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幻の花の下で


幻想的なほど美しい花の中で

一言だけ、「ごめんなさい」と言って彼女は泣き続けた。




風に舞う薄紅の花びらにふれることは出来ない。

全ては火狐の幻術で見せているものだから。


その涙を見ながらサトゥナは己の罪をまざまざと見せつけられた気がした。

ここにはいない誰かを、ここではない何処かを想って泣くユアに誰一人として声をかけられなかった。


その時にはじめて気づいた。


自分は本当に、本当に何も解ってはいなかったのだと。


彼女に愛される日などこないということを。


いつかは、そう、いつかは赦してくれるだろうと、甘えた心地で居たのだ。

傲慢なふりをして、彼女へ何度も求愛をし続けた。

呆れたような態度が苦笑に変わると僅かなりとも赦されたかのような気分になった。



それは、それはなんと滑稽なことだっただろう。



美しい花の下で子供のように泣き叫ぶのではなく、慟哭というに相応しく諦めと絶望に瞳を染めて静かに泣くユアは…


確かに大人であったのだと考えを改めさせられた。


帰りたいと恋しいと泣くのではなく、ごめんなさいと謝る彼女は、己の足で立ち、その身に相応しい地位を築いていたのだろう。




その一人の大人からすべてを奪った。




家族も、友も、もしかしたら恋人も居ただろう。

そんな相手を自分勝手に呼び出し、そして罵倒したのだ。

比喩ではなく己の力で築き上げてきたすべてを失った番にかけた言葉は思い出したくもないほどに浅慮で自分勝手な暴言と深い傷。



彼女の築くはずだった一生を私がすべて奪ったのだ。



何も出来ない。

出来るわけがない。



償うことも、謝罪することも、なにもかもが滑稽だ。


私がそうしたとして、彼女に何がある?

何もない。いっそ、不快ですらあるだろう。


どんな行動をとろうとも、それはただ、自分が楽になるだけのものだ。

本当に何も、私が彼女のために出来ることなど何一つないのだ。



いいや、ひとつだけ。

それは、彼女の前から消えること。

ここから、居なくなること。

けれど、容易いはずのそれは、王である自分には決して出来ないことでもあった。




ただ、会いたかったのだ。

ただ、愛し愛されたかった。

孤独を埋めたかった。

やるせなさを、悲しみを、一人で過ごす日々を終わりにしたかった。


それだけだったのに。


自分のしたことは己の番に同じ苦しみを、いや、それ以上の絶望を与えただけだったのだ。



なぜ、なぜ自分は彼女があれほどにも美しい世界から来たのだと、欠片も思わなかったのだろうか。


こころの何処かでこの国よりも劣る場所から来たのだと思っていたのだ。

穢れた地から救ってやったのだと、心には常に傲りがあったのだ。



なんて傲慢な。

なんて愚かな。

なんて矮小な獣だろうか。




火狐の幻術だとしても、あれほど広範囲に影響するほどの望郷を抱いて何の不思議があるだろうか。


透けるほどに薄い、繊細な作りの花など、この世界には何処にもない。


彼女の望むものはこの世界の何処にもありはしないのだ。




幻の花、その下で泣く彼女が目に、脳裏に焼き付いて離れなかった。





私はあの日からユアの元へと行くのを止めた。



隣に居ることを望む資格などないとようやく理解したのだ。

ならば、彼女の心を乱すことなくその一生を影ながら見守ろうと。


彼女の心を誰よりも乱すであろう自分の姿を彼女の前から消すことはさほど難しいことではなく、基より希薄だった彼女との接点は、こちらから絶つことでほぼ無いに等しいものへとなった。



