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料理の隠し味は。

 町唯一のパン屋の昼時はとても忙しい。サンドイッチなどの惣菜パンも置いているので、昼食をゆっくり食べる時間がない人なんかでごった返すのだ。しかしそれでも昼時の混雑する時間を過ぎると、案外仕事に余裕ができる。今の店内には遅いランチを買いに来たシェパードのような立ち耳の犬獣人の女性が一人だけ。その日もようやく波が過ぎ去ったと一息つきながら、パンが置いてあった空のトレイを片付けていた。


「――もしかして、アンタが浮き雲の狩人の?」


 会計のカウンターにトレイを置いた女性は私を見るなり、驚いたような顔をして聞き覚えのない言葉を発した。


「うきぐものかりゅうど?」

「私は自警団のサラ。ほら、黒猫獣人のカイルさ。闇に白が浮かぶから浮き雲ってことらしいな?」

「へぇ、そうなんですか?」


 はてと首を傾げると、彼女は説明するように続ける。そしてそれを聞いて、成る程と頷いた。確かにカイルは耳と尾の先だけが僅かに白い。暗い場所で見れば、闇に白が浮かぶように見えるのかもしれない。


「あたしもねぇ、最初は恐かったんだよ。なんてったって、あの狩人だろう?」


 側で仕事をしていたダーナさんが訳知り顔で口を挟む。そしてダーナさんが話すのは、少し予想外の話である。何て言ったって、ダーナさんはヒグマである。頭はもちろんであるが、その体躯も逞しく立派だ。正直、カイルと並んだところでカイルがただの猫に見えるレベルである。正直、ダーナさんの張り手でカイルなんてコロッと倒されてしまいそうなのだが。

 ちなみにダーナさんの夫であるテッドさんもこれまた立派な体の熊である。ただし、胸元に白い特徴的な模様が入っているツキノワグマなのでダーナさんに比べるとかなり小さい。それでもツキノワグマ獣人の中ではかなり大きい方であると口数の少ない彼が言っていたのだが、他に見たことがないので比べようがない。


「違いない。この娘がこの町に住んでるから、アイツもこの町で就職したいって言ったんだそうだな」

「そうさ。なかなか良い男だよ」


 サラさんが楽しげに笑って言うと、ダーナさんは満面の笑みで頷いた。


「自警団の中でも評判でね。あの根無し草の狩人が甲斐甲斐しく世話しているのはどんな子だろう、ってね」

「え?わ、私のことですか?」


 そこでサラさんの目が私に止まって、ぎょっと目を剥いて固まった。


「当たり前だろう。仕事中だって、アンタの帰りの時間には家まで送って来るって走っていなくなっちまうんだから。他に女なんて作ってる暇があるもんか」

「本当。私もテッドとの恋人時代を思い出しちまったよ。あの無口も私の仕事が終わる頃になると、仕事場の近くに現れたもんだよ」


 確かに彼女が言うように、仕事以外には私と出かける姿は見たこと無いのだ。彼女に言われて考えていると、ダーナさんはうっとりと微笑んで思いでに花を咲かせている。いつも静かにパンを作り続けているテッドさんの姿からは想像できないものであったが、彼女が言うならきっと真実なのだろう。


「カイルはマリーの家に住んでいるんだろう?ということは、そろそろ結婚するのかい?」

「け、結婚ですか?」

「まぁ、昔は結婚してから同居なんだろうけど。最近はそうでもないらしいしね」

「いえいえ、ないです。ありえません!」


 ダーナさんはぱっと私の方を見て、剛速球で爆弾を投げつけてきた。慌てて首と手を振って否定するが、ダーナさんの耳には聞こえている様子もない。何だか慰めるような調子に変わっている。


「何で?カイルのどこが嫌なんだ?」

「だって、私達……ただの同居人ですから」


 その言葉に目の前の二人の女性はたっぷり三十秒ほど固まって、二人で顔を見合わせたのであった。



***



 その日の仕事終わり、私は途轍もない緊張に包まれていた。というのも、昼下がりのあの会話の後、散々女性たちにけしかけられたのである。仕事終わりには無口なテッドさんがいつもより多めのパンを激励するかのように渡してきた。


 ようやく仕事が終わり、いつものようにカイルと一緒に家路に就いていると、カイルが心配するような視線で私を見る。


「――疲れてるのか?」

「えっ?ううん、そんなことないですけど。どうかしましたか?」

「そうか。なんか様子が、な」


 様子がおかしい理由には思い切り心当たりがある。しかし、それを知らない素振りで首を傾げて返した。少しわざとらしかったかもしれない。カイルはまだ首を傾げながら私を見ていた。


