#1
住人からの相談があり、大家の久石邦夫が鍵を持ってとある部屋にやって来た。部屋の前では相談をした住人、木下美鈴が待っていた。
「ここですか」
「ええ」
インターホンを鳴らしてみるが、中から返事は無い。鍵を差し込み、扉を開ける。その瞬間、鼻を突くような異臭が一気に漏れ出てきた。思わず2人は鼻を押さえた。嫌な予感がする。美鈴を外で待たせて、大家が中に入った。
「日村さん? 大丈夫ですか?」
全ての電力がオフになっている。つければ前進するのは幾分楽になるだろうが、久石の本能が「つけてはならない」と叫んでいた。代わりに、ポケットにしまっておいた懐中電灯を取り出して足下を照らす。
短い廊下の先に扉がある。どうやらそこも電気はついていないようだ。ドアの下には隙間があるのだが、そこからは光が漏れていない。
開けるのが怖かった。しかし自分は大家だ。このまま帰る訳にはいかない。事実を確認せねば。
「日村さん?」
ドアを開けると臭いが更に強くなった。これはまずい。手探りでスイッチを探し、それらを押して電気をつける。するとそこに、先程まで見えなかったものが現れた。久石は思わず悲鳴を上げた。
部屋の中央に、人が浮いていた。首にロープを括りつけて……。
「自殺かな、こりゃ」
同僚の刑事が言う。被害者は日村雄一。都内在住の大学生だ。部屋にギターが飾られている。バンドを組んでいたのだろうか。
「聞き込み、頼むぞ」
「はい」
周りは自殺ということで捜査を進めるつもりらしい。
しかし、俺の推理が正しければこれは自殺ではない。他殺だ。ロープの痕が首全体に、輪っかになるように残っている。これは他人が彼の首を絞めたことを意味している。いずれ鑑識も他殺だという結論にいたるだろう。
これは、俺がもともと持っていた知識ではない。あの男、幡ヶ谷康介の話を聞いて身につけたものだ。先月、彼は群馬県の友人宅に行ったらしく、その際事件が発生、この遺体と同じく輪っか状の痕が首に残っていたという。ヤツは単なる土産話だと言っていたが案外役に立つ。
いつものように現場と遺体、気になる物の写真を撮った。殺人事件なのでかなり不謹慎だが、これはヤツも盛り上がるだろう。
「瀬川さん」
後輩の日下部保がやって来た。どうやら重要な証言がとれたらしい。証言者は太田浩二、日村の部屋と同じ階の住人だ。1人暮らしで、普段は運送業社に勤めている。ずんぐりむっくりな体型で、額からは玉のような汗が滴り落ちている。雫が目に入ってしまい少々辛そうだ。
太田に挨拶をしてから、俺はレコーダーのスイッチを入れた。これを欠かすとヤツが機嫌を損ねる。
「申し訳ありません、もう1度、我々に話して頂けますか? 大事なことなので」
「あ、はいはい。えーっと、前にね、日村さんが誰かと言い争いをしていたんですよ。部屋の前だったかなぁ」
「言い争い? どんな様子でした?」
「そうだなぁ、まぁ『ふざけんな!』とか『この野郎!』とか、そんな感じでしたね」
怨恨による殺人、その線もあるようだ。
俺と日下部は太田に再度挨拶をして現場に戻った。
「どうします? 調べますか?」
「は? 何言ってんだよ、調べるに決まってるだろ」
「わ、わかりました」
コイツは何を言っているのだろう。こういうところから警察の腐敗が始まってゆくのだ。俺に警察全体を変えるほどの力は無いだろうが、気づいた者が正していかなければならない。
「そういえば、瀬川さんって必ずやりますよね、それ」
と、日下部はレコーダーを指差して言った。一般市民に捜査協力を依頼していると正直に話すわけにはいかないので、警察としてではなく、瀬川光明の目と耳で判断したいのだと答えた。嘘だと気づかれてしまうのではないかと思ったが、彼は
「なるほど!」
と関心していた。疑念は全く抱いていないようだ。
後日、手に入れた資料を持って幡ヶ谷宅に向かった。事件が報道された後の方が彼の推理もより捗るのではないかと思ったのだ。が、その思いは彼には伝わらなかった。
「おい、何故もっと早く僕に知らせなかったんだ?」
「いや、だからさ、ニュースで見てからの方がお前も事件概要がわかりやすいだろうな、と思ってだな」
「ニュースは警察の主観、政治家の言葉に続いて注意すべきものだ。報道されていること全て、週刊誌に書かれていることが全て真実だと思うか? だとしたら君は、いや、この国はどうかしている」
「わかったわかった、悪かったよ」
結果的に面倒なことになってしまった。まあ良い、資料を渡せば気分を良くするのだから。写真とレコーダーを机の上に置くと、幡ヶ谷はまず写真を手に取り、食い入るようにそれを観察した。遺体の様子を見て、
「他殺だな、ニュースは誤りだ」
と言った。マスコミには詳しい説明はしていない。
