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後編

「――マリー!飯!」

「カイル。またですか?」


 挨拶もなしに我が物顔で我が家の玄関扉を思い切り叩く男に心当たりは一つしかない。私は眉を寄せて、無用心にも確認もせずに扉を開ける。そして、そこに居たのはやはり思った通りの人物であった。

 カイル、と名前を呼んだのはいつかの黒猫獣人の男である。助けてもらった恩もあるしと夕食をごちそうしたら、何故か気に入られてしまったらしい。こうして腹が減れば我が家へ訪れるようになってしまったのだ。あの日は急なことでもあったので特別なごちそうを出したわけでもないし、私が普段食べているようなものを出しただけであったはず。それなのに何故こんなことになってしまったのか。今の所答えは分かっていない。


「ああ?何だ?その言い方は。せっかくフラスタ鶏くれてやろうと思ったのによ」

「ふ、フラスタ鶏……!」

「そういう言い方するってことはいらねぇんだよな?」

「いります!どうぞ、お寛ぎになってお待ちください!」

「ったく。最初っからそう言ってればいいんだよ」


 迷惑だと思い切り顔に書いてカイルに向き合っていたのだが、そのカイルの手には一羽の鶏がぶら下がっている。すでに羽毛は取り除かれているが鶏冠が青いそれは、彼が言う通りフラスタ鶏に間違いないだろう。こちらの世界特有の鶏で、その味はとても美味しい。身は油が乗っていてぷりっぷりで、臭みはなく、僅かに甘いのだ。だが、繁殖が難しいらしく、あまり安くはない。しかし、それを食べられたことは、こちらの世界に来て良かったと思える数少ないことの一つである。

 私はその鶏を土産にやってきた人を目の前にして追い返すことができるほどの冷徹さは持ち合わせてはいない。態度を180度変えて、カイルを見るとリビングを兼ねたダイニングスペースにある椅子へと促した。小さなキッチンのあるダイニングスペース、そして寝室だけの小さな家にはお客様が座れるような場所はそこにしかないのである。

 二人掛けのダイニングの椅子にカイルが我が家のように座るのを見ると、私は料理に取り掛かる。せっかくの丸鶏でもらったのだから詰め物をして丸焼きというのも魅力的だ。少し考えるだけでよだれが止まらない。中にたっぷりの野菜とハーブを詰め込んで、オーブンに入れる。この辺りではどんなに小さな家でも漏れなくオーブンが付いているのは有難い限りだ。とりあえず、後は焼けるまで時間がかかる。その間に他にスープか何か用意しなくては。


「それにしてもフラスタ鶏なんてどこで手に入れたんですか?町の肉屋でもなかなか置いてるの見ないのに」

「……聞きたいか?」


 そう。フラスタ鶏はそこまで高級品でもないのに、あまり肉屋に置いてるのを見ない。だから珍しいなと思って聞けばカイルはにやりと笑ってはぐらかす姿勢だ。


「また危ないことしたんじゃないですか?……あ。よく見たら、頬のところ怪我してるじゃないですか」

「こんなのかすり傷だ」

「ちゃんと消毒しました?」

「舐めときゃ治る」

「全く。跡が残りますよ?ええっと、傷薬はっと……」


 密になった黒い毛並みがあるせいで分かりにくいが、よく見てみれば頬の所に傷があるのが見える。分かるということはまだ怪我をしてから浅いということだろう。私は自分用の傷薬を取って来て、彼のすぐ横に膝を着く。


「はい。大人しくしててくださいねー」

「何だよ、人を子供みてぇに言いやがって」

「こんなところに傷を作って放っておくなんて子供じゃないですか。カイルは家に来るたびに怪我してるんですから、おかげで我が家の救急箱が充実してますよ」

「……迷惑か?」

「迷惑です。こんなにしょっちゅう怪我してるの見たら、心配ですもん。たまには怪我しないで来てくれませんかね」

「……」


 カイルはまるで借りてきた猫のように大人しい。いつもはどこかの野良猫のように鋭い目で見ているばかりだと言うのに。私は小さくくすりと笑って、彼の頬の傷に薬を塗ってしまう。日本で育った私には考えられないほど高性能なこの薬は、塗って少し置くとあっという間に傷が見えなくなる。日本にもこの薬があれば、傷が残ってしまった昔の古傷もなかったかもしれないのにと思えて少し惜しい。


「はい。じゃあ、何もない家ですけど大人しくしててくださいね。料理にまだ時間かかるので、その間お茶でも飲みますか?」

「いや、いい」

「そうですか?あ。テーブルにあるものなら食べてもかまいませんので、小腹が空いてたらどうぞ」

「これは、お前が作ったのか?」

「はい。お店に出すものの練習ですけど」

「そうか」


 小さなダイニングテーブルの上には籠に入ったクッキーが置いてある。ダーナさんがお店のカウンターのところに置かせてくれると言うので、目下試作がてら練習中なのだ。どうせ売り物にするのな変なものは出せないし、できる限りおいしいものを販売したい。

