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狐の窖 下



そう、イキシュはいつでもヤラールに敵わない。



剣を持たせれば、その大きな体躯としなやかな筋肉から奮われる重く変則的な剣筋に翻弄させられ、隊を率いればその統率力に敵わない。

闘うために生まれたかのような鋼のような美しくしなやかな獣。

弱々しい温室育ちの自分が持たぬものをヤラールは全て持っている。


イキシュがヤラールに勝てるのは魔術だけだ。

けれど、力を重視する傾向のある獣人の中で魔術の評価は高くない。


他にイキシュが持つものなど家柄ぐらいなものだ。

美しく強い炎狐一族。

そう称されはするけれど、結局、美しいと称えられる外見もヤラールの生命力溢れる姿の横に立てば霞んでしまうような脆弱なものだ。


『イキシュさんが私を番じゃなくても、嫌いにならないくらい好きになってくれたら…そしたらちゃんと考えます』


番じゃない君なんて考えられないんだよ。


だって誰よりも君が好きなんだ。

それが番ってことなんだから。



家に戻るとイキシュは届いたばかりのベッドを寝室へ置いた。

その床下に魔術で扉を作る。そして、おもむろに獣型をとり、地面をザッザと掘りだした。


深く。


深く。


寝室のその床下深く。



掘って掘って、そして人がふたり、すっぽりと入れるほどの穴を掘った。

土はしっとりと湿っていてひんやりと火照った体をほどよく冷ます。

けれど、不思議と温かい。

暑さも寒さも夜も昼もここにはない。

包み込むような暗闇と静寂だけがある。


そこへ、先ほど金物屋で買ったばかりの杭を打ち込み魔術で固定する。鎖を杭に絡ませ、その先に小型魔獣用の足枷をつける。

この足枷は中に仕込み歯があり主人に反抗すると足に痛みを与えることができる。


小さな人族の足なら健まで切れてしまうかもしれないけれど…


もしそうなったら、抱いて移動してあげればいい。



イキシュはくふりと笑った。

ああ、落ち着く。

土の中はやはりいい。

ユアもすぐに好きになってくれるだろう。

静かな暗闇のなか聴こえるのはお互いの呼吸音だけ。

あぁ、なんて素晴らしい空間だろう。


彼女もきっとここが気に入ってくれるはず。


もし青空を恋しがったら…魔術で空を見せてあげればいい、緑の広い野原を、真っ白な雪山を、眩しい海辺を。

彼女の喜ぶような場所をいくらでも見せてあげればいい。



この土の中で。



幸い幻術でイキシュの右に出るものは居ないのだから。

イキシュは久しぶりの肉体労働で程よく疲れた体を土の中で丸めた。

大きなふさふさの尻尾を邪魔にならぬよう体にまきつける。



しばし微睡むと穴を掘ったことで筋肉に溜まっていた疲れが僅かにとれた。

穴のなかは吐き出す呼気で空間が暖まっている。

このまま微睡めばとてもいい夢を見られそうだ。


けれど…そろそろ時間だろう。


ひょこりと外に出て手を見るとイキシュの手は泥だらけになっていた。

これはよくない。

彼女の好きな艶やかな毛並みが泥だらけだ。

イキシュはバスルームで体を念入りに洗い、魔術で水気をとばす。ふかふかになった毛並みを整え、彼女のためにソファーへクッションを整え、茶葉と茶菓子をだし、ふむ、と満足したころで玄関の鈴が軽やかに鳴った。

イキシュはたとえこの先にヤラールと並ぶユアが居たとしてもいつも通りに微笑む自信があった。


獲物は決まっている。

そして、狩りはまだ始まっていない。

狩りを前に獲物を警戒させるのは下手な獣のすることだ。



軋む音ひとつない滑らかな動きの扉を開く


「こんにちはイキシュさん。今日はお招きありがとうございます」

そこには緑の茂る庭を背景に、にっこりと笑うユアがいた。


側にヤラールは居ない。


「ヤラールは?」


イキシュは思わずユアに聞いてしまった。


「あれ?連れてきてよかったんですか?俺はイキシュの巣には入れないってヤラールさんはいってたんですけど…もしかして、一人じゃダメでしたか?」

ユアは困った顔でイキシュを見上げる。

その困惑がもとよりユアが一人で来る気であったのだとイキシュに雄弁に伝えてくる。

先程までの鬱々とした気持ちが晴れていく。

ひやりと冷たくなっていた胸の奥がぽかりと暖かくなる。

「いいえ…いいえ、とても嬉しいです。ようこそ我が家へ」

イキシュはにっこりと笑ってユアを部屋に招き入れた。



ソファーをすすめるとユアはイキシュの想像通りに、敷かれた手触りのいい布を指先でするりと撫で、微かに口元を緩めた。

その一連の動作が何よりもイキシュの胸を熱くする。イキシュが思い描いていた通りの幸せの形、いや、現実は想像の何倍もイキシュの胸を掻き立てる。


それからユアが「お土産です」と少し恥ずかしそうに袋を差し出した。

イキシュは、礼をいって受けとり、壊れないように梱包されたそれをほどいた。

そして、取りだしコトリとローテーブルの上に置く

「これは…」

並んで置かれたものはマグカップ。

少し特徴的な形のそのマグカップには、狐のシルエット。そのシルエットから続く大きな尻尾が持ち手になっており、尻尾はマグカップを2つ並べると影がハートの形が浮かび上がる、最近番のいるものたちに人気のデザインカップ。


