3 魔女は恋人を作る
* * * * *
それから三日後のこと。
「――――で、これはなに?」
ハルピオスは、目の前に広がる光景に対して呟いた。
屋敷の一階には、応接室がある。この建物の中で唯一綺麗で、一番広い部屋だ。
その応接室の中央に、蝋石で描かれた魔法陣がある。
部屋に入ってきたアーリアデットが、その魔法陣の上に氷の塊を置いた。手袋をした手をはたいて、額の汗を拭っている。
「異世界の魔法技術の一つよ。色々見てみて、この方法が一番望んだ形で実現出来そうだったの」
「いや、だから、これでなにをするのかって訊いてるんだけど」
「なにって、前に言ったじゃない。恋人を作るのよ?」
「…………」
そこで初めて、ハルピオスは自分の勘違いに気がついた。
恋人を作るという宣言は、出会いを求め外に出て努力をするという意味ではなく、魔法を駆使して人を生成する、文字通り『恋人を作る』という意味だったのだ。
ハルピオスは複雑な表情をする。一方、アーリアデットは得意満面な表情をする。
「正確には、執事兼恋人ね。普段は家のことを任せるつもりなの。それに、主と執事の恋っていうのも、なかなかときめくでしょ?」
「……もう好きにして」
全てを諦めたハルピオスは、溜め息を吐いてアーリアデットの傍に飛び移った。
「それで、この氷は一体?」
氷塊は、人の頭ぐらいの大きなものだった。ダイヤモンドのように輝くその中に、僅かに影のようなものが見える。
「あれ、ハルは記憶にないの? 私よりも、むしろハルの方が詳しいはずなんだけど」
「僕は興味がないことは、すぐに忘れちゃうからね。それで?」
「これは、先々代の残した物よ。地下室に保管されていたの」
「先々代? ああ、ネイシャかぁ」
一般的には知られていないが、“世界の全てを見る魔女”と言われる魔女は三人いる。
アーリアデットは三代目で、アーリアデットの師匠にあたる魔女が二代目、その師匠の更に師匠が初代で、そうやって異次元を覗く魔法は受け継がれている。
特に、先々代の魔女ネイシャは鬼才ともいうべき能力の持ち主で、異次元で得た知識以上に、独自の魔法を練りあげ駆使していたという。
アーリアデットは実際に会ったことがあるわけではないので、伝え聞く程度にしか知らないが、ハルピオスは初代の頃からこの屋敷にいるので、その実力を目の当たりにしていたはずである。
「おばあちゃん――先代から聞いていた話では、この氷の中には百年ガエルが封じられているそうよ」
「百年ガエル?」
「百年ガエルというのは、カエルの中でも珍種で、それと同時に害のある生物と言われているものなの。生命力が高く、平均寿命が百年と長寿で、更に繁殖力も高くて、一度の産卵で三万の卵を産むの。長生きで沢山増えると……どうなると思う?」
「そりゃ、一度産まれだしたらどんどん数が増えて、生態系が崩れるよね」
「そういうこと。『一匹見たら一万匹はいると思え』って話でね、その一匹が発見されちゃったわけ。幸い、生殖している様子はなかったようだけど、それを危惧した当時の政府の人が、先々代に依頼しに来たんだって。百年ガエルを絶滅させずに封印するように」
「あー、薄らぼんやりとだけど思い出してきたかも。……本当になんとなくだけど」
「ハルがその程度にしか覚えてないということは、先々代はあっという間にその依頼を完遂しちゃったんでしょうね。多分、先々代自身も忘れて、それでずっと地下室に放置してたんじゃないかしら」
話しながら、アーリアデットは最後の仕上げに入っている。魔法陣の周囲に砂と空の瓶とロウソクを東西北にそれぞれ置き、自らは南側に立った。
ハルピオスが魔法陣の外に出たのを見届けてから、再び魔法陣に向き直る。
「これから行う儀式魔法の説明をしておくわね。一応把握してもらわないと、失敗に繋がる行為をされても困るから。と言っても、魔法陣に触れなければだいたい大丈夫だけど」
「僕が部屋を出て待ってるという手もあるけど、使い魔が傍にいた方が、アーリアの魔力が安定するからねぇ。とりあえず、アーリアの後ろに控えてるとしますよ」
そう言って、ハルピオスがアーリアデットの斜め後ろに移動する。
アーリアデットは、不慣れなぎこちない手つきで長い髪を軽く束ねながら、儀式の説明を始める。
「第一工程は魔法陣の作製……は、もう終わっているから省略するわね。第二に、完成した魔法陣に魔力を注いで発動。第三に、対象へ名称をつける。名前をつけるという行為は、そのものの存在を確定させる、魂を安定させる大事な工程ね。名前はもう決めてあるから問題なし。そして最終工程、魔法陣の力が治まったら対象に自分の存在を認識させる。これで完全に肉体と魂が固まる。……まあそんなところね」
「ふーん、儀式としては比較的簡単な方なのかな。あぁでも、人ひとり作るんだから、魔力消費は甚大かぁ」
「まあ、そうね。でもこの三日間、しっかり英気を養ってたから大丈夫だと思う」
ガッツポーズをして見せるが、アーリアデットの体格ではあまり力強くは見えない。しかも英気を養うといっても、食っちゃ寝を繰り返していただけなのだから、いつもとたいして変わらなく思える。
それは口に出さず、ハルピオスは思い出したことを訊ねてみる。
「そういえば、さっき『一番望んだ形で実現出来そう』って言ってたけど、それはどういう意味だったの? それに、なんで百年ガエルを使うのかの説明も聞いてないし」
「ああ、うん。最初、本当は『人体生成』の方法を探していたの。実際方法は分かったんだけど、問題はその方法を再現しようにも、この私達のいる世界にある物質や自然要素、魔法要素では不足していたり性質が違ったりして、実現は不可能だったの」
「知識があったとしても、それじゃ意味がないね」
「だから別の方法を探ってみたんだけど。そしたら、『人間に生まれ変わらせること』なら可能だと分かったの。簡単に言えば、魂の情報を媒体にして、肉体は変質させるといった感じね。その素材として、百年ガエルは申し分ない存在なのよね。寿命も人間に近いし、知能も高いと聞いたことがあったから」
「なるほどねぇ。……で、実際どんな人間が生まれるの? まさか、分からないなんていう無責任なことは言わないよね?」
「そう、それ! この術法の良いところはそこなのよ!」
アーリアデットは突然テンションをあげて、手をパタパタ動かしだす。浮かべている表情は、誰がどう見ても完全に嬉々たるものだ。
「なんと、この儀式魔法! 自分の思い通りの姿の人間が作れるの! だから、私の理想とする『上品の中にワイルドさもあるけど、時折見せる笑顔が可愛い青年で、紳士的で優しい執事兼恋人』も作り出すことが可能なの!」
「それ欲張りなんじゃ……。いや~、しかしアーリアの好みのタイプって、そういう男だったんだぁ。初めて聞いたよ、うんうん」
「あわぁ! ……うぐぅ」
ボンッと真っ赤になったかと思うと、悔しそうに恨みがましい目つきでハルピオスを見る。
ハルピオスはその視線から顔を背けて、素知らぬ振りで口笛を吹いている。ただオウムがピーピー鳴いているだけのようにも見えた。