4 魔女は引き続き恋人を作る
アーリアデットは、軽く咳払いをして気を取り直す。
「私の理想のタイプの話はともかく……始めるわよ」
背筋を伸ばし深呼吸すると、魔法陣に両手をかざす。
「我が力を以て、蔵す由を目覚めさせたまえ!」
声高らかに発した呪文の言葉は、決まり文句があるわけではなく、アーリアデットが自身の魔力を注ぐイメージをつけやすくするための、一種の掛け声のようなものだ。それこそ「はあっ!」や「せえの」でも構わない。
アーリアデットの魔力に反応して、魔法陣が動き出す。蝋石の線に合わせて光が走り、魔法陣全体が清らかな輝きに包まれる。
魔法陣の中央にある氷塊が、白い煙を発し始める。光の熱によって氷が溶けて発生した蒸気の他に、明らかに違う煙が混ざっている。その煙の方が徐々に量を増し、アーリアデットの目には氷塊が完全に見えなくなった。
「我が言葉を以て、魂と器に名を刻む。“ヘクト”――主となる我の声に応えよ」
アーリアデットの声に反応して、魔法陣が一際強く光った。シュウゥ、という音と共に魔法陣の光が薄れ、煙が晴れていく。
魔法陣の中央、氷塊の代わりにそこにいたのは、一人の青年だった。
外見年齢は十八歳ぐらい。目と首の後ろに掛かるざんばら髪は、艶やかなランプブラック。ボトルグリーンの目は、細く切れ長。高すぎず低すぎず通った鼻筋。形の整った薄い唇。
程良い長身と筋肉のバランスで、アーリアデットが思い描いた執事服に身を包んだその姿は――
「イケメンキタ――――――ッ!!」
アーリアデットが狂喜乱舞するには充分な、文句のない格好良さだった。
声に反応したのか、青年――アーリアデットのつけた名ではヘクト――がアーリアデットの方を向く。まだ意識が目覚めていないのか、とろんとした感情に乏しい目で見つめてくる。
魔法陣の光が完全に消えたのを確認してから、アーリアデットは最終工程に入る。
「おはよう、ヘクト」
「ヘク……ト?」
ヘクトがぼんやりとしながら繰り返し、アーリアデットは自信に満ちた表情で頷く。
「そう、あなたの名前よ。あなたは、今日この時から私を主として仕えるのよ、元百年ガエルさん? そして私の恋人に――」
「百年……ガエル…………ああぁっ!!」
「へっ? ――――きゃっ!?」
急に大声を出したかと思うと、ヘクトはアーリアデットに掴みかかった。襟を握りしめ、鬼の形相で怒鳴り散らす。
「てめぇ、ネイシャ! よくも俺様を騙しやがったな! お前の言ったところに行ったが、仲間なんていなかったじゃねぇか! ありゃ、俺様を誘い出すための嘘だったんだな! しかも、不意打ちで氷漬けになんかしやがって、こんの卑怯者っ!」
「ちょ……違っ……」
「今更言いわけする気か!? 言い逃れしようったって、そうはいかねぇぞ!」
「いやいや、そうじゃなくて。君が掴んでるそれ、ネイシャじゃないよ」
「あぁ!? …………ん?」
ハルピオスに言われて、ようやく違和感を覚えたらしい。
ヘクトはアーリアデットの顔をまじまじ見て、それから頭のてっぺんから爪先まで視線を移す。
「……確かに、あの極悪非道な魔女は、こんな顔じゃなかったな」
そう言うと、ヘクトはパッと手を放す。アーリアデットは心構えのないまま解放されたので、思わず尻もちをついてしまった。
「極悪非道とまでは……。まあ、エキセントリックではあったけど」
苦笑いするハルピオスの横で、アーリアデットは涙目で咳きこみながら、どうにか体勢を立て直す。
「だから、違うって言おうとしたのに……」
不服な顔をするアーリアデットに、ヘクトは視線を合わさずにぼりぼりと頭を掻いている。
「なんだよ、謝ったんだからいいだろ」
「え!? いつ!?」
「さっき、心の中で」
堂々と言ってみせるヘクトに、流石のアーリアデットも呆気にとられる。
(なんか……なんか、私の思ってたのと違う……)
見た目は完璧だ。アーリアデットの思う、『上品の中にワイルドさもあるけど、時折見せる笑顔が可愛い青年』のポイントを上手く押さえている。
しかし、どうやら中身の方は、それとはまったく釣り合っていないらしい。元の魂の情報――つまりは百年ガエルの性格が、そのまま反映されているのだろう。その証拠に、カエルの時の記憶が彼には残っているようだ。
その百年ガエルの人となりのまま、ヘクトが馬鹿にしたように言う。
「まあ、よくよく考えれば、ネイシャはこんなちんちくりんじゃないしな」
「ちんちくりん……。な、なによ! そっちなんて、元カエルのくせに!」
「はあ? 何言ってんだ? 俺は今でも、立派なカエル……ってなんじゃこりゃ!? なんでこんな姿になってんだ!?」
「あ、今頃気づいたんだ」
ハルピオスがのんきな声で言ったのを機に、ヘクトはようやく状況を理解しようとするだけの落ち着きを持ったのだった。
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