写真を全て見終わると、今度はレコーダーのスイッチをオンにし、録音内容を確認する。今回有力な証言がとれたのは、結局あの大男1人だけだった。そのことに彼は不服そうだったが、今回は我慢してもらおう。
「どうだ?」
「どうもこうもない。情報が足りない。他に何かないのか? 例えば、誰と言い争いをしていたのかとか」
「ああ、それなら同僚が調べてるよ」
「弛んでいるんじゃないか? 君も動け」
否定は出来なかった。確かに弛んでいた。他人にどうこう言えた口ではなかった。
ああ、気まずい。あの感じに似ていた。学校で、何か質問されたときに自信ありげに手を挙げて、偉そうに答えて、それで間違えたときのあの感覚。背中が汗で若干濡れていた。
何も言わず、俺は幡ヶ谷の部屋から出て行った。後ろは見られなかった。
とりあえず日下部と合流して大学にでも行ってみるか。言い争いの相手もその中にいるかもしれない。大学はここから電車で20分の所にある。電話で日下部と連絡をとってから駅へ歩を進めた。
この前までは気温も下がって過ごしやすかったのだが、昨日あたりからまた気温が上がってきた。駅に着く頃にはワイシャツがびしょびしょに濡れてしまった。そのため、車内の冷房が普段以上に強く感じた。10分程経過すると汗も乾いたのだが、目的地に着き、改札を抜けて外に出ると再び汗をかいてしまった。脇の辺りがじめじめしていて気持ちが悪い。その状態で大学のキャンパスに入ると、学生達が俺をちらちら見ては静かに笑っている。多分汗でワイシャツが濡れ、中が透けてしまったのだろう。笑うな。こっちだって大変なのだ。
とりあえず適当に学生を1人捕まえ、日村雄一のことを知っているか尋ねた。何人かに聞いたが、皆名前しか知らなかったり、そもそもそんな学生がいたことすら知らなかったりで、捜査は面倒な方向に。しかしその後に捕まえた学生は、日村についてよく知っているようだった。
「ああ、日村? あいつ、バンドやってましたね。もう解散したらしいんですけど」
「バンドですか」
あのギターはやはりバンドをやっていた頃に使用していたものだったのか。学生の話によると、日村とそのバンド仲間達は文化祭のライブに度々出演していたようだが、3ヶ月前に解散してしまったらしい。
解散。口論の件と勝手に結びつけてしまう。駄目だ。先入観を捨てなければ。
更に聞き込みを続けていると、遠くの方から俺を呼ぶ声が。日下部だった。自分で呼び出しておきながら忘れてしまった。
「瀬川さん、探しましたよ! 正門前で落ち合おうって言ったじゃないですか!」
「悪い、忘れてた」
「全く。日村雄一の知り合いですが、彼と最も関わりのあった人物が3名いるようです」
「バンド仲間か」
「え? ああ、1人はそうですね。行きましょう、連絡はとってありますから」
意外と仕事が速い。俺と合流するまでの約30分の間にそこまで進めていたのか。流石は警視庁、ぼーっとしていると周りから取り残されてしまう。
最初に会ったのは日村と同じ授業をとっていた学生、長谷部友也。もう21歳らしいが、その顔は幼く、まるでやんちゃ坊主のようだ。
「どうも」
「あ、こんにちは」
「早速ですが、生前の日村さんについて教えていただけますか?」
「はい。日村は良いヤツでしたけどね。自殺するなんて、ほんとにびっくりしましたよ」
長谷部の話によると、日村は誰とでもすぐに仲良くなれる学生だったらしく、誰かから恨まれるようなことも滅多に無かったという。しかし先程の学生達の様子から察するに、友人が大勢いたわけではないようだ。
「でも、あのときは喧嘩しちゃいましたね」
「あのとき?」
長谷部は下を向くと、ため息をついて再度語り始めた。
「実は俺、日村から結構借りてたんですよ、金を」
日村は地方出身なのだが、実家はかなりの資産を有しており、度々実家から相当な額の仕送りを貰っていたらしい。しかし日村は貯蓄家だったので、口座には大量の金が入っていたとか。
長谷部はそのことを知って、駄目元で金を貸してほしいと頼んだのだそうだ。すると日村は2つ返事で許可してくれ、その日のうちに現金5万円を貸してくれたという。この他にもいくらか借りていたのだが、なかなか全額返済することが出来ず、ある日言い争いになってしまったのだ。
「返せなかった俺が悪いんですけどね。キレられるとこっちもイラっとしちゃって」
「そうですか」
日下部が俺の顔を見た。俺はそれを無視し、長谷部に礼を言ってその場をあとにした。
多分言い争いに反応したのだろう。近所の太田が聞いた声が日村と長谷部のものだとしたら、長谷部が容疑者である可能性が出てくる。だがまだ1人目だ。幡ヶ谷の言葉を借りるなら、情報が足りない。日下部に言って2人目の知人のもとへ向かう。
次に会ったのは緒方智子、彼女も同じ授業をとっていた。清楚な感じの学生だ。
