愚直な狸
狸のお話。
前回の狐の後味がわるかったのでさっぱりと。
…さっぱり…?
ざくざくと街の端の丘に向かう。
チーニの今日の仕事は午前中だけで、午後は半休なのだ。
出掛けるにも短い休み。だから街の端の丘へ向かった。
なにもないこの丘に足をむけるやつなんて居ない。
思い切り走りたいなら森に行く、こんな丘に来るのは子どもくらいだ。
昼に家へ戻っているのだろう。今丘には誰も居ない。
振り返ると街が眼下に広がっている。
人々が働いているのが見える。
街で暮らす人々だ。
普段は自分もあの一粒の中に居る。
チーニの胸をかき乱すあいつも。
『チーニはさ、コダヌキって種類なの?』
その日は朝から嫌なことばかり続いていた。
お気に入りの靴下に穴はあいていたし、眠気覚ましに入れたお茶は多目に入れすぎた茶葉のせいで酷く苦くて不味かった。朝焼いたパンは旨味がなく、ならば、と塗ったジャムとの相性も悪かった。
厨房に向かう途中で靴紐がほどけて木の側で結び直したら巣を守ろうとした鳥につつかれ、走って逃げたら灌木に尻尾が引っ掛かり毛がぬけてハゲができた。
ついていない日だ。
そしてとどめはこの言葉。
仕事が始まり野菜を洗いだすやいなや、あいつはそう聞いてきた。
『みんなにチーニのこと話すとああ、あのコダヌキがね、って言うんだよね…チーニは普通のタヌキなんだと思ってたんだけど…違うの?』
あいつが話す相手と言えば貴族のイキシュ隊長と狼牙隊のヤラール隊長、それに陛下と狂熊のウーフォンさん、宰相のアアカ様と陛下。
そうそうたるメンバーの中で俺だけがただの厨房の見習いだ。
『コダヌキとタヌキはどう違うの?』
あいつのその発言に腹立ち紛れにざぶざぶと乱暴に野菜を洗うと、跳ねた水にあいつは迷惑そうにちょっと水跳ねてる!っと声をあげた。
『うるせーっ!どっちもタヌキだよ!
俺がまだ子どもだからからかわれてんだよ…』
『えっ!?チーニって子どもなの!?』
『去年成人を迎えたばかりだからな、お前の周りの人の達にとっちゃ子どもみたいなもんだろ』
ぽいと傷んだ根菜を投げたその行動そのものが拗ねた子供のようで、自分でも呆れてしまう。
そんな自分がなにもりも嫌で、いっそう不機嫌になった俺にあいつが気を使うのも不快だった。
それこそが自分の幼さそのもののようで。
『まあ、若いってことはこれからがあるってことだから』
あいつはイライラする俺の肩を宥めるように叩いた。
こんなときあいつは酷く達観したような顔をする。
お前だってたいして変わらないだろ。
そう言い返したくて、けれど、なにも言えなかった。
幼げな外見とは裏腹に、あいつはここに来る前は成人して働いていたという。きっと、その地位は低くなかったのだろうとチーニーは思う。
それをあいつは行動の端々で、垣間見ることができた。いや、見せつけられたと言うべきか。己のいたらなさを。
あいつは、仕入れた野菜の種類とその量からどの隊が城に戻っているのか予測をたてる。
そして、それに応じた食器を言われる前に用意をこっそりしている。
その読みは大概外れない。
仕入れた野菜の値段から売値を素早く計算しているし、雑多に置かれていた機材が、作業しやすいように並べかえたのもあいつだ。
倉庫の野菜の管理も、効率のいい客のさばきかたも。
あいつは目立たぬよう、出すぎぬようひっそりとそれを為していた。
皆が過ごしやすいように、働きやすいように。
あいつの視点は恐ろしく広い。
あいつのもつ視点は使われる者ではなく使う者の視点だった。
あいつが何を見て、何を思って、何を変えたのか…あいつの側に一番多く居る自分が、それを誰よりも知っている。
