初めまして、糸瀬千歳です
「夜の街」という響きはどこか大人な雰囲気を思い浮かべてしまうものなのかもしれない。
だが、自転車で走りながら聞こえてくるその夜の街の内容といえば、案外しょうもないものばかり。
裏路地を少し除けば、悲しい別れ話が。
居酒屋の横を通れば酔っている団体男性客の好みの女性の話が。
子どもが理解できない話の内容もあるのだろうが、くだらないものだなとは感じた。
自転車を漕ぐこと数分。
指定されていたファミレスの横のスペースに自転車を止める。
父さんが予約してくれていたのでうちは大丈夫だぅたんだけれど、団体客の人の宴会やその他にも家族で来ている人たちの話し声が聞こえてきて店先には「本日は満席」のプラカードが出されていた。
入ってすぐ店員さんに呼び止められると思ったが、スマホを見ると「先に伝えてある」とメッセージが来ていたので3人のいる席を探すことにした。
抜けている所もある父だが、こういう所はしっかりしている。
1家の晩御飯の様子や宴会を横目で見ながら奥に進んでいくと、通路を見てくれていたらしい、少し席から顔を出していた父が「おーい、ここここ」と手を振って教えてくれた。
他のお客さんに様子を見られ、少しでも注目の的になることを避けるために足早に席へと向かった。
父さんの隣の椅子に腰を降ろしたあと、左斜め前に座っていた女性がタイミングを見て話し始める。
「はじめまして、優くん。だったかな?糸瀬朱里って言います。これからよろしくね」
自己紹介の後、今日急に呼び出したことを謝ってくれたその人は今、この瞬間から俺の母親となった人物。
どこか温かくてほのぼのとした感じ。
父さんが言うように容姿端麗な美しい方だった。
「初めまして、蒼井優です。これからよろしくお願いします」
「あら、お話には聞いていたけれどしっかりとした子ね〜、雄大さんに顔も少し似ているわ」
そう言ってうふふ、と笑う朱里さん。
とても幸せそうだ。
だが、自分が気になっているのは朱里さんの隣。
俺の向かいに座っている女性。
見せられた幼少期の写真に対して、今、面影を感じますか?と問を投げかけられれば「髪色のみですが、感じます」などと的を射ない回答をしてしまうぐらいには、それぐらいしか面影の無い、物静かな雰囲気を纏った人。
「それじゃあ、次は私の番ね」
少し袖を引っ張って眉下まである前髪を揺らし、俺の方をしっかりと向いてから彼女は話し始めた。
「初めまして、糸瀬千歳です。これからよろしくお願いします」
「あ、ああ初めまして..こちらこそよろしくお願いします」
「ふふ、なんだか堅苦しいわね〜」
そう笑う朱里さんなのだが、千歳さんはその母親とはまるで別人のようで挨拶されたこちら側が緊張するような、そんな印象を感じた。
だが、緊張している理由はその挨拶によるものだけではなかった。
「糸瀬千歳」
他クラスだから顔こそ見てこなかったものの私立橘高校一年生の大半には知り渡っているであろう彼女の名前。
彼女は入学試験、中間、期末と全てのテストで学年首位の頭脳系美女だった。
寝癖、アホ毛1つ見えない綺麗なストレートの黒髪ロングヘアーと大人っぽさを纏いながらも乱れのない着こなしをしている服は驚きさえ感じてしまう。
何に力を入れるにもまずは外見から、とよく言うが彼女を知ればその考え方も腑に落ちるかもしれない。
それに加えて初対面の挨拶が非の打ち所がないものだったので緊張しない理由がなかった。
そんな彼女の様子を見て少し固まっていると、父が小さく耳打ちしてきた
「どうだ、可愛いだろ?惚れたんじゃないのか?」
「どうだ、じゃないよ。というか惚れたら駄目だろ」
「写真では可愛さが満点だったけど大人っぽい今も全然いいよなあ」
「そんな話はしてないし父さん少し気持ち悪いよ?」
「悪い悪い、でどうしたんだ?」
そこで俺は父に「実は...」と事の経緯を細かく説明した。
一通り話終えると「なるほどなぁ...」と腕を組み考え始めた。
向かいには微笑みながら娘に話しかけている朱里さんと、ある程度のところで相槌をうち面と向かって話を聞いている千歳さんの姿がある。
少し時間が経った頃、何を思ったのか父が千歳さんに話しかけた。
「千歳ちゃん、ごめんなあ。うちの優とか言うやつは君より誕生日が3日も前で君よりも年上なのに人見知りなんだ。だから多少話せなくても嫌いにならないでやってくれ」
「あ、はい。分かりました」
相手はしっかりと聞いてくれいたようだった父さんの話は、誕生日の差が3日とか色々突っ込みたい所はあったんだけど、何からツッコめばいいのか分からなかったから、というか無闇にツッコミを入れた所で場の空気が変になることを危惧して、胸に秘めた少しばかりの憤怒は喉の手前で留めておいた。
「ごめんなさいねぇ、優くん。うちの子、あまり写真を撮りたがらないものだから」
「ああいえ、大丈夫ですよ」
とりあえず写真を撮ったであろう本人から映る千歳さんが幼少期だった理由が聞けた。
一思春期男子として写真を撮られたくないという気持ちは分からなくもないが、顔に自信がない俺見たいな存在は置いといて主観的に見ても、恐らく客観的にも美人な彼女が写真を嫌う理由はイマイチよく分からなかった。
「ごめんなさい、少し写真映りが悪くて」
「は、はあ。そうなんですか」
本当の事かどうかは分からないけれど、節度のある接し方として無駄な深掘りは二次災害を産むという可能性も考慮しながら、とりあえず信じておくことにした。
もっとも、美人だからといって...という自分の勝手な考えを押し付ける行為はしなかった。
「でも、少し安心した」
「どういうことですか?」
「接しやすい人だったから」
「どうでしょう、上手く取り繕ってるだけかもしれませんよ?」
「それはそれで真面目じゃない?母さんが雄大さんがしてくれた話を聞いているからそんな人じゃないっていうのはわかっているんだけど」
「さっきまでやってたバイト。今日の事で頭が一杯で先輩に注意されちゃいました」
「でも頭はいいんじゃなかったっけ」
「要領だけですよ、ちと――糸瀬さんも良いですよね?」
「うん、多分私の方が良い」
「そうですね」
口元を手で隠して上品に笑う糸瀬さんを見て、少し緊張しながら話を聞いていたらしい両親もホッとしたかのように笑った。
そうして何とか丸く収まった顔合わせの場。
今日のバイトで暇な時に読んでいたベストセラーの本とささやかながらもアドバイスをくれた先輩に心の中で感謝しておいた。
こんな感じで進んでいけば今までと差し支えない安心した日々を送れるだろう。
表面上だけで進んでいたこの上辺だけの会話だって、慣れたらきっと難しくないはずだ。




