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男はあの日と全く変わらない。



苦虫を噛み潰したような酷いしかめっつら。その姿も表情も、あの日の記憶と寸分違わない。


薄暗い室内ではなく、明るい日の下でみる男は、鬣のような髪の毛が燃えるように輝き、あたり一面雪景色だというのに草原の王者のような風格があった。その姿に胸がツキンと痛む。


「貴様。今までどこにいた。」


相変わらず横柄なその態度に、腹のなかがムカムカとする。眉間にシワがよるのがわかる。きっとひどい顔だ。

ライオン男はすこし離れた場所だというのに、くんっと匂いを嗅いで不快そうに顔を歪ませた。

「相変わらず雄の匂いばかりつけて…この城でも雄を漁っているのか。本当にお前の性根は腐りきっているな。全く、どこまでも穢らわしい。」

吐き捨てるようにそう男は吼えた。


私はあれほど必死にここでの居場所を作ったのに、こいつはあの時と変わらぬ怒りに燃える瞳で私を貶める。


私の何も知りもしないくせに。


地響きのように低いうなり声がどこからともなく聴こえる。きっと目の前のライオン男から発されているのだろう。

「部屋で大人しく待つこともできぬとは…まったく、貴様はどこまでも私を幻滅させる。貴様のような穢れた下賤な婬売が、私の唯一なわけがない。そのような世迷い事をわずかでも口にしてみろ、貴様の頭を握り潰してやる」


怒りに猛るその瞳を見ながら、私の頭はやけに冷静だった。前はわけがわからなくて、怖くて、傷ついて…

けれど罵倒も2度目ともなると少し余裕が出てくる。このライオン男が話を聞かないのも、一方的に私に罵声をあびせかけられるのも、もう一度は体験したことだから。


俯いて理不尽な怒声が頭の上を通りすぎていくのを待つ。

私が、怒りのままに口答えしたら…このライオン男はその姿にふさわしく噛み殺したりするのだろうか?それとも腰に携えた剣で私を切り棄てるのだろうか。

そう冷静に考える私の頭の中で、理性的ではない言葉が廻る。


勝手に呼び出したくせに。

あんな部屋で何を待てというのだ。

そもそもお前なんて待つ筋合いなんてない。

下賤でもなければ汚れてもないし、穢らわしいなんてお前に言われる謂われもない。


あの日からずっと言い返したかった、沢山の言葉たちがぐるぐる、ぐるぐると頭のなかをまわる。

そして、煮詰まる怒りのままに飛び出ようとする言葉をぐっとこらえる。勝手に呼ばれて、勝手に貶されて勝手に殺されるなんて…酷すぎる。けれど、私にだって誇りがあるのだ。

男の雷のように響く唸りと蔑みの言葉が途絶えたその瞬間、顔をあげ目の前の男をにらみつける。


そして何も言い返さずに踵をかえす。


目頭が熱い。

鼻がつんとする。

振り返りなんかしなかった。一目散に走って男から遠ざかる。


あいつに涙を見られるくらいなら逃げたと思われる方がいい。


走って走って、雪にうもれるように進みながら、がむしゃらに走って、走って、走って…最後は雪に足をとられて雪の中に顔面から突っ込む。

全速力で走ったために空気がキリキリと肺を冷やして痛い。体は熱いのに指先はじんじんと凍えて、ぼろぼろと溢れる涙はお湯のように熱かった。


「ーーーーっ!!!」


泣き声はでなかった。喉が絞められたように苦しくて。年甲斐もなく真っ白な雪に顔を突っ込んで泣いた。


悔しくて悔しくて。


言い返せなかった。

なにひとつ言い返せなかった。


逃げるなんて、まるであいつのいうことが真実のようじゃないか。


もう一人の私が私を責める。


わかってる。 そんなのわかってる。

だけど苦しいんだ。


あの人に嫌われていることが哀しい。私を否定しないで、私を見て、私を…ーーー。


そうもう一人の私が泣いてるから。


私が私じゃないように相反する2つの感情に振り回される。


泣きたいのに怒りも悲しみもごちゃまぜになりすぎて、頭がぐちゃぐちゃだ。


ひゅうっと喉がなる。声にならない想いが積み重なりすぎて息が出来ない。胸が苦しい。痛くて苦しくて、それがまた涙になる。ぼろぼろぼろぼろ、出ない声の代わりに涙が雪を融かしていく。


「こんなところでひとりで声を出さずに泣かないで」


雪の中で体を丸める私を暖かなものが抱き上げる。柔らかなイキシュさんの声。ヤラールさんが誰かに声をかけている。

イキシュさんの腕の中にいる私を暖かな布で包んでくれたのはチーニで、ドアを開けてくれたのは熊の料理長。私の頭をポンと撫でてくれたのはウーフォンさん。暖かな空気とざわざわと雑多な空気。そうか、ここは兵舎内食堂だ。


