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七話「ハイエナ」

翌朝、オルディネを出たアスルとアキレアは、町の近くを流れていた小川に沿って北と僅か東に向かって歩きはじめた。シュティレはそれほど遠くない。朝の早い時間に出発したので、何事もなければ昼過ぎには到着することだろう。


「本来、丈夫なでかい石塀に囲まれた町は、軍が避難所として作ったものだ。ああいう避難所がつくられるようになったのはアウトブレイクから六年ほど経ったころだね。軍の指揮下にある町は兵士の警備と物資の供給が行き届いているからある程度は安全で且つ、酷い飢えもない。余裕がある。ナチャーロもオルディネも軍が設けた避難所だよ。まあ、軍隊も人手がないから、ナチャーロのように検問所にだけ兵を置いてる町がほとんどさ。でも、オルディネのように兵が常に徘徊している町もあるにはある」


「軍の指揮下にある町は――っていうことは、軍の指揮下にない町もあるってこと?」


「そう、フォールなんかは軍じゃなく民間人が作りあげた町で、軍は関わっていない。ただ、そういう町でも運が良ければ軍が物資の供給に来たり、住人が交代で行っている検問を、お人好しな軍人が厚意で請け負っているところもある」


「フォールは運が良かったの?」


「良かったよ。軍からの供給がない町はあんなもんじゃない。もっと悲惨だ。塀で囲んだ避難所なのに、避難所として機能していないような町だってうんとある。今のところはまだ、そういう町には立ち寄っていないけれどね」


何処からともなく湧き出てくる発症者たちのほとんどをアキレアに退治させながら草原を進んで行く。戦うたびに脳を見つける時間が縮んでいくのを見る限り、彼女は既にコツを掴みつつあるようだった。


「アッキーって、殴るより蹴るほうが得意だよね。足癖悪いよ」


「手癖の悪いアスルに言われたくないわ」


「言ってくれる」


全く以てその通りだ。アスルはくっくと含み笑いをする。


「ねえ、アスル。こんなときになんだけど」


「何さ?」


「ほら、フォールで声を上げて他の発症者を集める――ルーフェンがいたじゃない。ルーフェンの他にも、ああいう特別な性質を持った発症者はいるの?」


「そうだね。うん。ルーフェンの他にも、たとえばアタッカーっていう、四肢の筋力が発達している発症者もいる。他のより手足が長くて太いから見ればわかるよ」


「じゃあ、手足の力が強いのね」


「ああ。腕力は勿論のこと、足が速くて跳躍力もある。アタッカーに遭遇したら、まず逃げられるとは思わないほうがいい。ちなみに、ルーフェンは首が太くて喉が膨らんでいるから、少しわかりづらいけどそこで見分けられるよ」


「ルーフェンやアタッカーみたいなのって珍しいの?」


「そこらにウジャウジャいるわけじゃないけど……珍しいかと言われるとそんなこともない。ただ、ルーフェンもアタッカーもノーマルも、発症者は時間が経つと進化するのがほとんどだから、少ないことはないけど、多いわけでもないだろうよ」


「進化?」


「お前、本当に物知らないな」


「だから聞いてるんじゃない。発症者の進化って?」


「前にも言ったように、糸虫は寄生しはいした生物の体の構造を徐々に変化させていく。人間が糸虫の寄生によって変異させられたのが、そこかしこにいる発症者たちだ。そして、やつらは時間が経つとさらに外形や性質が変わるんだ」


「人間だった面影がない、完全な化け物になるってこと?」


アキレアが恐る恐る尋ねる。アスルは頷いた。


「どんな化け物になるのかっていうのは個体によって違うから、それは変異するまでのお楽しみなんだけど、いいことはない。連中が進化するってことはパワーアップするってことだから。ちなみに、進化後の化け物はよく『覚醒者』と呼ばれてる」


「アスルはその、覚醒者と遭遇したことってあるの?」


「あるよ。ああ、心配しなくても、外を歩いていればそのうち嫌でも現れるから。アッキーもそのうち相手することになるよ」


「なるべくなら、現れてほしくないわ」


「同感だね。……にしても、今日はやけに発症者が多いな。おちおち休憩もできやしない」


「フォールであんなことがあったんですもの。仕方ないわよ」


アキレアは向かい来る発症者の太股に転移した脳を蹴りで脚ごと吹き飛ばした。後ろに倒れていく発症者を両手で支え、ゆっくりと地面に寝かせる。彼女は余裕があるときはそうして殺した後の発症者すら丁寧に扱うのだ。まったくその思考は理解に難い。そんな風に置かなくても、勝手に倒れていくのだから放っておけばいいものを。大きな音を立てないように――というのならまだ分かるが、どうもそれが目的ではないらしい。彼女の、死骸を寝かす手つきからは慈愛や哀悼といった弔いの念が感じられた。


