窓辺の猫 下
欲とは恐ろしいものである。
度々、彼女の歌声を聞いているうちに、私は強欲にも願望を抱くようになった。
彼女と並び立つことが出来ないのならば。
せめて、こんな遠くからで隠れるように見るのではなく…
彼女の視界に入りたい。
近くに居てその言葉を聞いて…彼女のために何か出来る、そんな位置に立ちたい。
彼女の失ったものにはなれなくても…
せめて彼女への償いとして。
贖罪。
その考えは素晴らしいものに思えた。
罪は償わなくてはいけない。
全ての原因となった私こそが、私だけが彼女に償うことができるのだ。
それから私は考えた。
どのように償えばいいのかを。
まずは、彼女が召喚される前よりも幸せになればいいのではないか?
幸せ…人族の幸せ…そうだ、むかし聞いたことがある、人族は他の種族よりも地位や権力というものに魅力を感じるのだと。
彼女の番はこの国の王。
そうだ、ならば、王に次ぐ地位も権力も与えられた王妃になるのがいいだろう。
それは何よりも名案に思えた。
陛下の番として幸せになってほしい。
私の両手が彼女に差しのべられないならば陛下の両手を。
王妃ならば…
私も彼女の近くに居られる。
そんな邪な気持ちが滲むことには目をつぶった。
私は彼女の魂にある番の紋を活性化させる魔術を展開しつつ、休憩時間に合わせて陛下が城を散策出来る時間を作ることにした。
そして、何度かの邂逅の後、思惑通り陛下と彼女はその距離を縮めることに成功した。
想定外にも…陛下が彼女に大怪我を負わせるという事故は起こったが…
そして私は、陛下が彼女に謝罪をしているときに、彼女の頑なに陛下を否定する感情を扉越しに思考操作の魔術でほぐすことにした。
浮気ぐせの消えなかった私の父に、いつも呆れながら母がかぼやいていた言葉。
『本当に…仕方のないひと』
扉越しに彼女の唇から紡がれたその言葉を聞いて…
本当は誰よりも私が彼女に、そう言われたいのだと思った。
赦されたい、この罪を。
私が死ぬまで、いや、死んだその後も、誰にも告げることが出来ないこの罪を。
赦されたいのだ。
ぼんやりとしていたら小狸と熊に見つかってしまうという失策を犯してしまったけれど。
結局、彼女は陛下を選びはしなかった。
いや、陛下も、他の誰れも彼女には選ばれなかった。
彼女は誰の庇護下につくのも良しとせず、この国で一人で生きていけるようになったその時に一緒に生きてほしい人を選ぶと言った。
私が見ていた彼女はいつも今にも折れそうなそんな姿ばかりだったため、彼女のその選択を意外に思った。
いつもあの場所で泣きそうに歌う哀しい鳥のような彼女は、誰かに依らずには生きていけない人だと…私は勝手に思っていたから。
庭園に陛下を迎えに行くと既にそこに陛下は居なかった。
無駄足だったか。とため息をつき踵を返したとき思わぬ声が私を呼んだ。
「あれ?アアカさん?」
それは久しぶりに私に向けられる彼女の声。
木の陰からぴょこんと顔を出した彼女は黒髪を揺らしにっこりと笑って
「陛下なら兵の訓練を見に行くと言ってましたよ」と、私の来た方向とは逆に進む小路を指差した。
今日の執務に兵の訓練を視察する予定は無かったので、…恐らく陛下は隠れて視ていたのに気付かれて、慌ててそれらしい言い訳をして去っていったのだろうと推測ができた。
「ああ、そうですか。ありがとうございます」
彼女に礼を言い立ち去ろうとしたその時、あちらと指差す彼女の指先が酷く荒れているのを見た。
「アアカさん!?」
そして気付けば私は彼女の手をとり、その傷を魔術で癒していた。
「ーーすいません、あまりに酷いので思わず…」
「いえいえ!こちらこそありがとうございます。痛かったから凄く嬉しい。」
私の触れた手をなぞりながらそう言う彼女。その微笑みを見ているのが苦しくなり、思わず顔を反らした。
そんな私に彼女は尚も話しかけてくる。
「アアカさんは…猫の獣人ですか?」
「え?は…い、山猫です」
私の答えに、にんまりと彼女は笑った。
「ふふっやっぱり、私、猫を飼っていたんです。その子アアカさんの髪の毛みたいにちょっと癖があって、黒と茶色が混ざったような色だったんです」
そういって懐かしそうに目を細めた。
彼女に飼われていた猫は、彼女の手で撫でられ、その腕に抱かれたんだろう。
そばにいることを許されて、無条件に愛されたのだろう。
私には与えられることのないその温もりを与えられていた存在を酷く羨ましく思った。
「飼っていた猫も日向ぼっこが大好きで…私が家に帰るまで、いつも日当たりのいい窓辺のカーテンの後ろにいたんですよ。」
彼女はにこにこと傷の無くなったその指で一つの窓を指差した。
そこは、私がいつも居る部屋の端にある窓。
「え?ええっ!?」
カアッと顔が熱くなったのがわかった。
そして動揺から奇妙なことを口走りそうな口を、慌てて手で塞ぐ。
いつから…
いつから見られていたのだろう?
いつから気付かれていたのだろう?
変に思われなかっただろうか?
だって、私はずっと、ずっと、彼女のことを見ていたから。
あまりの羞恥に仕舞っていた耳がぴこんと飛び出したのがわかった。
そのことにさらに動揺し思わずしゃがみこんでしまう。
「サボってたのは秘密にしてあげます。中間管理職って大変ですものね」
どうやら彼女は私が仕事をサボってあの場所に居たのだと思ったようだった。
私はその情けない勘違いを訂正しないでおいた。
覗き見よりはサボりの方が幾分ましな気がしたから。
「秘密にする代わり、その耳と髪に触れてもいいですよね?」
ドキリと只でさえ煩かった胸が早鐘をうち始める。
否定せずにいると、にこにこと笑って彼女はそうっと優しく私の耳と髪の毛を撫でてた。
そして一瞬真顔になり…そっと目を閉じた。
そのまま微かに口もとに笑みを浮かべ私の耳と髪を優しく撫でる。
それは遠い何かを思い出すような…
そんな微笑み。
「ーー」
するりするりと私の頭を撫でながら…
飼っていた猫の名前だろうか、ごく小さな声で彼女は短い名を呼んだ。
そして耳の付け根を擽り指は離れていった。
私はその指先が離れるのを、酷く惜しく思った。
「本当にそっくり、あの子も撫でるのをやめたらそんな顔してたんですよ」
彼女は、そう言ったけれど、もう、自分がどんな顔をしているのかわからなかった。
きっと、酷く物欲しげな顔をしているのかもしれない。
「また、撫でさせてくださいね」
そういって彼女は足取り軽く仕事に戻っていった。
私はその後姿を見送り、ドクドクと煩いほどに高鳴る胸を服の上からぎゅうとつかんだ。
赦されるなら猫になりたい。
心の底からそう思った。
なれるのなら彼女だけの猫に。
気まぐれに愛されるだけでもいい。
戯れに撫でられるだけでもいい。
全てを愛してほしいとは望まないから。
犬のように真っ直ぐにひたむきな愛を伝えるには犯した罪が重すぎて…
真っ直ぐにその目を見つめることすら出来ないから。
この恋は実らない。
ならばあの窓辺で微睡もうか。
君の帰りを待つ猫のように。
2度と帰ることのない君を待つ猫のように。
結局、一番病んでるのはこの人だったという話。
予想以上に暗くなってしまいましたΣ(´□`;)