練習する私。項垂れるがんちゃん(LINK:primeira desejo72.73)
私もがんちゃんだけを見てはいられない。気にはなっていたがこの場の主旨は練習だ。
練習に戻った私は、技術を、音を、その身に刻む行為に時間を費やした。
ゆっくり強く、はっきりと叩くときも丁寧に。周りの音を良く意識して。
テクニカルに速いテンポを叩くときも手技に走らぬよう、一音一音を明確に。魅せるべきは技ではなく、鳴らすべきは単なる音ではない。技術を手段に、曲の意図を、音楽が表したい表現を、奏者として届けたい想いを、音に乗せて聴く者の耳に、そして心に響かせるのだ。
一見精神論的であるが、理に適ってもいる。一音一音を意識することで、自ずとひとつの音を鳴らすという行為の純度とでも言おうか、精密さが高まる。
工業品で例えるなら、ひとつひとつの部品と言える一音の品質が高まれば、高品質の部品で組まれた完成品となる。
粗悪品で組まれたものと比較すれば、それだけでも品質に差が出るのと同様だ。
更にそれを組み立てる技術や工数の精度が上がれば、完成品の品質は、やがて匠の域へと至るのだろう。
スルドは初心者だが、ブラスバンドの楽器ではそのあたりの感覚は体感としても得ている。
練習への臨み方、在り方も単なる技術取得の場ではなく、ひとつの音、ひとつの所作を創るように参加したい。
そのためには、集中力は不可欠だ。
にもかかわらず、どうしてもがんちゃんのことが気になってしまった。
今日の練習は形にはなっていたが、心の置き処にまでこだわるなら、及第点とは言い難かった。
その日の練習は終わった。着替えを終え、借りていたチーム所有の楽器を拭いてテッチャンに渡し、帰宅の準備を整える。
がんちゃんは未だ座っていた。
「帰ろう?」
そっと声を掛けると、ちらりとこちらを見たがんちゃんは、少し頷いてゆっくり立ち上がった。
着替えも荷物をまとめる必要のないがんちゃんはそのまま帰れる状態だ。
俯いたままついてくる。
車の中でもがんちゃんは無言だった。
今のがんちゃんには内省の時間も必要だろう。変にフォローをするよりも、そっとしておこう。
とは言え、放っておくわけにはいかない。
そもそもがんちゃんがキョウさんに良くない態度を取っていたなら、その源泉はがんちゃんの中に燻ぶる鬱屈した想いからだろう。
手は、進めてあった。
しかし、悠長にしている暇はなさそうだ。急ぐ必要がある。
就寝前。通話をするには遅い時間だが、友だちと言う関係性ならまだ無理のない時間帯だ。「電話できる?」と送ったメッセージに、「大丈夫!」の返事が届いた。




