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ナキムシの月

『この帰れない火星への移住は、未来を切り開く為の重要な一歩である』

 それがお偉いさん方が言う、耳障りの良い標語である。実際には、火星に移住した人々は、地球外生命体からの攻撃を防ぐための防衛ラインにになるだけだ。

 太陽系から約20光年離れた赤色矮星であるグリーゼ581の方向から、知的地球外生命体が発信したと思われる信号を受信してから50年後、太陽系の一番外側を廻っていた一つの惑星に彗星が衝突した。地球外生命体からの攻撃である。それを期に、地球人達は火星に防衛ラインを創る事を決定した。そして志高い軍人や、または犯罪者とその家族を送り、地球の防衛する為の戦力とすることとした。敵の攻撃は主に巨大な彗星群を太陽系の惑星に向かって誘導する事によって攻撃する物理的なものだ。

 火星へ向かう宇宙船の前で、時雨は泣いていた。彼の幼馴染であった紅音が、父親の犯罪を理由に、家族で火星移住をすることになったからだ。

 紅音は苦笑いをしながら時雨の頭をぽんぽん叩く。

「ホントに、アンタはいつまで経っても泣き虫なんだから」

「でもさ、もう会えないんだよ」時雨は涙声でいう。彼はもう12歳を超えるが、泣かずにはいられなかった。

「大丈夫だって。この戦争が終わったら帰ってこれるよ」

 火星行きの宇宙船の出発アナウンスが鳴った。

「もう、行かないと」彼女は、バックを持って出発ゲートを超えていく。最後に、彼女が振り返っていう。「時雨、帰ったら一緒に地球見よう!一緒に!」

 地球衛星軌道の周回旅行は、現在ではポピュラーな旅行である。今回の事が無ければ、いつか一緒に行って地球を見ようと、彼女と約束をしていた事だ。時雨は涙を拭き、少し遠くなった紅音に向かって、力強く返事をする。

「うん!一緒に見よう!」

 それを見て、紅音は笑って言う。「それじゃ、またね!」

「またね!」と時雨も返事をする。




 十年後、時雨は月面の「対地球生命体兵器開発所」に赴任した。戦争をいち早く終わらせるため、また火星を守るために、自ら進んでこの地に赴いた。この兵器開発所が月面にある理由は、地球の強力な重力圏では、星間戦争で使われる巨大建造物を創る事が出来ないからだ。

 時雨は、この研究所で天才的な才能を発揮した。彼の専門は、電波による生命や物質への干渉についてである。そして、彼が兵器の開発に携わってから十年後、従来では大量の核ミサイルなどで、どうにか軌道を逸らしてきた地球外生命体からの攻撃である彗星群を、早期に発見出来た場合、90%以上の精度で粉砕出来る電磁波発生装置を開発した。さらに、その頃からグリーゼ581からも電磁波による太陽系への攻撃が始まったが、彼はその電磁波が太陽系に到達するとほぼ同時にその位相を解析し、逆位相を発信することにより、被害を最小限に抑えた。この時、時雨は40歳を超えていた。この頃から、彼は生命科学に対して熱心な研究をするようになった。彼は、頭が鈍くなっていくのを防ぐため、体の全てを機械化しつつ、70歳を超えた頃、世界で最も生命物質科学に精通した人間となった。そして、今までのグリーゼ581方向からの攻撃から推測できる、彼ら地球外生命体の生体構造を解析し、その生命に致命的なダメージを与える電磁波の波長を算出した。

 けれども誤算があった。火星の防衛ラインの電磁波発生装置にて、グリーゼ581方向への攻撃を開始すると同時に、今までに無い数の彗星が太陽系に向かって飛来することが分かった。攻撃をやめる訳にはいかなかった、だが残ってる全ての電磁波発生装置で防衛したとしても、急いで増設したとしても、地球や月面にある全ての装置を使っても、幾つかの彗星の飛来を防ぐことが出来なかった。結果、地球外生命体との戦いが終わりを告げたとき、火星に住まう全ての命が失われた。

 時雨は嘆いた。彼は泣けない体になっていたが、体中にノイズが走り、全身の人工繊維が軋みをあげた。紅音と再開する日のためだけに、大勢の命を殺す兵器を創り続けたというのに。生きる目的、希望が失われ、そこを罪悪感と倦怠感が埋める。もう自壊し、この時雨という意識を消滅させてしまおうかと思った。けれどその矢先、紅音のゲノムデータを見つかった。火星の防衛ラインに駐在していた全ての人間は、ゲノムデータが保存されていたのだ。現在の技術があれば、ゲノムデータを元に人間を産み出す事が可能である。だが、人間はゲノムだけで構成されているのではない。ゲノムデータが創るのは人の型だけであり、その中に入る記憶や思い出といわれるものは創れない。人間の性格なども、基礎的な部分はゲノムで決定されるが、多くの部分は記憶や思い出、環境因子が与える影響である。そして、時雨が会いたいのは、かつて時間を共にした紅音であった。

