襲来
悪い夢を見た。
締め切りが近づくたびに、体に巻き付いたロープがギリギリと締め付けられる夢だ。
タイピングする指がやたらと重く、作業は一向に進まない。
ピリリピリリと、頭の後ろでずっと誰かからの着信音が鳴っている。
もどかしさと煩わしさが募り続ける。
夢だと分かっていても、消せない焦燥感に頭が壊れそうになる。
時間だけが過ぎて行く。
体に巻き付いたロープも、ついに限界を迎えたようだ。
何百個と輪ゴムを括りつけたスイカのように、バツンと自分の体が弾けて散った。
「はっ! 夢だよな......流石にな......」
「おはよう、芥お兄さん」
「......ガキ、お前は何してるんだ」
「ずっと見てた」
夢見が悪い原因が分かった。
自分の腹に跨っている春を睨みつける。
悪いことをしている自覚はないようだ。
キョトンといつものように表情に乏しい顔で俺を見つめている。
「俺に触るなって言ってるよな?」
「直接は触ってないよ?」
「そういうのを屁理屈って言うんだよ。あぁもう、変な知恵だけはあるな」
「褒められた?」
「褒めてない。どけ」
布団ごと春を押しのけて立ち上がる。
わぁ、と間の抜けた春の声が聞こえたが聞こえないふりをする。
ずいぶんと寝てしまったようだ、もうそろそろ夕方になるようだ。
適当に飯でも食べて、春が帰ったらまた仕事でもしようかな。
ちらりと部屋全体を見回せば、寝る前と特に変わりはないようで一安心する。
「俺が寝てる間、何してたんだ?」
「ずっと見てた」
「は?」
「芥お兄さん、寝ている時すごいんだよ。ずっともぞもぞもぞもぞ動いていて面白かった」
「8時間ぐらいあったんだぞ?」
「そうだね」
「……飽きるだろ」
「?」
娯楽の概念もないのか、こいつ。
いや、時間の潰し方が特殊すぎるんだろうな。
そういった過ごし方を身につけなければ、心が耐えられない毎日だったのだろう。
娯楽かぁ、読書でも教えるか。
幼児用の絵本でも図書館から借りてくるか?
小説とか貸しても感受性が死んでそうだし、漫画は読み方が分からないとか言い出しそうだ。
段階を踏んで、一人で時間を潰す方法をなにかしら教えるべきだろう
……違う、なんでこんなに真剣に春のことを考えてるんだ。
親代わりをするつもりはない、なぁなぁでぼかし続ければいい。
でもなぁ、寝るたびに顔を見つめられるのはストレスだしなぁ、依存されても困るしなぁ。
うんうんと一人で唸っていると、夢で聞き飽きたピリリピリリとスマートフォンの着信音が鳴る。
俺に電話をしてくる人間なんて一人しかいない。
今は気分ではないので無視を決め込むか。
そう思っていると春が話しかけてくる。
「そういえば芥お兄さん、ずっと電話鳴っていたよ」
「ずっと? これが初めてじゃないの?」
「芥お兄さんが寝てすぐに掛かってきて、そこからずっと鳴ってたよ」
「おい、起こせよ」
「触っちゃダメって言われたから」
「乗っかっておいてその言い訳が通じると思うなよ」
「出なくていいの?」
「ちっ」
受信ボタンをスワイプして電話に出る。
途端に人懐っこい大きな声が耳に飛び込んできて、思わず顔をしかめる。
風の音もするから、外から電話をかけてきているのだろう。
『出るの遅いよぉ芥川先生!』
「その呼び方恥ずかしいんで辞めてもらっていいですか、藤川さん」
『そぉ? 作家としてはいっちゃんカッコいいでしょ!』
「名前負けしすぎなんですよ。それに、サークル名なんだからあなたも芥川でしょうが」
『アタシはビリジオンだから!』
「あんまり外で作家名名乗らないの方がいいですよ、身バレしますよ」
『アタシ顔出し配信もしてるから!』
「そうでしたね」
ちらりと春の方を見る。
会話の内容はあまり理解できていないようだ。
そう、春の前であまり考えたくはなかった収入源の一つがこれだ。
同人作家なのだ。しかも、おおっぴらには言えないジャンルの。
ストーリー担当の芥と、作画担当の藤川、合わせたサークル名が芥川。
まぁ、作画の名前はペンネームのビリジオンだから、読者には芥川の由来は伝わってはいないが。
藤川さんとの出会いはまぁ、自分の黒歴史だから思い出さないことにする。
なんやかんやあって、二人で活動することになってサークルを立ち上げることになったのだ。
