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 少女は一夜明けると、特に抵抗することなく帰っていった。

 勝手に家付いてきた時のように、何かしらのアクションはするものだと思っていたが杞憂だったようだ。


『ありがとう』


 それだけ言って、雪が積もった道をトボトボと歩いて消えていった。

 雪が降りしきる中家から追い出した親元に、帰す判断は正しかったのか?

 自分はもっと、何か行動を起こすべきではなかったのか?

 うるさい、知ったことか。

 ブンブンと頭を振って、よぎった考えを追い払う。

 いい人のフリは一度だけだ。

 可哀想だと思うし、少女の環境が改善されればいいと思う。

 その心に嘘はない。

 ただそれ以上に、厄介事に関わりたくないという気持ちのほうが強い。

 他人の人生に責任は持てない。

 自立してるとはいえ、自分もまだ18歳のガキなのだ。

 金に余裕があるわけでもない。

 慎ましく生きていくだけの蓄えはあるが、仕事柄収入は不安定だ。

 社会的地位も、金銭も、精神的余裕もなにもかもが不足している。

 それらが全て解決しているなら、俺はあの少女に手を差し伸べるのか?

 ……助けないな。

 世界にどれだけ似たような環境の奴がいると思っているんだ?

 そんなメンタリティなら、俺は今頃ボランティアに明け暮れてるだろうよ。

 結局、自分が最優先なのだ。


「うへぇ」


 廊下に落ちている、明らかに自分より長く細い髪の毛に声を漏らす。

 ストレスだ。

 自分の領域に、自分以外の痕跡があるのは許せない。

 潔癖症とは別の、自分にしか伝わらない細かい感覚がある。

 布団から他人の臭いがするなんて、もっと耐えられない。


「うごごごごごごご」


 風呂場に落ちているまた別の髪に声が漏れる。

 仕方ない。

 12月も終わりだし、大掃除といこうか。

 やりたくはないが、ストレスがたまり続けるよりはいいだろう。

 開けた窓からは、身を裂くような冷たい風が入り込んでくる。

 澄んだ空気は心地よいものではあるが、そう感じるのは一瞬だけだ。

 寒すぎる。

 ベランダに布団を干しながら、余りの寒さに身を震わせる。

 ……この寒さの中で、あの少女はどんな気持ちでベンチに座り続けていたのだろうか。


「あー、くだらね」


 こぼした言葉は白い息となって消えていく。

 気持ちが分かったところで、何も行動なんてしやしないのな。

 聖人ぶった考えをする自分に悪態をつく。

 何もしないと選択したのだ、見捨てると決めたのだ。

 もう、終わったことをくよくよと考える意味はない。

 布団を強く叩き、過剰なまでに消臭スプレーをぶちまける。

 居室や風呂場のタイルには髪の毛が残らぬよういつもより念入りにキレイにする。

 カップラーメンのゴミをコンビニのビニール袋に入れて、燃えるゴミに出す。

 この家に他の誰かがいた痕跡を消し去るように、徹底的に掃除をした。

 その行為が、誰かがいた証明にしかならないとは気づかないフリをした。


「遅いって、速く歩けよなー」

「待ってよー、たっくん」


 窓からは小学生の元気な声が聞こえてくる。

 ごく普通の、どこにでもあるようなありふれた光景だろう。


(あいつの普通って、どうなんだろうな)


 家族とご飯を食べて、友達と通学路を歩いて、学校でバカ話して、たまにはケンカなんかして。

 そういった普通の出来事が、あの少女にはあるだろうか。

 ないだろうなぁ。

 友達を作る意味とかも分かってなさそうな感じだったし、学校でいじめられてなきゃいいけど。


(……あほらし)


 もう二度と関わらない奴のことを考えても意味は無い。

 だというのに、気がつけばあの少女のことを考えている自分がいる。

 名前を呼ばずガキ扱いして、距離を置こうと思っていても、こうも入れ込んでしまうとは。

 自分のことながら、呆れてしまうほど単純だ。

 ドライな人間だと自分では思っていたが、そうではないらしい。


(寝て忘れるかぁ)


 掃除にある程度の区切りをつけ、干していた布団を回収する。

 スプレーをかけすぎたようだ。

 寝ころんだ布団にはお日様の匂いなんてせず、科学的な芳香剤の匂いしかしなかった。


(あいつ、床で寝てるって言ってたなぁ......)


