Seekers ep1
この作品は推理小説ではありません。
人物紹介 - key person
夜木斎(やぎいつき) …… ぼく。大学生。
裏木(うらき)イツキ …… 主人公。
野々上咲(ののがみさき) …… 正体不明。
日照明人(ひでりあきと) …… 正体不明。
凪神楽(なぎかぐら) …… ぼくの小学校以来の友人。ぼくとは小中が一緒。
静沢明良(しざわあきら) …… ぼくの友人。僕とは中高が一緒。
二宮風香(にのみやふうか) …… 神楽の友人。
1
つまらない男だと胸を張る自身があった。最後にそれを言われたのは中学三年の頃だったから、風化というか沈没していた荷物を引き上げたようなものだ。が、そんなわくわく感は当然ながら微塵もなかった。
小学校時代に諸処の事情で好奇心というものを失って以来、昨今言われているような『冷めた子供』のように生きてきた僕が、とうとう大学に入学できたのであったから驚きだ。勉強は、自分で言うのも何だがそこそこ出来た方であった。
高校時代の知り合いが何人か一緒に入学したこともあってか、大学という新たな場所に対する真新しさが予想の半分程度に留まった事は奇跡かもしれない。手探り状態で路頭に迷いながら這々の体で生きていくよりは、ずっと楽だと思う。僕はそう思う。
通い始めて驚くことは、女子がそこそこ綺麗。(小)中高校時代の雁字搦め生活に鬱屈しながら熟成されたノーメイクガール達が一斉におめかししだすのだから、キャンパス内はそれはもう宝石箱のようだ。
……言っておくが僕は別に女子達のシンパだったりするわけではない。そういう人たちも居る、という一般論を述べているだけなので過度な期待はしないで頂きたい。大やけどをする前に。
「なぁ、聞いてるか?」
考え事もとい独白を中断されてようやく僕は思い出したように、紙コップの中のすっかり冷めたコーヒーに口をつけた。
すっかり秋めいた空から差し込む夕日が、食堂の中に暖かさと鮮やかなオレンジ色を提供している。
呆けていると言われないように、反論するとき僕はしっかりと声を荒げた。
「聞いてるよ。でも、そんなの言われてもピンとこないだろ」
僕の前に座っている男こと静沢明良は、中学時代からの友達だった。偶然にも教養系の講義で何度か顔を合わすので、僕と彼はよくよくこうして席を同じくしてティータイムとしけ込んでいるのであった。
さて、彼が話しているのは何のことかというと、最近この辺りで起きている心神喪失事件である。深夜に外を出歩いていると、何者かに襲われて倒れ込んでしまうのだそうだが、被害者は決まってこう言うのだそうだ。
『狐に襲われた』
と。
最初は狐のような格好をした人間かと思われていたが、どうもそうではなく、本物の狐であると被害者達が言い張るのだそうだ。周辺には確かに山があるが、狐はおろか、熊が出たという話すら聞かれない。
「夜に警察がパトロールしてるの見てるだろ? あれ、今回の事が原因なんだってよ」
確かに言われてみれば家から大学まで移動している十数分の間に、パトカーと必ず一回は出くわすようになっていた。近くに交番もある事だし、きっと警戒強化期間か何かだろうと思っていたのだが、確かに警察のそういう期間は一、二週間ぐらいで終わるはずだ。
一ヶ月も続く警戒なんて見たことがない。
「巷じゃ『化け狐』って言われてるけどな。普段は人間に化けて何かやってんじゃねーか、って話で」
「へぇ」
僕は至極興味なさそうに返事をした。正直言って、僕が襲われない限りは真剣にこの事件に立ち向かおうという気にはなれなかった。我関せずという言葉がまさに当てはまるのだが、本当にどうでもよかったのだ。
そんな話も一部有ったが、全体的に見れば講義や教授への愚痴ばっかりだったので、最近は正直辟易としていた。そんな僕の思いもつゆ知らず、静沢は僕に別れを告げて帰って行った。バイトがあるのだそうだ。
僕は食堂でコーヒーを冷ますという失態を犯したので、外で缶コーヒーを買い直す事にした。
「(人を襲う化け狐、ねぇ。冬眠に備えて食いものでも集めに来たか)」
自販機からコーヒーを取り出した時、背後から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