あいつが動かせないようなものは自分が運んだ。あいつが悩むこの国の常識は雑談に混ぜてさりげなく教えた。
誰よりも側であいつの行動を助けたのは自分で…
そして、誰よりもあいつに教えられ、助けられているのも…自分だった。
先輩風を吹かせてあいつをからかうのがいつもの自分で
なによりも惨めな自分だった。
何もない。
自分には誇れる経歴も、実力も、身分も、財産も。
あるのは失われるだけの若さだけ。
認められたい。
誰よりもあいつに。
そんなことを考えること、それこそが子狸じみているのだと自分だって解っている。
解っているけれど、認められたら、ひとつでも誇れるものがありさえすれば…
言える気がするのだ。
この胸の中に渦巻く想いを。
苦しいほどに、狂おしいほどに渦まく想いをあいつに。
「ーっきだーーーー!!!!」
胸の奥の汚いモヤモヤを吹き飛ばすように叫ぶ。
伝えたいのはこの言葉だけ。
他の言葉なんてなにも要らないから。
醜い嫉妬も、汚い欲望も、力への妬みも、僻みも、不安も何もかも。
そんなものは伝わらなくて良いから。
ただひとつの言葉だけ伝わって欲しい。
「すッーーーゴホッ!!」
慣れぬ大声に咽がかさつき言葉は続かなかった。
情けない。
遠吠えなんて慣れないことをするからだ。
狸は遠吠えなんてしないのに。
結局はどんなに背伸びしても、狸はライオンにも虎にもパンダにも狼にも、なれやしない。
「敵いっこないじゃないか」
頭をかかえてしゃがみこむ。
叫んだだけでカサカサする喉は狐のように綺麗な歌も歌えない。
「好きだ、好きだ、好きだ。」
『チーニは努力家だね』
あいつの優しい声が頭を廻る。
まばゆいばがりの彼らの前で、どれだけ努力しても結局、狸は狸だ。
それでも
「あ”ーーーーーっ!!!」
がしがしと抱えていた頭をかきむしる。
やわらかな丸っこい耳が忌々しいと思ったことなんて、あいつに会うまで無かったのに。
「好きなんだ…」
なにもかも振りきるように真実だけをかさつく声で叫んだ。
ここでしか言えないから。
誰も居ないここでなら誰に憚ることなく言える。
意気地なしの自分は、大きな爪や鋭い牙を持った彼らの前で言うことができない。
牙も爪も持たない狸はただ、身を潜めるだけ。
そしてこんなところで呟くしかできない、けれど、呟かずにはいられない。
溢れるのは報われない、矮小な獣の鳴き声。
「俺はユアが好きなんだ」
万感の想いを込めて呟く。
この想いしか自分は持たないから。
「そ、そうなの?」
目の前に驚いた顔のユアがいた。
「ばっ!…おまっ!いつからいたんだよ!!」
顔が熱い。
顔どころかしっぽの先まで赤くなっている気がする。
「えっと…丸くなってたから、具合悪いのかなって…なんかごめん。」
ユアは気まずそうに目をそらした。
「ほんと…ごめんね!」
立ち去ろうとしたユアの手を思わずつかんだ。
何も考えず手が勝手に動いて…掴んでしまった。
頭の中が真っ白だ。
「あ…」
二人の視線が掴んだ手と掴まれた手に集まる。
その手が振りほどかれていないことに安堵した。
「あのさ、俺…お前のことが好きなんだ。俺、もっと頑張るから。もっと強くなるし、偉くなるし、でっかい獲物も狩るし、お前のこと守れる強い雄になるからっ!!」
紡ぐ言葉は必死すぎて、頭の中がどんどん真っ白になっていく。
ちがう、こんな言い訳みたいなこと言いたいんじゃなくて、もっと、もっと…
「それじゃ、チーニじゃなくなっちゃうよ。」
そうユアは赤い顔で笑った。
「私はね、チーニが努力家なの知ってるよ。チーニがそうなるっていうんだったら、いつかそうなるんだと思う。でもさ、私は今のままのチーニがいいよ。狼やライオンみたく強くなくていいの、身分だってこの国で普通に暮らしていければそれでいいと思うし、偉くなくてもいいし、狩りが下手でもいいんだよ、だってチーニは狸だもの、狸には狸の良さがあると思うんだよね。」
