妹
玄関に近いようにした朱里さんと糸瀬さんの部屋へ段ボールや発泡スチロールで包まれた家具が運ばれていく。
糸瀬さんは部屋が散らかっている状態があまり好きじゃないらしく、運ばれてきたものを片付けて整理するために新しい自室へと向かった。
新しく加わった2人の空気感で少し心を落ち着かないが、糸瀬さんに伝えた家訓、一期一会を念頭に起き朱里さんに改めて挨拶を。
リビングではどこからどうみても夫婦が仲睦まじい会話をしているようにしか見えなかった。
自分が声をかけるより前に話の区切りを見た朱里さんが切り出す。
「部屋、掃除してくれてんだってね〜、ちょっと狭くなっちゃうけど...これからよろしくね」
「ああ、いえ...広かったぐらいなので丁度いいですよ」
不覚にも金持ちを意識させるような発言。
相手をフォローしようとすると、何故か墓穴を掘るという悪い癖。
「それよりも、こんなに買ってきていただいて」
自分が作った話題を最小限に留め、朱里さんが恐らく押しに負けて買ったであろう追加の食品たちで話を逸らす。
「いいのよ〜、ほんの気持ちだから」
「ありがとうございます」
優しく微笑んで軽いお辞儀。出来ているだろうか。
同い年にはラフに、目上の人には敬意を示す。
母親、妹関係なく一般常識を理解しておくことで物事を円滑に進めることができる。
「あ、それは私と雄太さんでやるから大丈夫よ〜、物の場所もあわせて覚えたいし」
レジ袋の中身を軽く確認して整理しようと思っていたが、新しい場では覚えることから始めるという考え方に納得し手を引く。
柔らかい口調で掴めなさそうな性格ではありながらも、母親適性は高めだ。
「そうだ、優。千歳ちゃんの荷物整理手伝ってやれよ」
「え?」
父さん、何言ってんだよと。
颯爽と片付けに行ったじゃないか。
...そういえば料理の時言ってたか。
「そうね〜。あの子整頓苦手だし丁度いいかも。ほら、仲を深めるとでも思って。優くんならきっとできるわ!」
もはやプライバシーが...などの言い訳は通じない。
「兄妹だから」と「優くんならできる」のコンボに朱里さん補正がついてK.Oだ。
「わかりました」
平常心を心の中で唱えつつ、和気あいあいとした空間から離れて部屋へ向かった。
静かな空間の中、壁の向こうで物音がする。
家族にはなったものの不慣れな、というか未経験である女子の部屋訪問に心を落ち着かせるため、深呼吸をして肩の力を抜く。
「ただの」家族。「ただの」妹。
「ただの」という言葉は表裏一体である安心とプレッシャーを与えられるもの。
余計なことは考えない方がいい。
小学生の頃どうであったかは覚えていないが、中学生の職員室訪問、高校入試面接の時はノックが3回だったので、危険を冒しにいくことをしない我流を突き通し、扉を3回叩く。
「糸瀬さん。手伝ってって言われたんだけど、入ってもいいかな」
出来るだけ兄として、
この家の先輩として、
家族として恥じることのない行動をする。
「分かった、いいよ入って」
持ち手を掴んで、ドアを押し、部屋に入った。
部屋はいくらかの段ボールと存在感を放つ恐らくベッドであろう青い包み。
本当に何も片付いていない。
広い部屋も人2人とこれだけあれば狭く感じる。
「どれから手をつけたらいいか分かんなくて」
感じ方や捉え方は人それぞれだし、朱里さんのやり方が上手くて見劣りしてるだけかもしれない。
さりげなくサポートしよう。
整理整頓が苦手な人は「とりあえず」とか「いつか使える」とかの思考が多い傾向にあるらしい。
もちろん全員が一概にそうであるとは言えないが、糸瀬さんみたいな人はそのとりあえず、や、いつかという事をすぐに成し遂げてしまうが故にこういうことが起こりやすいのかもしれない。
もっとも、その土台にすら乗れていない人物が語るようなことではないけど。
困っている糸瀬さんを余所に何を考えているのかとはっとした。
「まずは大きものからやると進めやすいよ」
全ての段ボールを開封しつつ、途方に暮れていた糸瀬さんに助言する。ちゃんと苦手らしい。
「なるほど、空間が作りやすくなるしね」
1つであれば2つ。2つであれば3つ。