「夜木君!」
その声に、僕は一瞬手が止まる。が、次の瞬間には精一杯平静を装って返事をする。
「……やぁ、神楽」
ベージュ色のコートを羽織ったこの女子は、凪神楽という。僕の小中時代の友人だったのだが、大学になってまた出会ったのである。
彼女の高校時代を知らなかった僕にとってみれば、彼女の見た目の変化はめざましいものだった。
小学校の時に諸処の事情で神楽と対立していた事もあったが、今となってみればそんな事はどうでもいい。仲良くできればそれでよかった、と思う。
「これから帰り?」
素っ気無さそうに僕は返事をする。
「あぁ」
「そっかー。私これからもう一コマあるんだ」
空を見上げれば、太陽が沈みにかかっていた。オレンジ色の空は徐々に紫色に染まり始めている。
今夜はかなり冷えそうだ。
「あげるよ」
「え?」
僕は、たった今買ったばかりの缶コーヒーを、彼女に押しつけるように渡した。
「え、でも」
「僕はさっさと家に帰ってコーヒー煎れるから、いらないよ」
僕はそう言い、突っ返されては困るとばかりに両腕を背中の方に持って行った。
が、神楽はもちろんコーヒーを返したりはせず、その缶を自分の頬に一瞬あててから、持っていた鞄の中に丁寧にしまい込んだ。
「あったかーい……。ありがと」
「うん。それじゃあね」
まるで餌付けしてるみたいだ。
神楽と交流出来たのはそれなりに嬉しかったが、そんな奇妙な罪悪感だけが残った。
化け狐の話など、その頃にはすっかり忘れてしまっていた。
2
自分で自分の住む世界がおかしいと思い始めたのは意外と早く、小学校五年の夏の事だった。
そしてその夏の出来事が、僕の全てをおかしくした。
おかしくしたのか、それとも元々おかしかったのを正したのかは観測者の所感に任せるとしても、僕は小五の夏を境に変わってしまった。
その時、僕含む五人の友人は近所に探検と称して遊びに出かけていた。小学生の言う『探検』なんて所詮は虫取りなどの小さな遊び。家の近くには危険な川も山もない。そう思われていた。
僕達はその探検に出かけたきり、行方不明になった。
だが、僕がこうしてここに居るのだからお分かりだと思うが、僕達五人は発見された。勿論、全員生存している状態で。
ただし、その時期が異様だった。
僕達が見つかったのは、行方不明になってから丁度一ヶ月。場所は山の麓にある神社の境内奥。だが、五人の内誰に話を聞いても一ヶ月間の記憶がないと言う。まるで、一ヶ月タイムスリップしたかのように。確かに服装に一切の乱れはなく、綺麗であったという。
世の好事家達はこぞってこの『現代の神隠し』を話の種にした。ほとぼりが冷めるまでの半年間、僕は社会というものの善と悪の両面を知った。そして、世間はこんなにも冷たく、敵に回すと恐ろしいものなのだという事も。
「そろそろ、講義終わるよ」
隣の席の女子に小突かれ、僕は惰眠をむさぼることを諦めた。
ここは、大学のとある講義室である。丁度今朝は、五〇人ぐらいの生徒が英語の授業を受けている所であった。
まぁ、居眠りへの対処が少々厳しい先生だったから、僕は彼女に救われた事になるのかな。
「ありがとう」
僕は心ばかりの礼を言い、テキストとノートを閉じる。
「もしかして、神楽が言ってたのって君の事かしら?」
「はい? まぁ、神楽は僕の友達ですけど」
「あ、やっぱり? じゃあ、やっぱり君が『例の』夜木斎君?」
僕の名前が僕のあずかり知らぬところで広まっていること自体恐ろしくてならないのに、『例の』とは何だ。僕は神楽からどんな風に言われてるんだ。
「何て言うか俗世間から切り離されたような、達観したような雰囲気の人って言ってたから」
あながち間違いではないがそれではただの悪口ではないか。と思ったが、今朝は眠くて訂正する気にもならなかった。
つい調子に乗って話し込んでしまったが、彼女の名前は二宮風香というらしい。神楽とは高校との知り合いで、家も近いのだそうだ。神楽と比べると鞄にはきらびやかな飾りがじゃらじゃらと付いているし、髪の色も神楽より茶色っ気が強い。神楽よりも『遊んでいる』感がぬぐい去れないのは、僕が神楽に毒されている証拠なのだろうか?