ぎゅうっと繋いだ手を握り返される。
柔らかな小さい手。
けれど、しっかりとした強さを伝える手。
「チーニはずっと守ってくれてたよ、たくさん、教えてくれたよ。私のそばにいつも居てくれたのはチーニだよ」
ユアは照れたように下を向いた。
丸い小さな耳が真っ赤だ。
「そのままのチーニがいいと思うよ」
最後の方は小さな呟きのようになっていたけれど。
チーニの耳にはしっかりと聞こえた。
今日は朝から嫌なことばかり続いていた。
今だって靴下に穴はあいてるし、昼飯用に持ってきたパンは旨くないし挟んでるジャムとの相性も最悪。
尻尾にはハゲができたままだし、ユアは俺のことをコダヌキって種類だと勘違いしてるかもしれないし。
その上告白をうっかり聞かれるし、顔は真っ赤だし、間抜けなことこの上ない。
けれど、それでもいいとユアはいってくれた。
それでもいいと俺の手をとってくれた。
今日はとびきりついてる日になった。
そうだ、コダヌキで何が悪い。
まだ俺には伸びしろがあるってことだ。
大人なあいつらに勝てるものは若さしか無いけれど、俺を選んでくれたユアに恥じない生き方をこれから俺はする。
「俺は狸だけどさ、狸は番を大切にするので有名なんだ。家族も大切にする。だからさ、俺、ユアに絶対苦労はさせないとはいえないけど…いつだって旨い飯を作れるように頑張るよ。隊長みたいな強さはないけど、ユア一人なら守ってみせるから。だから、だから、俺と、俺とっ」
「はい、そこまで」
俺とユアの間にぬっと大きな手が差し出された。
すらりと長い大きな手、その爪先は黒い。
「ウー…フォンさん…」
珍しく人形をとったウーフォンさんはたれ目をすっと細くしてチーニを見下ろす。
ゾゾゾゾゾと尻尾の先まで毛が逆立った。
ハゲた場所の毛穴が痛い。
けれど、そんなことはどうでもいい。
喰われる。
目の前でさらりと白黒のメッシュの髪が風に揺れた。
「その先は言わない」
「は、はい…」
先ほどまでの高揚した気分がひんやりとしたものに変わる。
殺られる。
確実に殺られる。
これ以上言ったら確実に。
服の中に冷や汗がダラダラと落ちた。
「あ、ウーフォンさん、はやいですね。何か採れましたか?」
「ん、あっちに積んだから持って帰る」
「チーニ、お休みなのにごめんね、急に猛熊隊が帰ってきたんだ、料理長が戻ってこいって言ってたから戻ろう?」
まだ赤みの残る頬を手で押さえながらユアは俺をみあげて笑った。
俺も冷や汗をかきながら頷いた。
「チーニお前も手伝え」
大型の穴蛇を引き摺りながらウーフォンさんが俺をよぶ。
ずるりと長い穴蛇は確かに言葉の通りとぐろを巻いて積まれていた。
今日はいい日だ…
いい日だけれど…パンダが怖い。
仕方ない。
俺は狸だ。
牙もなければ爪もない。
狡猾さも、統率力も、美しさもない。
あるのは愚直さのみ。
なら、想い続けよう。
いつかこの想いが報われるその日まで。
あいつのことを好きでいよう。
結局、狸の話だったのにパンダに乗っ取られたという…
狸あわれ…
<後日談>
「なあ、ユアは狸の狸らしい、いいところってなんだと思うんだ?」
「え…?」
「あるんだろ?お前がいったんだぞ?」
「(やばい、おもいつかない…)えーっと、あっ!ほら、のばせば最終的には空とべたりするじゃん」
「なんだそれ?何を伸ばすんだ?」
「ほら、歌があるじゃん、たーんたーんたーぬきーの…きーんモゴォッ!!」
「はい、そこまで。ユアも、その先は言わない。チーニも忘れる」
「はいっ!(やべえ、怖すぎてひゅんってなった)」
パンダ最強