「私には尻尾がないんでこんな風にはできないんですが…」

ユアが申し訳なさそうに見当違いの発言をする。イキシュはその愛らしさに堪らない気持ちになる。


「イキシュさんがあのとき言ってくださった言葉は…今もそのままですか?」

私は耳も尻尾も綺麗な毛皮も無いんです…そう困ったように笑うユアが…他でもない、ユア自身であれば、もうなんだってかまわないのだと、

イキシュはどう伝えればいいのだろう。


「ええ…貴女がいいんです。私の番は貴方しか居ない」



ユアの持ってきたマグカップに買ったばかりの茶葉で入れたお茶をそそいでユアの前、へと置いた。

そして、自分はユアの隣に座る。

ユアの言う通り、マグカップの狐のように尾を絡めることは出来ないけれど、今、イキシュの隣に座っているユアの、その腰にイキシュの尾を絡めることはできる。


「尾がなくても、毛皮がなくても、何もなくても、貴女があなたであれば、それでいいんです」


再び、こんどははっきりと、ユアの、瞳を見つめてそう伝える。


イキシュのその真剣な眼差しの先で、ユアは兵舎食堂では見せたことのない柔らかな、控え目な笑みを浮かべた。

そして、そっとためらいがちにイキシュの尾を撫でた。


その、姿が肩の力を抜いた本来のユアの姿を垣間見たようで、イキシュを酷く幸せな気持ちにさせた。



そんなに無理をしなくていいのに。



イキシュは明るく笑うユアを見るたびにそう思う。

頼ってほしい、甘えてほしい、イキシュはユアにいつだってそう望んでいる。

意識して明るく、幼く振る舞うことで己を守っているユア。

それは彼女の鎧。

何一つ持たず、この世界に連れてこられた彼女が己を守るために纏うようになった、偽物のユア。


けれど、本当のユアは?


どんな声で話し、どんな表情で笑う人たったんだろうか?

そう、イキシュは思わずにはいられない。


ユアは時折迷子のように辺りを見回す。

ユアは時折、慌てたように歌を歌う。

ユアは時折、ぼんやりと虚ろな瞳で空を見上げる。


まるで無くしてしまった何かにすがるように。


その姿を見るたびに、イキシュは明るく笑うユアの瞳の奥底に沈む消えない怯えを無くしてあげたいと思う。


もう、誰にも傷つけられないように、もう、新たな世界に怯えなくていいように。



守りたい。と、思うのだ。





イキシュは夕方、ユアと新しいキッチンで彼女の作った夕飯を食べた後、彼女を宿舎へと送った。

獣性のない彼女に合わせたゆったりと進むイキシュとの関係。

獣人の番同士としては考えられないほどの進みの遅いイキシュとユアの関係。


けれど、ユアには何よりも必要な時間。

そして、ゆっくりでいいから、私なしじゃいられないくらい、ユアが自分を好きになってくれればいいとも思うい




だからイキシュは待つ。




床下に深く、深く、穴を掘りながら。



穴の中は暖かで、静かで、何者にも侵されることのない二人だけの場所。

すべてのものからユアを守れる場所。




いつか、ユアが瞳のその怯えを濃くしたとき。




このあなぐらに君を招こう。









難産でした…

いや、難産っていうか…とにかく狐が暴走しまくってたいへんでした…




<後日談>


「おや?ユア珍しい格好ですね」

「あ、イキシュさん、今日はハーブ園で畑仕事なんです」

「ああ、なるほど、それはいいですね。」

「ふふっイキシュさん、チーニーと同じこと言ってますね」

「あの、コダヌキと?」

「はい。もしかしてイキシュさんも土を触ると落ち着くタイプですか?」

「…ええ…まあ…ユアは?」

「私は、どちらかというと…苦手ですね」

「…え?」

「ほら、土の中って小さい虫とかミミズとかすっごくいっぱいいるじゃないですか。」

「ええ、まぁ…」

「あれが本当に無理」

「………」


その日の午後、牙狼隊では…

「ヤラール隊長!イキシュ隊長引っ越したんすか?」

「は?なにいってんだ?あいつは最近、新居を構えたばかりだぞ?」

「なんか超真剣な顔してネズミの工具屋で鋸と釘かってたっすよ?」

「あー、俺も穴熊のおやっさんの資材店で眉間にしわよせて壁紙と板材選んでるのみたっす」

「俺は栗鼠の鍵屋でドアノブと鍵を買ってるのみたっす!」


「…あいつもうリフォームするのか?」



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