朝にそんな出来事があったのは、事態が普段通りでなかったからだ。
本来ならば僕の隣には静沢が(勝手に)座っているはずなのだが、何故か今朝は来ていないのだ。
寝坊するなよ、という旨のメールを講義開始直前に送ったはずなのだが、結局その日は返事すらなかった。
「(やれやれ。静沢が寝込んでるならそれはそれで困ることもあるしな……)」
昨日とは違い、空は鈍色の雲に覆われていた。
芳しくない天気だ、早く帰ろう。――そう思っていた僕を呼び止めたのは、昨日と同じ声だった。
「――や、夜木君」
「やぁ、一日ぶり」
凪神楽。
「今朝、お前の友達に会ったぞ」
「え、誰? 優奈ちゃん?」
「違う。二宮――何だったかな」
「あぁ、風香ちゃん! 可愛かったでしょ?」
神楽はニコニコしながら絶妙な質問を振ってきた。
『あぁ。朝からトイレにしけ込むところだった』と褒めそやすのか、それとも『神楽には及ばないよ』と持ち上げるのか。
優柔不断で名高い僕に、そんな苦渋の選択出来るはずが無かろうに。
「あ、そうそう。可愛いと言えば、さっきそこで小学生の女の子を見たの。夜木君にも見せたかったなー」
僕が死にかけるほどに悩んでいたら、神楽の方からあっさり話題を変えてくれた。僕はほっと胸をなで下ろす。
「へぇ」
「ツーサイドアップで、目がクリクリしてて、すっごくキュートだったのよ! 小学六年生ぐらいかなぁ? でも凄く無口で、何にもしゃべらなかったの。で、そのうちどこか行っちゃって」
僕の眉がピクリと反応したが、一応スルーした。
ツーサイドアップって、あのツインテールみたいな髪型か。女子は細かいところまで知ってるな。
「君がそこまで言うんだったら、会いたかったなぁ」
と、ようやく僕は話に同調する。
昨日は、ここで缶コーヒーを渡してハイさようならといった流れだったのだが。幸か不幸か今日は違った。
「ねぇ。一緒に、帰らない?」
†
凪神楽は、例の神隠し事件の時に本当ならば行方不明者として六人目に数えられていたはずの女だった。直前になって、リーダーの僕に腹痛を起こしたので無理だという旨の電話をよこしてきた為、彼女は当日参加すること無く、結果的には難を逃れた。
思えば、凪神楽が僕に不調を訴えたのはこの時ぐらいだった。寧ろ僕の方が体調を崩す場面が多いぐらいで、小中と連続で悠々と皆勤賞を取っていた事を覚えている。高校の頃は見てないけど、多分同じ流れだろう。
……となると、彼女はそんな危機を予知して、回避したというのだろうか?
一笑に付してもよいのだろうが、怪しいと言えば怪しい。
「ねぇ」
神楽の声が聞こえて、僕ははっと我に返る。
「なに?」
歩きながら考え事をするといつもこうだ。僕と神楽の距離は二メートルぐらい開いていた。
「あの……えっとね」
僕に対してはずけずけとものを言うタイプの神楽にしては、今日はなんだか歯切れが悪い。
「どうしたんだい、神楽らしくもない」
僕は続きを促そうとしたが、神楽は首を横に振った。
何を否定したのだろう?
