第3話 メロディの行き先
フェス出演が決まり一週間。
スタジオに集まるペースは増えたが、4人の日常は変わらず忙しく…それでも、心のどこかにいつも “音” が流れていた。
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■麻耶 ―― 家庭との両立
夕飯の支度を終えたキッチン。
麻耶は鍋の火を止め、そっと喉に手を当てた。
「最近、声の出し方を忘れてたなぁ…」
ハスキー気味の独特の声は、年齢を重ねても色褪せていない。
だけど、腹式呼吸は鈍っている。
歌いながら授乳していたあの頃もあったけど、今は身体の使い方が違う。
スマホが震え、響からのメッセージ。
〈明日、オリジナルのアイデア持ってく。聴いてくれ〉
麻耶は思わず笑った。
高校の頃から、響は新曲が出来ると真っ先に彼女に聴かせたがった。
「…あの頃と同じだね、響」
けれど、同時に胸が少しざわつく。
10年前、彼のギターに惹かれていた自分を思い出すから。
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■響 ―― リーダーの焦り
自宅の書斎。
響はギターを膝に乗せ、コード進行を繰り返し弾いていた。
仕事のストレスで固まった肩が痛む。
背負う責任も、昔の軽やかさとは違う。
「…これでいいのか?」
メロディの断片。
でも歌い出しだけがどうしても決まらない。
ノートを投げるように閉じた時、ドアをノックする音。
「パパ、まだ仕事?」
小学一年の娘が顔を覗かせた。
「ああ、まぁ…仕事みたいな、趣味みたいな」
「パパ、ギター弾いてる時の顔、楽しそうだよ」
その言葉に、響はふっと苦笑した。
子どもに気づかれちゃうんだ。
“バンドが好きだった頃の自分” が、確かにまだ生きている。
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■慎司 ―― 理論と感情の交差点
大学の帰り。
慎司は楽器店に寄り、ベース弦のコーナーに立っていた。
「10年ぶりにこんなに弦消費してるな…」
指先が少し痛い。
演奏の感覚が戻ってきた証拠でもあった。
店内で流れていたのは、80年代のヒットソング。
シンセの音、派手なドラム、甘酸っぱい歌詞。
慎司はイヤホンもせずじっと聴き込む。
研究してきたどんな理論よりも、
“音楽って本気で心を揺らすんだ”
そう思える瞬間だった。
「…次のリハ、もっと良いラインを弾こう」
静かに決意が生まれた。
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■大地 ―― 喫茶店に集う記憶
夜の閉店後。
カモメ堂の照明を落とすと、店内は柔らかな影を落とした。
厨房の奥から古いスティックを取り出し、空気を切るように軽く振る。
「…あんときと同じだな、ワクワクすんの」
そこへ、麻耶が子どもを寝かしつけた帰りにふらっと立ち寄った。
「お疲れさま、大地」
「おう、麻耶!コーヒー飲む?」
2人で並んで座るカウンターは、10年前の“部室の代わり”みたいだった。
「ねぇ大地…私、歌、まだ通用するかな?」
麻耶の声は少し震えていた。
大地はコーヒーカップを置いて、にかっと笑う。
「通用するどころかさ、麻耶の声がないとオレら始まらないだろ。
あの頃も今も、ホットハンズのセンターはお前だよ」
麻耶の目が少し潤み、そっと微笑む。
「ありがとう。…ほんとに、ありがとう」
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■
翌週の夜。
4人はスタジオに集まった。
「じゃあ…聴いてほしい」
響が弾き始めたのは、切なくて柔らかいギターのフレーズ。
慎司がすぐにベースラインを合わせ、大地が軽くリズムを刻む。
麻耶は目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。
―― 10年前の自分たちへ
―― そして今の自分たちへ
歌い出しの言葉が、自然と口をついて出た。
「あの日の色は、今も胸の奥で鳴ってる…」
その一節で、3人の手が止まった。
響が驚いたように麻耶を見る。
「今の…麻耶が考えたの?」
「うん。…浮かんできたの」
静まり返ったスタジオに、確かな確信が生まれる。
これが、ホットハンズの“オリジナル”になる。
大地がスティックを回しながら言った。
「タイトル…『メモリーズ』はどう?」
慎司が頷き、響が微笑んだ。
「いいじゃん。完璧だよ」
こうして彼らの10年越しの新曲が産声を上げた。