 その後もぎこちない空気が二人の間に流れているのを感じながら、ようやくといった時間が経った頃に家に着く。家に着くと買ってきた食材を並べて、料理の準備に取り掛かろう――と思いながら手が止まる。

 一度、はっきりさせてしまわねばならないことなのだろう。


「あの、カイル!」

「ん?」


 日課の玄関掃除を終えたカイルが家の中に入って来て、すぐにカイルに呼びかけた。


「――付き合ってください」


 確かに私たちの関係はただの同居人だ。今まではっきりと言葉で示したこともなければ、愛を囁いたこともない。気が付けばカイルが側にいて、それが当たり前になっていたのである。

 しかし、それはいつかまた気が付いたらカイルが居なくなってしまうかもしれない……そういう意味でもあったのだ。

 私はついに言葉にしてしまったと、今にも心臓を吐き出しそうになりながらカイルの返事を待つ。


「おお。いいぞ。で、どこに行くんだ?何か買い忘れか?」

「……この……バカ猫ーっ!」


 カイルの返事に私は拳を握って打ち込んだ。しかし、相手は浮雲の狩人なんぞという大層な二ツ名を持つお方である。あっさりと私の拳を受け止めて、動揺するように視線を泳がせて私の様子を必死に伺っているのが見て取れた。


「な、何だ?突然?俺のこと殴るのは良いが、ちゃんと拳を握らないと手を傷めるぞ」

「バカ。本当にバカ!」

「だから、何なんだよ?」


 カイルは私の渾身の右ストレートを受け止めたままの体制で困惑の表情を浮かべて、ひたすら困っている。その顔を見ると、私も頑なになりかけていた心を少し緩めざるを得なかった。


「……そういう意味じゃないです。付き合ってって他にもあるでしょう?恋人になって欲しいってことです」

「俺たち、恋人じゃねーのか?」


 私が勇気を出してようやく小さく呟くように言えば、カイルはきょとんとした顔で当然のように言い放った。しかし、その言葉には聞き逃せないものがしっかりと含まれていたのである。


「……は?」

「いや、え?俺はとっくに恋人なんだとばかり……」

「だって、そんなこと今まで一言も!」

「いや、分かれ。分かれよ!っていうか、分かるだろうが!」


 確かに同居人にしてはスキンシップが多めだったかもしれない。だが今まで、てっきりカイルは私のことを子供扱いをしていて、妹か何かだと思って扱っているのだとばかり思っていた。第一、外で手を繋ぐことはあってもそれ以上のことはなかったのである。その状態で言葉もなければ分かるわけもない。そう、分かるわけもないだろう。


「分かりません。言葉にしてくれなきゃ分かりません!」

「それは……うん、悪かった」

「悪かったじゃありませんよ。……私のこと、どう思ってるんですか?」


 逆切れをかますカイルだったが、それ所じゃないくらい私は落ち込んでいる。ここまで来たら、はっきりと言わせるまでは決して話を終えることはならない。潤んだ瞳でじっとカイルを見上げれば、カイルはぐっと怯んだように唇を噛んだ。


「そりゃあ、それは……好き、だ」


 そしてついに聞くことができたのが、この言葉である。私は半泣きの表情を一転し、満面の笑みを浮かべると目の前のカイルにぎゅっと抱きつく。大事なことなので何回でも聞きたい。


「え!もう一回!もう一回聞きたいです!」

「アホ!こんな大事なことそう何度も言えるか!俺は寝る!」

「ごはんできたら起こしますね?」

「……おう」


 カイルは私を振り払って、自分のベッドであるソファに横になって私に背を向けてしまった。黒い毛並みに覆われた肌が赤くなっているかどうかは分からないけれど、きっと照れてしまったのだろう。実際、不機嫌ではないのが尻尾を見れば分かる。


「私、カイルが大好きです」

「……絶対俺の方が好きだ」

「ふふふ。そうですか」

「そうだ!……寝る」


 今度こそカイルは静かになって、尻尾すらも隠してしまった。私はそんなカイルに見えないように笑みを零して、夕食の準備を始める。出来上がる頃には匂いに我慢できないカイルが起き出すことだろう。

 きっと今日の夕食はとってもおいしいはずだ。何て言ったって、隠し味がたくさん入っているのだから。

これで終わると思いきや、続きます。

もう少しお付き合いください。

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