2 魔女はようやくやる気を出す
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「リア充爆発しろ――――っ!!」
偉大な魔女であるところのアーリアデットは、部屋中に響き渡る声量で叫んだ。
世間では“世界の全てを見る魔女”などと言われ畏敬の念を抱かれているが、その実体は十五歳の少女だ。
コルク色の長い髪は、お尻が隠れるぐらいまで伸びており、大きな瞳は綺麗なカーマインレッド。
年齢にしては幾分低い身長は、彼女にとって少しばかりコンプレックスである。その身を包むワンピースドレスは、スカート部分はギャザーがたっぷりで大きく膨らみ、胸元にはリボン、他にもフリルとレースがふんだんにあしらわれている。
そのデザインがより一層彼女を幼く見せているのだが、本人はそれには気づかず、好きな物を着られているので満足している。首にかかる金のペンダントと合わせて、隅から隅まで豪奢な装いである。
アーリアデットは、その小さな体の全体重をドレッサーの台に掛けている。立ち上がっても、まだ倍近くの高さはある大きな鏡を睨みつけていた。
そこに、どこか呆れた声が掛かる。
「なに大声出してるの、アーリア」
開け放たれたままだった扉から、一羽の赤いオウムが入ってくる。
オウムの名前は、ハルピオスという。彼はアーリアデットと暮らしている唯一の喋り相手で、自称『アーリアの使い魔』である。
翼の先だけが澄んだ青色でとても美しいのだが、あろうことかその部分で耳の穴を掻いている。
「せっかく良い気持ちで眠ってたのに、うるさいなぁ……。それに『りあじゅう』ってなんのこと?」
「リア充っていうのは、学生生活や仕事や恋愛が順風満帆で、日常が充実していることで――って、そんな説明はいいのよ! 聞いてよハル! この子達、くだらないことで周りまで巻き込んで喧嘩するくせに相思相愛で、事あるごとにイチャイチャと……っ! うざいと思わない!?」
アーリアデットは興奮した様子で、大鏡の方を指差す。
鏡にはアーリアデットの姿ではなく、どこか外の風景が映し出されている。そこには見たこともない建物があり、見たこともない服装の人間がその中で動いている。
それを見て、ハルピオスがやれやれと肩をすくめる。
「なんだ。まーた、異世界を覗いてたのかぁ」
アーリアデットは“世界の全てを見る魔女”である。その力は、正確には『あらゆる次元を覗くことが出来る』である。
過去も未来も、異世界さえも、どんな場所も時間軸も彼女が望んだところの光景がこの鏡に映る。
原理は「魔法だから」と言えばそれまでだが、いくらか手間がかかっている。
庭にある泉――もとはただの泉だが、アーリアデットが日頃から力を送り込むことで魔力が満ちている魔法の泉――に映った像を魔法で反射させて、窓から屋敷の中に送り、今のように鏡に映す。
泉に魔力以外にも長い年月をかけて太陽と月の光を吸収させたり、像を受ける物は汚れてはいけなかったりと他にも条件があるが、とにかくそれを実現させるだけの力がアーリアデットにはあるということだ。
その苦労を経て映した像から、常人には得られない情報を掴み、救いを求めて来た者に知識を与える。それが“世界の全てを見る魔女”の真実だ。
そんな秀抜な力を、呆れたことにアーリアデットは遊びと暇潰しに使っていた。
それを咎めるのを既に諦めているハルピオスは、ひとっ飛びしてドレッサーの端にとまる。
「いつもいつも、どこの知識を得てるんだか……。それで、アーリアはなんでそんなのを見ていたわけ? 腹が立つなら見なければいいのに」
「なんでって、その………………羨ましかったから」
小さな声でもじもじとしていたアーリアだが、今度は開き直って大きな声で言う。
「ええそうよ、羨ましかったのよ! 私もこうなりたいって、想像しながら見てたのよ! って、こんなこと言わせないでよ! は、恥ずかしいでしょ……」
勝手に自滅して、赤くした顔を手で覆い、椅子の上でうずくまる。
