娘がいるんだってさ
時にはどうしようもないくらい熱い思いを抱いたり、またある時には果てしなく落ち込んだ気持ちになったり。
人間という生き物は表裏一体な感情や思いを持ち合わせる複雑な生き物だ。
だが、その感情や思いというものは沢山あるが故に、交差し絡み合って複雑な状態にしてしまう。
100人の人が同じ映画の感想を述べれば、「つまらない」「面白くない」といったものもあれば「感動した」「素晴らしかった」などの感想が出てくることもあるのだ。
そんな時、その映画を見てない人が情報をどう判断するのかと問われれば必然的に多い方を信じてしまう。
結局の所、人は深い情や思いを抱く生き物でありながら、同時に行き先が分からなくなった自分の迷いを他人の考えに縋ってしまう深くて浅い生き物なのだ。
そんな人間という生き物の1人。蒼井優。
「周囲に合わせることが得意」と言えば良いように聞こえるかもしれないけれど、本当は少し頭が良いだけの影の薄い人間。
別に自分を卑下してる訳でもないのだけれど、誰にだって主人公適性がある訳では無いことをしっかりと理解することができる、そんな人間だ。
だが、そんなありふれた人生にだって転機は訪れる。
漫画や恋愛小説のものであれば、「血は繋がっていない」だの「少しずつ近くなっていった距離感」だので最終的に立場関係なく結ばれるハッピーエンドがこの世にはたくさん溢れかえっている。
もしそんな期待をしながら過ごしていたならば、痛い兄さんの典型的な例になっていたかもしれないが、「兄と妹」という関係。それも義理の形でできている表面上だけの関係の中で「いつだって助け合い支え合う」なんていうイメージが俺の頭の中にはなかったことが救いかもしれない。
そう、人生初の妹が。義妹が出来た。
これは後日談の一部であるが世間一般的に言う義妹というキーワードは都合のいい解釈をされがちかもしれない。
現実はそんなに甘いものではないのだ。
クーラーの聞いた7月某日の夏の夜の部屋で、氷の入った結露している水が入ったコップを君に渡した時の会話はこうだ。
「どうぞ、糸瀬さん」
「ありがと、蒼井さん。理科の実験ができそう」
「...そう、それは良かった」
どうだろうか。
甘ったるい声で囁いてくる「お兄ちゃん♪」という言葉。は望んでいなかったにしても「兄さん」すらない他人同士の軽い挨拶。
ましてや、あげた水は飲むでもなく自由研究の一環として使うだけ。
一度どこかで会って少し話していたとしても、いやあったところで、昨日まで他人だった女性に対していきなり妹なんていう身近な存在を感じられる訳ないのだ。
それなら幼馴染の方がマシかもしれない。
結構ごめんだけどね。
先日16歳になったばかりの高校一年生。
義妹が出来たことに対しての抵抗がないかと聞かれれば、恐らく即答で「No」と答えるだろうが、それ以上に父が嬉しそうにしている姿を久しぶりに見られたことがこちらとしても何だか嬉しかった。
自分の父親が目の前にいる人だと認識できたその時には母親は仏壇の向こうにいた。
写真に写っているのは朗らかで優しそうな若い女性。
見て分かる情報はそれしかないし、父親に聞いたところで悲しい思いを掘り起こさせるだけなので自分からも聞くことはしなかった。
そのせいからかは分からないが、幼い頃からあまり人と関わりに行くことがなかったように思う。
いつも元気な幼馴染を相手にしているだけでどこか満足している自分がいたのかもしれない。
待っている訳じゃなくて、本当に関わる必要性を感じていなかったんだろう。
いつも通りの1日を過ごして、帰宅し、どこか頼りない先輩のいる小さな書店のバイトに向かおうと仕事着を入れたバッグを肩にかけ、靴を履こうと玄関に向かっていた時にそれは唐突に告げられた。
「父さん、結婚しようと思うんだ」
「え?」
「どこか母さんの面影を感じる、優しい人で...いやでもこんな事言ったら失礼だな。ごめんよ母さん」
「情報が追いついてないんですが?」
「ほらでも、スタイルもいいしさ!」
「それで食いつく男に父さんは俺を育てたのか?」
「そんな風に育ててた?」
「いやそんなことはないんだけど..」
「じゃあそんな事言うなよ」
そう言って軽く笑う父。
発言内容が矛盾してるぞ、とツッコミを入れた。
だが、人と関わってこなかったからって、他人に興味がない訳では無い。
汗ばんだシャツをパタパタさせる女子や、透けて見える下着が目に入れば多少なりとも興奮はする。
それが男という生き物なのだ。
「どこで出会ったの?」
「駅前の喫茶店をやっていてね、僕が行けばいつも彼女がいるんだ。運命的な出会いってあるもんなんだねー」
そういってはっはっはと笑う。
そんな自由気ままな父さんの性格に呆れて苦笑いした。
「良かったね、父さん。俺は2人のサポートをするよ」
「父さんが幸せならそれでいいからさ」
ここまで育ててくれた父さんへの恩返し、とまでは行かないけれど新しく家族として愛を誓った存在に子供ながらも感謝の気持ちとして。
「ほんと良い人なんだよ...」
そう言って微笑む父。
いつもは不甲斐ない切なさを感じさせる笑顔は今日は、暖かく感じた。
「あと、俺たちになるけどね」
「え?どういうこと?」
「娘がいるんだってさ...確か千歳ちゃん...だったっけな」
どうやら相手側は既に離婚を経験しているバツイチだったようで、子持ちによって弾んだ会話も合ったそうだ。
「幼少期の写真を貰ったんだ。どうだ、可愛いだろ?」
「なんで、父さんが誇らしげなんだよ。まあ可愛いけどさ...幼少期だろ?」
「さほど変わんないって、それにしても兄妹かあ...」
父親は今年で42歳だ。
まだ大人になっていないので分からないのだが、こんな歳になれば何でも嬉しく感じてしまうものなのだろうか。
「それで今日さ、顔合わせだから!8時にファミレス来てくんない?」
「急だな...分かったよ。行ってくる」
「ああ、気をつけてな」
いつも忙しない父親なのだけど、いってらっしゃいと見送りしてくれるその顔が俺は安心して好きだ。
脳裏にはまだ、あの少女の笑顔が焼き付いている。
向かった書店のバイト。
突拍子もなくやってくるからこその「転機」というものを目の当たりにして頭の中がそれで埋め尽くされていた。
一時間に行う本の在庫チェックの冊数がいつもの3分の2ぐらいに下がっていたんだけど、それに気づいてくれたのか先輩が、「どうしたんだよ、後輩くん」と心配して聞いてくれたので起こっている事情を軽く説明したら、夜、店を出てファミレスに向かう時に「君はお兄ちゃん属性が強そうだから、ダイジョブだよ!」と小さくグッジョブを作って、送り出してくれた。
普段はマイペースで仕事量も自分の半分近くぐらいで怒られている彼女なんだけど、人の仕事の量に異変に気づいてくれたりする鋭い観察眼と優しい言葉から多分優しい人ではあるんだと思う。
掛けてくれた言葉を胸に、夜の街を自転車で漕ぎ、新たな出会いの場所へ向かうことにした。




