた。


「前も言ったけど、もう一度俺と付き合ってくれないか。返事が欲しい。今」


……何となく、今日再びこう言われる予感はしていた。

篠宮さんへの気持ちを諦めて、高広に目を向けようと思ったのも事実だ。

だから今日、高広の誘いを断らなかった。

でも。でも……。


「……ごめん、高広」


本当にごめん、高広。

今……私は気付いてしまった。

高広とこうしていても、ドキドキしない。

胸で何かが弾けるような、身体中からときめくような、そんなドキドキがしないんだ。


高広への気持ちは、恋じゃない。

私が恋してるのは、やっぱり……。

私はゆっくりと高広から身を起こした。


「ごめん、高広。私、高広とは付き合えない。私、篠宮さんが、」

「俺が、なに?」


後ろから低い声がして、グッと身体を引かれた。


「……!」


嘘でしょ?!

引っ張られて慌てて振り向くと、なんと源川コーポレーションの社長と篠宮さんが立っていた。


「社長と、」


篠宮さん、と言おうとした私の声は低くよく響く声にかき消された。


「秋彦悪い。俺、行くわ」

「はーい。じゃあな、慶太」

「え、わ!」


焦る私の前で、篠宮さんが更に続けた。


「高広。悪い」


言うなり私の腕を掴んだまま、篠宮さんは大股で歩き出した。

一瞬だけ高広の驚いた顔が見えたけど、高広は社長に肩を抱かれて何処かに連れ去られそうになっていた。


「ちょっと篠宮さん、待って。転んじゃう」


人並みを縫うようにしながら私を引っ張る篠宮さんに必死でそう言うと、彼はピタリと足を止めて私を見下ろした。


「…………」

「なんですか」

「話は後。タクシー拾うから取り敢えず俺の家に来て」


言いながら苛立たしげにネクタイの結び目に指を入れて、篠宮さんはそれを緩めた。


「……もしかして……怒ってます?」

「怒ってる」


一言だけそう言うと、篠宮さんは男らしい口元を引き結んだ。

それって……私が佐伯さんを泣かしちゃったからとか?……どうしよう。

私はタクシーに乗せられると、なんと言い訳するのが一番いいかを必死で考えた。

酔いも覚める程、焦っていた。

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