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野良猫が家猫になると決めたとき。

本編の少し後のカイル視点です。

 俺は大きな町の貧しい家の生まれだ。日々食べるものにも苦労し、井戸水だけは飲めたからそれでどうにか飢えをしのぐ日々。たくさん生まれる兄弟たちの間で食べ物は奪い合いをし、ある程度育つと追い出されるように家を出た。思えばろくに食べていない体は酷いものであったとは言え、そこまで育てたのも獣人という生命力が強い種族であったおかげなのかもしれない。

 外の世界は俺が子供の頃に思っていたよりも生きやすかった。元々手の出やすい性質の獣人であったし、実力で生きていく世界は俺に合っていたのだろう。だから罪になるギリギリのこと、あまり大きな声では言えないようなこともたくさん経験がある。それらがあるから今もこうやって生きていられるわけだし、それに対して恥じる気持ちはない。

 それでも無邪気に笑うマリーを見ると、俺の手が汚れていると感じるのもまた事実だった。


「――今日のメシは?」

「今日はポークステーキと、蒸し野菜」

「野菜は却下」

「私はカイルに食べさせるなんて一言も言ってませんけど?」

「その量が一人前か?随分食うんだな」

「……カイル!」


 肉屋から出てきたところをひょいと覗き込んで話しかければ、マリーは当たり前のように返事を返す。そのことが俺をどのくらい喜ばせているのかなんて、きっとマリーは知らない。


「持つ」

「……当然です。カイルが食べるものがほとんどなんですからね!」


 マリーの手の上から重ねて取るように買い物かごの取っ手を掴めば、それはすんなりと俺の手の中に収まった。彼女が言うように、かごは一人分にしては多すぎる肉や野菜がずっしりとした重さを放っている。すんなり手を離したことからも、俺から見ると非力に見える彼女の腕には決して軽くはなかったのだろう。

 初めは一人の夕食と朝食分だった買い物も、いつの間にか当たり前のように二人分のものに変わった。二人で買い物をして帰る、そんな当たり前の日常がむず痒くて、嬉しい。自分以外は全て敵だと決め付けていた頃の自分では想像もできない姿だろう。


 マリーはなし崩しにこうなってしまったのだろうか?

 それとも少しは――と淡い希望が胸の中に燻ぶっていた。


 家の前に着くと、その扉に俺の腕を擦り付ける。それを見ていたマリーが不思議そうに首を傾げた。


「何してるんですか?扉、汚れてました?」

「まぁ、そんなところだ。俺が掃除しといてやるから、マリーは中に入れ」

「そうですか?ありがとうございます」


 曖昧に頷いて、マリーに中に入るように促す。前は扉を叩くついでにやっていたが、今は一緒に帰ることが多いのでそうもできない。

 鼻の弱いマリーには分からないだろうが、これはマーキングだ。ただでさえ女の一人暮らし。しかもその上、獣人よりも非力なただの人間とくればマリーを狙う男が居ても不思議ではない。だから、こうやって男の匂いがするように定期的に扉に匂いをつける。そうすれば、少し興味が沸いた程度の男であれば諦めるはずだ。

 掃除をしていると見せかけて、念入りにチェックしていると自分のものではない匂いに気付く。苛々と扉を睨んでいると、その思考にマリーの声が割り込んできた。


「――カイル、パンはどのくらい食べます?」

「……いつもと同じでいい」

「分かりました。……どうしました?そんなに扉汚れてましたか?」

「いや、まぁ、少しだけな」

「私も手伝いましょうか?」

「もう終わったからいらん」


 マリーは申し訳なさそうな顔で俺を見て「そうですか?」と首を傾げながら中に戻った。彼女の背中にふうとため息を吐いて、俺も家の中に入る。テーブルの上にはマリーが作ったクッキーと、彼女が淹れたお茶が置いてある。いつものようにそれに手を付けて、マリーが手際よく調理している背中を見つめた。


 ここは温かい場所だと思う。

 マリーが時々機嫌良さそうに鼻歌を歌って、楽しげに料理をする。俺には縁が無かった光景が当たり前のようにそこに存在していた。

 きっとマリーは良いところの育ちなんだろう。温かくて優しい両親に大事に育てられたに違いない。だから、彼女は帰りたいと言うのだ。俺にとって故郷なんてものは嫌な思い出という単語でしかないのに。


「――口に合いませんでしたか?」

「いいや。美味い」


 不安げに俺を見るマリーの丸い瞳と目が合った。蒸し野菜は置いておいて、マリーが作ったポークソテーとやらは美味かった。当然ながら一流のレストランの味には叶わないだろう。それでも、俺にとっては一番美味い料理を作るのは間違いなくマリーだ。