けれど、虚しい。



この空虚さこそなによりの償い。

そう思っても虚しさはじわじわと心と体を蝕んでいく。



眠れない。



目を閉じ横になるとあの幻の花の下で泣く彼女の姿が鮮明に甦るのだ。


すまなかった、私が間違っていた、許してくれ、お願いだ、どうか、どうか




泣かないで




そういいかけて、けれど言えずに飲み込む。

そうしている間に彼女は舞い散る花びらの中で泣いて泣いて、涙と花びらと一緒に美しい景色の中に溶けて消えていく。



それを留めようと名を叫びながらとび起き震える手で頬に触れる。

そして、頬が濡れていないことに安堵する。


自分が彼女のために泣くことは許せなかった。

そして、なにより自分が、自分の哀しみのために泣くのが許せなかった。


それを毎夜毎夜繰り返し

情けなくも眠るのが怖くなり執務室に籠った。書類はみるみる消えていったが目の下に隈が現れた。

そんな日々を繰り返していると「いい加減休んでください!」そう眦をつり上げたアアカにとうとう執務室から放り出された。




行く宛のもなく庭園をうろつく。

庭園の先には行かない。

彼女に出会う可能性がある場所はもう行かないと決めたのだから。


そうして、庭園の奥にある大きな木の下でごろり、と横になった。

ぽかぽかとした陽気はまだ肌寒かったあの日とは異なり夢も見ずに眠れそうだと思った。


誰かの視線を感じたが確かめるのも億劫で目を閉じたまま泥のような眠りに沈み混んだ。



そして、結局は同じ夢を見る。


すまない、悪かった、許してくれ、

ぐるぐると渦巻く後悔の声。

違う!そんなことをいいたいんじゃない。


泣きながら幻の花と一緒に消えていく彼女に、言葉はひとつも口から出ることはなく…


消えてしまう、


あぁ、どうか、どうか




「ーーッ!」

ビクリと体が跳ね、目を開く。

カラカラになった喉がヒュッと鳴っりゴホゴホと噎せる。


「ーーー大丈夫ですか?」


そっと器が差し出された。

小さなまるであの花びらのような爪のついた指。

「ユア?」

「ええ、どうぞ、ちょうど王城の厨房から果実のジュースを貰ってきたところなんです」

そういう彼女の足元には甕があった。

どうやらその、蓋としていた器に入れてくれたらしい。

恐る恐る受け取り口につけると、ほどよい甘さの酸味のある液体が喉を潤した。


「もう少しいりますか?」

「いや、…ああ、もらおうか」


久しぶりに会うのが気まずく、けれど離れるのも惜しくて再び注がれた液体をゆっくりと飲む。


「忙しいみたいですね、最近顔を出さないから皆心配してましたよ」

意外な言葉に顔を上げる。そこには以前と変わらない少しだけ困ったような彼女の顔。

「…お前もか?」

「当たり前ですよ、ほとんど毎日来てた人がこなくなったら具合悪いのかなって思うじゃないですか」


もうっ!と怒る彼女に目頭があつくなる。

誤魔化すようにうつむき「まあ、我も忙しくてな」とモゴモゴと答えた。


「倒れないようにしてくださいね。さっきもうなされてましたから」


なるほど、あの視線は彼女だったのか。人は獣人と違って視線を隠すのが酷く下手だから。


じゃあ。と蓋のしていない甕を抱えるが、小ぶりな甕も彼女が持つととても重そうで…


「持とう」


そう奪うように甕を取り、代わりに先ほどの蓋を渡した。

蓋は彼女が持つとまるで皿のような大きさ。


「王さまにこんなこと…まあいいか」ぶつぶつと何かいっていたが聞こえないふりをして、兵舎食堂へと向かう。


その間これといって会話はなかった。

久しぶりにかぐ彼女の香りに満ち足りた気分になった自分とは異なり彼女は少しだけ気まずそうではあったが。


ごとり、と厨房裏口に甕を下ろす。


踵をかえそうとすると、ちょっとまってくださいと声をかけられた。


エプロンをごそごそと漁る彼女が小さな袋を取り出した。


「どうぞ、色々思うところもありますが、皆と出会えたのは貴方のおかげでもあるので」


恐る恐る小さな袋をつまみ上げると「じゃ。また」

と彼女は木鼠のような素早さで裏口から厨房へ入っていった。


扉の横には甕を置いたまま。


きっと慌てて出てくるだろう。その時に鉢合わせになれば彼女が気まずいだろう。

「ありがとう」

すこし大きめの声でそう言うと来た道を戻る。しばらくしたあと扉が空いた音がした。

振り返りたかったがグッと、こらえ道を歩いた。

けれど、足どりが軽くなるのだけは隠せなかった。


部屋にもどりそっと開いた小さな袋の中には、小さなあの幻の花が咲いていた。

繊細な花の芯まで忠実に削り出された貝細工。その技術の高さにため息が溢れた。


彼女が失ったものの欠片が、幻ではなく確かにそこにはあった。


袋から出し机の上に置くと、花はことり、と小さな音を立てた。そっと触れると冷たい石に似た感触。

あの日触れられなかった幻の花。


椅子に深く腰掛け、薄く、光に透けるその幻の花をそっと手にとじこめ目をとじる。

ひんやりと冷たかった花が掌に温められ、異なるふたつがひとつになる頃、サトゥナはまた夢を見た。



それは、満開の花の中に涙する彼女に手を差しのべる夢だった。

あのとき彼女の周りにいることをゆるされた彼らのように眠る彼女を懐に抱く夢だった。



目覚めて思わず苦笑する。


そして己を戒める。

己の罪を忘れるなと。


引き出しから小さな刀を取りだし、鬣を一房刈りとった。

紐で括ったその鬣の束にそっと花を添えた。


獅子は番に出会えた時に鬣をひとふさ刈り取り捧げるのだ。


けれど、番である彼女は受け取ってはくれないだろう。

そして、私も…捧げることは無いだろう。



くるりと巻いた黄金色の毛先に包まれた花はまるで夢で見た獅子に懐かれて眠る彼女のようだった。



そして、サトゥナは決して手に入らない大切なものを想って、ひとつぶだけ涙をこぼすことを己に許した。




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