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ヤラールさんとイキシュさんに出会った次の日から私は異世界で働くこととなった。
勤め先の兵舎内の食堂はいつだって人手不足だったようで、料理の出来ない人族の私でもさほど抵抗なく迎えてもらえた。食事毎に戦場のようになる職場も、動きに慣れてしまえば元々の仕事が立ちっぱなしの接客業だったこともあり、すぐに一人前の扱いを受けるようになった。
会計もお金の種類さえ覚えてしまえばどうということもなかった。お金の種類を知らないと言ったときは回りから凄い目でみられたが…。
しかし、残念ながら厨房に立つことは許されなかった。まず、身長が低く調理台に背が微妙に足りないため周りのじゃまになる。
それより何より食材に触れることができなかったかのだ。じゃがいもに似たような野菜の角で指を切ったり、玉ねぎのような野菜の皮を剥ごうとして自分の皮が剥がれたり、胡瓜のような野菜を持ち上げたら指先をトゲが貫通したり。
その度に血相を変えたイキシュさんが駆けつけた。曰く、番が怪我をすると血のにおいがするのだそうだ。他の番持ちの人も頷いていた。
そうやって日々を過ごすうちに何がダメで何が第なのか解っていき、色々と任される仕事も増えていった。
そのうち、盛付けを任されるようになり、ただ乗せるだけだった料理をほんの少し地球的な盛り付け方で見目がよくなるようにしたら料理がおいしくなったと評判になり…
職場での扱いがとても良くなった。
やっぱりどこの世界も職人や現場はおなじだよね!
そして勉強熱心な厨房スタッフが私に料理について聞き始め、教えた日本の料理を再現し、出来たそれらが異国の料理として食事に出され、好評を博し、定番メニューとして定着する頃には…
私はすっかり獣人の兵舎内食堂という職場に馴染んでいた。
私が馴れるまで心配そうに様子を見に来るヤラールさんはまるでお母さんのようだと皆に笑われていた。
アアカさんに与えられた部屋はあの日から体感的に1ヶ月ほど過ごしていたが、今は食堂スタッフ用の独身者用の寮で寝起きしている。
召喚された次の日以降1度として食事も届かず、アアカさんも来てないとヤラールさんに言ったところ「マジかよ!」と目をむいていた。
びっくりし過ぎて耳が出てた。
耳は虎のそれに似てたけれど三角だった。虎?
「子どもをそんなところに置いておけない」と息巻いて、その日のうちに荷物を寮に移してくれた。その時私の荷物が箱ふたつ分も無かったことにヤラールさんは「すまん」て謝ってきた。ヤラールさんが謝ることではないのに。
そういったらいつものように頭を撫でられた。
寮の部屋は前の部屋よりは小さかったが1人部屋で、バスタブつきのシャワーもあった。日本人的にはぬるいお湯が出る。もう少し温かければいいのに…ほぼ水に近かったシャワーしかない前の部屋よりはずっといい。と1度イキシュさんに何気なく言ったら、シャワーに暖かくなる魔法をかけてくれた。そのせいかシャワーの出口にはキラキラした赤い石のような花が咲いた。そこから水が降る様はとても可愛い。
そして私は毎日ゴシゴシと体を洗う。
二度と誰にも臭いと言われないように、念入りすぎるほど念入りに。
この国の石鹸は匂いがしないものが多く、時々ついている匂いは謎の獣の匂いだったりする。
お店で手にとって匂いを嗅いだ私はオエッってなった。凄い匂いだった…雨の日の犬みたいな匂い。けれどその匂いのついた私の手をかいだヤラールさんは、色っぽい匂いだといい、イキシュさんはユアにはちょっと似合わないですねって言った。
むしろこの匂いが似合うって言われたらショックだよ!!
そんな風に時々物凄いギャップがあったりする。
流石は異世界、流石は獣人国。
シャワーに魔法をかけてくれた時に部屋に遊びに来たイキシュさんは、女の子の部屋があんな殺風景じゃ可哀想だ。といって会うたびにふわふわのクッションや可愛いベットカバー、もこもこのぬいぐるみ等をプレゼントしてくれるようになり、最近は殺風景だった部屋がやたらとファンシーになった。むしろ部屋が可愛すぎて少し恥ずかしい。
この世界では、私がやたらと子ども扱いされる気がすると思っていたので、ある時ヤラールさんに聞いてみた。
私は子ども扱いをされるのは身長や顔立ちのせいだと思っていたのだけれど…それは見当違いだった。
どうやら私は発情期に入った雌から香る匂いがしないのだという。
話を聞くにどうやらフェロモン的なもらしい。成熟した雌としての匂いがしないものに獣人は性的興奮を覚えないらしく、番であってもその反応は鈍いのだそうだ。発情期の来ていない雌に手を出した場合、その獣人は変態扱いされるのだそうだ。
そんな子供相手に興奮できる人族はおかしい!とヤラールさんは力説していた。
だれか知り合いがそんな被害にあったのかもしれない。
どうやって手をだしたと解るのだろうか?と聞こうと思ったけれど、きっとこれも匂いで判断なんだろうな~と思い聞くのはやめた。
「ユアが大人になったら、私を正式な番にしてくださいね。」