「優しいし、礼儀正しいし。本当に非の打ち所が無い人でしたよ」
彼女が日村に抱いていた印象も他人とさほど変わらないようだ。バイト先で働く彼の姿を見た事があるらしい。
「日村君の実家ってお金持ちなんですよ。それなのに、毎日夜遅くまで仕事してるんです。偉いですよね、私が言うのも変ですけど」
彼は手を抜くこと無く熱心に仕事をこなしていたと言う。彼にそのことを言うと、「働くことの辛さや達成感を覚えるため」と答えたらしい。親のすねを齧る事も無く、口座に預けた金は本当に必要なときや、学問に必要な書物を買うときだけ使っていたようだ。ギャンブルをしていたという話しも無かったそうだ。
「なるほど。彼が誰かと仲が悪かったという話は聞いたこと無いですか?」
「さぁ、長谷部君とは1回喧嘩したことがあったみたいだけど、それ以外は……あ」
智子が何かを思い出した。日下部が前のめりになる。
「そういえば、バンドのメンバーと喧嘩したって話、聞いたことがあります」
「メンバー? 名前はわかりますか?」
「ええっと……田宮君。田宮裕紀君です」
田宮裕紀。これから話を聞きに行く予定だった3人目の知人である。
彼とは食堂で待ち合わせをしていた。入ってみると、中は込んでいてどれが田宮なのかわからない。
「おい、顔はわかってるのか?」
「勿論。えーっと、あの人です」
日下部が指差した場所に、金髪の男性がテーブルに肘をついて腰掛けていた。短くカットされたヘアースタイルはよく似合っている。オレンジ色のTシャツには何やら英語で文章が書かれている。なるほど、バンドを結成していたことを知らなくとも、彼がロック好きだということが何となくわかる。
俺達が近づくと、田宮はこちらを睨みつけ、軽く会釈した。
「初めまして」
「どうも」
面倒くさそうにしている。ずっと外を見ていて、俺達と目を合わせようとしない。
「早速ですが、日村さんについて色々とお話を……」
「最低のヤツですよ、アイツは」
緒方が言っていた通り、2人の仲は良くないようだ。
具体的な質問をしようとすると、田宮の方から話をしてくれた。
数年前、田宮と日村はサークルで知り合った。共通した趣味を持っていたのですぐに意気投合し、バンドを組もうということになった。2人ともギターは弾けるので、ドラムとベース担当のメンバーを募集した。すると、1週間後に希望者が現れ、バンド結成は一応達成された。しかし、まだ互いのことを良く知らなかったので、4人で食事に行ったり旅行に行ったりして親睦を深めた。
こうして彼等の友情はますます強くなっていった。バンド名【Friend Ship】はまさに彼等の友情を表したものだった。初めてのライブは大盛況。文化祭で、彼等は一躍人気者になった。
しかし、人気というものはすぐに落ちてしまう。彼等が支持されていたのは文化祭の期間中のみだった。バンドメンバーが注目されることもそう無かった。別に校内での人気を求めていたわけではないのだが、4人のショックは大きかったという。
それから数日後、田宮の身辺である変化が起きた。文化祭当日、バンドの演奏を聴いていた女学生、川口莉子が彼に接触、交際が始まったのだ。彼女は本当に優しい性格で、辛い時はいつも励ましてくれたという。
その後何度も会っていた2人だったが、あるときから川口が田宮から距離を置くようになった。話しかけると逃げるようにして立ち去り、目が合った瞬間その場から離れたこともあった。メールでデートに誘っても毎回無理だと言われ断られる始末。
いったい何があったのだろう。彼女が嫌がることをしたつもりはない。そこで、田宮は共通の知人から理由を聞いてみた。すると、衝撃的な答えが返ってきたという。
「日村が、彼女に俺の悪口を言ったんです」
「悪口?」
「嘘ばっかりですよ」
田宮に遊び癖がある、良からぬグループとつるんでいるなど、ありもしないことを彼女に吹き込んだのだという。
「俺は日村を問い質しました。するとアイツは、バンドの活動に支障が出ると困るって言ったんです。俺は別に、仲間に迷惑をかけたつもりはありません。作曲に関しては誰よりも力を注いできました。でも、結局アイツにはわかってもらえなかったみたいです」
信じ難いことだ。今まで聞いた話では、日村は優しい学生で、とてもそんなことをするようには思えない。他の学生の証言は、彼の人生の1部分を切り取ったものに過ぎないだけか。
この1件からメンバーもバラバラになってゆき、Friend Shipは解散してしまった。田宮は日村とは勿論、他の2人とも連絡はとっていない。
最初は目を逸らしていた田宮だったが、今は俺達の目を見て話をしている。日村がどんな人間だったかを伝えようとしている。
「こんな言い方すると疑われちゃうかもしれませんけど、アイツが死んで、俺は清々してますよ」
田宮の証言は以上だった。