「あのね……静沢君の事なんだけど、今日……学校来た?」
一瞬の間。
「――静沢? あぁ、そういやアイツは来なかったよ。これから家に押しかけようかと思ってたんだけど――」
「も、もしかして知らなかったり……する?」
え?
何が?
「だから、静沢君の事。彼、昨日の夜――何かに襲われて、昏倒して、意識不明で――病院に運ばれたの」
「それ……どういう事だよ」
僕の声のトーンが二段階ぐらい下がるのは仕方がなかった。
神楽の声も、心なしかうわずっているように聞こえた。
「わか、分かんない。でも、その噂だけ聞いたの。そ、それだけ」
「……情報ありがとう。手間が省けたよ」
僕は例を言いながら、自分の声に動揺が隠せなかった事に、更に動揺した。
おかしい。
何かがおかしい。
何か『あり得ないモノ』が、僕の背後を時速三〇キロで這いずり回っている。そんな感覚。
「き、狐……? なのかな?」
「……だとしたら、最悪だ」
緊急事態だった。まさか、本当に化け狐が出るなんて思わなかった。
全部、静沢の笑い話で済むと思っていた。ミイラ取りがミイラになるというのはこの場合ちょっと間違ってるが、まぁどうでもいい。
これは……『アイツら』に相談すべきなんだろうか。
「言うべくもない最悪だよ。僕の友達を、殺しかけてるんだから」
「夜木君が、もしその狐に出会ったとしたら、どうする? 逃げる?」
その瞬間、僕達の隣を巨大なダンプカーが通り過ぎていった。
それに合わせ、地面が軽い地震を起こしたかのように揺れる。
「いいや。殺す――かもしれない」
「……え?」
別に、好みの女子の前にしてるからって虚勢を張ったワケじゃない。
自身があった。化け狐は僕を殺せない。
「人を殺してはいけない理由ってなんだと思う?」
「それは……罪に、なっちゃうから、とかじゃなくて?」
「法律規範云々ではなくて、社会的理由さ。まぁ、長時間話す暇はないから僕が聞いた話だけ述べるけど――、人を殺すと言う事は、その人が誰かに殺されても良いという事になってしまう。それじゃあ、一つの殺人が起きたときに殺し合いの無限連鎖が起きてしまう。だから、人を殺してはいけないんだ。殺されたくなかったらね」
単なる自己弁護だった。
殺したい理由にそれなりの正当性が付けば全方向から批判されることはない。それだけの話だ。
「静沢が襲われる理由なんて無い。だから、僕はそいつを許す気は無い」
「そ、そうだよね。――犯人、見つかるといいね」
決心した。
やはり、アイツらに相談すべきだ。
「僕、ちょっと用事が出来た。行ってくる。ごめん、今日は一緒に帰れそうにないや」
「えっ」
「それじゃあね」
僕は有無も言わさず踵を返し、元向かっていた方向と真逆の方へ向かって走り出した。
行く場所は決まっていた。
住宅街の一角にある、何の変哲も無い四階建てのマンション。
その二階、二〇四号室。表札には何も書かれていないが、僕は構わず呼び鈴を押す。
ややあって、男の野太い声が聞こえてきた。
「何名様だ」
「ゼロ人」
僕は間髪入れずに応える。
「入れ」
ガチャ、と鍵の開く音がしたのを聞いてから、僕はノブを捻って中に入る。
そこはマンションの一部屋という感じではなく、広々とした事務所のようになっていた。
だが事務所という割りには部屋は結構モノが少なく、デスクも二、三個、書類が詰め込まれた棚も同じように二、三個しか置かれていなかった。正に大は小を兼ねるといった所か。
その一番奥の、社長用とばかりに大きな革張りの座椅子にふんぞり返って座っている男に用があった。
「そろそろ来る頃だろうな、って思ってたぜ」
男は立ち上がり、ブラインドの隙間から外をのぞき込む。