いつのまにか私はここに、戻ってきていたんだ。


そう思ったら涙がとどめなく溢れだした。

「うっ…ふえっ…うえっ…うわぁぁぁーん!!!」

そして出なかった声がしだいに大きくなり、最後には子供のように声を上げて泣いてしまう。


先ほど声がでなかったことが嘘のように大きな声で。


胸の中のもやもやを洗い流すように涙は次から次へと溢れていく。

食堂の片隅でわんわんと子供のように泣いていると、食堂に来た皆が慰めの言葉を言ってくれる。

その優しさにまた涙が溢れる。


ああ、ここがわたしの居場所なんだ。

何かがすとんと落ちた気がした。

ここで私は生きていくんだ。


「いったい誰なんですかねぇ、あなたをこんなに泣かせるのは。」

イキシュさんがぐずぐずと鼻をすする私の頭を撫でながらそう言う。私はかぶりをふってその言葉に返事を返さなかった。優しいイキシュさんの人生を狂わせるようなことをしたくはなかったから。

「…なあ、お嬢ちゃん。俺は狼だから鼻がいいんだ。俺は…お嬢ちゃんを泣かした相手が判ってる。そいつがお嬢ちゃんをここに連れてきた奴なんだな?」


ヤラールさんのその言葉にドキリとした。


思わずイキシュさんの胸から顔を上げてヤラールさんを見上げるとブフッと笑われた。

「ひでぇ顔だ。」

酷い。確かに泣きすぎて目は腫れぼったくて擦りすぎた頬や鼻はひりひりと痛いけれど、そんなに笑うほどじゃない…はず。

おでこにキスを落とされると目の腫れぼったさがすっと引いていく。ひりひりとしていた頬をべろりと嘗められると傷みが和らいだ。

「簡単な治癒だ。」

「ヤラール!私の番に何をするんですか。やめてください」

イキシュさんがヤラールさんが嘗めた場所をごしごしと袖で擦った。


痛い、いたたた。ごしごしし過ぎです!

よりヒリヒリした私の頬をイキシュさんに頬を染めて伏し目がちに嘗められる。


…ぎゃー!!そんな顔をされたらこっちが照れるんですけど!?


わたわたとしていると、ぎしりと椅子がきしむ音。パンダ獣人のウーフォンさんが珍しく人型をとって椅子に座っていた。


「ユアにはイキシュ以外の番がいるのか?そいつにここに連れてこられた?その番に泣かされた?」

たれ目なのに鋭い瞳がひそめられる。

「なんだそれ、むりやり連れて来た番を放っておいて、しかもまた泣かせるとか意味わかんねぇよ」

チーニも不可解だと言う風に首をかしげる。


「魔法で喚んでみたら、私がアイツの好みじゃなかったの」


そう、ただそれだけ。


ただ、それだけで私はあっちに戻れなくなった。そんな勝手な、適当過ぎる理由で。

とまったはずの涙がぼろぼろとまた溢れだす。

「なんだそれ、酷すぎるだろ!!!」

チーニが叫ぶと回りのテーブルからもそうだそうだとヤジのような声が飛んでくる。どうやら皆が聞き耳を立てていたらしい。

「なあ、なんでそんなことになったんだ?ユアは器量も性格もそう悪くないだろう?」

ヤラールさんの言葉にイキシュさんも頷いた。

「わかんない。臭いって汚いって言われた。いんばいだって。いんばいってなんだかわかんないし。汚いって穢らわしいって…なんで?臭いってなに?なんであっあんな…怒られなきゃならないの?」

なんでだなんて…こっちが聞きたいくらいだ。思い出す理不尽な蔑みに腹が立つ。

憤る私にヤラールさんが言いにくそうに

「なあ、言いにくいかもしれないが…お前はそういう仕事してたんだろう?獣人族にはないが…その、春を売ると言うか…不特定多数と性交渉をする仕事を…」

そんな、見当違いなことを聞いていくる。

「なにそれ?するわけないよ。私の仕事はお洋服を売る仕事だったし、売春は国の法律で禁止されているもの」

私の言葉にイキシュさんとヤラールさんは本気で驚いていた。

「違うんですか?私はてっきり…いえ、たとえ貴方がどんな仕事を生業にしていても私の想いは変わりません。が…すみません、とても嬉しいです」


キュンキュンと頭の上でイキシュさんの喉がなった。可愛い。

でもって、なんでこんなとんでもない勘違いされてるんだろ?

「だが…お前と初めて会ったときはものすごい数の雄の匂いと性的な臭いの名残があったぞ」

…ものすごい数の雄の匂い?あの日は満員電車に乗っただけだし…まあ、痴漢にもあったけれど…

「ねえ、匂いって側にいるだけでくっつく?」

「そうだな、撫でたり抱き締めたりもそうだが触れあったり、すりつけるとつくな。汗をかいてたりすると…かなりつくな、まあ、鍛練以外で汗はつくことはないからな」

ヤラールさんの言葉に頷く。なんとなく原因がわかってきた。

「私の国は、あの日は夏って言われる乾季で凄く暑かった。立ってるだけで汗が出るくらいの気温。私はあの日ぎゅうぎゅうに混んでる乗り合いの辻馬車みたいなのに乗って移動してる途中だったんだけど…」

