表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/35

変わりゆくもの

「お邪魔しましたー! 春ちゃん、またねー!」


 朝っぱらから元気な声をあげて、藤川さんは帰っていった。

 何度もこちらを振り返っては、笑顔で手を振っていた。

 結局何が目的で来たのか分からなかったが、考えるだけ無駄であろう。

 行動力のある人間と自分の思考は違う。

 目的がなければ動かない自分と違って、バイタリティのある彼女にとって旅行なんて気分任せなのだろう。

 知っている人がいたから寄った、程度の感覚なのだろう。

 自分には一生理解できない気がする。

 チラリと横を見ると、ぐったりとした様子で春が手を振り返している。

 人付き合いの少なそうな春には、同衾イベントは少し刺激が強かったようだ。

 まぁ、いい経験だったと思ってもらおう。


「芥お兄さんの知り合いって、すごいね」

「藤川さんが特殊すぎるだけだ」

「私も、めいさんぐらい元気があった方がいいのかな?」

「別にそのままでいい。元気すぎるのも人を選ぶから」

「そっか」


 姿が見えなくなるまで見送った後、二人で部屋に戻る。

 台風のように荒らして去っていった部屋には、まだかすかにピザの匂いが残っていた。

 ベッドの枕には、明らかに自分のものではない茶髪の髪が付いている。

 自分以外の誰かがいた痕跡が、イヤというほど感じられる。

 こないだ大掃除したばかりだが、また掃除をする必要がありそうだ。

 ついでに春にも手伝わせるか。

 掃き掃除ぐらいは覚えてもらわないと、自分の精神衛生的にもよろしくない。

 ……こいつに掃除の習慣ってあるんだろうか。


「春、さすがに掃除は分かるよな?」

「分かるよ。学校で毎日するから」

「家では?」

「毎日、自分の部屋は雑巾がけしてるよ?」

「あぁー、うん、偉いな」

「? みんなしてるんじゃないの?」

「いやまぁそうだけど」


 なんとなく、春について分かってきたな。

 生活のモデルケースが家にはなく、学校にしかない。

 極端に知識が少ないのもそのせいだろう。

 学校で見ること、習うことしか知らないのだ。

 家族の真似をして何かをする、という経験がないのだろう。

 家の掃除なんか雑巾でやらんわ、普通。


「とりあえず、帰る時は毎回掃除してけ」

「雑巾がけすればいいの?」

「いや、掃除機かけてけばいい。髪だけちゃんと処理してくれ。ほら、ここに掃除機置いてあるから」

「へぇ、芥お兄さんって掃除機持ってるんだね」

「普通の家にはあるんだよ」

「学校だと図書館ぐらいしか置いてないよ?」

「どっちかって言えば、学校が特殊寄りなんだよ」

「そうなの?」

「学校の掃除のやり方なんか、卒業した途端やらなくなるからな」


 今思えば学校の掃除ってクッソ不便だったな。

 箒と雑巾しか使わせてもらえなくて、モップは先生専用とか意味の分からんルールもあった。

 冬に水をため込んだバケツに手を突っ込むのはかなりの苦行だった。

 当時はさして気にしていなかったが、今やれと言われたらかなり抵抗感がある。

 当時といってもまだ数年前だが、遠い昔のように感じるのはなぜだろうか。

 過去の記憶に思いを馳せていると、ふと春の表情が暗いことに気がついた。


「それは、ちょっと困るな」

「あ?」

「私、学校のことしか知らないから」


 春はダボダボのパーカーの袖を、強く握りしめて俯いている。

 か細い声が、不安に揺れている。


「芥お兄さんみたいに物知りじゃないし、めいさんみたいに元気じゃないし、学校で習ったことしか分からないのに……」


 心境を吐露する春に、内心少し感動する。

 そういった感情とはほど遠い感受性だと思っていたが、割と年相応の感覚はあるようだ。

 もっと『そうなんだ、大変だね』ぐらいのドライさでくると思っていた。

 今まで知らなかったことを知った分、その反動で怖くなってきたのかな?

 子供の成長って早いなぁ、自分もまだガキ寄りだけども。

 固まって動かない春に近づいて、ぐしゃぐしゃと髪を撫でてやる。


「ガキが。学校しか行ってねえんだから、学校以外知らないのは当たり前だろうが」

「でも……」

「学校出てからの心配なんて百年早いんだよ。それに、学校で習ったことなんか無くても生きていける」


 よくもまぁ、その育った環境で社会に出た時のことを考えられるものだ。

 社会に出ている俺ですら、その日暮らしで生きているというのに。

 ……俺がおかしい側の思考じゃないのか、これは。

 ブンブンと頭を振って脱線しかかった考えを消し飛ばす。

 今は自分の話なんてどうでもいい。


「自慢じゃないが、俺は高校中退だぞ? 最終学歴は中卒扱いだ。習ったことで言えば、ほぼお前と変わらん」

「そうなの?」

「そうだ。そんな俺でも生きてくだけならなんとかなるんだ。お前もなんとかなるよ」

「……私、今のままでいいの?」

「逆に聞くけど、誰が責めるんだ?」

「……分かんない」

「じゃあ心配するだけ無駄だろ。ほら、さっさと掃除機かけろ」

「うん」


 頭からパッと手を離すと、少しだけ名残惜しそうな顔をした春と目が合った。

 相変わらず陰気臭い目ではあったが、それでもこちらを見る目には初めて会った日よりも力を感じた。

 そう思うのは、あの日よりも感情移入してしまっている自分の心のせいだろうか。


(よくないなぁ)


 明らかに、春に肩入れし過ぎている。

 春に、懐かれすぎている。

 よくない関係のはずなのに、それを悪くないと思い始めている自分がいる。

 悩みなんか適当に聞き流して追い出せばいいものを。


「ありがとう、芥お兄さん」

「……どういたしまして」


 ……まぁ、いいか。

 誰も困るような関係ではないのだから。

 笑った少女の顔を見たら、そんな考えを持ってしまった。

 長い人生、少しぐらい間違った時間があってもいいだろう。


「芥お兄さん、めいさんから貰った紙袋の中身は何なの?」

「知らなくていい」

「気になるよ」

「掃除に集中しろよ」


 静かだった八畳一間が、ずいぶんと騒がしくなったものだ。


評価、感想、誤字指摘等していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