一八〇センチはあろう身長に、サングラス、帽子。
この主人公体質の男こそ、裏木イツキ。
超自然系を取り扱う『裏木探偵事務所』の所長である。同じイツキという名前なのに、どうしてこうも違うのか。羨望で、僕はついつい適当に返事をしてしまう。
「そうかい」
「化け狐事件、だったか。それともお前の恋愛事情?」
「前者だ」
後者は何の話だ。
「僕が欲しいのはヒントじゃない、答えだ」
チッチッチッ、と裏木は指を振る仕草をした。
逐一殴りたくなる。
「所員ってのは所長の為に働いてやるのがスジだろう? 俺が全部仕事を奪ったら他の奴らは要らないって事になる。当然、お前も」
「僕は所員じゃないし、そもそも他の所員はここに居ないじゃないか」
さっき何か『変な噂』を聞いたけど、それはスルーするとして。
「まぁいい。――今回の事件は、お前に大きく関わっている。それが第一ヒントだ」
ふん。
予想は付いたが、ヒントとしては妥当なレベルだ。
「で、第二は?」
僕がそう言うと、裏木は引き出しから紙束を取り出して僕に突きつけた。
「被害者のリストがここにある。犯人像は容易に絞れるはずだ。これが最終ヒント」
「……狐の容姿なんかどれも一緒じゃないか。絞れるかよ」
裏木はその言葉を聞くと、途端にニヤニヤしだした。
「さぁて、それはどうかな?」
「……帰るよ。あんたの顔を見てたら集中できそうにないからね。資料は貰っていくよ」
「流出させたら、あとで説教だぞ」
先ほどの裏木の笑顔の意味が分からず、僕は若干の腹立たしさを抱えながら事務所を後にしようとした。とその時、僕が手を触れる前にそのドアは開いた。
「……」
向こうからの返事はない。身長一四〇センチ台でツイ……ツーサイドアップに、群青色のワンピースを着た小学生みたいな容姿の女の子が、そこに立っていた。
「……やぁ、野々上さん」
彼女の名前は野々上咲。この事務所の所員だ。
先ほど神楽が出会った女の子というのは、多分こいつだな。
「じゃ、僕は帰るから」
野々上は頷きもしないで、僕の事をじっと見つめていた。
さっさと帰れって事か?
「頑張れよ、『零』。キミには期待しているぜ」
ドアが閉まる寸前、僕は裏木からそんな事を言われたが、その言葉を思い出したのは翌朝のことになる。
その晩に届いた、他の知り合いからのメールで僕は驚愕した。
凪神楽が『化け狐』に襲われ、病院に運ばれたのだという。
3
零。
それが僕についた力の名前だった。とは言え、よく漫画で見るような物体を動かしたりいろんな所にワープしたり、電気を相手に浴びせかけるといったそんなど派手な事が出来るわけではない。
僕には、精神感応系の超能力が一切通用しない。
それだけの話。
たとえば、さっき僕とすれ違った少女、野々上咲。彼女の能力は『精神支配』。その能力の最たる所は、相手が覚醒状態であっても強制的に操ることが出来るという点か。裏木曰く『彼女ほど狂的な力を持った精神支配者はこの世に二人と居ない』らしく、常々彼女の能力の暴走を危惧しているのだそうだ。
彼女が普段喋らないのは、能力発現時に受けた凄まじい程のトラウマ(常人なら髪が白くなるレベル、と裏木が喩えていた)だけではないようで、相手がどんな精神形態をしていようともそこに刷り込んで操ることが出来るように、普段から感情を殺しているかららしい。
ともかく、そんな彼女の強大な能力でさえも、僕には一切通じないという事らしい。事実、彼女の目を見たところで僕はどんな感情も沸いてこなかった。
だが、そんな僕の様子に裏木はすっかり興味津津になってしまった。