「そりゃ獣人の鼻にとっては拷問だな…」

そうだよね。獣人の人達は仲良くならないとくっついたりしないから。

彼らと付き合うための距離はとても遠い。関係が距離でわかるほどに。

触れ合えるほどに側によるのは親しい証拠ともいえる。


「人族でも不快な乗り物だよ。便利で早く移動出来るけれど問題も多くて、人が多すぎて身動きができないから時々、悪いことをする人がいる。お財布を盗んだり、痴漢といって男の人が女の人に性的なイタズラをしたり」

私を抱くイキシュさんの腕に力が入った。

「あの日あの時、私はその痴漢に遭遇してて、恐くて気持ち悪くて、どうしたらいいかわからなくて、そこから逃げ出したくて…気づいたらこの国に、アイツの前にいた」

あの時の事を思い出してぶるりと震えた。

「なるほどな、性的被害に遭って逃避したいという精神と召喚魔法が感応し相互に作用したのか。だから通常あり得ない距離を跳んだと…」

ヤラールさんが納得したように頷く、イキシュさんはぎゅうぎゅうと私を抱く力を強くする。

苦しい、イキシュさん苦しいです。

きつすぎる腕をぺちぺち叩くとイキシュさんはあわてて腕の拘束をといてくれた。


チーニは顔を赤くしてどもりながら…

「チビはだ、大丈夫だったのか?その…へ、変なことされたんだろ?け、怪我とか…」

そう心配してくれた。だかな、若人よ…お前の頭の中の私はすごいことになってるだろ!?


「怪我なんてしないよ!おしり撫でられただけだし!変なの服越しにくっつけられただけだし!変なこと考えないでよ!!」

イキシュさんの腕の中から飛び出しチーニに反論をする。


へんなの!?へんなのってなんだよ!?うわぁぁ!!そう叫んでチーニは顔を赤くして頭を抱えて丸くなった。そっちに反応するのか…じろりとチーニのプリンみたいなまだら金髪をにらむ。


「ユアが無事ならそれでいい。おいで?」

振り返ると白黒メッシュ頭の隻眼のたれ目美形のウーフォンさんは、モフモフのパンダになってどすりと座ったまま両手を広げてくれた。

いつも着ているシェフコートは今は無い。

もふもふだっ!!!うわぁ!魅惑のパンダの腹毛!!!

「あっ!こらっ!!ユア!!」

イキシュさんの静止も聞かずウーフォンさんのお腹に飛び込む。

「ふわふわ!あったかい~!!!」

何よりも癒される。硬い胸よりふわふわもふもふの獣の腹がいい。

「ああ、あいつか。お前の番は…」

ふんふんと匂いを嗅がれパンダが抱えて遊ぶタイヤのようにコロコロと回される。やめて~!!ああ、でもむっちり肉球がっ!あぁっ!

「そういや熊は鼻がいいんだったな」

「犬には負けん」

「犬じゃねぇ、狼だ」


コロコロされていた私をイキシュさんがひょいと抱き上げた。


「しかし、話を聞けば聞くほどユアの番は酷い。番を召喚魔法で拉致もどうかとおもいますが…運悪く性的犯罪に巻き込まれていた番を保護することもなく罵倒して、あげく食事も服も与えずあんな部屋に放置。たとえ番がそういった仕事についていたとしても、年齢的や身体的にみてもそれが犯罪だと思い至らなかったんですね?」

イキシュさんは話をしながら、ウーフォンさんの腹毛を名残惜しそうに見ている私に、尻尾を差し出してくれた。

艶々ツルツルの美狐しっぽ!!


ふわぁぁ!たまりません!!


「考えなかったんだろうな…」

「所詮は温室育ちだ、綺麗事に囲まれて育ったツケがここに来たんだろ」


もふもふに癒されながら馬鹿みたいにはしゃいで…

私は胸の柔らかな所に刺さった刃のような男の言葉から必死に目をそらす。


たとえどんな理由があったとしても、投げつけられたその言葉は、忘れたくても消したくても、何度も何度も脳裏に甦るんだ。

昼となく夜となく癒えない傷となって、ふとした瞬間に私の心をえぐり、繰り返し血を流していく。


皆が私に優しく暖かで柔らかなものを差し出してくれる。


私はそれを子供のような無邪気さを装って手当たり次第うけとる…


けれど


その度に、あのライオン男から罵声以外の言葉を向けられたことがないという事実を哀しいと思うのだ。

あの男の笑顔はどんなのだろう?

あの男の怒っていないときの声は?

あの男の耳はどんなのだろう?

そう思う心がとても気持ち悪い。

まるで私が誰かに操られているようで。




番という呪いをかけられたようで。




あの鬣に私が触れることき、その時、私とアイツの間には何があるのだろう?



『もちろん、バリカンだよ、あいつの鬣を全て刈って馬鹿にしてやる』


『もちろん、愛情だよ、間違いに気づいて私のことを受け入れてくれる』



そう答える二つの声。


どちらも同じ私の心。

どちらも私の本心。



でも…


ねぇ、本当に?






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