 忘れようと寝ることを選んだはずなのに、意識を手放すまで結局少女のことが頭から離れなかった。


 ——————


(寝すぎた……)


 昨日は椅子で寝たから、あまり疲労が取れていなかったのだろう。

 布団の温もりが心地よく、ガッツリと寝てしまったようだ。

 掃除の後、開けっぱなしにしていたカーテンからは、もう日が暮れ始めて赤くなった空が見えている。

 一日睡眠で無駄にしてしまったなぁ。

 まぁ、よくあることだけども。

 起きてコンビニでも行こうか、それとも布団の温もりをまだ楽しんでいようか。

 ぼんやりと天井を眺めていると、急に血色の悪い少女の顔が視界外から覗き込んできた。


「何してるの? 芥お兄さん」

「……なんでいるんだよ、ガキ」


 悲鳴を叫びかけたが、唇をギュッと噛みしめ我慢する。

 もし、その声でお隣さんが駆けつけてきたら通報されそうだから。

 引っ越しの挨拶とかしなかったから、お隣さんが誰だか知らないけど。

 布団から身を起こし、ベッドの脇にちょこんと座っている少女を見る。

 朝と変わらない制服姿の少女が立っていた。

 制服で俺の部屋に入ってくるな、通報されるだろ。


「来たかったから」

「今言った『なんで』はな、どうして部屋に勝手に入ってるんだ?って意味の『なんで』だ。お前の理由なんか聞いてないわ」

「鍵、かかってなかったよ?」

「鍵かかかってないから入っていいとはならないんだぞ」

「そうなんだ。人の家、行ったことないから知らなかった」

「……ちゃんとインターホンを鳴らせ。それがマナーだ。ていうか、お前のしたことは不法侵入だ」

「分かった。次からは気を付けるね」

「そうしろ……じゃない、そもそも俺の家に来るなよ」


 流されそうになった思考を慌てて引き戻す。

 このまま行くと、ズルズルとこの部屋がたまり場にされかねない。

 それは精神衛生的にも、評判的にも大変よろしくないものだった。


「一晩だけって言っただろうが」

「一夜限りの関係?」

「おいやめろその言い方。いらん誤解を招くだろ」

「誤解なの?」

「……言葉の使い方が、正しくないんだよ」

「そうなんだ、どういう時に使うの?」


 なぁ、この手の言葉って女子中学生になんて説明したらいいんだ?

 全国のお父さんお母さんって、子供に言葉の意味を説明する時、相当苦労してるんだろうなぁ。

 ……なんで18なのに親の気分にならなきゃいかんのだ。


「自分で調べろ。それよりも、なんで俺の家来たんだ?」

「来るなとは、言われてないよ?」

「来ていいとも言ってないが?」

「でも、私、芥お兄さんの言いつけは守ったよ」

「言いつけ?」


 昨日の会話で、心当たりは特に無い。

 何か約束のようなものをしただろうか。


「朝一で帰れって。ちゃんと私、朝一で帰ったよ」

「おう、そうだな。それで?」

「? それだけだよ?」

「来た理由の説明はどこいったんだよ……」

「言いつけ守ったから、守ったよって言いに来たんだ」


 約束を守ったことを、褒めて貰えると思って来たということか?

 改めて少女をしっかりと見る。

 こちらを見つめる目は昨日よりもしっかりと、俺の顔を捉えている。

 懐かれたのだろうか、どこか遠慮がちだった雰囲気は消え去っている。

 野良猫っぽいなと思っていたが、どちらかと言えば野良犬のようだ。

 尻尾があれば、褒めて褒めてとブンブン振っていただろう。


「あー、言いつけを守って偉いな」

「うん、ありがとう芥お兄さん」

「……ガキ、今度から知らん人には付いていくなよ」

「どうして?」

「そいつが悪い奴だったらどうするんだ」

「でも、芥お兄さんはいい人だよ?」

「そういう話じゃないんだがなぁ」


 あまりの少女の純真さに、少し庇護欲が湧いてくる。

 はぁ、我ながら単純で臆病なことだ。

 二度と来るなと一言言えば、この少女は本当に来なくなるだろうに、それを言えずにいる。

 朝に感じたストレスも、巻き込まれたくない気持ちも本心だが、それと同じくらいに可哀想だと入れ込んでいる自分がいる。


(はぁ、初手でしくじったなぁ) 