裏木イツキの能力は『鷹の目』。世界中のあらゆる情報について俯瞰出来る。もしくは、一つの物事について顛末を見ることが出来る(事象的には未来のことでさえも)。だからアイツはどんな事件が起ころうとも『探偵』の立場を取ることが出来る、まさに主人公気質の超能力者なのだ。
そのことがあるので、探偵業は彼にとっては片手間でしかない。結果が見えてる捜査は、ただの確認作業でしかないからだ。故に、裏木は金が絡まない限り本気で仕事をしないという、ただのクズ野郎なのである。
その『鷹の目』も、僕には通用しない。裏木曰く『鷹の目』で見えなかった人間は、これまで生きてきて初だという。おかげで僕は事あるごとに彼らにお世話になっているのだ。
――さてさて、状況を整理しよう。ひとまず僕は自分の家で作業を始めることにした。
「裏木の言ってたヒントは、二つ」
その一。事件は僕にも関係がある。
その二。被害者リストを見れば、犯人像は容易に絞れる。
なれば、まずその被害者リストを見てみよう。裏木から貰った資料には、顔写真と住所、年齢、職業などが記されていた。一番最後には『静沢明良 男性 20歳 学生 〒――』と書いてある。
最初の被害者は『沈坂秀 男性 31歳 会社員 〒――』。
二人目は『握太刀浩美 男性 26歳 無職 〒――』。
こんなのが、合計で28人分載っている。神楽の事が載っていないのはこの資料を貰った時間と前後しているから仕方がないとして、ここから一体何を割り出せばよいのだろうか?
犯人の身長? 犯行時の凶器? 犯行時間帯? それとも被害者達には何か共通点がある、とか?
――あれ。ちょっと待てよ。
独白をしておきながら、僕は何かが引っかかった。やや慌てたような手つきで、僕は資料を一枚、二枚とめくっていく。
「これ……神楽が襲われる前の被害者は、全員男じゃないか」
最初の被害者から静沢まで、全員が男だった。
――どういう事だ?
何故、凪神楽が襲われた? 彼女だけが特別? だとしたら、何故?
凪神楽は最後の被害者且つ、例外的要素。
もしかしたら、いや、もしかしなくても、そこに何か大きな手がかりがあるに違いない。
「――こういう時は、何度でも問いただす」
僕はアドレス帳からとある番号を出し、そこにダイヤルする。
二回コール音がして、相手はすぐ電話に出た。
「はい。こちら裏木探偵事務所」
「白々しくするな。僕だって分かってるだろう」
相手は裏木イツキ。
最終ヒントをひねり出す為、僕は彼から情報を聞き出す。
「どうした? お手上げか、零?」
「いや……、真相へのアプローチがしたい」
返事はなかった。
どうやら、こっちから話せという合図のようだ。
「――お前はさっき、この事件は僕も関わっていると言った。そこで聞きたいんだが、凪神楽が襲われたのは、僕のせいなのか?」
「そうだ。凪神楽が昏倒して病院に運ばれたのは夜木、お前のせいだ」
背筋が寒くなるぐらいに淡泊な返事だった。まるで、そんな事には興味がないと言っているかのように。
「じゃあ彼女が襲われない為に、僕はどうすればよかったんだ?」
「回答を拒否する」
僕の表情にも変化はない。正直、そんな事を言われるのではないかと思った。
彼が回答を拒否する瞬間というのは、それに答える事で真相の一部に触れてしまう時だ。つまり、僕の最善こそが真相だという事か。
「あくまで、答えはお前が導き出すものだ。そうでなければ、意味がない。――特に、今回の場合は」
何かが、見えた気がした。
この化け狐事件、被害者は凪神楽以外は全員男。その最後の被害者である神楽は、僕のせいで狐に襲われた。
そして最たるヒントは――、あの資料。
「裏木。あの被害者の資料は、全部お前が作ったのか」