「本当にそうかなあ」


「え?」


二人の髪を揺らしながら、北から南へと風がすり抜けていく。


「何か、くさいんだよな」


「くさい? 何もにおわないわよ」


「お前の鼻がバカなんだろ」


「そんな言い方ないじゃない」


「……風に乗って、嫌なにおいが漂ってきてる。まあ、それは何処にいたってそうだけど……今日は特別酷い。きっと何かあるよ。良いことでないことは確かだ」


「それって……どんなにおい?」


「そうだなあ」


アスルは向かい風に目を細める。


「火薬。血。それから――死体のにおいだ」


彼のその言葉が真実であったことは、それから約三時間歩き続けてシュティレに到着したときに明らかとなった。町の中を覗きこんだアキレアは、その光景に慄然とする。


木材の柵で囲まれた町は出入口の門が全開になっており、検問所にも見張りがおらず、町の中はめちゃくちゃに荒らされており、住人も残っていないようだった。いや……正確には、この町の住人だった者たちの死体ならば、いたるところに残っている。門の近くには血まみれの兵が倒れていた。


「なに、これ」


アキレアが震える声で問う。兵士の死体を調べたアスルは、死体を突き飛ばして地面に倒しながら、見た通りだよと言った。アキレアはアスルの行動を咎める余裕もないらしく、町の中を不安げに見回している。


「まさかここも?」


「柵が壊れて、そこから連中が入り込んだか、フォールと同じく内部から発症者が出たか……原因がどうであれ、今さっき起きたことでないのは確かだ。一晩か一日は経ってるね」


「そんな……」


「あのさあ、こんなの別に珍しいことじゃないんだよ、アッキー。今日安全だった場所が明日も安全である保証なんて何処にもないし、今こうしている間にも世界のあちこちで隔離地域が滅んで、人類は確実に数を減らし続けている。このくらい、驚くまでもない当然のことだろ。いちいち悲しんでちゃキリがない」


「『このくらい』って……ここに、まだ住人が残ってる可能性は?」


「あるって言うと面倒だから、ないよ」


「あるなら行く価値はあるわね」


「……別にいいけど。俺も物資をあさりたいし……ただ、あまりオススメはしないね」


「どうして?」


「この町にいるのは発症者だけじゃないってこと。ああ、言っておくけど逃げ遅れた住人が、って意味ではないよ」


「じゃあ何がいるのよ」


「盗賊さ。アウトブレイクが起きて、物資をそのままに人だけがいなくなった町を、連中が放置するはずがない。俺と同じように物資をあさる手癖の悪いやつがいるんだよ。今頃はフォールにも来てるだろうね」


「盗賊? どうしてわかるの」


「崩壊から日が経った町から火薬の匂いがするはずないだろ。それに、この軍人の装備が全部剥ぎ取られてる。銃を持った盗賊集団だ。何人いるかまではわからないけど、生きて動いてるモノは仲間以外全員殺すようなやつらだから、見つかると厄介だよ。見ろ、弾痕が至る所にある」


町の何処からか銃声が響いた。アスルの言ったことは当たっているようだ。アキレアの表情がいっそう強張った。


「俺は行くけど、アッキーはどうする? 行くなら行く、行かないなら行かないで、さっさと決めなよ。ここでじっと立ってても、銃の的にされるだけだぜ」


「も――もちろん行くわよ。逃げ遅れた人がいる可能性があることに変わりはないもの。そんな危険な人たちがいるなら、尚更助けに行かないと」


「本当にいるかどうかもわからない生存者のためにそこまで出来るとは、お人好しもここまでくると感心だ」



*



舌打ちをしながら盗賊の死体を蹴り飛ばし、弾薬だけを回収する。それ以外に目ぼしい物を持っていなかったのだ。アスルは近くの納屋の戸を開けると、先に捨ててあった四つの死体の上に男を投げた。


