第六話 水底での出会い
何か歌が聞こえた。昔、お母様が歌ってくれたような優しい歌だ。
『目は覚めたかい?人の子よ。』
声をかけられ、目を開ける。確か、私は溺れたはずだ。しかし、今謎の人物に膝枕をされ頭を撫でられている。
「あなたは・・・?」
『我が名はウンディーネ。この王城を守る水の妖精だ。』
確かに、よく見るとその姿は人とは違う者だった。水色の髪は何処か透けているように見え、水のように流れている。耳は魚の鰓のように尖っていて、肌のところどころに鱗のようなものがあった。何より私が膝だと思っていたものは魚の尾鰭で、どこからか漏れている光に当たり虹色に輝いていた。
『体に異常はないか?』
「ないです。あの、助けてくださりありがとうございます。」
ぼんやりとした意識の中、お礼を言うとウンディーネ様はそっと微笑み再び頭を撫でた。
『お前もとんだ災難だな。あんな悪女み引っかかるとは。』
「私が世間知らずだっただけです。今こうしていられるだけでも幸運でよかったと思っています。」
『そうか。・・・エレナ、そなたとはゆっくり話をしたいがそうもいかない。目が覚めたのなら地上に戻さねばな。』
「そうですね、みんな心配してる。」
『立ち上がれるか?』
私はウンディーネ様の手を借り、立ち上がる。そしてなぜかウンディーネ様と共に私は水中を突き進み、ザッパーン!という大きな音と共に地上に戻ってきた。
「エレナ!」
「エレナ!あぁ、無事でよかった・・・。」
池の淵ではお父様とお兄様が安心し切った顔でその場に座り込んでいた。
『我が名はウンディーネ。この城を守る水の妖精だ。今回、地上に出てきたのは不届者が我が主を陥れようとしたからだ。わかっておるだろう?』
ウンディーネ様はそう言いながら介抱されているリーシャ様の方をギロリと睨んだ。
「あ、主⁉︎どういうことですかウンディーネ様⁉︎」
思わずそう聞くとウンディーネ様は当たり前のように答える。
『そのうちわかるさ。』
そう言いながら豪快に笑う姿をただ茫然と見守るしかなかった。その時、リーシャ様が私を指差しながらこう言った。
「あの子が私を突き落としたんです!」
気づけば周囲には大人もおり、リーシャも両親と思われる男に抱きつく。一瞬、何か嫌な気配がした。魔法だ。さっきも使っていた意識を操る魔法を再び使おうとしている。
『誰の前でそんなもの使おうとしている。』
ウンディーネ様はそう言うと大きな杖を取り出し、振りかざした。
『これでここにいる者たちにそれは通じなくなった。さて、どうする?』
ウンディーネ様がリーシャ様に問いかける。憎悪と怒りに満ちた顔は同い年とは思えないほどの迫力がある。
「わ、私が池に落ちてエレナ様が助けようと飛び込んだだけです。お騒がせしました。お父様、行きましょう。」
まるでリーシャ様の傀儡のようにリーシャ様のお父様は歩いて行く。それを止める人は誰もいなかった。
『さて、我の出番はここまで。主に水の加護があらんことを。そして次に会うときは気軽にウンディーネと呼ぶように。では、さらば。』
私を陸地まで送り届けるとウンディーネ様は池の中へと消えていった。そして、私の元にお父様やお兄様、エドお兄様から王子殿下、サーラ様まで人が集まってきた。
「大丈夫か、何処か怪我はないか?」
「急にいなくなったと思ったら溺れてるとかお前、お前!」
「全く、お茶会で死人が出なくて良かったよ。」
三者三様の反応をしながらも三人は私のことを力一杯抱きしめた。その体温が暖かくて今まで我慢していたものが急に溢れ始める。
「怖かった〜‼︎死んじゃうかと思った〜‼︎うわーん‼︎」
年甲斐にもなく大きな声で泣く私を宥めるようにお父様はさらにぎゅっと抱きしめてくれる。