「別に今更、僕らの間で恥ずかしがることもないと思うけど。まぁ要するに、アーリアはその子達が妬ましいと、そういうわけかぁ。アーリアは学校に通ったこともないし、恋人どころか友達すらいないしね」
「うぅっ」
気にしていることをズバズバ言われて、アーリアデットは項垂れた。
その様子を見ても、ハルピオスはのんきに毛づくろいをしながら、特に励ましもせずただ思ったことを口にする。
「そもそもラグシオン王国で学校へ行くのなんて、金持ちの子女ぐらいなものだから、アーリアじゃなくても通ったことがない人は多いだろうね」
「私もそれは分かってるから、憧れはするけど今更本気で学校に通おうとは思ってないよ。ああでも、青春はしたい! 恋がしたい! 友達と遊んだりお茶したり、素敵な男の子と手を握って歩いたりしたい!」
「だけどさ。友達でも恋人でも、外に出てかないと出会いがないから作れないよ」
「それは嫌」
アーリアデットははっきりと真顔で言った。
流石のハルピオスも一瞬固まったが、気を取り直して続ける。
「それに、いくら親しくなったとしても、この状態の部屋に人は呼べないんじゃないかな」
ハルピオスが室内を見回す。
ここは屋敷の二階、アーリアデットの自室だ。バルコニーのある壁全面の窓は南向きで、温かい陽光が部屋全体に包み込む。
その明るい部屋の中で真っ先に目につくのが、大きな天蓋つきのベッドと、背の高いドレッサー。
だが他にも、山のような――ではなく正しく山と化している、本棚に戻さずにいる本、脱ぎ散らかした服。それらがうずたかく、いくつも積み立っている。
アーリアデットが生活のほとんどを自室で過ごしていることもあり、この部屋が特に酷い。とても女の子の部屋には見えない。
「屋敷が大きくて全部の部屋を綺麗に保つのが大変なのは分かるけど、面倒くさがってないで片づけないとダメだよ」
「それも嫌」
「…………」
今度こそ、ハルピオスは呆れて物も言えなくなる。
前から自分の主は極度の引きこもりだとは思っていたし、元々が閉鎖的な空間で育ったこともありそれでもいいかと思っていたが、ここまでいくと流石に心配になってくる。
夢や憧れよりも、引きこもり精神が勝っている年頃の少女を、果たして好きになってくれる人などいるのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
ドレッサーの台に顎を置いて、アーリアデットが眉を寄せる。
「そんなに言うなら、ハルが掃除すればいいんじゃない?」
「なーに言ってんの。鳥に掃除なんて出来るわけないでしょ」
「なによ……鳥だけど、鳥じゃないくせに」
「膨れても、やらないものはやらないよ。大体、もし恋人が出来たらゆくゆくは結婚して、アーリアが家事をするんだよ? なのに、そんなことも出来ないようじゃダメじゃない。だから花嫁修業だと思って、ねぇ?」
「それなら、誰かを雇えばいいのよ。使用人一人を雇うぐらいのお金なら、うちにもあるんだから。それかちょっと骨だけど、役立たずなハル以外に、使い魔を新しく――」
その言葉にハルピオスはショックを受けるが、その横でアーリアデットもまた呆けた顔をする。
しばらく考え込んだかと思うと、いきなり大きな音を立てて立ち上がる。
「――――そうよ!! 恋人を作るのよ!!」
「え……? え?」
急のことに、目を白黒させるハルピオスを顧みることなく、アーリアデットは目の色を変えて独り言を続けている。
「私としたことが、なんでこんな簡単なことに気づかなかったのかしら! これなら一石二鳥じゃないの! やっぱり夢は自分の力で掴むものよね! 早速、準備を始めないと!」
「なんだかよく分からないけど、やる気になってくれたんだね」
これで主が、外の世界に飛び出してくれる。脱引きこもりの暁には、アーリアデットの好きなコケモモを採ってきてあげよう。
そんなことを思いながら、ハルピオスは頬を緩ませた。
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