「もっと良い物持ってるかと思ったけど、期待外れ」


この町を荒らしまわっている盗賊集団はまだまだいる。ハイエナの絵が彫られた小さなタグを着けているのが、彼らが仲間同士である証のようだ。通常、盗賊が複数人のグループを組んで盗賊行為を行っている場合、同じ模様のタグであったり、同じ色のバンダナやリストバンドであったり、形はさまざまだがとにかく相手が仲間であることが分かるように目印を身に着けている。


町の中心に近い位置、アスルは死体詰めの納屋の戸を閉めると、何事もなかったかのように町の探索を再開した。ここに来るまでに七人の盗賊を片付けたが、町に潜む人の気配が消えた様子はない。


ジリ、と小石が踏まれる音に足を止め、傍の家屋に背をつける。足音だ。アキレアのブーツの音ではない。一人の若い男がアスルの目の前を通過しようとしたとき、アスルはその首に腕を回して掴むと、咄嗟に暴れようとする男の鼻先に銃剣をちらつかせ、民家の中に引きずり込んだ。


「お、お、おい落ち着けって、物騒なモン仕舞えよ」


男は焦った声で説得してくるが、アスルは耳を貸さない。


「丁度よかった。ハイエナの人だよね、この町に何人で来たか教えてくれない? 素直に教えてくれれば怪我はさせないからさ」


「ハ、ハイエナァ? 何の事だか。俺は関係ねえんだよ、逃げ遅れたんだ。わかったら放してくれ」


「嘘がヘタだなあ」


男をなぎ倒し、馬乗りになってその首を掴みなおすと、銃剣の刃先で胸元のタグを持ち上げた。男はぎくりとする。


「これ、グループの印でしょ? で、今シュティレにいる仲間の数は?」


「クソッ放しやがれ! この……」


嘘が露見し暴れ出す男の腰のホルスターから素早く銃を奪い取り、銃口を彼の口に突っ込んだ。引き金に指をかけると男はピタリと動くのをやめた。


「ただの脅しだと思う?」


ポケットから七つのタグを出し、にこりと笑って見せると、男は言葉にならない声を上げながら首を横に振り、両手を上げた。もごもごと口を動かすので銃を放してやると、男は脂汗にまみれた顔で十五人だ、と声を裏返らせる。


「じ、十五人、十五人で来た!」


「嘘じゃないよね? もし嘘の情報だったら――」


「嘘じゃねえよ、本当だ! た、頼む、教えたんだからもういいだろ!」


「そんなに慌てなくても、今解放するよ」


ざくん、男の額に銃剣が刺し込まれた。


「これで残りは七人」


バタン、背後で扉が開く。


「おいお前、そこで何してる!」


「――いや、六人か」


その後、町の奥にある広場に残りの盗賊たちが集まっているのを発見した。撤退のために集合したようだ。他のやつらはどうしたと煙草を咥えた大柄の男が言う。どうやら彼がリーダーのようだ。他の五人は周囲を見回すが、無論、未だ現れない残り九人の仲間が来るわけもない。彼らは皆、一人の青年によって鎮圧されたのだから。


六人のうちの一人――おそらく彼らの中では一番下っ端なのだろう――が、捜してきますと集団を離れた。物陰に隠れたアスルに気付かないまま、こちらに小走りでやってくる。そのままアスルの前を通りすぎ、背中を見せた直後、男の額に赤い角が生えた。


「駄目だよ、敵は何処に潜んでるかわからないんだから。もっと警戒しないと」


近くの建物にでも隠しておこうと、死体を引き摺りながら近くの民家に入る。しかし、裏口の扉を開けた瞬間、扉に仕込まれていた紐が解放され、その先で天井に繋がれていたカゴがひっくり返り、中のガラス瓶や空き缶がガラガラと大きな音を立てて床に散らばった。


「誰だ!!」


広場に残っていた五人の男が一斉にこちらを見る。家の中にはたくさんの荷物が置かれており、ハイエナたちはこの家をひとまずの本拠地として物資を漁っていたようだ。裏口から誰かが忍びこんだときのために罠を張っていたのだろう。


「あらら、サウンドトラップか。カワイイ真似してくれちゃって」


俺も注意が足りてないな。愚痴をこぼすように呟くが、大して焦った様子もない。むしろ、残った彼らをどう片付けるかを考えていたところだったので、道が絞られてちょうどいい。


残る五人の盗賊たちは銃器を構えてこちらの様子を伺っている。アスルはひとまず、両手を挙げた状態で彼らの前に姿を現した。そのままゆっくりと彼らに近付き、三メートルほど距離を開けて止まる。広場は中心に大きな天使の石像があり、それを花壇とベンチが円形に囲んでいる。大柄の男が煙草を吐き捨てた。五人はゆっくりとした動きでアスルを囲むように移動する。