 今置いてあるクッキーに関しては配合を変えたりして試作段階のものだが、味は悪くはない。だが、作りすぎて正直困っているくらいのものなのだ。少しでも食べてくれれば嬉しいなと思って言ってみれば、カイルは無言で食べている。クッキーだけでは喉が渇くだろうと、お茶を出してみれば全て食べきる勢いで食べている。


「あの、無理して食べなくても良いんですよ?」

「……無理はしてねぇ」


 彼がそう言うのならそうなのだろう。私は横にお茶を置くと、キッチンに戻って作業を再開する。

 オーブンに入ったフラスタ鶏が焼き終わる頃には、付け合せのサラダとスープも作り終わった。キッチンからくるりと向き直ってダイニングテーブルの上を見れば、クッキーの入っていたはずの籠はすっかり空になっている。


「お腹が空いてたんですね。お待たせしてすみません」

「別に」


 カイルは不機嫌そうに顔を逸らして決して私の方を見ようとはしない。よっぽどお腹が空いていたのだろう。鶏が焼けるまで時間がかかったので、結構待たせてしまったかもしれない。空になった籠を片付けると、そこにもらったばかりのパン、サラダ、スープを並べていく。そしてクッキーの籠が置いてあった空いたスペースにドンとフラスタ鶏の丸焼きを置いた。ここにぶどう酒なんていうものがあれば完璧だったのかもしれないが、そのような嗜好品を買う余裕はないので水の入ったグラスを並べる。


「切り分けますね。とりあえず、もものところで良いですか?」

「ああ。おい、野菜は」

「野菜もバランス良く食べなきゃだめですよ。鶏のダシが染みておいしいですから」

「……ったく」

「はい。いただきます」


 ささっと丸鶏をほぐして、とりあえずもも肉と野菜を少しお互いのお皿に取り分ける。中に詰めていた根菜はちょうど良い火の通り加減だ。カイルの皿に野菜を置くと不機嫌そうに顔を歪めたが、それも気付かないフリをしてどんどん取り分けてしまう。彼が本当の猫であれば考慮するが、カイルが猫の見た目の人間であることは私もすっかり知っているのだ。

 そしてとりあえず取り分け終わると、いつもの習慣で両手を合わせていただきます。こちらの人はこういう仕草をしないことは分かりきったことではあるが、習慣というのはなかなか止められるものではない。


「その『いただきます』ってやつ、いつもやるよな」

「ああ。これは習慣なんです。気になりますか?」

「いや。見たことねぇなと思って」

「うーん。私の故郷は遠いみたいですからねぇ」


 それは最早どこにあるかも分からない。ただ分かっているのは、帰り道を見失ったということだけだ。


「帰るのか?」

「いつか……帰れたらいいなとも思いますけど」


 カイルの黄色の瞳がじっと私を見つめている。

 帰れたら良いと思う。向こうでの私がどのような扱いになっているかは分からないが、それでも迷惑をかけていることには変わりないだろう。仕事帰りに突然消えてしまった女だ。田舎に住んでいる家族は驚かせただろうし、心配しているに違いない。


「それにしてもこのお肉本当においしいですね。カイル、早く食べないと私が食べちゃいますよ?」

「……着いてく」

「――っ!はい?」

「俺も着いてく。お前は一人じゃ危なっかしいからな」

「いや、そんな。大丈夫ですって」


 カイルの真剣な眼差しに、思わず胸がどきりと飛び跳ねた。口に入っていたおいしい肉が気道に入りそうになって咽て、睨むようにカイルを見た。しかしカイルは意にも介さないような顔で、食事を再開している。わたわたとしている私を他所にフラスタ鶏はどんどん消えていく。


「食わねぇのか?無くなるぞ」

「わっ!ちょっとは残して置いてくださいよっ」

「ほらよ」

「カイル!これ、野菜だけじゃないですかー!」

「お前が作ったんじゃねぇか」

「そうだけど、そうですけど!」


 にやりと笑ったカイルは私の皿に野菜をどんどん置いていく。肉はほんの一欠片しかない。思わず恨みがましい目で見れば、カイルは笑いを堪えられないように楽しそうに笑う。


「――お前といるとほんと飽きねぇ」

「そりゃあ、こうやって苛めてればそうかもしれませんけど。満足できました?」

「今日も美味かった」


 食べ終わってそう言って目を細めて笑うカイルの顔が見たくて、何だかんだとごはんと作り続けている私も私だと思うわけで。

 そして、いつ勝手に故郷に帰るか分からないからと言い訳をして、カイルが私の家に住み着くようになるまではあと少し。


 ――迷子になった先で猫に餌付けをしてしまったのかもしれません。それとも、その猫に絆されてしまったのは私なんでしょうか?

戦闘狂は匂わす程度に終わりました……。

RTいただきありがとうございました^^

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