「それなら良いんですけど。まだおかわりありますからね」

「野菜はいらない」

「好き嫌いはしちゃいけないんですよ」


 野菜の残る俺の皿を見て、マリーは当たり前みたいな顔で言い始める。普段から野菜よりも圧倒的に肉に重きを置く俺に対して、口癖のように言い続けている言葉だ。また始まったと口には出さずに眉を顰めると、マリーはさらに説教モードに入る。


「野菜好きなやつが食えば良いんだ、こんなもん」

「もう。そういうこと言って。ちゃんと野菜も食べないと病気になりますよ?」

「別に……」


 野菜なんて好きややつが食えば良い。俺は嫌いだ。野菜は食った気がしないし、虫か草食動物にでもなった気分になる。

 それに病気になったとことで誰が困ると言うのだ。気ままな独り者。俺が野垂れ死んだら、死んだでそれだけのことだろう。 


「良くないです。誰が看病すると思ってるんですか?」

「……そんなの」

「私の家に入り浸っているカイルに看病してくれるような友人がいると思えないんですけど。多分、私しかいないでしょう?私だって忙しいんですから、一日中面倒みるなんて難しいですよ?」

「な……」


 何を言っているのかと、マリーの言葉を理解するまでに少しの時間が掛かった。そして、少し掛かって彼女の言葉が胸の中に広がった。


「だから、ちゃんと野菜食べてくださいね」

「……マリーが看病してくれるなら食わなくてもいいんじゃねぇか?」

「もう、そういうことじゃないです!――カイル、これもちゃんと食べてくださいね」

「おいっ、そんなに食えるかよ」


 はっと気付けば、皿の上には山のように野菜が積まれていた。慌ててマリーを見るも、マリーはしれっとした顔で自分の分を食べている。


「何言ってるんですか。いつもバカみたいに食べるくせに」

「それは野菜じゃねぇだろうが!」

「はいはい。野菜もちゃんと食べましょうね。それ食べたらお肉もあげますから」

「……わーったよ!」


 食べる量が多いのは認める。だが、それは『※ただし、肉に限る』だ。マリーと食事をするようになるまで、こんなにたくさんの野菜を食べたことは恐らくない。

 味気ない野菜を無心になって咀嚼していると、マリーと目が合う。


「……何だよ?」

「何だかんだちゃんと食べてるなと思いまして」

「お前が食えっつったんだろうが」

「そうですね。――そうだ、明日の夜は何が食べたいですか?」

「肉」

「本当、そればっかりなんですから」


 マリーはくすくすと楽しげに笑って、俺の皿に肉を乗せた。


「明日も明後日も、その先も肉」

「その先って、いつまで家に来るつもりなんです?」


 俺はそう言い切って顔を上げると、マリーは困ったような顔で俺を見ていた。マリーはいつか故郷に帰るつもりだと言っていた。そして故郷がとてもとても遠いところであるということも。

 この家にはマリーの『帰る』という気持ちが反映されているかのように物が少ない。もう数年はここに住んでいるらしいのに、家にあるものは必要最低限のものばかり。俺が入り浸るようになって、少し食器が増えたがその程度だろう。まるで、いつでも旅立てるとでも言わんばかりに。


「マリーは方向音痴だ」

「……否定できないのが辛いですが、なんです?突然」


 突然言い出した俺にマリーは意味が分からないというような顔を浮かべている。


「お前の故郷に帰るにしろ、俺が居た方が安心だ」

「え?」

「だから、俺も今日からここに住む」


 口に出してみると、それはとても良い考えだと思えた。そうすれば、いつマリーがこの町を出ようとしても着いて行ける。どんなにこっそり居なくなろうとしても、多少のものは持ち出すはずだから全て隠し通してというのは難しいだろう。


「……はい?」

「マリーが突然帰りたくなっても、いつでも着いて行けるようにな」

「え、え?ええ?」

「マリー。肉。まだあるんだろ?これじゃ足りん」

「いや、そうじゃなくって!カイル!」


 何よりも一緒に住めば他の男たちに対しての牽制になる。考えれば考えるほど良い考えだと、食欲が増した。マリーに皿を差し出せば、彼女はそれを受け取りながらもなにやら言っている。それを右から左に聞き流しながら、この町で借りている宿の宿払いの手続きやらについて思考を飛ばしていた。この町では結構長いが、元々は気ままな旅暮らしで荷物は少ない。すぐにでもこの家に住めるだろう。


 ――全く。野良猫にエサをやれば懐かれるのは当然の話だと言うのに、下手に餌付けする方が悪い。

たくさんの拍手とコメントありがとうございました!

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