「お父様もお前が死ぬんじゃないかと心配だったんだぞ!でも、無事でよかった。本当によかった。ウンディーネ様に感謝しなければな。」
「うん。」
「エレナ、すぐに助けに行けなくてごめん。なんかあの場にいた全員がぼーっとしていて気づいたら悲鳴が聞こえて、ごめん。言い訳。」
「気にしないでお兄様。・・・あれは多分魔法のせいだから。」
「魔法だと?」
魔法という言葉に反応したのは王子殿下だった。
「どういった魔法かわかるのかい?」
「詳しくは分かりませんが多分、人の意識を操る魔法を使っていました。私も気づいたら池の淵にいたので。」
「なるほど。リーシャ・ヘルン嬢には注意しておこう。あとで父上にも報告しておく。さて、サーラ君は言いたいことがあるんじゃないかな?」
王子に促されサーラ様が後ろから出てくる。そして、私の方に向かってきてレースがたっぷり使われたハンカチを差し出してきた。
「よかったらこれで涙を拭いて。・・・私たちお友達だからこういうことしてもいいのよね?」
「サーラ様ぁ。ありがとうございます!」
私はハンカチを受け取るよりも先に体が動いてしまった。サーラ様に思いっきり抱きついてしまったのだ。
「エレナ様⁉︎」
「あ、申し訳ありません。嬉しいと思ったらつい体が先に動いてしまって・・・。」
「あ、いや私も嫌ではないから別にえっと、その、とにかく無事でよかったです。」
その光景を見守るお兄様たちの生暖かい視線を無視しつつ、私とサーラ様は手を握り合った。
こうして初めてのお茶会は幕を閉じ、私たちは家へと帰ったのだった。
「神殿に寄ってちょうだい。」
リーシャは御者にそう伝えると不機嫌そうに自身の父親であるはずの男爵を思いっきり蹴った。
普通の親ならそこで叱責が飛んでくるはずだが男爵は無言のまま、不気味なほどに表情を変えずただじっと座っていた。
「神殿に着きました。」
「今日は神殿に泊まります。私が神殿から出てくるまでここで待ってなさい。」
「かしこまりました。」
虚な目をした御者はそう答える。
リーシャは神殿へ繋がる階段を登ると勢いよく扉を開け、乱雑に閉めた。
「お帰りなさいませ我が主リーシャ様。お茶会はどうでしたか?」
リーシャの元に一人の男がやってくる。長い黒髪を一つに束ねた中年の男だ。リーシャは男の方を向くと「椅子を準備しなさい」と一言だけ言った。
「椅子ならここに。」
赤いビロードが使われた豪華な椅子にリーシャは座ると口を開いた。
「最悪も最悪よ。ただでさえ神々の信仰心が薄れているだけで最悪なのに今日のお茶会にはあの忌々しいミネルヴァの生まれ変わりがいたわ。」
「ミネルヴァというとあの古き神の一柱の?」
「えぇ、そうよ。だから殺そうと思ったんだけど妖精に邪魔をされて恥をかくことになったわ。あぁ、本当に腹が立つ。」
リーシャは立ち上がる。
「ゼゼ、着いてきなさい。地下室に行くわ。」
「かしこまりました。」
二人は地下室へと続く湿った階段を降りていく。最奥まで辿り着くとそこにはリーシャと同じような桃色の髪をした十二歳ほどの男の子が鎖に繋がれていた。ボロボロの衣服を身にまとい、その目には生気がなかった。
「ご機嫌ようお兄様。私少し腹の虫の居所が悪いの。少し付き合ってくださる?」
そう言うとリーシャは手に鞭を取り、思い切り振り上げた。ピシャンという弾けるような音が地下室に響き渡る。
数分後、飽きたらしいリーシャは鞭を放り投げると地下室を後にした。
「ねぇ、ゼゼ。今この国で一番力を持っているのは誰かしら?」
「もちろん一人だけです。女神ヘラノーラの生まれ変わりのリーシャ様でございます。」
少女の満足げな笑い声が夜の森に響き渡った。