コミケなどの外の販売活動は藤川さん担当、SNSなどのインターネット担当が俺。
連絡も基本的にはパソコンのツール上で行っているから、電話をしてくるときはサークル絡みではないろくでもない時だ。
「で、用件はなんですか」
『いやさぁ、リスナーの占い師が、N県に吉兆がありますって言ってくれてさ。芥川先生、今N県じゃん?』
「......はぁ」
猛烈に嫌な予感がしてきた。
何回も電話をしてきた用件はこれのことだろう。
大方、遊びのお誘いだろう。
最近ただでさえプライベートがごりごり削られているのだ。
これ以上一人の時間をとられてたまるか。
「言っときますけど、行きませんよ?」
『うん、いいよ。だってもう向かってるし』
「N県にですか? 相変わらず行動が速いですね」
『ううん、芥川先生の家!』
「は?」
『ピザとか買ってあるから、ぱーりぃないしようぜ!』
「......なんで住所知ってるんですか?」
『献本送るのに必要って言ったら、住所教えてくれたじゃん』
「それをプライベートで使うのは個人情報の濫用だろうが!」
『うひゃひゃ!』
「帰れ、今すぐ帰れ!」
『帰りの移動手段の予約ありませーん! ホテルも取ってませーん! N県のあては芥川先生しかいませーん!』
「うぎぎぎぎぎぎぎぎ」
『うひゃひゃひゃ!』
高笑いと共に消えた画面を睨み、ベッドに向かってスマートフォンを叩きつける。
社会不適合者にも二種類。
突発的な用事に対応できる奴と、できない奴。
俺は後者だ。
あの言い分だとうちに泊っていくつもりだ。
幸い、大掃除したばかりだから人を迎えることはできるのだが、気分的には迎えたくはない。
藤川さんとオフで会うのは初めてではない。
それでも、対面で話すのは嫌だ。
性格が悪いわけではない。
カラッとした明るさで、何にでも興味を持ち、グループに一人いたら盛り上がるんだろうなぁって感じの人だ。
会いたくない理由は、根本的に人としての次元の違いだろうか。
バイタリティが違い過ぎるのだ。
無限に話し、無限に創作活動に精を出し、無限に行動する。
そんな人間なのだ。
ショッピングモールに行っただけで行動力が尽きる俺が惨めに見える。
俺の家に来ると宣言した以上、絶対に来るだろう。
無限にダル絡みされる未来が見える。
うごごごごごごごご、嫌すぎる。
頭を抱えてうずくまっていると、頭上から声がする。
「体調が悪いの? 芥お兄さん」
「そういうわけじゃない」
「そう? すごい声出てたよ」
「気にするな、この世のままならさに対する恨みの声だから」
「よく分からないよ」
「分からなくていい。とりあえず、お前はもう帰って——」
その瞬間、天啓が舞い降りてきた。
あるじゃないか、ダル絡みから逃げる手段が、ここ数日の悩みを解決する手段が。
「なぁ、春。今日は泊っていけ。一泊ぐらいなら問題ないだろ?」
「え、泊っていいの? 前はダメって言ってたのに?」
「ああ、今日だけは特別だ。どうだ?」
「芥お兄さんがいいなら、泊っていきたいな」
「よし、今日だけな。マジで今日だけな」
刹那の閃き。
それは春を生贄にすること。
仕事上連絡をいくらでも取れる自分より、ここでしか会えない同性のほうに興味が向くだろう。
藤川さんのダル絡みの矛先が春に向かっている間は、俺は自由になれる。
そして、その時に藤川さんから春に女子としての基本を指導させればいい。
化粧だとかファッションだとか羞恥心だとかの問題もこれで解決だ。
まさに一石二鳥。
「いいか、今から客が来る。そいつはいい人だから、色々話せ、全部話せ」
「何を話せばいいの?」
「服とか化粧とか髪とか全部だ。教えたがりだから何でも聞けばいい。俺に聞くような感じでいい」
「自信ないなぁ」
「お前、いつもあれだけ俺に質問ばっかりしてくるくせに……」
「芥お兄さんは優しいから」
「俺より数倍優しいから安心しろ」
会話をしていると、ピンポーンとインターホンが鳴る音がする。
電話を切ったのがさっきなのに、もう着いたようだ。
俺が出なかったらどうするつもりだったんだ?
返事をする間もなく、ガチャリとドアが開く音がした。
......最近こんなんばっかで嫌になっちゃうね。
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