 知らん世界で知らん奴が死んでも、俺にとってはどうでもいい。

 それはただの情報でしかないからだ。

 体感のない情報は、俺の心を揺さぶりはしない。

 しかし、もうこの少女は違う。

 俺の世界に入ってきてしまった、招き入れてしまった。

 興味本位で声をかけたあの時に、ココアを渡したあの時に。

 それは自分の行動の結果だから、自分でケツを拭かなければならない。


「いいか、知らない人から物を貰わない、ついていかない、言うことを聞かない、これは基本的なルールだ」

「それだと、芥お兄さんと出会えてないよ?」

「俺をいい人だと思うな。気まぐれで飯をくれてやっただけで懐くんじゃない」

「でも、私の周りに他にご飯をくれる人はいないよ」

「お前の周りがおかしいんだよ。普通はもっと助け合えるんだよ人間社会は」

「そうなんだ。じゃあ私、普通に近づけたのかな?」

「あぁ?」

「だって、芥お兄さんが助けてくれたから。これって普通の人間社会になったってことだよね?」

「俺を普通カウントするな。普通の人間は中学生のガキを家に入れないんだよ」

「えぇ……言ってることが難しいよ芥お兄さん」


 よく分からないといった表情をする少女の頭をガシガシとなでる。

 髪がボサボサになろうと知ったことではない。

 目を丸くして驚いている少女の顔は、今まで見た中で一番年相応かもしれない。


「いいか、お前はもともと普通だ。環境がちょっと特殊だからものを知らんだけだ。だから俺をいい人だと勘違いしてる」

「勘違いなの?」

「あんまり俺を信用するな、懐くな、恩を感じるな」

「こんなに優しくしてくれてるのに?」

「したくてしてるわけじゃないからな。お前が家に上がり込んでなきゃしてねぇよ」

「……私、芥お兄さんの迷惑なのかな」

「そうだ、迷惑だな」


 率直に告げてやると、陰気な人目がさらに陰を増す。

 表情はあまり動かないが、思ったよりも顔にでるタイプのようだ。

 マトモな環境で育ってたら、素直で愛嬌のある子になっていただろう。


「……来ないほうが、いい?」

「ガキがな、迷惑なのは当たり前なんだよ。俺だって他人に迷惑をかけることはある」

「……そうなんだ」

「だから、ウチに来る時は迷惑をかけていると思って来い。いつかその分きっちり返してもらうからな」

「……え?」

「一泊させた時点でアウトなんだ。もう今更気にしないことにした。あ、制服は流石に着替えてこい」


 自分にできることは大してない。

 せいぜい一般常識を教えてやることぐらいか。

 積極的に関わることはしない、かといって拒絶もしない。

 この家が、俺が、少女の最後のセーフティネットになってあげるだけだ。

 プライベートゾーンに入り込まれるストレスが消えたわけでは無いが、まぁ我慢するしかないだろう。

 この少女が、普通の環境に気が付くまでの短い時間の辛抱だ。


「私、来ても、いいの?」

「来てほしくはないが、どうせ勝手に来るだろ?」

「迷惑なのに?」

「うるせぇ、ヘタに気を遣うとマジで入れねぇぞ」

「……本当に、来てもいいの?」

「いいって言ってんだろが」

「来ていいんだ……」


 どうして昨日出会ったばかりの少女の、世話をする羽目になったのやら。

 ストレスではあるし、迷惑でもあるのだが。


「えへへ……」


 なんだ、笑えるじゃないか。

 明るい表情をした少女の顔を見たら、まぁ悪くはないかと思ってしまった。

 チョロいなぁ、俺。


「ねぇ芥お兄さん、春って呼んでよ」

「ガキが、調子に乗るな。馴れ合っていいとは言ってない」

「でも、迷惑かけていいんでしょ?」

「迷惑って自覚があるならやめろよ」

「お願い、芥お兄さん」

「はぁ……春」

「なぁに、芥お兄さん?」

「二度とそのだるい絡みするなよガキが」


 きっと健全ではないのだろう。

 正しい関係とは言えないだろう。

 それでも、今は気にしないことにした。

 嬉しそうに目を細める春に、できることはこれぐらいしかないのだから。


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