いつかの「またね」
父と二人で行ったクッキングタイムも終わり外も暗くなってきた。
時刻は5時45分、ちょうど1時間ぐらい料理していたようだ。
サプライズのためにそれぞれを隠しておいて、父が「最終確認行ってくる!」とどこかに行った。
しばらくするとキッチンにいた自分でさえ聞こえる、玄関よし!という声が聞こえた。
こういう時にそわそわしたり、ワクワクしたりする気持ちは分からなくもないが、齢四十二のいいおっさんが子供らしすぎるのもな...
エプロンの紐を解いて軽く畳む。
最近つけていなかったからかポケットに埃が入っていたので捨てておく。
キッチンから軽く部屋を見渡す。
2人だけでは心細い空間も少し狭く感じられるようになるかもしれない。
父さんほど浮かれている訳では無いが、ワイシャツに付けるいい匂いのするやつをソファやカーペットに軽くプッシュしておく。
部屋の臭いがキツイなんて思われてしまったらそれこそ終了だ。
2、3分経ったところで父さんが「問題なかったー!」とリビングに戻ってくると同時にチャイムがなった。
俺が行くよ、とカーテンの皺を気にしていた父に告げて小走りで向かう。
はっきりとしない思いを胸に抱いて持ち手に手をかける。
―――ついに始まる。
扉を開けると雲ひとつない夕焼けに染まった空と華奢な方が一人。
格好はブラウスとブルーデニム。
大人っぽさを纏った格好で大学生と言われれば否定できない。
とは言いつつも書店のあの先輩も大学生らしいので同い年と言われれば「それはないだろ」と思うかもしれない。
もちろん糸瀬さんが若く見えるからだ。
あの先輩はどちらかと言うとOLの方が似合いそうだからな。
いつの間にか先輩のOL姿を妄想している脳内をかき消す。
目の前に女性がいるのに他の女性の事を考えるのはご法度だと、いつか聞いた。
「あー、えと..朱里さんは?」
「なんかまだ買い足りないらしくて」
先に朱里さんから荷物を預かっていたらしく、両手には格好に合わないスーパーの袋。
主婦感が溢れ出る状況なのに1ミリもそんな事感じさせない格好だから変な感じがする。
「でもほんとは...まあいいか」
恐らくテンプレの感謝の気持ちで...などではないことは理解できた。
でも朱里さんの事だから断りきれないとかそんなんだろうな。
お人好し過ぎるのも良くない。
「お〜、いらっしゃ〜い」
「これからよろしくお願いします」
確認も終わりリビングで待っていた父さんと糸瀬さんが挨拶を交わす。
これから住む彼女に対していらっしゃい、と言った父と、律儀に荷物を置いてお辞儀までした糸瀬さん。
正式に家族になった今日な訳だが、やっぱり全然違う事が事実として今証明された。
まあこれに関しては父が天然すぎると言うのもあるかもしれない。
「これ...まさか朱里さんが?」
「あ...はい。流れで買わされたらしくて」
その直後「あ」と何かに気づいたようにこちらの顔を見た。
どうやら朱里さんが店員の推しに負けたという購入経緯は間違っていなかったようだ。
「いやあ、流石朱里さんだねぇ。僕の好みそのものだよ」
「それは良かったです。覚えておきますね」
テーブルの上に並べられているのは、ウインナー、サイコロステーキ、冷凍ピラフ、枝豆。
まとまりを作ろうと思えば作れそうな気もするが、全てが父の好みであることは間違いない。
天才の子は天才の親ありということか。
血は繋がっておらずともペットが飼い主に似るように、育て方で変わっていくものなのだろうか。
どちらにせよ、スーパーラッキーウォーメンかスマートウォーメンの2択なので家族としては心強い他なかった。
その後、父さんが買ったものを整理しておくと申し出てくれたので糸瀬さんに部屋を紹介することにした。
「へぇ...綺麗だね」
「一期一会がうちの教訓なので、ここら辺はきちんとね」
「ふーん...」
声こそ興味なさげではあるが、部屋のあちらこちらを歩いては「おー」とか「へー」とか感嘆?の声を漏らしていて意外にも好奇心旺盛だ。
夕焼けが差し込む、白くて薄暗い部屋に溶け込んでいる美人。
恐らくサラサラな長い黒髪とふんわり香る花の匂い。
16歳思春期真っ盛りの男子には少し刺激が強すぎる。
こちらには振り向かず、窓の方をみて彼女は言った。
「ほんとに、ここに住むんだなあ...」
「自分の部屋、持つの初めて?」
「うん、女二人だから別にいらなかったしね」
「そういうものなんだ..」
もちろん当たり前だが、男二人で十数年過ごしてきた自分が、女二人で過ごしてきた人の気持ちや考えなんて考えたこともなければ知る由もなかったことだ。
これからはそういうことも意識しながら行動した方がいいだろう。
「掃除、してくれたの?」
「汚いままじゃ、流石にさ...倉庫だったし」
「へー...お金持ちなんだ」
「...」
困った。蒼井優、返すことが難しい言葉ランキング第2位にランクインしている「自分の力じゃないことを褒められる」だ。
具体性のない言葉というツッコミは置いといて。
「ま、まあ...それほどでも、ないよ」
まるでお手本かのようなキモさ10イキリ度10親のスネかじり度10のコメント。
言ってもそこまで時間は経っていないが、積み上げてきたイメージがこういうので崩れていくんだろうな。
だが、糸瀬さんはその返しに何も言わず遠くを見つめていた。
掃除のために開けていた窓から風が吹き込む。
長い髪が流される。
彼女は左手で左耳に髪をかけつつも、目線は変わらない。
その凛とした姿と靡かせる髪は、湖に浮かぶ睡蓮のような、浅瀬の珊瑚のような淡い美しさを感じさせる。
静かな空間の中聞こえるのは、人々の歩く音。信号機の切り替わり。雀の鳴き声。
それはまるで彼女一人を無視して孤立させているようで。
そんな彼女の姿が、自分の知らない誰かに重なっていた。
視界はボヤけ、眩しくて顔が見えない。
夕方頃だろうか。
親と手を繋いだ彼女が、去り際こちらを振り向いた。
「またね」
手を振って車に乗る。
名前も顔も分からないあなたはそう言って、視界から遠くへと向かって行った。
セミの鳴き声がうるさかった。
「時間だね」
幻覚か何かから、糸瀬さんの声で現実に戻される。
窓は閉められ、外の音も何一つ聞こえない。
「来たよ」
彼女がそう言って部屋を出ていくと、数秒後にチャイムがなった。
ポケットからだしてスマホを見ると時間は6時24分を表示していた。
月のクレーターが表面から見た深さよりも実際は恐ろしく深いように、義妹という存在もまた計り知れない。
耳の奥にはまだセミの鳴き声が残っている。