そう頬を染めて言うイキシュさんの言葉が、なんだか最近は少しくすぐったい。きっと、私は来年にはイキシュさんにほだたされているんじゃないかと思ってしまう。そのくらいイキシュさんは優しくて紳士的でいい狐だった。
そうして過ごすうちに、季節は夏を過ぎ、秋を過ぎ、この世界にきてはじめての冬となった。
獣人の国は日本より寒い。私が来たのは春だったらしいけれど…夏も秋もさほど陽気が変わらなかった。緩やかに季節が巡っていくこの国はそんな気候だった。
夏の終わりから秋、食堂は保存食作りで追われた。魔法で時を止めたりしないの?ときいたら全ての食材でそれをしたら維持がとても大変なのだと言われた。王宮の厨房は魔法で管理しているが兵舎にはそこまでの予算がないそうだ。
そうして、せっせと兵舎内食堂の厨房裏スペースで木の実のヘタをとったりフルーツや野菜を並べて乾かすのも私の大切な仕事となり、一人で寂しく作業しているときは思わず歌を口ずさむようになった。
それ以来、私は時々歌を歌うようになった。鼻歌だったり小さな声だったり、厨房の中にいるスタッフにはカナリヤみたいだなって笑われた。相手もいないのに飽きずにずっと歌ってるって。
どうやら獣人達にとって歌は番のために歌うものらしい。だから厨房の裏や中で一人で歌を歌う私は、番に会う前に歌を練習しまくっている鳥みたいなんだと。
そんな浮かれた理由だと思われているけれど…
私はこの異世界の日常に馴染みすぎて、忘れていきそうな地球のことを、少しでも忘れないようにするために歌を歌っている。
歌詞が思い出せなくなるたびに、地球の記憶が薄れていくようでとても…
とても、怖かった。
イキシュさんとヤラールさんだけは私の怯えに気付いているのか、側にいるときに歌が止まると頭を撫でたりしてくれる。それでも私の気持ちが浮上しないときは、イキシュさんは私を腕に囲ってクルクルと喉を鳴らし、不思議な音を聞かせてくれる。ヤラールさんは時々、ふかふかの尻尾をだして触らせてくれる。
二人は私に優しい。イキシュさんはもちろん、ヤラールさんはかっこいいのにおかん感がある。周りの評価も私の保護者って感じ。
時々…あの日、この人の良さを利用してやると思った自分がとても汚く思えて申し訳なく思うのは内緒だ。
その日は朝から雪が降っていた。
前日からとても冷え込んでいたので、厨房の皆は明日は雪だから暖かいシチューにしようと大量に仕込んでいた。予想は的中だ。食べに来る兵は皆 、温かくて美味しいシチューに舌鼓をうっていた。
厨房の朝は早く、配膳と片付けが主な仕事の私は皆よりも出勤が遅い。一緒でもいいと言ったのに、子どもはちゃんと寝なさいと逆に叱られた。
本当は子どもじゃないのだけれど。
とはいえ獣人達とは基礎体力が違いすぎるので…ありがたく子ども扱いに甘えさせてもらはっている。いつかバレたら怒られそうだ。
お休みもきちんと貰えているし、お給料も悪くない、仲間も優しい素晴らしい職場だ。
お昼ご飯の波が引いた後にとれる休憩時間は朝が遅い分私は皆よりも休憩が遅めになる。そのため誰もいなくなった兵舎裏をすこし散歩するのが日課だった。時々、ヤラールさんやイキシュさんがいたりするのだ。
今日も兵舎裏の雪の中をサクサクと歩く。
辺り一面、雪で覆われ真っ白だった。
空もどんよりと曇り、いつも私を憂鬱にさせる地球とは全く違う空が見えない。地球とは違う形の植物が見えない。
まるで地球に戻ったみたい。
すこし浮かれたその気分のまま、真新しい雪に足跡をつけて歩き、歌を歌う。
雪が降ったら歌うこどもの歌、学生の時に流行った歌、会社の同僚とカラオケで歌ったたくさんの冬の歌。
歌ううちに胸が苦しくなって。
喉がつまりそれ以上歌えなくなった。
こんなにも地球とおなじなのに。
この世界で私の歌を知る人は誰もいないのだ。
ただのひとりも。
灰色の空を見上げる。
雪がはらはらと落ちてきだした。
ここはアイツのいる城。
私がこの世界に来る原因となったアイツを皆が褒める。
民に優しい王だと、国策を適切に行える賢い王だと、戦に強い猛き王だと。
誰もがアイツを褒める。そして褒め称えたその口で言うのだ
「あとは、番さえみつかれば」と。
何が優しいだ。
優しい王があんな酷い言葉ををはくものか。
何が賢いだ。
本当に賢いのなら私がこんな目に遇うこともなかっただろう。
褒め称える声に笑顔を浮かべながら私は胸のなかでいつも反論する。
けれど、そのたびに私の胸は少し苦しくなる。
そして…私の胸のなかでアイツの番は私だと囁くものが現れる。
私の意思を無視して。
時折遠くにみえるその姿を喜ぶものがいる。
あんな扱いをされたというのに。
私の胸の中には裏切り者がいるのだ。
まるで呪いのように、私の意思とは関係なく。
アイツを求めるこの胸のなかにあるものが魂なのだというのなら…
私はそれを消してしまいたい。
それができないのなら…
この雪のように、憎しみで全てを覆ってしまいたい。
全てを奪われた上に踏みにじられたのに、好きになどなれるものか。
私は許さない。
許せる訳がない。
さくさくと雪を踏む音がする。
振り返るとあの日のままのアイツがいた。
憎々しげにこちらを睨むその顔はあの日と寸分違わぬもの。
異世界の雪の中で私は逃れられぬ運命があるのだと知った。