相手が自分にしたことに対する理解度と思考回路が高すぎて何かもう通り過ぎてしまっている。
いつか糸瀬さんが言った「人を信じない」という彼女なりの心得は、恐らくこういうことではない。
何か断言できない、言葉に表せない感情や状況になった時に、人を信じることで解決することをしないだけだろう。
便利なライフハックは覚えるし、役立つテクニックは繰り返す。
それは決して、教えを乞い、頼ろうとしているわけではなく、自分の生活をよりよくするための道具。
ありがと、と軽く微笑んで作業に移り始める糸瀬さん。
...そういえば手伝いに来たんだった。
達成感がすごくて本来の目的を忘れそうだった。
荷物が混ざらないよう彼女らしく丁寧に書かれた字を見て、下着などの箱を取らないように気をつけながら作業をしていく。
「そういえば蒼井さんも推薦だったよね」
10分ぐらい経って、糸瀬さんが1つ目の段ボールを片付け終わった時に思い出したかのように聞いてきた。
「まあ理数科だけどね」
橘高校には毎年280人の生徒が新たに入学する。
その中で推薦組は140名と半分なのだが、俺が60人入れる理数コースに対して糸瀬さんは20人しか入れない特待生コース。
ちなみに、もう一つの文系コースも60人なのだが、定期テストはみんな5教科受けるのであまり意味は無い。
自分で言うのもなんだが、一般からすればもちろん自分は推薦組という括りなので結構頭いい人という位置付けだ。
だが、推薦という枠組みの中でも特待生コースは更に頭ひとつ抜けていて、定期テストの順位も今のところ20位以内はすべて特待生コースの人達が取っている。
しかもその中で1位を取り続けているのだから彼女には頭が上がらない。
「それがどうかした?」
「ああいや、なんでもないよ」
そう聞くだけ聞いて彼女は2個目の段ボールの整理を始める。
各教科ごとの順位は見ていないから知らないけれど、数学や理科が苦手なのか?
もしかして教えて欲しいとか......はないか。
自分も1つ目の段ボールを糸瀬さんの指示で片付け終え、2個目を開ける。
「あれ、これ...」
2つ目の段ボールで上側に積まれていたのはスケッチブックと絵の具と筆。立てかけるやつもあった。
1つ目が勉強道具をパンパンに詰め込んでいたものだったので、勉強漬けの日々を送っているのかと思ったが何も書いてなかった箱からこんな掘り出し物が出てくるとは。
「糸瀬さん、絵好きなの?」
「まあ、趣味程度にね」
これだけしっかりした道具をそろえつつ趣味程度という言葉で終わらせる辺りに、効率厨としての凄さを感じればいいのか、嘘であると疑えば良いのか...
お互いに作業をしながら会話を続けている。
物は言いようかもしれないが、なんというか幼稚な聞き方をしている俺に対して、俺よりも速いスピードで作業をすすめている彼女の答えの方が、しっかりしてる気がしてやっぱり敵わないと思った。
箱の奥へ奥へと手を伸ばし、色々な荷物を外に出していると糸瀬さんが書いたらしい絵が出てきた。
紙いっぱいに広がる星空と丘を描いた作品。
題名は「光」
イメージは、遠く離れた2つの存在でも丘から見える星の輝きは消え失せないという憧れ。
自分からステージに上がりに行くことと、気づけば周りの注目の的でステージに上がっている状態。
最終的にいる場所が同じであっても捉え方は違う。
度重なる努力の末に、人から憧れられる存在になるこの作品のイメージは間違いなく後者だ。
人間関係を間接的に表現していたこの作品が俺は好きになった。
「これ、綺麗だよね。自分で言うのもあれだけど」
「うん、綺麗だ」
美しい作品に見とれて作業が進んでいないことに気づいたのか糸瀬さんがこちらに来た。
だが、自分はもう1枚。
この下にあったひっそりと隠れていたその作品にも同じくらいの、いやそれ以上の胸の高鳴りを感じた。でもそれは、好きという感情ではない。
「写真を撮ったかのような澄んだ青空と海」
果てしなく続く水平線と地平線のように、彼女は未だに掴めない。
いつかそのふたつが出会うように、お互いの中身を知る時が来るのだろうか。