 ゲノムだけでは紅音に会えない。けれど時雨は諦めなかった。どうすればゲノムデータだけから、彼が知っている紅音そのものを産み出せるのかを研究した。この世界で最も物質と生命について精通している頭脳をもってしても、この研究を達成するのは至難の業であった。だが、100年後、遂に彼はその理論を構築しきった。その手法とは、彼女が生きていた記録が存在する場所において、その存在を培養していき、もし違う方向へ成長しようとしている部分は時雨の記憶と照らし合わせて随時修正していく、というものである。この方法は、試験管の中では不可能だ。時雨の中に紅音との思い出はあっても、彼女と全ての時間を共有していたわけではない。もっと大きな大きな、彼女と全ての時間を共有していた生命物質集合体、つまり地球の上で行う必要がある。けれど現在の地球は、それを密かに行うことは不可能であった。それぞれの存在が固定化されすぎており培地には適さなかった。培地として利用するには、一度地球を原始まで戻す必要があった。

 火星の生命消滅から100年が経過し、地球では、地球外生命体との戦いで消耗した経済や政治の復旧がほぼ終わり、再度の宇宙開発を行なおうと意気込んでいる所で、彗星の衝突によって出来た火星の二つの衛星すら、植民地にしようと計画していた。地球に住まう人間達は、火星に住んでいた人々の事を完全に忘れようとしていた。もう既に一つの星を絶滅させている時雨にとって、紅音たちを忘れ行く地球を原始まで戻すことに、何らためらいを覚えなかった。まず彼は月に居る人たちを全て片付けて、続いて月面の電磁発生装置を用い、地球にあった人間や建築物を駆逐する。そして新たに植物や人間などを作り出し、一旦原始の状態まで戻した。その後、彼は世界中に彼女の存在の種を蒔いた。大地に存在する彼女の記録は、時雨が世界を原始に戻したときに世界中に拡散した。存在の種は、様々な形態をとり、それらを集めながら成長していく。最終的には人間の姿にはなるだろうが、人間からではなく、植物中などに彼女の存在は結晶化すると予測された。時雨は絶えずそれらを観測し、明らかに違う方向に成長していっている存在は、彼が月面から正しい方向へ調節する。だが彼女が生きた記録が存在しているのはあくまで地球という培地の上であり、その成長に彼が直接手を加えることは出来ない。

 時雨が慎重な調節を繰り返し、1500万年ほど後、遂に紅音の存在はとある島国の竹と呼ばれる中空の植物の中で結晶化した。赤ん坊の姿をしているが、地球で時雨と共にした紅音と同一の記憶と思い出をもった存在のはずである。彼は、その竹の近くに居た老夫婦に彼女を育てさせた。この時の紅音にあるのは、地球を離れるまでの記憶だけである。彼は月面から、彼女が地球を離れてから何があったのか、そして自分が何をしてきたのかを教えた。彼女の記憶を操作することはせず、事実だけを伝えた。

 月面には、時雨が居る小さな部屋と電磁波発生装置と、紅音を迎に行くための小型の宇宙船しかなかった。かつてあった絢爛な研究所は、全て彼や電磁発生装置の修理、またはそのエネルギーに変換されていた。適切な時期になると、時雨は、小型の宇宙船を地球に発進さた。そして部屋にある地球を望める窓から宇宙船を見送った後、彼は、もう再び自分で起動出来ないレベルまで電源を落とした。意識が暗闇に沈み込んでいく時、自分の存在が消失することに微かな恐怖を覚えた。けれど、紅音が自分の行ってきた事を非難し、会うことを拒絶するのならば、戻ってくるかもしれないという淡い期待を抱きつつ、このまま月面で朽ちていく方がましだと思った。

 月には動く物が無くなった。ただ静かに地球の衛星軌道を周回していき、時が過ぎてゆく。




 時雨は、自分の意識が浮上していくのを感じた。ゆっくりと各機関が再起動していく。そして、彼のレンズにかつて見た、忘れることが無かった顔が映る。彼は、彼女に声をかけようとする、けれど感情の奔流が電子回路を妨害し、スピーカーからはノイズしか流れない。

 彼女は苦笑いしながら彼をぽんぽんと叩く。

「ホント、アンタはいつまで経っても泣き虫なんだから」

 懐かしさにノイズは勢いをます。言葉はいつまで経ってもでない。

「ほら、時雨、見てみな」と彼女が指をさす。

 その方向を見ると、窓の向こうには地球が映っていた。見慣れているはずなのに、それは今までにない程、青く美しく輝いて見えた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文はとても読みやすく、ある程度想像も出来ました。 時間の経過は多いですが、そこまで気にならないほどです。 [一言] 「大勢の命を殺す兵器を創り続けた」とありますが、本文を読む限りでは、ただ…
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