「なんだお前、逃げ遅れた住人か? それとも他のグループのやつか」


「たまたま立ち寄った旅人だよ。おじさんたちは?」


素直に答える。男は鼻で笑うとアスルと距離を詰め、腹に銃口をぶつけてきた。それでもアスルのポーカーフェイスは崩れない。


「まあなんでもいい、運が悪かったなァ兄ちゃん。この町は今、俺たちのモンだ。俺たちの狩場を荒らした制裁を下す。恨むならたまたまここに立ち寄った自分を恨むんだな」


「本当にそうかな?」


「は?」


アスルは七から十になったタグを地面にばらまく。


「運が悪かったのはお前たちのほうなんじゃない?」


男の銃を手首ごと取り落とさせ、その背後に回って首を掴み、首に銃剣を突きつけて人質に取る。


「っつうか、この俺の質問をシカトとかお前、何様?」


野太い悲鳴に四人のハイエナたちはたじろぎ、撃つのを躊躇って僅かに後退した。その隙に一人を投げナイフで仕留める。残り三人は一斉に駆け出し、ベンチや花壇の陰に隠れた。腕に抱えていた重たい大荷物を、こめかみから脳を壊して地面に捨てる。邪魔だ。


リーダーの男が死んだのを見ると、残り三人のうちで一番近くに隠れていた男がショットガンを発砲してきた。スラッグ弾だ。初めの一発は足元に、続く二発目は肩の上を通り過ぎていった。アスルは無傷だ。男が弾を装填している間に駆け寄り、脳天に刃を突き立てる。すると、今度は反対側の花壇の陰から男がグレネードを放ってきた。狙いは的確だが、アスルの前ではその的確な軌道が仇となることを男は知らない。


山なりに向かってくる擲弾てきだんからアスルは逃げるとも慌てるともせず、あろうことかそのまま受け止め、ハイエナに向かって投げ返したのだ。グレネードが男のもとに返った丁度その時、断末魔とともに血と肉片が舞う。


残る一人のハイエナは恐れをなしたらしく、情けない声を上げながら広場から逃げだそうとする。アスルはで爆破で散った肉片の中からハンドガンを拾い上げ、逃げる男の頭を撃った。狙いはやはり的確だ。


「ハイエナのくせに走るの遅いね。タグ、子犬に変えたほうがいいんじゃないかな。ダックスフントとかどう?」


盗賊たちの衣服で刀身を拭き、剣を仕舞う。死体の中から弾薬と、傍にあったハイエナたちの荷物から必要な物資を回収したとき、広場の奥から物音がした。一人の男と目が合う。白髪交じりの髪。頬から口元と顎の周辺までに苔のような無精髭を生やした、大きな男だった。目元の皺が年齢を感じさせる。四十代から五十代くらいだろう。見た目の印象はさながら二メートルのクマといったところか。首に薄汚れたマフラーを巻いており、両手には薄茶色の手袋をはめている。左目の端に小さな傷痕。胸元に長方形のネームタグが垂れていて、マフラーの男はアスルに見つかると表情を強張らせた。


「なんだ、まだ一人残ってたんだ」


アスルが再び銃剣を抜くと、男が慌てた様子で両手を挙げる。


「待て、俺はハイエナじゃない」


「信用できないね。そのタグは何?」


「あの集団の物ではない。形も模様も違う」


一瞬のうちに間合いを詰め、横薙ぎに斬りかかる。無駄のない動きだ。


しかし、男はアスルの攻撃を避けた。


アスルは僅かに眉を顰める。剣を躱されたのは初めてのことだった。


「へえ、やるじゃん」


「戦うつもりはない。味方だ」


「それは俺が決めることだよ」


斬る。男は避けた。突く。これも避けられ、男がアスルの腕を掴んだ。アスルは睨む。彼がハイエナかどうかなどということは、もはやどうでもいいことだった。


「何お前、ムカつく」


「もう一度言う。戦うつもりはない」


「おっさん強いの? だったら手加減しなくていいよね」


「おい、話を――」


アスルの右腕を掴んでいた手を掴み返し、髭に覆われた顎を狙って蹴りあげた。まともに食らった男がよろめいたところに改めて銃剣を構え、額に向けて一直線に刃を突き出す。反応が遅れた男は今度こそ回避ができなかった。

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