「そうだ。どこか、抜け落ちでもあったか?」
彼の声のトーンは至って普通。平静を装っているのか、それとも僕の質問に何の意図も見いだせなかったのか。
だが、この際それらはどちらでもよかった。
「いいや。――それで、十全」
真相に至る為の障壁は今、零になった。
4
僕は続けざまに問いかける。
「野々上と日照は居るかい。まぁ、最悪日照は居なくても良いけど……」
すると、電話の向こうから聞こえたのは裏木以外の男の声だった。
「居る。事務所から遠いなら、迎えに行くぞ」
「いい、僕は直接『そこ』に行く。三人とも同じ場所に来てくれ。」
僕は空を見上げる。
既に日は暮れに暮れ、空には漆黒の闇がたゆたっていた。
時刻は午後十時。一応、犯行時刻に近い時間を選んでみた。
そこに、背後から僕を呼ぶ声が聞こえてくる。
「よぉ、名探偵」
三人。少女と青年と大人。少女と大人は言うまでもなく野々上と裏木の事だ。
そこにその青年を加えたのが、現在の裏木探偵事務所の全メンバーだ。
彼の名は日照明人。
使える超能力は『物体転移』と『瞬間移動』。同じように聞こえるが、前者は自分以外のモノを、後者は自分だけを移動させる能力だ。
「それはあんただろう、昼行灯探偵」
裏木は笑いもしない。自分の仕事ぶりについてどうこう言われるのは慣れっこらしかった。
「犯人の部屋に直接押しかけてどうする気だ? お前がその手で天誅を下すのか?」
「それは愚行だ。特に今回は、そんな手段を執りたくはないな」
彼はようやくそこで冷たく笑った。
「オーケーオーケー、じゃあ答え合わせだ。犯人の場所に押しかけるなら、犯人の名前を知らないといけないからな」
「そうだな。じゃあ言う。犯人は――」
漆黒の闇を舞うカラスの群れが急にカアカアと喚きだし、留まっていた木々から次々に飛び立っていく。
僕は裏木から貰った資料をゆっくりと、一枚ずつめくり、全ての人物と事件との因果関係を再度思い出す。
そして、カラスの鳴き声が消え去り、冷えた空気が世界を覆う頃。
僕はその資料を地面に投げ、バサリという音が途絶えたと同時に、ゆっくりと告げる。
「犯人は――凪神楽だ」
「凪神楽は、忘れ狐――人間に化けたまま元の姿を忘れてしまった狐――の魂が、人間の魂と混ざり合って出来ている存在だ。あぁ、勘違いするなよ夜木。彼女はれっきとした人間だ」
九尾の狐という伝承があるように、狐はれっきとした超能力を発揮できる存在だったのだ。
「親狐は子狐を守る為に力を発揮する。それが、彼女からあらゆる災難を避けさせていた原因だ。彼女が成人してしまった今、その力は無いに等しいが」
裏木は達観したような笑みを浮かべ、今僕達の目の前にある施設――病院を見やった。
「恐らくは成人して力の使い方が分からずに所構わず力を出してしまったんだろう。なぁに、野々宮が居れば何とかなるさ」
僕らは日照に頼み、彼女の居る病室(裏木が知っていた)に転移させて貰った。
神楽が入院していたのは四人用の部屋だったが、そこには偶然にも彼女しか居なかった。
「野々上。頼む」
野々上咲は黙って頷くと、ベッドに寝ている彼女の額に左手を当てた。そして右手で強制的に両目を開けさせ、自分と目線を合わせさせる。
そのまま、野々宮は動かなくなった。
僕は、推理を回想する。
「で、どこから斬り込んだ?」
「あの資料の、最後の部分かな。鷹の目を持つあんたなら、事件が起こる前でも――僕に資料を渡すことを知っていたなら――、これから襲われるはずの凪神楽をリストに追加していないはずがない、と思ったのが始まり」
それにあの質問をしたとき、裏木は神楽の事を『被害に遭った』『襲われた』だのと一度も言わなかった。
それはつまり、神楽は例外でありながら被害者ではないという事になる。
「確かにあの時、神楽は僕に何かを話したがってました」
静沢が襲われた翌日、僕と神楽が一緒に帰ろうとしていたとき、彼女の言葉はどうにも煮え切らなかった。
恐らくアレは、静沢を――100%自分のせいではないとはいえ――襲ってしまったのだから、その事を僕に謝りに来たのだろう。
が、僕の態度も相当酷かった。焦りといらだちでつい『殺す』だなんて突き放してしまったから、彼女は贖罪を諦め、自殺を選んだのだろう。元々、28人分から吸収していたエネルギーを持て余していたこともあったし。
「反省したか?」
「いえ。もうちょっとハッキリと言ってくれればよかったのに、と――」
「言えるわけないでしょうが」
野々上と神楽の居る辺りから、そんな鶴の一声が差し挟まれた。
患者用の服を若干はだけさせながら、凪神楽が起き上がってこちらを見ていた。
「神楽――じゃなくて、野々上か?」
ハッ、と彼女は僕の言葉を一蹴した。
「咲様と呼べって言ってんだろ、新入り。『あんな』身なりじゃ分からないでしょうが、私の方が年上なんだからな」
そうなのだ。野々上を見て現代のロリコン共歓喜と言ってやりたいところ申し訳ないのだが、彼女の本当の年齢は僕よりも上、裏木(30代前半)と同じぐらいらしい。
「言えるわけ無い、ってどういう事ですか」
そう言うと、神楽の姿をした野々上は凄く落胆した表情になった。
「あんたってのは……本当に『零』だね。大事な感情も全部小学生の時に置いてきたのか?」
「それは普段のあなたじゃないですか」
野々宮のややこしい所は、他人に憑依すると口から先に憑依してるかのように多弁になる所。普段が普段なので、もの凄いギャップを生むのだ。
「チッ……、まぁいい。とにかくコイツはお前に嫌われるのが心底嫌で、真相を話すのを躊躇っちまった。だからこんな事になったんだぞ? ちゃんと目覚めたら、責任取ってやれよ?」
はあ、と僕は嘆息する。
「分かりましたよ、センパイ」
†
で、一週間後。
「ただいま帰りましたっ!」
神楽からのそんな第一報告がなされたのは、夕刻ではなくその日の朝だった。
「おかえり」
「ねぇねぇ、聞いてよ。私、超能力者になっちゃった!」
神楽の表情も声色も、凄く嬉々としていた。
「……へぇ」
だが僕にとってみれば今更、といった感じだった。
野々宮が施したのは、彼女の中に溜まりすぎたエネルギーを放出する手段を与えることだった。
『この子もいずれ何か人外の力を扱えるようになるさ』
『一体どんな?』
『……神通力』
『は?』
『ほら、キツネだし。なんかこうすっごいパワーが溢れてそうで面白いネーミングじゃないか』
と、僕の前で語彙の少なさを露呈した裏木らの活躍により、事件は見事に解決した。
「あんまり他人にひけらかすもんじゃないぞ、変な研究所に連れ込まれて死ぬまで実験の対象になっちまうかもしれないからな」
「そこまでアホじゃありませんよー、だ」
「そうかい」
僕は講義のある教室に向けて、再度歩みを進める。
「あれ、コーヒー買わないの?」
「いらないよ」
慌ててついて来ようとする神楽の方を振り向きながら、僕は言う。
「寝そうになったら、起こしてくれよ」
そう言って、僕は教室へと急ぐ。
神楽が一体どんな表情をしているのかもの凄く気になったが、ここは振り向いてはならないとよく意味の分からない制約を自分の中に課した。
でも、それで十分。
「……ばか」
ふと、神楽のそんな声が聞こえた気がしないでもない。
明日辺り、また野々上から説教かな。
プロット無しに即興で書いたので結構粗雑です。